なだいなだの『パパのおくりもの』(1965年)の中に「日本人のこと」という一文がある。名文である。誰に紹介するのでもなく、自分のために書き記しておく。
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パパは日本人としてのお前たちの半分に(※なだいなだの妻はフランス人である)、一言だけ忠告をしておきたい。それは日本人の日本人に対する責任感である。
今ドイツで、戦争が終わって18年になるというのに、アウシュヴィッツで働いたドイツ人の裁判が行われ、その記事が毎日のように新聞にのっている。ドイツ人がドイツ人を裁いているのである。だが日本ではどうであったろう。戦争の反省を示すものとしては原水爆反対運動以外に何が見当るだろうか。戦争の罪の問題や意識はどこに行ってしまったのだろう。
今パリでは、「法皇」という題の芝居をやっている。これは戦争中、ピオ十二世が、ユダヤ人のナチによる虐殺の際に、それを知りながら、何故無言のままであったか、を問題にしている。無名の神父たちが、死を賭して、それに反抗していた事実もあるのに、法皇は最後まで、ドイツのカトリック教徒に対し、警告を発しなかった。ある者は、ピオ十二世が知らなかったと主張するし、沈黙には別の大きな理由があったのだとも言う。しかしパパは思う。ある地位にあっては、知らなかったこと、知ろうとしなかったことに責任を持たねばならぬ。ある地位がロボットを意味していることも確かにある。しかし、人間が自分の人間としての威厳に責任を持つ限り、ロボットになることを拒絶しなかった人間は、その責任を感じなければなるまい。
日本では戦後十数年して、戦争犯罪人として何年か巣鴨にいた人間が首相になった。
ドイツでは、最近も一人の大臣が、過去にナチに関係していた前歴があるというだけで、それが新聞にあばかれると、大臣をやめた。日本には、戦争の責任を知ろうとさえしない人間もいる。ここで戦争の責任というのは、外国に対する責任でない、自分自身、日本人自身に対する責任のことである。そして原子爆弾の責任のみを問題にする。原子爆弾も重大な問題ではある。しかし、自分自身の責任に厳しくなかった人間が、他人の責任の奥深くまでどうして立ち入ることができようか。戦争が終わった後、占領者が日本人を裁いたことがあっても、日本人はついに自分自身を裁こうとしなかった。他人の裁きが、どうして本人の良心に達し得ようか。罰は人間の肉体をくるしめても、心には達し得ない。
かくして、日本人は、被害者意識から抜け出し得ないのである。原水爆禁止運動が、この被害者意識の上に成り立ち、ある特定の国を非難するだけのものに終わり、人類の罪の意識の上に成り立たないのならば、それが世界的なもの、全人類的なものになることはないだろう。
日本人は戦争が終ると一億総懺悔と言った。実を言うとその時はもう、日本人は一億はいなかったのだけれども。そして、ざんげのあと、罪の意識はどこかへ行ってしまったようだ。ざんげ、罪の意識、その間に日本人の精神のすべての弱点がよこたわっていると言ったら、言いすぎであろうか。パパはお前たちに希望する。お前たち、半分が日本人であり、半分がフランス人であるもの、が、その間を埋めてほしいと。そうすることができたらパパは満足である。
(下線Takeo)
『なだいなだ全集第九巻』(1983年)
そしてこの文章が書かれて50年後、辺見庸は次のように記した。
九か国条約、パリ不戦条約をやぶって満州を侵略して中国大陸侵攻を一気に拡大、国際連盟から脱退、ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、「自存自衛」「大東亜の新秩序建設」のためと称して太平洋戦争に突っぱしり、おびただしい人びとを死にいたらしめた歴史を、すこしでも反省するどころか、南京大虐殺も従軍慰安婦の強制もなかった、極東軍事裁判はまちがいと否定するこの男の言のいったいどこを、信じるのか。
東条英機内閣の商工大臣や軍需次官をつとめ、戦犯被疑者として巣鴨拘置所に入所した岸信介の外孫は、ただいま戦争の亡霊を墓場からひきずりだすのにいそがしく、憲法9条を完全に破壊して日本を軍事強国化しようとしている。
[2015年2月9日付けブログより]
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