2021年4月7日

『死刑台のエレベーター』(1958年) 或いはヨーロッパにまだ死刑制度があったころ。そして、「あなたはいま何処にいるの?」という呟きが、映画の中で使われていた頃・・・

 久し振りにルイ・マル監督25歳の時に作られたデビュー作『死刑台のエレベーター』を観た。1959年の作品である。と、いうのも、先に投稿した「人間、この愚かなる生き物」のなかで、

詳しく思い出せないが、ルイ・マル監督のデビュー作『死刑台のエレベーター』では、いつ核戦争が起こるかわからない時代に生きる不安によって、自暴自棄になったカップルの言動が、話の流れの大きな転機となっていたと記憶している。
 
と書いたが、どうも記憶が曖昧なのでそれを確かめるためと、わたしが、ルイ・マル、そしてモーリス・ロネがすきだという理由もあった。
 
結論から言うと、上に書いたわたしの記憶は間違っていた。
 
 
わたしは映画でも本でも、あらすじを説明するというのが苦手なのだが、久し振りにこの映画のストーリーをエンディングまで書いてみようと思う。傑作とまではいかずとも、「名作」であることは間違いないので、これから観てみようかと考えておられる方がいらっしゃったら、その点ご了承の上お読みください。
 
 
 
 
若く、ハンサムで、仕事も有能な男、(名をジュリアンという)が、自分のボスであり、武器商人である社長、即ち、「彼の恋人の夫」を殺害した。ジュリアン自身もみなから「大尉」と呼ばれる、戦場での落下傘部隊の将校であった。戦争といっても、ナチとの戦争ではなく、アルジェリア、インドシナでのことである。
武器商人で大金持ちの社長、そして戦争の階級で呼ばれ、社長にも信頼されているジュリアン。
ここには、反戦・厭戦の要素は見当たらない。
もっともわたしはフランスとアルジェリア、そして、インドシナとの戦いを、その経緯も背景も知らないのだが。
殺しは成功した、ジュリアンは、今目の前で、自殺を装って殺害された男の妻と30分後にカフェで待ち合わせをしている。社の前に停めてある車に乗り込み、証拠品一切を、ダッシュボードに詰め込み、ふと、会社の自分のオフィスの窓を見ると、真上にある社長室に忍び込むためのロープが垂れ下がっている。急いで、車からオフィスに戻るジュリアン。
運悪く、彼の車は人目を引く高級車である。ジュリアンが、よく夫人に花を贈るために立ち寄る花屋の目の前に彼は車を停めていた。そこには、花屋の娘の恋人が来ていて、無軌道な若者は、彼女が止めるのも聞かず、彼の車で、ドライブに走り出す、無論花屋の娘も一緒に。
 
時間は既に夕刻である。大きな社屋には今は誰も残ってはいない、オフィスに向かうために、エレベーターの中にいるジュリアン以外。
警備員が来て、エレベーターの電源が落とされる。突然停止するエレベーター。彼は暗い箱の中にひとり閉じ込められる。
 
最低でも十階くらいはあるビルである。彼はなんとか脱出を試みるが、宙にぶら下がっている箱の中からどうやって出れば良い?
 
一方、ジュリアンの車を盗み、ハイウェイをとばすカップルは、途中で出会った、メルセデスに乗るドイツ人夫婦とカーチェイスをし、何故か彼に好かれてしまう。一緒にモーテルに泊まり、ご馳走の供応に預かる。けれども、彼らが早朝、メルセデスを盗んで、逃げ出そうとするところを見つかってしまう。冗談好きの男は、おそらくはおもちゃの銃だろうが、若者に向かって、いたずらっぽく微笑みながら、「手を上げろ」という。若者は混乱し、ジュリアンの銃で、ドイツ人の男性のみならず、夫人まで殺害してしまう。
 
