2021年4月23日

留め置く者たち

 
松山巌氏は、写真家(とは決して自らを呼ばなかった)アジェの写真展を観て、幸田露伴の「ウッチャリ拾ひ」という、明治39年=1906年、ちょうどアジェが、「資料」としての写真を撮っていたのとほぼ同時期に書かれた短編を思い起こす。それは、友人と二人で、夏の大川へ舟遊びに出かけたときのこと。
彼は川の中に膝までつかり、河川に打ち棄てられたものたちをせっせと拾い上げてゆく男を見る。今もそのような言葉があるのかどうか知らないが、通称「ガタロ」である。彼は川の中から、廃品を掬い出してそれを金に換えて生計を立てている。露伴は、この仕事は「神聖なる労働は空しく海中に棄(すた)って仕舞うべきものを取り上げて、復(ふたた)び人間の用に供するのである」といい、友人も頷く。そこに心地よい風が吹いてきて、舟は、速度を上げ「ウッチャリ拾ひ」の場から離れてゆく。
 
以下松山氏自氏の文章を引用する。
 
 
露伴が「ウッチャリ拾ひ」なる職業に目を留めざるを得なかった背景には、ものを利便だけでしか捉えられなくなってしまった多くの都市生活者がいる。私にはアジェの仕事が「ウッチャリ拾ひ」のように思えてならない。失われ、消えてゆく都市の姿を古いカメラと、感光材料によって、掬い上げたのではないか。そして彼の写真がいまも新鮮に目に映るのは、物や街がまたたく間に使い棄てられる状況がいっそう進んでいるからではないか。 

ー松山巌『路上の症候群』(2000年)より「ウッチャリ拾ひ」

松山氏の意見には同意するが、であるならば、世界中の優れたストリート・フォトグラファーは須らく「ウッチャリ拾ひ」 とよばれてしかるべきではないだろうか。アジェ一人が「ウッチャリ拾ひ」なわけではない。
松山氏によると、アジェは、自分を決して、写真家とは呼ばなかった。あくまでも、他の芸術の「参考資料」として写真を撮っていた。「写真による自己表現」は、アジェの関心の外にあった。
 
先に「我々が、その中にすぽりと包まれて暮らしている自明性の世界は、対象化され得ない」という論について考えてみた。けれども、パリであれ、ニューヨークであれ、シカゴであれ、香港であれ、トウキョウであれ、写真家たちは、自分たちがそこで、その時、生きている=生活している時空を対象化する。
アジェが写真を撮っていたパリということで言えば、 たとえば、ドアノー、ブラッサイ、ウィリー・ロニス、カルティエ=ブレッソン、アンドレ・ケルテス、イジスなど等、それこそ枚挙に暇がない。

彼ら/彼女らが撮ったパリの街や人々は、その当時の彼らを取り巻く「今現在」であったはずだ。そして彼らはいわゆる名所旧跡を撮っているのではない。(もちろん、ルーブルも、ノートルダムも、オペラ座の写真もたくさんあるけれど)彼らのモノクロームの写真のなかに息づいているのは、ありふれた日用品を売っている店であったり、カフェでコーヒーを傍らに新聞をめくっている老人だったり、井戸端会議をしているご婦人たちだったり、バーでテーブルに突っ伏してねむってしまった酔っ払いだったり、セーヌ河畔で寝転んでる宿無したちであった。
 
いわば何の変哲もない「日常」そのものであり、目の前のありのままの現実であり、それはどうやら、「自明性」と呼ばれるものであるらしいと、我々は気づいたはずだ。
 
なぜ彼らは来る日も来る日も目にしている目新しくもなんともない、市場や、いつからそこにあるのかさえ分からないくらいに町の一部になっている荒物屋や八百屋、魚屋を敢えて、対象化しえたのだろう。
 
1924年生れのフランスの女流フォトグラファー、Sabine Weiss(サビーヌ・ヴァイス )の言葉がある。
 
“The world is constantly changing, and everything around us, too. So I always advise: take photos of everything, everything that surrounds you. The house where you live, a saleswoman in a store, boutiques, street. That's how I started.”

『 世界は絶え間なく変化していく、わたしたちを取り巻くすべてのものも。だからわたしのアドバイスは、「あらゆるものを写真に撮りなさい。あなたの住む家、お店の売り子たち、ブティックも、通りの様子も。」わたしはそこからはじめたの 』
 
つまり、アジェ一人ではなく、優れたフォトグラファー達は、 「あらゆるものは流れの中にあり、やがてスそれらはみな変化という流れのなかに消えてゆく」ということを共通の認識として共有しているのだろう。
 
「 自明性」といっても、長い目で見れば、束の間日の光を浴びて消えてゆく露のごときもの。
わたし達は物を、街を救うことは出来ない。だからこそせめて、「かつてこの世界はこんなだったのだ」と、憶えておくため、後の世の人々に知らしめるため、「先取りされた過去」 の足跡を、痕跡を、さざめき、咳(しわぶき)を留めておくことが、写真家、即ち「ウッチャリ拾ひ」の共通の願いであり、強いていうならば、「使命」ではないだろうか?
 
 

Paris street scene, Eugène Atget. French (1857 - 1927) 
「20世紀初頭(?)のパリの通り」 ウジェーヌ・アジェ

 
 
 

 

 

 

 
 

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