2021年4月10日

メプさんへ、コメントありがとうございました。

こんばんは、メプさん。

いただいたコメントへのお返事を8割方書いてから、ふと手が止まりました。メプさんは他の人の介入を好んでおられない。けれども、わたしが返信を書くと、どうしても、いつものわたしの文章になってしまう。それについて読者がコメント欄で反論を述べることは一向に構わないのですが、そこにいるメプさんにもいやな思いをさせてしまう。

そう思い、あまり意味はないと知りながら、返信を独立した投稿にしました。
 
メプさんのあのような穏やかなコメントに対してさえ、やっぱりいつもの口調いつものわたしになってしまう。器用に使い分けが出来ない。仕方ないですね。メプさんがとばっちりを受けないようにという浅慮の上の苦肉の策です。どうかご寛恕ください。
 
 

>武雄では、真っ先に何処かの市。武雄市(笑)、、、って、どこだ!?

武雄市は、昔日本地図を見ていて見つけました。確か大分(?)だったかな?

「確か大分(?)だったかな?」って、こういう場所でのやり取りではちょっとヘンじゃありませんか?だって、「武雄市」という部分をドラッグして、マウスを右クリックすれば、もう隣のタブにはグーグルで「武雄市」の検索結果が表示されているはずです。でもそれをしたくないんです。所謂ファスト・カルチャー、或いはジャンク・カルチャーというものに馴染みたくないのです。ですからわたしのブログは間違い勘違いが多いはずです。わたしの主観的な言葉以外、ほとんど記憶だけを頼りに書いていますから。

メプさん、最近思うのです。幼児と、80代以上の高齢者以外ほとんどがスマホを持っている時代に於いて、「無知である」とはどういうことか?

武雄市が何県にあるか定かじゃない。けれども、10秒もしないで、検索で「答え」が出るのです。
「無知とは何か?」を問うことは、同時に「知とは何か?」を問うことでもあります。

知らなかったことがわかったときの喜びって、今でもあるのでしょうか?
知る喜びを伴わない知(知識)ってなんでしょう?



>画像検索すると、福田前総理が居る。そっか、、、フクダタケオ、だ(笑)。

三角大福と呼ばれていた頃の福田元総理ですね、タケオという字は書けないけど。
あの頃は派閥なんて言葉が日常的に使われていました。福田派、大平派、田中派・・・

楽天ブログにはコメントの承認設定なんてあったのかな(笑)
あれは最後の頃にレイアウトを変えたのです。もう少しクールにしたいと思って(笑)
あの表紙(?)の写真は1920年代のフランクフルトです。タイトルもずっとoooOOOOOps (ウープス!)=おおっと!だったのですが、新たなタイトルを思いつかず、タンブラーから流用しました。「過去とともに生きる男」・・・やはりわたしにはこれです(苦笑)



>それと確かに、ブログや公開コメントは、誰が見るか解らないわけで、
それはブログの長所でもあり、すごく怖いところ、、、。

確かにその通りで、以前書いたように、「ブログ村」のメンタルヘルスのカテゴリーにいて、コメント欄を公にしている人は決して多くはありません。

わたしは誰も傷つけないなんて、誰も言えません。誰もね。人を傷つけずに生きるためには、ただひとりだけで生きるしかないと思っています。わたしの言葉が、メプさんを、母を傷つけているはずがないなんて、決していえません。それは繰り返しますが、わたしに限ったことではありません。だから、つい忘れてしまいがちなその「事実」、即ち、わたしたちは誰もが不完全な存在であるということを時々思い出せればと思うのです。そしてわたしはただ傷つけられるだけで傷つける能力のない人たちに惹かれるのです。
幼児、高齢者、障害を持った方たち、絶望した者、死を想う者、深く傷つけられた者、老いたホームレス・・・

一方で、心を病んだ人たちの自己譴責自己呵責を見るにつけ、わたしの中に、割り切れない思いがわだかまるのです。人間である以上、病みます。人間である以上、倒れます、転びます。
そのことを悪びれる必要などないのです。 そして、彼らの自己責任論。病のあるなしにかかわらず、もっともっと、ご自分の代わりに社会を、時代を、政治を糾弾し罵倒すべきなのだと常々思っています。
社会は無謬・・・といわぬまでも、基本的に正しく、誰もがそれに従順であるべきで、そこから零れ落ちた者はあたかも罪を犯したように己を責め、周囲の無理解にさらされるという異常な社会。そこにある躓くことは(社会にとって)悪いことである、そして悪いのは穴に落ちた者であるという、いわば自虐意識を共有している「自己責任論」なる21世紀の先陣訓への盲従は、しばしばわたしを苛立たせます。
「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなわたしのせいなのよ」という自己責任論は為政者にとって、すこぶる好都合です。
 
 
>【私】=本当の核心は、或る程度やんわり・オブラートに包むとか、
行間に込める程度に留まる場合も多々でしょう。

それは主に悲しみですね。わたしは怒りや憎しみはオブラートに包んで、ということが出来ません。

>Takeoさんがブログの中でも仰っている通り、
ご自身の書きたい事を、書きたい様に、書きたい時に書くのが、やはり一番と思います。
 
よくもわるくもそうしています、だからこれだけ人気(ひとけ)がないのです(苦笑)でもメプさん。これがわたしなのです。
 
 
>とにかくお身体無理せず、
お母さまも含め、くれぐれもご自愛下さい。

それと、普通の桜は葉桜になってしまいましたが、
八重桜って言うのかしら、、、毬みたいに沢山の花が咲く桜は、
今がキレイです(昨日は、キレイでした)。

では、、、。

          メプ
 
 
ありがとうございます。
 
物理的に離れたせいか、母とはうまくやっています。 

八重桜は結局見ませんでした。毬みたいというとずいぶん大きなものを想像してしまいます。メロンのような。

わたしはいつも八重桜ではなく、いがいがの栗の実のようですね。

良い週末を送られますよう。
 
コメントをありがとうございました。

TAkEo







1 件のコメント:

  1. Takeoさまへ。

    メプです。こんばんは。

    私のコメントに関して、色々お気遣いさせてしまい、申し訳ありません。
    お返事、ありがとうございました。

    今回頂いたお返事の中で、実は色々楽しい話題が拡がる部分はあったのですが、
    何だか今、大変な感じですから、、、今日はやめておきますね。

    でも色々と御配慮くださった御礼だけは、お伝えしようと思って。
    それと、お母さまがお元気そうで、何よりです。

    これへのお返事は、大丈夫です。このままで大丈夫。
    それよりも、とにかく無理せず、お身体気を付けて下さい。


               メプ

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