2019年6月26日


どういう風の吹き回しか、気まぐれに、また「ブログ村」に登録した。
登録したカテゴリーは「引きこもり」と「ひとりごと」

メンタルヘルスのカテゴリーを覗くと、以前と同じように「オーヴァードーズ」という単語が散見される。
「リストカット」同様、昔からこれらの言葉、行為にまったく抵抗はなかったが、これまでは、所詮は「他人事」としてしか捉えてこなかった。
しかし今はアルコールとか、ドラッグとか、薬の過剰摂取が自分にも必要に思えてならない。



母も疲れている。休んでもらいたいが、今のわたしには何もできない。
疲労がたまり、ストレスが溜まった者同士が顔を合わせると、どうしても和やかな雰囲気は生まれない。
お互いに疲れ切っている。わたしはともかく、母は365日、弟の世話をしなければならない。母は斃れるまで、わたしと、弟と、自分とともにわたしたちを生んだ大嫌いな男性の世話をし続けるのだろう。自分の義務として。
そのようなことから
わたしが時々死を、仄めかすと、7割方本気で、「一緒に死んじゃおうか」と。

わたしも母も、生きていても何もいいことなんてないのだ。
わたしができることは、せめて「3マイナス1」と思っているが、それを口にするとまた母を苦しめる結果になる。

そんな状況の中で、アルコールや薬に歩み寄らない方が不思議ではないか。

しかし仮にわたしがそんなことで現実逃避しても、母の状態は1ミリも変わらない。

わたしはもうどうなってもいい。母だけは心穏やかに過ごしてもらいたい。
しかしそれはわたしの死によっては齎されることはない。
そしてわたしは「元気」にも「外に出られるようにも」ならないしなろうと思っていない。

何故わたしはまだ正気なのか・・・


"I became insane, with long intervals of horrible sanity."
— Edgar Allan Poe

「狂気とは、もうこれ以上進行することのない心痛である」





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