わが病その因るところ深く且つ遠きを思ふ目を閉じて思ふ ー石川啄木『一握の砂』より
Takeoさん、こんにちは。>人との通じ合えなさとは何に因るのか?僕も、よく思いますよ、それ。プラトンが言うには、善いものは、同時に美しくもあり、善で美なるものとは、つまり、真理自体でもある。カントの『純粋』は理性による論理的な認識のあり方、つまり、真について、『実践』は倫理や道徳、つまり、善について、『判断力』は美的判断や趣味判断、つまり、美について探究しました。僕もそう思います。通じ合えないものごとは、おおよそ僕には正しくもないし、善くもないし、美しくもない。正しくて、善くても、美しくなきゃ受け容れたくないよなぁ。さて、ここで、言葉を自分に振り向けます。自分は、自分の正しさ、善さ、美しさを語れますか、ってね。気に入らない誰かの、何かの、悪口を並べることは簡単です。でも、それを並べ立てても、自分の正しさ、善さ、美しさは少しも増えない。自分の中で、調和していますか、ってね。偉そうなことは言えなくなるよなぁw。
こんばんは、青梗菜さん。わたしの場合、人との関係に於いて、「通じ合う」ということが、少なくとも高校以降あったのかどうか。そしてじゃあ、普通の人達は普通に「通じ合えている」のかも不明です。更に遡って、人と人とが通じ合えているというのはどのような状態なのか?わたしは通じ合うことができないことによって、何か、自分が「間違っているのではないか?」と考えます。じゃあ「相手の正しさ」ってなんだ?とも(苦笑)金星人と火星人が通じ合えないとしても、どちらが正しくどちらかが間違っているわけではありませんよね・・・と、混乱した頭でそんなことを切れ切れに考えています。
>金星人と火星人が通じ合えないとしても、どちらが正しくどちらかが間違っているわけではありませんよね・・・はははw。んなこと言ったら、イノシシとネズミが通じ合えないとしても、どちらが正しくどちらかが間違っているわけではありませんよ♪ネズミとウシが、もういいかw。まず、金星人と火星人、イノシシとネズミとウシ、彼らは、互いに通じ合えない、という前提が、Takeoさんと僕とにあるから、そんな話が成り立ちます。思い込み、といってもいい。彼ら相互間の通じ合えなさよりも、少なくともいくぶんかは、Takeoさんと僕とは通じ合えるだろうと。つまり、通じ合える、という前提があるから、通じ合えているだけで、仮に、通じ合えない、という前提を用いたら、途端に通じ合えなくなる。通じ合えるという前提を作れるか、つまり、何を通じ合えると呼ぶかについての共通の前提があれば通じ合えるわけだ。では、問いは、前提に移る。>人と人とが通じ合えているというのはどのような状態なのか?矛盾、って状態なのかも♪人と人とがまったく通じ合えない、とするなら、ここまでの話はまったく通じないことになる!完全に通じ合える、とするなら、通じないということが分からなくなって、同様に、ここまでの話はまったく通じないことになる!>じゃあ「相手の正しさ」ってなんだ?とも(苦笑)「相手の正しさ」は「自分の正しさ」ですよ。「相手の正しさ」が「自分の正しさ」になったときに、「相手の正しさ」を正しいと思えてくる。僕が、今、思うのは、対話が、勝ち負けではなく、真理の探究、という共通の目的を持ったときに、「相手の正しさ」が「自分の正しさ」になり得る、ってことです。ここまで読んでもらったら、僕は、かなり満足です。こんな話が通じる人なら、通じ合えると言わざるを得ないっ!
こんばんは。もちろんちゃんと読んでいます。ただ今は明快な思考ができません。(今は?)今の気持ちを新しい記事にしました。青梗菜さんのコメントへのアンサーにはなっていないと思います。今の私に出来るのは、自分の気持ちを掬い取るだけ。誰に限らず、人のことばをキャッチし、咀嚼して、それに相応しい返事をすることが難しいのです。再度のコメントをありがとうございました。
Takeoさん、こんにちは。
返信削除>人との通じ合えなさとは何に因るのか?
