2020年2月24日

心の病とは何か?必要なものは何か? Y先生へ 


先週の金曜日、21日の午後、主治医の紹介状を持参して、5月末に右目の手術を受ける予定の病院の「精神神経科」に行ってきた。今デイケアに通っている病院の裏手にある。歩いて5~6分で行ける。そこで保険適応のカウンセリングをやっていると聞いたからだ。ただし、どこでもそのようだが、保険適応のカウンセリングを受けるためには、その病院なりクリニックなりの医師の判断による許可が必要になる。
わたしは過去2回、わたしを診断(問診)した医師によって「(カウンセリングは)不要」とされた経験がある。
そして一昨年だったか、神田駅前にあるクリニックで、ようやくワンセッション40分の保険適応のカウンセリングが認められた。主治医は今現在の主治医のままで。
けれども同じ中央線沿線でも、郊外に住んでいるわたしが、途中乗り換えなしであっても、継続して神田まで通うことはできなかった。結局そこでのカウンセリングは1回だけで頓挫した。

今回わたしと話した若い医師は、結論として現在の主治医の元にとどまることを勧めた。その理由として、現在の主治医とは過去13年に亘る付き合いがあること、神田のクリニックと違い、仮にここでカウンセリングを受けるということになれば、主治医ごと替えなければならないことを挙げた。

今週の金曜日28日に主治医と会う予定なので、その時に話すことをまとめてみたい。



わたしは何故精神科に通っているのか?無論誰に強制されているわけでもない。自分の意思で行っている。
「自分の意思」で?ほんとうにわたしは自分の意思で精神科というところに通い続けているのだろうか?だとすればわたしにはその理由がわかっているはずだ。けれどもわたしには何故自分が過去25年にわたって途切れることなく「精神科」と呼ばれるところを転々としてきたのかの記憶がない。もし精神科に行かなければどうなるのか?自分も知らないし、今の主治医を含め、過去にそんなことを尋ねたこともない。

次回の診断では、そのことを主治医に聞いてみたい。
「わたしは何故精神科に通うのか?」
「通わなければならない、或いは通うべき理由があるとすればそれは何か?」

一般に「精神科」というのは、「心の病」を持つ人が行く場所だと考えられている。
ではわたしの心の病とはなんだ?そしてそもそも「心の病」というものは、誰がどのように判断するものなのか?

わたしは自分が心の病であることを認めたくないわけではない。仮にわたしが「発達障害」であったとして、それが精神科に通うことでどのような変化があるのか?

そして積年のテーマである、「良くなる」「改善される」とは何を意味するのか?

俗にいわれる「生きづらさ」── 「生きてゆくこと(生きていること)の困難さ」は何故、どのような理由で改善されるのか?



しかし上記のような大きなテーマはとりあえず二の次にして、現在のわたしの状況は何を必要としているのか?主治医にも読んでもらっていることを承知で、率直な感想を述べるなら、先ず、現在の主治医は親切で、何かと患者の便宜を図ってくれる。日々の生活の在り方にしても、薬にしても、決して「医師として」という立場から、指し図めいたことをいわない。日本の精神医療の世界では、「親切」で「話を聴いてくれる医師」というだけでも、上位10%に入るだろう。
得難い医師であることには間違いない。

けれども、これは専らわたしの側の問題だが、所謂わたしの「生きづらさ」は一向に改善しないし、ここ数年は目に見えて衰えてきている。そもそもわたしが明確な目的意識を持って主治医と向き合っていないせいだが、何が問題の本質であるのかが一向に見えてこない。わたしは現在の主治医との関係は膠着状態にあると感じている。

「カウンセリング」というものがどういうものか?何を目指し、どのようなことをするのか?これも知らない。けれども、わたしは惰性的に精神科に通っている現在の状況に何らかの風穴を開けたいのだ。

これまでの経験上、カンセラーとの相性がいい可能性は低いだろう。

けれども何か違ったことをやってみたい。

そのためには、先ず、現在の主治医との関係をいったん切らなければならない。つまり「自立支援対象の医療機関」から外さなければならない。そして新たな主治医とカウンセラーとの関係を作らなければならない。

その決断が「吉」と出る可能性は低い。
第一現在の主治医が「ご自分のやりたいようにやってみればいい」と言ってくれたとしても、一旦抜けたところにまた戻ることは可能なのだろうか?

そして仮にそのような紆余曲折を経て、現在の主治医のところに戻って、いったいなにが待っているのだろう?

目の前には以前と同じように、親切で話を聴いてくれる医師がいる。けれども、わたし自身はそのドクターを(言い方は悪いが)どのように利用活用したらいいのか?

ここでまた振出しに戻る。

「わたしは良くなりたいのか?」

「わたしは気楽に外に出られるようになりたいのか?」

答え:「わからない」

何故なら、元気になったわたしに、外に出られるようになったわたしに、いったい外部では何が待っているのか?外の世界にはなにがあるのか・・・

そもそも「良くなる」とはどういうことか?



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