2018年12月20日

心の空隙を埋める者…



だれでもいい、自分よりたしかに大きなものの胸にかかえこまれること。つまり力づよくHUGされること。
死すべき人の身にとって、かりそめにも安らぎというものがありうるとすれば、こうした抱擁【ハグ】をおいて他にないのではなかろうか。相手は何であれ、ともかく頼り甲斐のある大きな存在であってくれればよい。人間が神様などという超越者をつくりあげたのも、つまりはそのためではなかったか。

ー 矢川澄子「湧きいづるモノたち」『受胎告知』より(2002年)







5 件のコメント:

  1. そのように思います。

    超越者としての母に依って生み出されたのですから。

    そして、それは超越者としての父に依っているのです。

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    1. こんばんは、yy8さん。

      父母が超越者であるとはどういうことですか?

      「母親は父親に依る」とはどういう意味でしょうか?

      お暇な時にお考えを聞かせてください。

      暖かくして過ごされますよう。

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    2. 宗教的な事ですし、表現力に乏しい私だから、誤解されるばかりだと思いますが、何とか頑張って説明してみます。

      超越者=神ですね。でも、一般的に思われている神を思われては私の意に合いません。
      神=創造主=宇宙の本体=霊体、です。

      宇宙の本体と云うから、大と云う字を頭につけて、大霊体。
      この大霊体が宇宙の正体だと云う事です。

      人の心に、意力・感覚(感情)・理性のあるのは、大霊体の精神に備わる働きのおすそ分け、だと追う事です。

      宇宙の現象は物理と云って規則性がありますが、それは大霊体と云う精神の理性の現れであると考えます。

      宇宙と云う空間に現れている物体は障碍、という感覚を以てその存在を表わします。視覚も多分、障碍という感覚になるのかも知れません。

      この感覚が人間の精神に至っては「情」と発展したのでしょう。

      私の精神的基本の“主体”はこんな感じです。
      様々な問題の考えは、この基本から生まれるのです。

      ここからはNicoさんに想像するところを聞いてみたいですね。

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    3. 言わずもがな、ですが。

      追う→云う、ですね。

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    4. これはyy8さんの独自の思想ですか?それとも何か特定の宗教の教義のようなものでしょうか?

      なんだかharuさんのお話を聞いているようで、わたしにはちょっと理解不能です。

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