僕も、よく思いますよ、それ。
プラトンが言うには、
善いものは、同時に美しくもあり、
善で美なるものとは、つまり、真理自体でもある。
カントの『純粋』は理性による論理的な認識のあり方、つまり、真について、
『実践』は倫理や道徳、つまり、善について、
『判断力』は美的判断や趣味判断、つまり、美について探究しました。
僕もそう思います。
通じ合えないものごとは、
おおよそ僕には正しくもないし、善くもないし、美しくもない。
正しくて、善くても、美しくなきゃ受け容れたくないよなぁ。
さて、ここで、言葉を自分に振り向けます。
自分は、自分の正しさ、善さ、美しさを語れますか、ってね。
気に入らない誰かの、何かの、悪口を並べることは簡単です。
でも、それを並べ立てても、自分の正しさ、善さ、美しさは少しも増えない。
自分の中で、調和していますか、ってね。
偉そうなことは言えなくなるよなぁw。
こんばんは、青梗菜さん。
削除わたしの場合、人との関係に於いて、「通じ合う」ということが、少なくとも高校以降あったのかどうか。そしてじゃあ、普通の人達は普通に「通じ合えている」のかも不明です。更に遡って、人と人とが通じ合えているというのはどのような状態なのか?
わたしは通じ合うことができないことによって、何か、自分が「間違っているのではないか?」と考えます。
じゃあ「相手の正しさ」ってなんだ?とも(苦笑)
金星人と火星人が通じ合えないとしても、どちらが正しくどちらかが間違っているわけではありませんよね・・・
と、混乱した頭でそんなことを切れ切れに考えています。
>金星人と火星人が通じ合えないとしても、どちらが正しくどちらかが間違っているわけではありませんよね・・・
返信削除はははw。
んなこと言ったら、イノシシとネズミが通じ合えないとしても、どちらが正しくどちらかが間違っているわけではありませんよ♪
ネズミとウシが、もういいかw。
まず、金星人と火星人、イノシシとネズミとウシ、
彼らは、互いに通じ合えない、という前提が、
Takeoさんと僕とにあるから、そんな話が成り立ちます。
思い込み、といってもいい。
彼ら相互間の通じ合えなさよりも、少なくともいくぶんかは、
Takeoさんと僕とは通じ合えるだろうと。
つまり、通じ合える、という前提があるから、通じ合えているだけで、
仮に、通じ合えない、という前提を用いたら、途端に通じ合えなくなる。
通じ合えるという前提を作れるか、つまり、
何を通じ合えると呼ぶかについての共通の前提があれば通じ合えるわけだ。
では、問いは、前提に移る。
>人と人とが通じ合えているというのはどのような状態なのか?
矛盾、って状態なのかも♪
人と人とがまったく通じ合えない、とするなら、
ここまでの話はまったく通じないことになる!
完全に通じ合える、とするなら、
通じないということが分からなくなって、同様に、
ここまでの話はまったく通じないことになる!
>じゃあ「相手の正しさ」ってなんだ?とも(苦笑)
「相手の正しさ」は「自分の正しさ」ですよ。
「相手の正しさ」が「自分の正しさ」になったときに、
「相手の正しさ」を正しいと思えてくる。
僕が、今、思うのは、対話が、
勝ち負けではなく、真理の探究、という共通の目的を持ったときに、
「相手の正しさ」が「自分の正しさ」になり得る、ってことです。
ここまで読んでもらったら、
僕は、かなり満足です。
こんな話が通じる人なら、通じ合えると言わざるを得ないっ!
こんばんは。
返信削除もちろんちゃんと読んでいます。ただ今は明快な思考ができません。(今は?)
今の気持ちを新しい記事にしました。
青梗菜さんのコメントへのアンサーにはなっていないと思います。
今の私に出来るのは、自分の気持ちを掬い取るだけ。誰に限らず、人のことばをキャッチし、咀嚼して、それに相応しい返事をすることが難しいのです。
再度のコメントをありがとうございました。