2020年2月11日

過去について、癒しについて


友人である底彦さんのブログに、彼自身が今現在も苦しめられている「PTSD」(心的外傷)についての投稿がある。

読書: ディビッド・マス/大野裕・村山寿美子訳『トラウマ ── 「心の後遺症」を治す』


底彦さんにとって、そしてわたしにとって、この生の苦しみの源泉は「過去」にある。

彼にとっては、苦しい過去が現在も継続していること。
わたしにとっては、懐かしい過去が既に消え去ってしまったこと。

一方は「ありつづける」ことに苦しみ、
一方は「なくなった」ことに心を痛めている。
一方は「消え去る」ことを願い、
一方は「残り続ける」ことを希んでいた。

確かに、底彦さんの「過去」は、彼の内部に起こったできごとであり、わたしの「過去」は、わたしの外部の世界の変化変貌であるという相違がある。
それでも彼は「過去の記憶」に呻き、同様にわたしは「過去の記憶」による「外出困難」ー「引きこもり」で苦悩している。

彼は過去に受けた言葉の暴力(それは文字に書き起こせる「言葉」に限定されず、非・言語的なものも含む。表情、口調、相手の(無根拠な)優越感等)を忘れることができない。

一方で、わたしが感じる「世界の醜さ」を果たして「暴力」と呼ぶことができるのか、わからない。けれどもわたしは、わたしの生まれ育った街/町が跡形もなく消え去ってしまったことに耐えられない。「わたしをわたしたらしめている(た)」外部が悉く失われてしまったことに耐えられない。

「わたしの生まれたパリの街がドイツ軍の支配下にある限り、わたしの人生にはなんの意味もありません……」
と、シモーヌ・ヴェイユは戦中の手紙に認めている。パリは、いまでもシモーヌの愛した当時のパリの面影を残してるだろうか? ── わたしはパリに、ロンドンに行くことが出来るかもしれない。そしてそこで往年の町並みが残されているのを目の当たりにするかもしれない。
けれどもわたしはパリでもロンドンでも異邦人であることに変わりはない。わたしの故郷は既に失われた。



わたしの親友だった女性は、幼いころに主に言葉の虐待を受けた。その傷口は、わたしと一緒だったころ、60代の彼女の心にも屡々血を滴らせていた。

彼女の肩を抱いて銀座や渋谷を歩いた。手を繋いで都内の公園を歩いた。けれども一度でも心の底から彼女を、その癒えることのない悲しみとともに抱き締めてあげたことがあったか・・・


言うまでもなくわたしと底彦さんとは同じではない。底彦さんの「治癒」には希望がある。少なくとも彼の苦しみが、PTSDによるものであるという事実も分かっている。
しかし過去が蘇ることがない以上、時間が遡行不能なものである以上、わたしの苦しみは癒えることはない。それは死者の復活を待つことに等しい。その事実を認めながら、尚、友人の快癒を心から祈ることができるのか?わたしはそれほど優しく、懐の深い人間であるのか?・・・しかし底彦さんの平癒を心の底から祈ることが出来ないことを、すべてわたしという人間の心の狭さに帰することも安易な卑下だろう。そこにはわたしの狭量以外に、インターネットでの友人、という枠組みが存在している。わたしは底彦さんの顔も知らなければ声を聞いたことも、その微笑や沈痛な面持ちすら目にしたことがない。それがわたしの共感と感情移入を限定的なものにしている・・・

またわたしは、今でも、もう何年も連絡を取っていない嘗ての親友の安否を気に掛けながら、電話をしたり、手紙を出す勇気がない。なにかを怖れている。
それはわたしが、嘗てと同様に、いまの彼女に何もしてあげることが出来ないという負い目からくるのだろう。わたしはただ、彼女の・・・わからない。彼女に対して何を祈ればいいのか?

わたしじしん誰かに「Takeoさんの健康を祈ります」と言われて、それが真実「わたしの願い」と一致するのかがわからないように。

親しいものが死を願うのなら、ためらうことなく「彼に/彼女に、安らかな死が訪れますように」と心から願うだろう。5年ほど前、最後の電話で彼女から重い病気であることを聞いた。元気な時の彼女しか知らず、今の彼女の現実を知らないわたしが、いったい何を祈ることが出来るだろう?

すべての病める心優しき人に、一秒でも長い心のやすらぎを・・・という以外に・・・









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