2018年12月17日

エミール&エミリー


● 最初の思想家は、最初のなぜの偏執狂だったにちがいない。これは世の常ならぬ偏執であって、まったく伝染の心配はない。事実この病に苦しみ、質疑の魔に身を嚙まれ、生まれながらに自失状態にある故に、いかなる既知項をも受け入れることの出来ない人間はきわめて少数なのである。


● 忘れるという能力がなくては、私たちの過去はたいへんな重みで現在にのしかかり、その結果私たちは、一秒といえども新しい時間を迎えることができず、ましてやその時間の中に入ってゆくことはできないだろう。生はただ皮相な人々にのみ、思い出すことをしない人々によってのみ、耐えやすいのではあるまいか。


● 魔羅(マーラ)、すなわち<誘惑者>が、仏陀の地位を奪い取ろうとしたとき、仏陀が吐いた言葉に次のようなものがある。
「いかなる権利があって、おまえは人間を支配し、宇宙に君臨しようと企むのだ?いったいおまえは、認識のために苦しんだことがあるのか?
任意の人物について、とりわけひとりの思想家についてその真価を尋ねようとするのなら、この問いこそが肝要な、おそらくは唯一の問いであるはずだ。認識のただの一歩にさえ応分の代償を払った者と、手ごろな、どうでもいいような、苦難ぬきの知識を分配された者たち、数の上では圧倒的に多い連中とを、峻別しなければならない。
(下線は本書では傍点)


● ある種の人間たちには、すべてが、掛け値なしにすべてが、生理学に由来する。彼らの肉体は思想であり、思想は肉体なのだ。


●言葉を交わせる相手がついにひとりもいなくなったとき、人間は、固有の名前を持った存在へと失墜する以前の状態に戻る。


● 堕落した動物、「動物の屑」というものを想像することは不可能だ。


● あらゆる思想は損なわれた感情から生まれる。


● ヘーゲルの説くところでは、人間が完全な自由を得るのは「ことごとくわが手で創り上げた世界に取り囲まれたとき」だけだという。
しかし、まさにそれが人間のやったことであり、しかもなお人間が現在ほど鎖につながれ、奴隷と化したことは一度たりともなかったのだ。

エミール・シオラン『生誕の災厄』出口裕弘訳より(1976年)



シオランのいうことはいちいちもっともだと思うが、わたしは彼を一人の人間として好きになれない。
実際、著者の人間性云々を言い出したら、世界中のほとんどの本は読むことができなくなる。
しかしその人間性を愛せない者の著作を読むということ、それを養分とすること、それこそが、自己という一個の人間存在に対する「冒瀆」ではないのか?

わたしはそもそも出版をするような人間を好きになることができない。そして彼のように、生誕を、世を、存在を呪いつづけながらも、生涯、ニーチェのように狂うこともなく、プリーモ・レーヴィのように自死することもなく、ワイルドのように獄に繋がれることもなく天寿を全うしたような人間を、どうしても愛することができないのだ。



シオランはエミリー・ディキンソンが好きらしいが、彼にディキンソンの詩を贈る。


出版は 人間のこころの競売
貧乏こそ正しい態度だ
そんな卑しい事柄には

私たちの雪を投資するより
むしろ屋根裏部屋から
白いまま白い造り主のもとへ
ゆくほうがいい

思考はそれを恵まれた神のもの
だからその肉体を与えられた神にこそ
気高い調べを売るべきだ
ひとまとめに

天の恵みの商人になっても
決して人間の魂を
貨幣の恥辱に貶めてはいけない…




Publication – is the Auction (788)
BY EMILY DICKINSON
Publication – is the Auction

Of the Mind of Man –

Poverty – be justifying

For so foul a thing


Possibly – but We – would rather

From Our Garret go

White – unto the White Creator –

Than invest – Our Snow –


Thought belong to Him who gave it –

Then – to Him Who bear

It's Corporeal illustration – sell

The Royal Air –


In the Parcel – Be the Merchant

Of the Heavenly Grace –

But reduce no Human Spirit

To Disgrace of Price –


Here



わたしはディキンソンのこの詩(言葉)が特に好きだ
I’m Nobody! Who are you?” (260 / J288) 

「わたしは何者でもない!あなたは誰?」


わたしは誰でもないひと! あなた 誰?
あなたも――わたしと同じ――誰でもないひと?
だったら わたしたち ふたりでひと組ね?
口には出さないで! みんなに知られてしまう――いいわね!

退屈なものね――[ひとかどの]誰かである――っていうのは!
よくご存じの――カエルみたいに――
六月のあいだはずっと――うっとりする沼地にむかって――
自分の名前を告げている!

『対訳 ディキンソン詩集』亀井俊介編(岩波文庫)



I’m Nobody! Who are you?
Are you – Nobody – too? 
Then there’s a pair of us! 
Don’t tell! they’d advertise – you know!

How dreary – to be – Somebody! 
How public – like a Frog – 
To tell one’s name – the livelong June – 
To an admiring Bog!























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