ブログを書くにあたってライバルは必要だ、わたしの場合は、今現在二階堂奥歯、そして辺見庸(のブログ)。
それぞれの人生、そもそも「勝ち負け」とはまるで無関係な「場」でありながら「負けたくない」と思ふ。けれども「勝ちたい」という言葉は頭の中に浮かんでこない。左右非対称。
辺見庸の、「暴力は大抵「きまり」として現れる。」という言葉に深く深く共鳴する。
(2019年4月15日)
◇
明日図書館の返却期限。
『小熊秀雄詩集』は迷った末延長することにした。
プロレタリアート詩人である彼の向日性には「日蔭者」であり隠花植物であるわたしは馴染めない。
しかし、詩の中のちょっとした言葉に惹かれる。
「野良犬のために路を譲る
私の謙虚さは誰も見ていない。
だが私は豹のために
一歩も路をゆずることを恥ぢる」
「── 政治に可愛がられる文学
とんでもない話だ」
「精神は純粋であれと叫び
生活は不純であれと叫ぶ」
等々・・・
島秋人さんの歌集『遺愛集』(昭和四十二年初版発行 昭和四十二年十二月三版発行 定価三百六十円)はとてもよかった。思わぬ発見。また読みたい。
(島さんは死刑囚であり、彼の歌はすべて獄中で詠まれた)
Hのブログを読む。
「負けたくない」と「勝ちたい」は同一の地平には存在しない。
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