2018年12月2日

「間違った存在」


先の投稿は

「あくまでも正しい者(たち)」「あくまでも正しい意見・感覚」と

「あくまでも間違った者」「あくまでも誤った意見・感覚」との対立なのだろうか?


正しさの基準とは?

誤りの定義とは?

あくまでも間違えている者の「罪」とは?


下記投稿より再度引用


okiTakeoさんは、読む限り、自分自身に対する憎悪をスマホに転化している気がしますね。
本当に問題なのは、Takeoさん自身のあり方で、その事にはご自身で気づいていると思うのです。
僕が言うのもなんですが、変わる良い機会かもしれない。


2018/12/01(土) 21:21:14


わたしの「在り方」の「問題」とは何だろう?

わたしは「どのように変われば」「良い」(人として良くなる)のか?

それは何処かで誰か「ゼッタイテキニタダシイヒト」が教えてくれるのか?

そのゼッタイテキニタダシイヒトの「正しさ」は何に由来するのだろう?

「誤」から「正」への変化とはなにか?


「その事にはご自身で気づいていると思うのです。」


えっ?











4 件のコメント:

  1. こんばんは。
    僕も青梗菜さんも、医者でもカウンセラーでもないから答えは与えられない。
    答えを出すのはTakeoさん自身。
    ときに、一つききたいですが、Takeoさんは、スマホに嫌悪感示しても、ガラケーには嫌悪感示さないの?
    そもそも、携帯電話というものが登場した時、どう感じました?
    携帯電話とスマホの差、をどう見ているの?
    ちょっと伺いたいですね。

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    1. 携帯電話が登場し始めたのはいつ頃だったでしょうね?もう20年くらい前でしょうか?当時わたしはまだ引きこもりではありませんでした。精神科に通っていたし、おそらくもう社会から離脱していたと思いますが、外に出ることに抵抗はなかった。
      けれども、携帯が流行り始めた時に、「これは絶対に持つことはないな」と感じました。現実に一度も持ったことはありません。

      ただ、現在のスマホに対してほどの「憎悪」もなかった気がします。つまり自分には全く関係ないモノであると。そして携帯電話が人びとにとって、現在のスマホのような存在であったという記憶がないのです。電車の中でほぼ全員が携帯をいじっていたという記憶もありません。

      いずれにしても自分には縁遠いものであった(あれた)ということです。

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  2. 面白いですねー。僕は携帯電話の方が嫌だった。
    電話はいつどこででも勝手にかかってきますよね、こっちの都合も考えずに。
    他人が侵入してくる。
    私=私、と危うい自己同一性を保っているのに、そこに勝手に他人が侵入してくる。
    私=私の自己同一性が破られる不快。
    他人は脅威です。
    スマホでゲームしている者は、彼の、私=私、に閉じこもっているだけですから、こっちとは関係ない。勝手にやってくれ、という感じです。
    Takeoさんとは、考え方がかなり違いますね。
    あと、上の、自己に対する憎悪感というのは、要は、自分が嫌いで嫌いでたまらないんだけど、それを見つめたくないから、憎悪感をスマホに転化しているだけじゃないかということ。
    僕は、先に書いたように医者じゃないから、勝手な推測でしかないですけどね〜。

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  3. 要は携帯電話という他者の侵入路を防ぐ=持たないことでいいんじゃないですか?
    それに自己の危うい同一性は座禅を組んでいたって危ういですよ。

    何度も言うように、わたしは、

    >彼の、私=私、に閉じこもっているだけ

    とは思っていないのです。

    私=私は一個人です。しかし電車内での彼らは「私」ではない「集合体」です。
    okiさんの目には、彼らは一人一人別々に見えるかもしれませんが、わたしの目には例えるなら、ムカデの脚ですね。つまり本体が「あれ」で彼らは無数の脚に過ぎない。
    34番目の脚と35番目の脚には何の差異もないのです。

    >自分が嫌いで嫌いでたまらないんだけど、それを見つめたくないから、憎悪感をスマホに転化

    なんというか苦笑するしかありませんが、自己嫌悪を他に転嫁してしまったらそもそも自己を嫌悪する根拠が失われますよね。自己は真正面から嫌悪するものだと思っていますから。

    >先に書いたように医者じゃないから

    医者やカウンセラーの能力を相当高く評価されているようですね。






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