2021年4月9日

生涯に亘る手ほどき、尾崎放哉と荻原井泉水

 
放哉の「青空」の二句を冒頭に引用しようとしたが、手許に付箋がないので、何処へいったかわからなくなってしまった。
 
わたしは尾崎放哉の句に勝る風景画はないと思っている。
 
以下、『放哉全集 第一巻 句集』(2001年)の「月報Ⅰ」に寄せられた、俳人黒田杏子氏の
「拈華微笑──放哉と井泉水」から後半部分を、少し長いが引用する。
 
 
◇ 

明治十八年に生まれ、大正十五年に没したわずか四十一年の人生を、この作家は人の世の塵にまみれず、不必要な熟成を遂げず、生まれ出ずる時に獲得してきたままの感受性を以って歩みとおし、傷つき果てたが、井泉水という兄事するに足る師匠を得て、誰よりもよく、その魂のかたちを俳句という一行の詩形に深く勁く彫り遺すことに成功したのである。
 
五年ほど前、私は勤務先の机上に拡げた東京新聞のカラー写真とその報道記事にとび上がった。その切抜きが手許にいま無いので、正確さを欠くが、荻原井泉水氏の鎌倉の物置小屋から「放哉句稿」と表書きされた複数の紙袋ががっしりと麻紐で括られて出てきた。井泉水氏が昭和五十一年に九十一歳で没して以後、一切手を触れられることなく小屋の解体まで置かれていたままであったとある。そして放哉の投稿句への選の跡と、添削の跡が写真で示され、放哉秀句誕生のドラマが生々しく示されていた。
 
放哉と井泉水の友情にかねがね深い敬意を抱いていた私は心の中でその記事に合掌していた。
放哉の句が読み返すたび、私たちの心身に沁み、背骨の歪みを正してくれる凛烈真清水のごとき一行のマントラとして立ち上がってくるその背景に、兄であり、師である井泉水が佇っていた。二人の絆の証が火事にも風水害にも遭わず納屋の土間で来るべき刻を寂かに待っていたという事実を眼前にして涙があふれてとまらない。
 
 壁の新聞の女はいつも泣いて居る
この原句は
 いつも泣いて居る女の絵が気になる壁の新聞
老師ともいうべき井泉水の手が加わって私達の魂を震撼させる一行となった。
(略)
類稀な資質を持つ友人の人生を慈父のように見守り、見診た(ママ)巨匠は放哉の投句を選別し、捨てるべきものを捨て、生かすべきもの、この世に遺すべきものものには惜しみなく手を加えた。
 
句を投じ、添削を含めた選句を受けるという、世界に例のない創造の過程を内包する地球上での最短詩形である俳句は、選者と、投句者との限りない信頼関係つまり愛の上にのみ真の成立を見る。孤立者としての連帯。
 
尾崎放哉と荻原井泉水はこの世で得られる最も豊穣で、好奇な時間を共有し、一行の秀句を共同の果実として手にし、拈華微笑の時間を体験し、無限の未来に向けて共のに生きつづけるのである。

    (引用文中、行分け・太字・下線Takeo)

 

 
 
わたしは所謂短詩=和歌、俳句、川柳、都々逸、短歌は好きだが、俳句というものが、基本的には、師弟関係に基づき、共同で、作るあげるものとは迂闊にも知らなかった。
 
そしてこの場合荻原井泉水なくして、尾崎放哉なしといえるのではないか?無論井泉水にもまた師がいた。それが延々と遡ってゆく、
 
映画、演劇、落語、スポーツ全般、これらに、優秀なコーチ、師は不可欠である。その人物の潜在的な可能性を見抜き、それを開花させるのが、良き師である。映画に関しても、落語に関しても、才能あふれる監督、或いは師匠なくして、名優も、名人も生まれない。
 
けれども、俳諧が仮に「詩」に属するものであるなら、何より重んじなければならないのは、独自性、個性ではないだろうか?
 
では「上手さ」とは何か?
ゴッホより、セザンヌより、絵の上手い画家は同時代にもたくさん居たはずである、(例えば、今でも抜群の人気を誇る美の巨匠ウィリアム・ブーグローなど)
 
放哉は井泉水に何を求め何を託したのだろう。
自作をよりよくしてもらうことだろうか?
しかし上記の句のように、井泉水が手を入れることによって、もとの放哉の句が見違えるほど「良く」成ったとしても、それは最早、尾崎放哉の句ではない。
 
ビートルズを例にとれば、彼らのほとんどの曲のクレジットは、レノン・アンド・マッカートニーである。
ストーンズであれば、キース・アンド・ジャガーだ。
加えて、ビートルズには、ジョージ・マーティンという名プロデューサーがいた。
けれども、そのことによって、彼らの評価が下がることはない。
 
しかし一方、絵画であれ、小説であれ、詩であれ、それらは基本的には、孤独な営みである。
 
映画とも、落語とも、スポーツとも、レコード化される音楽とも同じではない。つまりそれはあくまでも、その人個人の一度限りの世界(観)を描いたものだからだ。そこに他人が口を挟む余地はない。
友情は友情。思索(詩作)は思索(詩作)。ひとりの人間の生における位置が違うのだ。
 
繰り返す。「駄句」と「秀句」を分けるものは何か?
そして「何故駄句ではいけないのか?」
 
わたしは天才崇拝論者ではない。天才であれ、わたしのような愚者乃至狂者であれ、何より重んじるべきなのは、自分自身の言葉で語ること。私が私であることだ。極論すれば私の言葉が誰にも通じなくとも。誤解され、軽んじられても、である・・・

わたしにはこの黒田某氏が絶賛して已まない放哉ー井泉水の関係がわからない。
 
ただひとつわかったことは、俳句は、「短詩」とはいい条、決して「詩」ではないということだ。
 
詩ではない・・・黒田氏は同じ文章の中で、「彼の俳句は純無垢の私小説である。人はこれほどまでに私を仮借なく表現できない」と評している。「共同作業による仮借のない私小説」という、黒田氏の解説に含まれる矛盾を、いったいどのように解釈したらよいのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