2020年2月2日

滅びゆく日々


母とわたしはいま一歩一歩滅びの坂を下っている。高齢である母が、この先これ以上に衰えることはあっても以前のように元気になることはない。一歩一歩死に近づいている。
そういう状況にあって、わたしが元気になるということはなにを意味するのだろう。
なにも意味しはしない。わたしの生存の、存在の根拠が失われつつある中「良くなる」とか「元気になる」ということが如何に意味のない言葉であるか。


◇   ◇


No man is an island entire of itself; every man 
is a piece of the continent, a part of the main; 
if a clod be washed away by the sea, Europe 
is the less, as well as if a promontory were, as 
well as any manner of thy friends or of thine 
own were; any man's death diminishes me, 
because I am involved in mankind. 
And therefore never send to know for whom 
the bell tolls; it tolls for thee. 

ーJohn Danne ・MEDITATION XVII ”Devotions upon Emergent Occasions”


ひとりでひとつの島全部である人はいない。誰もが大陸の一片。
全体の部分をなす。土くれひとつでも海に流されたなら、ヨーロッパはそれだけ小さくなる。岬が流されたり、自分や友達の土地が流されたと同じように。
私も人類の一部であれば誰が死んでも我が身がそがれたも同じ。
だから弔いの鐘は誰のために鳴っているのかと、たずねにいかせることはない。
鐘はあなたのために鳴っているのだ。
誰(た)が為に鐘は鳴る、問うなかれ そは汝(な)がために鳴ればなり

ージョン・ダン 「瞑想録十七」より









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