ちょっとユニークなブログ記事を見つけたので、それについての感想を書こうと思う。(このブログは既に1年近くフォローしているのだが、あまり頻繁に訪れてはいない)
「牛乳拭いた雑巾臭いブログ」という、やはりメンタルヘルス系の男性のブログで、彼は自称「最終学歴小卒」(または小学校をドロップアウト)
まあこれが「自称」ではなく、事実中学に行っていなくても、まったく問題はないどころか、そもそも最低限の計算と読み書きができて、そして、本が好きであれば、学校なんて、友だちとのおしゃべりや遊び場所として機能していないのなら、行く必要なんてあるのかとすら思っている。
昔、バイト先の上司で、中卒の人がいた。競馬に夢中で、勝てば風俗に行っていたけど、
仕事は真面目にやっていたし、「優しい」という言葉が適当かどうかはともかく、面倒見のいい人だった。
当時、今以上に世間知らずで愚かだったわたしは、彼が大穴を当てて、わたしたちバイトに「そこそこ豪華な風俗を奢る」というのを断ってしまった。彼は中島みゆきの大ファンだったので、代わりにわたしをコンサートに連れて行ってくれた。確か新宿厚生年金会館だったと思う。
「風俗体験」が良かったか、それほどでもなかったかは別として、今思えば何故「風俗」よりも中島みゆき等を選んだのか?自分の愚かさ加減に我ながら呆れる。
(嗚呼クソ真面目とは畢竟愚か者の謂い也!)
昔も今も、「風俗」にはほとんど関心はないが、中島みゆきを聴きに行くくらいなら、「ソープ」に行く方がマシだ。(今でも「風俗店」を「ソープランド」と言っているのかは知らないが・・・)
◇
「牛乳拭いた雑巾臭いブログ」の筆者である優介くんは30代だろう。
下手な大卒などよりもよほどユニークな発想をする。
このような読書傾向のある人だから、感性の方向としてはわたしに近いところがある。
(絵画では、耽美派から象徴主義が好きだと言っていたと思う。)
結局は読書体験がその人物を作るといっても過言ではないだろう。
逆に学校教育はその人の独自性を破壊するとも。
◇
さて、前置きが長くなったが、優介さんの今日の投稿を全文引用する
● 「滅亡ってワードがちょっと面白い」
みんな今年最終月のプレッシャーでゲロ吐いてるんだろうなぁ~
いっそ、今年と言わず、人生最後の月にしちゃおうかな!?
なーんちゃって、うそうそ((^┰^))ゞ
強靭な精神力でえずきを抑え込んでいる優介さんは、ハロウィンの準備に明け暮れる街を眺める夢を見ました
周りが地球滅亡しないかなとか考えている時期に、一月そこそこの逆行で手を打つ優介さん、現実見据えすぎじゃない!?
僕も現実逃避に地球滅亡しないかなー、と考える時はあるけど、これは正直リアルな願望じゃない
大抵のメンヘラは、待ちに待った地球滅亡の日が来ても、その前に自殺すると思う
リアルに想像すると、隕石とかミサイルの接近とか待つのって、大分嫌だな…
死に際の予想がつかないし
絶対首吊った方がいい死に方じゃん
どうせ首吊って死ぬのに、なぜそれでも地球滅亡を望んでしまうのか
地球滅亡確定してる時に自殺しても、そんなに罪じゃない、ノーカンみたいに思ってる
自殺しやすくなるために、滅びゆく地球に背中押してもらおうとしてる
自己(事故?T)物件で不動産の価値を下げたり、線路に飛び込んで電車止めるより、星1個分の生命巻き添えにする方が罪悪感薄いって、倫理観バグってるね!?
自分のせいじゃなく、自殺してもいい理由が、地球滅亡くらいしか思いつかない
それに死にたいな~って言うより、地球滅亡しないかな~って言う方が面白い
発言者一人死ぬより、地球上の全生命死ぬ方が、なぜかギャグになる
物事が大きくなりすぎると、逆にどうでもよくなるんだろうな
一人刺し殺すより、大量虐殺した方が、怒られないみたいなとこあるから
僕は怒られる死に方で我慢します
◇ ◇
わたしもこの「滅亡」という言葉に反応した。
以下優介さんへのメッセージのつもりでこの記事の感想を
「こんばんは、優介さん。
ははは、相変わらずおもしろい発想ですね。
ひょっとして優介さんは、「自殺」は倫理に悖ること=「悪」だと考えているのでしょうか?
だとしたら、わたしの「倫理観」とは随分隔たりがありますね。
わたしは自殺が悪いことだとは思いません。まったく。
ですから、「自殺という罪」を少しでも希釈するため、地球ごと滅亡させてしまうという発想は、面白いと思うと同時に、軽いカルチャーショックでもありました。
自殺に道連れは要らないし、言い訳も無用です。
わたしにも「地球滅亡」へのほんのりとした願望はあります。
けれども、わたし一個の死と、地球の滅亡は、それぞれ別の動機に基づきます。
・・・いや、「別個の動機」と言っていいのか、正直心もとないのですが・・・
「美」を信仰するわたしにとって、現代の世界(といってもそれは全世界という意味ではなく、あくまで「日本」であり「東京」という限られた空間ですが)は醜悪に過ぎます。
それがために生きてゆくことが難しい。
これがひとつ
もうひとつは、「地球の滅亡」というよりも、厳密には人類の滅亡であり、更に言えば、未だ自然と共に暮らしている人々は除かれます。つまりわたしの思う「滅亡すべき対象」は、現代のマテリアルワールドにどっぷりと毒された場所及び人々に「限定」され、必ずしも「地球が滅びる」必要はないのです。
さて、仮に何年何月何日何時何分に東京が完全に消滅すると知ったら、わたしはその前に死ぬなんてことはしません。そんな勿体ないこと。
わたしは「醜悪さの落城」をこの目でしかと見届けたいのです。そしてその喜びの中で死にたいと思います。
とはいえ、その話が現実味を帯びてくれば来るほど、罪のない人々=主に(重度)障害者・老人・子供など、物質文明に毒されていない(毒されようのない)存在達をなんとか助けることはできないものか?などと考えてしまいます。「トウキョウ」が、そして「毒された人びと」が滅びるわけがないのに。そして「毒されざる人たち」は滅びるしかないのに・・・」
ではよい年末を(笑)
丁寧な感想を、ありがとうございます!
返信削除矛盾しているようですが、僕自身は自殺を悪とは考えていません
人の生き死により電車の遅れを気にするような人間にはゾッとします
ですが、社会的には自殺は悪とされていて、そのため様々なデメリットがあると思います
それに納得しているわけではなく、ただ現実にそうだというだけです
俺は社会不適合者だ、そんなの知ったこっちゃない、と言いたいですが、家族を悲しませることへの罪悪感は消えません
そういっためんどくささから逃げて、何もかも投げ出した結果の『え~い、もう地球滅亡しろ!』です
こんばんは、優介さん。
削除>人の生き死により電車の遅れを気にするような人間にはゾッとします
そうですね。普通の人はなかなか自分もいつ心を病むか、いつ社会から脱落するかなんて考えることも考える暇もないのでしょう。
なるほどね。よくわかります。優介さんの考え方は(わたしにとっては)至極真っ当だと思います^^
>そういっためんどくささから逃げて、何もかも投げ出した結果の『え~い、もう地球滅亡しろ!』です
はははは(笑)
コメントをありがとう^^