犯人はすぐに知れた、無論銃の持ち主であるジュリアンである。現に、彼の車に若い娘が乗って、犯行の行われた現場の方向に向かったところを見ている人がたくさんいる。
 
早朝、ようやく、動き出したエレベーターから解放された彼は、昨夜の非礼をわびるために、カフェから社長夫人に電話をかける。軍隊時代の自分の写真が、ドイツ人夫婦殺害の容疑者として、大きく新聞に載っていることも知らずに。
カフェの店員の通報で、ジュリアンはたちまち逮捕される。

ドイツ人二人を殺害した二人は彼女の部屋で、心中を試みる。レコードをかけて、薬を飲み「曲が終わるまでに死ねるわ」
 
仕事が始まり、ジュリアンの後輩で、彼のオフィスの捜索の案内をしていた、いつもジュリアンを「大尉」と呼んでいる後輩が、偶然社長が自室で自殺していることを刑事に報告する。そのことは直ちに社長夫人フロランスに伝えられる。彼女は一晩中恋しい人の行方を尋ねてまわっていた。雨の中を傘も差さずに街を歩く彼女の頭には様々な想いが錯綜する。「殺さなかったんだわ!臆病者。幸福になれたのに」「ひょっとしてあの花屋の小娘が好きになったの?」「おお!ジュリアンいったいあなたはいま何処にいるの?」
 
夫の死を伝えられた彼女は、やっぱり彼はやったんだ。でも彼は何処へ行ったの?
そして、昨日、彼女の車に、例の若い娘が乗っていたことを思い出し、早速花屋へ行き、彼女の住所を聞き出す。行くと、二人は半眠半醒という状態でベッドにいる、「死ねないはずだわ。致死量を間違ってる!」と吐き捨てるようにいうジュリアンを愛し案ずる女。
 
フロランスは匿名の通報をするが若い男はバイクで現場に向かう。ジュリアンの持っていた小型カメラで、モーテルの二人が、殺されたドイツ人夫婦と一緒にいる場面が写されているからである。彼の後を追うフロランス。モテルの現像所の暗室には、殺した二人と、殺された二人が談笑している写真が吊るされていて、そこには既に刑事がいた。若者はその場で逮捕された。
 
けれども、ジュリアンは無罪放免とはならなかった。
 
何故なら、彼には社長殺害の充分な動機があった。マイクロカメラに写されたネガを現像すると、ジュリアンと、殺された社長の妻、フロランス夫人が仲良く抱擁しあっている姿が何枚も鮮明に写し出されてゆく。
 
暗室で、それらの写真を見ながら、刑事であるリノ・ベンチュラはいう、
 
「・・・写真にはネガというものがあるということを忘れてはいけませんな」
 
刑事の推測では、ドイツ人殺しの若者はおそらく死刑、ジュリアンは、禁固10年か、5年。
「そしてあなたは、10年、或いは20年か・・・」
 
彼女は呆然とつぶやく
 
「10年 20年、無意味な年月がつづく
私は眠り、目をさます、ひとりで、
10年、20年・・・
でも私は愛していた、あなただけを。
私は年老いてゆく
でも二人は一緒
どこかで結ばれてる
誰も私たちを離せないわ」
 
 
 
ジャンヌ・モローの映画をあまり観ていないが、この『死刑台のエレベーター』とフランソワ・トリュフォーの『黒衣の花嫁』の、「愛する者のために命を捨てる女」 というイメージが強い。どちらもはまり役である。
言うまでもなく、マイルスのトランペットがすばらしい。
撮影はヌーヴェルバーグの名カメラマン、アンリ・ドカエ。

尚、このDVDは図書館で借りたもので、普通図書館でのDVD(或いはビデオ)には解説書はないのだが、これには、わたしと同年齢の菊池成孔(きくちなるよし)なる人物の解説書が入っており、その解説文は、正直あらずもがなのものであった。

音楽家、文筆家という肩書きで、東大、藝大などで、講師として活躍しているようで、エッセイストとしても人気とされているが、少なくともわたしは彼の「解説」を3回読んで、結局何が言いたいのかさっぱり理解できなかった。反論しようと試みても、ケチを着けようとしても、何を言わんとしているのかがわからないのでは反論も出来ない。
 
 
*














 
 


0 件のコメント:

コメントを投稿