今日は弟の今年最後のクリニックの日だったようだ、だからだろうか、主治医から、「今何か困ってる事ありますか?」と訊かれたらしい。弟は「いえ・・・特に・・・」と答えたそうだが、仮にわたしが今、精神科医に限らず、誰かに同じことを訊かれたら、はたして何と答えるだろう。
解決可能かどうかは別にして、今わたしが切実に困っていることは・・・
● 人と言葉が通じないこと。
これだけでは流石になんのことかわからないだろう。
つまり、「自分と似た人がいない」ということ。
「自分と同じ価値観を持った人がいない」ということ。
これまでは、かつて主治医が言った「Takeoさんと話の通じる人は1000人にひとり」という言葉を、それほど深刻に受け留めてこなかった。けれども今はこの言葉が現実の重さを持ってわたしを押し潰そうとしている。
わたしは「言葉を発する唖者」のように誰とも言葉が通じ合うことが無い。
●「今・現在」とどうしても折り合えないこと。言い換えれば、わたしの時代はとうに終わっているのに、いまだ生き永らえているということから来る様々な不都合。
(ex スマートフォンを持った者たちを、自分と同じ、血と肉と感情をもった人間生体=「生き物」と思えないこと。優介さんの言うように、「スマート」フォンを持ちながら、その背後に本来的に「みっともない」「不細工な」人間的生活があるとはどうしても思えないこと。電話の音声ガイダンスが神経を逆撫ですること等・・・)
誰とも通じ合えず、世界と折り合うことができない。(そして逃避する場所も、人も存在しないこと・・・)
これが「今困っていること」
◇ ◇
と、シオランは言う。ー E. M. シオラン『生誕の災厄』出口裕弘訳 (1976年)
確かに全人類が「敵」だからといって、「彼」が(邪)悪であることの証しにはならない。寧ろ「正義」は彼の側にあるのかもしれない。しかし現実に、世界に唯の一人も・・・文字通りひとりの味方もなく、人は生きてゆくことが可能だろうか・・・
わたしは「正しい者」であろうとは思わない。そのために命を賭けてもいいという「主義」も持ってはいない。けれども「自分が現にあるとおりの者であるゆえに世界が唾を吐きかけてくる」時、わたしは自分に殉じる他はない。
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