2019年6月4日

詩一篇


街の通りを歩いてゆくと、コーヒーの香りがしてきた。
コーヒーの香りが好きだ、と老人は言った。家の階段で
誰かがコーヒーを炒っていると、隣人たちは扉を閉める。
けれどもわたしは部屋の扉を大きく開けるんだ。

笑うと目がかくれてしまうほど、目じりに無数のひだ。
額には深い悲しみ。ひとは自由なものとして生まれた。
しかもいたるところで鎖につながれている。なぜだ?
「なぜ」を口にしたばかりに生涯にくまれて老いた男だ。


(中略)


ひとの自由は、欲することをおこなうことにあるのではない。
それは欲しないことは決して行わないことにあるのだ。
わたしは哲学者じゃない。ただ一コの善人でありたい。
それ以外の何者にもなろうとは思わない、と老人は言った。

夕食にブドー酒を一壜あけ、ジュネーヴのチーズを愛し、
アイスクリームとコーヒーを、唯一の贅沢なたのしみとした。
この世の欺瞞や裏切りを憎んだ正しい魂を持つ友人を
ひとりもみつけられなかったが、後悔しないと老人は言った。

ひとの不治の病をなおせるのは、緑の野だけとも言った。
老人は、自分の死亡記事を新聞で読んでから死んだ。
「ジャン=ジャック・ルソー氏は道で転んだ結果死んだ。
氏は貧しく生き、みじめな死に方をした」

ー長田弘 選『本についての詩集』(2002年)より「孤独な散歩者の食事」

※参考文献 ルソー「孤独な散歩者の夢想」、サン=ピエール「晩年のルソー」





孤独を好むルソーが、同時代のヴォルテールやディドロに嫌われた・・・というよりもむしろ嘲弄されていたという話は誰かの本で読んだことがある。
社交家のヴォルテールなどが彼を嫌ったのは、ベートーベンやヴィンセントがそうだったように、ルソーがあまりにも「自分」というものに忠実で正直だったからだろう。
現にシューマンは、ベートーベンについて、「彼はいかなる外向けの顔も持っていなかった、だから常に孤独だった」と語っている。

「わたしがまさにわたしであるがゆえに嫌われ、敬遠され、遠ざけられる」というのは、きっと普遍的な真実なのだろう。














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