2021年4月1日

ゼラチン・シルバー・プリント

 
先のブログを仕舞ってからまもなく二十日になる。その間全くなにも書いていない。書きたい気持ちはあるのだが、書き方を、忘れてしまった。いつも言っているように、いい文章を書くためにはいい文章を読まなければならない。ところが、最近は呆(ほう)けたように、本を読む気分にも、映画を観てみようという気にもならない。これもブログ同様、読みたくないわけでも、読みたい本がないわけでもない。映画もまた然りである。
 
ここ数日は、古巣のアートブログ、そしてこの3月で10年目を迎えたTumblrに投稿している。
どちらも、閲覧者の反応はわたしにはわからないが、そのほうが気楽でいい。
ブログであれ、Tumblrであれ、アートを渉猟し、選別して投稿する時間は、わたしとアートとの親密な時間だ。この画が、あの写真が、どの程度好かれたか、反応はどのくらいあったのかなど、わたしには関係のないことだ。
 
とはいえ、3年ほど前から「文章を書く」ブログを主にし始めて、アートからは随分と間遠になったとはいえ、よく憶えてはいないが2月だったか、Tumblrの管理画面を数ヶ月ぶりに見てみると、相変わらず1万5千人の「フォロワー」と呼ばれている人たちが、わたしの投稿を支持してくれていた。 10年間で、1万5千人とはいかにも少ないように感じる者もいるだろうが、「無駄に数だけいればいいってモンじゃない」というのがわたしの答えだ。


過去3年間続けてきたブログで目指していたのは、これまで日本ではほとんどお目にかかったことのない、アートと文章で構成されたブログだ。

例えば

 
 
そして
 
 
けれども、上記のブログに共通しているのは、アート、音楽、映画紹介など、ヴァラエティーに富み、そしてもちろんテキスト部分もあるが、それはあくまでも「引用」がメインであるということ。
彼/彼女らとわたしの違いは、わたしは、アートを通じて、あくまでも「自己の想い」を綴りたいということ。彼/彼女の怒り、苦しみ、悲嘆、絶望、ユーモアは全て、過去の文学者・思想家・俳優・女優たちの言葉として語られている。わたしは無様にこけつまろびつしながらも、「自分の思い」は「自分の言葉」で語りたい。ペダントリーになるつもりはないのだ。
 
しかしそれでもなお、上記のようなブログには日本では滅多に出逢うことはない。
わたしはいつも日本のブログにおけるアート欠乏症に怪訝の念を抱き続けている。
 
 
 
◇   ◇
 
 
 
前のブログの最後で少し触れた、2年前に亡くなったアメリカのフォトグラファー、ロバート・フランクの写真集『アメリカンズ』に、ジャック・ケルアックが序文を寄せている。ちなみにこの写真集がアメリカで最初に出版されたのは1959年。日本版の第一刷は1993年である。
 
ケルアックは序文で、ロバート・フランクの写真の非凡な魅力について語る。それは即ち、それらの写真を媒介にケルアック自身を語ることに他ならない。対象について語ることは、その鏡に写し出された己自身を物語ることだ。
 
 
New York City Candy Store, 86th Street, 1955, Robert Franl 
- Gelatin silver print -
 
 
ケルアックによると、ロバート・フランクの写真には、棺桶とジューク・ボックスがよく出てくる。
これはニューヨークの86番街にある「キャンディー・ストアー」で、ジュークボックスを囲む若者たち。
このジュークボックスもどことなく棺桶を思わせる。
 
好きな歌を友達と一緒に聴くって最高だと思う。それはおそらく「カラオケ」の比じゃない。
誰の発明かしらないが、ジュークボックスは、友情を取り持ち、恋の磁場を生み出す魔法の機械だ。
 
 
 
 
Nebraska, 1956, Robert Frank 
 
確かにジュークボックスの写真には惹かれるものが多いが、わたしが特に好きなのはこの写真。
 
待てど暮らせど、来ることのない言葉を待ち続ける自分の心情と重ねてしまう。
 
ビートルズの、(オリジナルは、モータウンの女性3人組ヴォーカルグループ、マーヴェレッツ)の「プリーズ・ミスター・ポストマン」を思い出してしまう。
 
しかし、あの歌のように、恋人からのカードか手紙を今か今かと待ちわびる若者の気持ちよりも、この写真には、もっと、どこかから、誰かから、いつか来るかもしれない(けれども決してくることはない)「手紙」を待ち続ける「誰のためのものでもない郵便受け」という印象を受けるのだ。
 

 
 
 
 Paris, 1951, Robert Frank. Americann/Swiss (1924 - 2019) 
 
 
わたしのこのブログも、通りすがりの人の目に留まり、よろしければお持ちくださいといったようなもの。


 
This is my letter to the world

That never wrote to me
 
 
「これはわたしの、世界に宛てた手紙です 

決して返事の来ることのない」

ー エミリー・ディキンソン
 
 
 
◇ 追記 ◇
 
今回、これまで特別好きではなかったロバート・フランクの、多くの「ネット上で見慣れた」写真を、写真集という体裁で、改めて手に取り、その持ち重り、余白の広さ、(見開きの片側が全くなにも印刷されていない白いページである。)そして縦であれ横であれ、一枚一枚の写真が悠に端書き二枚分くらいはあるという形で眺めて、「はじめて」ロバート・フランクの魅力に接した思いがする。
 
 
 
 
 
 
 
 


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