2021年4月4日

人間でないという救い・・・

『生命誌絵巻』 図 橋本律子

JT生命誌研究館


現代科学が「人間は生き物であり、自然の一部である」ことを明確に示しているのに、科学を基盤に進んできたはずの現代文明がそれを認めないという矛盾は、どこかで破綻するに違いないでしょう。

未来を担う子供や、若者の教育を考えたとき、この矛盾に気づき、原点に戻って新しい文明、新しい社会をつくる人を育てなければならないと思うのです。

『中村桂子コレクション いのち愛ずる生命誌』第3巻 (2020年) 『生命誌から見た人間社会』
「人間は生きものであり、自然の一部である」p 151~p153 より抜粋。


冒頭の「生命誌絵巻」は全ての動植物は、元はひとつの細胞からできているということを表した38億年の生命の歴史を表したものです。
 
いまの時代、日本だけを例にとっても、スマホを持たない人は、幼児と80代以上の老人くらいでしょう。無論スマホを使う90代もいるでしょうし、これはちょっと想像し難いですが、スマホを持たない2~30代の若者も、いるかもしれない。けれどもそれは本当に極めて稀な「例外」と言うべきでしょう。
 
けれども、これは冗談ではなく、他の動物はスマホを持たないし、SNSに投稿することもない。
わたしは「人間」としては極めて特異な、言葉を換えれば「孤絶した存在」ですが、この地球上には、まだスマホとも、株とも縁のない動物たちが存在していると考えることはなんという慰めでしょう。

わたしはあなた方と同じ「人間」ではないかもしれない。しかし「人間」でなくとも、他の生物とふかい所で繋がっています。
 
そして、特別人間である必要を感じてはいません。
 
わたしが中村桂子さんの本を読んでいて、時々苛々するのは、やはり根本的に「人間であるということの恥」(“The shame of being a man ”) という言葉に深く深く共鳴するわたしと、(どちらかといえば嫌いな言葉)「よりよい未来をつくるために」活躍されている中村さんとの根本的な人間観の隔たり、相違に因るのでしょう。
 




 

 

 


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