2018年11月30日

「敵」(たったひとりのフォビアとたくさんのフィリアたち…)


わたしの症状は、所謂「フォビア」=「恐怖症」と言われるものなのか?
しかし自分の感情を分析してみると、それは「恐怖」や「不快感」というよりも、寧ろ「憎悪」に近い。ある対象を激しく「嫌悪し」「憎悪する」ことも「フォビア」の範疇なのだろうか?

いずれにしても、自分のブログが「あれ」で読まれることを想像しただけでも気分が悪くなるという状況は深刻だ。とはいえ、何故わたしが「あれ」をそうまで嫌い、憎むのか、それを説明できる者はいない。

電車内での「彼ら / 彼女ら」は、明らかにわたしにとって「敵」である。
このブログに時々コメントをくれるYさん。彼は多分「あれ」でこのブログを見ているだろう。Yさんは「あれ」を持ち、「あれ」でわたしのブログを読んでいるからという理由で、やはりわたしの「敵」なのか?今日コメントをくれたOさんは?
いや、YさんもOさんもわたしの「敵」ではない。
ではわたしにとっての明らかな「敵」と、そうではない者の違いはいったいなんだ?
その境界線はどこにある?
わたしの明確な敵とは?



もう外に出られそうにない。出たくもない。
一昨日届いたmp3プレーヤーも開封すらしていない。
12月18日、新宿紀伊国屋ホールで行われる辺見庸の『月』出版に合わせた講演会、
母と二人分のチケットを買ったが、これも払い戻しをしようかと迷っている。

いずれにせよ、来月も、年が明けても、「あれ」と、あれに溢れる外の世界への呪いを書き続ける毎日などまっぴらだ。

「あれ」を平気になるには、医学的な「治療」ではなく、「あれ」があっても我慢できるくらいの人物、または行き場所、それらの存在以外には考えられない。
その存在によって「あれ」を相殺できる何か、何処か、誰か・・・
けれども、デイケア参加はおそらく拒否されるだろうし、そもそも外に出ることすら出来ないわたしに「何処か」も「誰か」も現れる可能性は、ない。

どうしても共存できない者同士であるなら、どちらかが消えるしかない。
そして「世界を消す」ことができない以上、消えるのはどちらかは誰の目にも明らかだ。

ただ最後に知りたかった。「外の世界が醜くて外出ができない」という人間は、世界中でわたしただひとりなのか?ということを・・・

いかなる精神科医にも解明できない「謎」を持った者として自分を誇るべきだろうか?(苦笑)


◇      ◇

 =追記=

YさんもOさんも(そしてひょっとしたら、今でもまだ、たまにこのブログを覗いてくれているかもしれない女性Cさんも)「あれを持っていても」「敵ではない」と書いた。
けれども、もし仮に、わたしとYさんがどこかに行って、電車で移動中、隣に座ったYさんが、徐に「あれ」をとりだして何か操作を始めたら・・・その瞬間、おそらくYさんも(OさんでもCさんでも)「彼ら / 彼女ら」と同類ー即ち「敵」になるのだろう・・・いや・・・どうだろう・・・わからない・・・なにもわからない・・・

(だいたいこんなシチメンドクサイ奴と友達になろうなんて者が居るわけがない!!)















4 件のコメント:

  1. 分からないでもないですよ。
    というのも、僕も理解できないけど、世の中には、スマホ依存症ゲーム障害とか言って、一日中、寝る暇もなく、スマホをいじくる人が多くいて、WHOは、精神疾患と認める訳ですよね。
    すると、プラスがあればマイナスがあるわけで、スマホ依存症とは正反対の、スマホを見るのが嫌だというTakeoさんみたいな人もいて当然ですよね〜。
    そういうスマホ嫌悪症は精神疾患かは知りませんが、居て当然だと。
    例えば、セックス依存症なんていますよね。それと正反対の、性嫌悪症もいて当然なのと同じ理屈。
    性嫌悪症は女性に多いようですが、僕もそうで、これ調べると、抗うつ薬の一種に、そういう性嫌悪感を抱かせる副作用があると言うんですよねー。
    それはともかく、Takeoさんに言いたいのは、前の精神科医も言っていたけど、「貴方だけじゃない」って言うこと。
    つまり、スマホ依存症がこんなにたくさんいるのなら、その正反対のスマホ嫌悪症だってかなりいるはずだということですよ。
    だから、Takeoさんは全然おかしくないと思う。
    キチガイでもなんともない。
    僕はそう思いますよ。

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    1. こんばんは、okiさん。
      やさしいお心遣いありがとうございます。

      >スマホ依存症がこんなにたくさんいるのなら、その正反対のスマホ嫌悪症だってかなりいるはずだということですよ。

      理論的にはそうなりますね。
      でもスマホをもっていません。という人はいても、わたしのように目の敵にする人はきいたことがありません。つまり嫌いでも、青梗菜さんの言うように、「無視」出来るんでしょう。それを無視できないというところに、何か問題があるのか?

      親切なコメントをほんとうに感謝します。

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  2. Takeoさん、Okiさん、こんにちは。

    わたしも、Okiさんのご意見に賛同いたしますよ。
    そのことが、Takeoさんの救いにならなというTakeoさんのおっしゃることにもまったく反発は感じませんけどね。

    ただ、私は、人数の問題は小さいような気がします。
    スマホを憎悪する人が三~四分の一になれば別ですけど、百人に一人か、千人に一人かだとあまり変わらないような気がします。
    私も、ほかのコメントで、スマホを持っていない人が、それなりには居るということを言っていたりしますが、それがTakeoさんの救いになるとは思えませんでした。

    それから、Okiさんも触れられていることですが、薬の副作用についても、実はいつかコメントしようかと迷っていたところです。
    (たぶん、Takeoさんはその辺のこともすでに検討済みかと思いましたので)

    でも、妻が医療関係の仕事をしているので、その辺のところの話を聞くことがあるんですけど、薬の副作用については、医療関係者だから「わかっている」とは限らないと思います。

    公的には認められていないような副作用がある場合は多いようですし、それが一部の医療関係者の中では、認識されていても、公的な情報になっていないために、それを患者に伝えることができないというケースもけっこうあるみたいですよ。
    (はっきり言うと、「わかっていない」方が都合が良かったりしますし、「わかって」しまうと仕事がやりにくくなるという面もあるようです。)

    それから、一部の向精神薬などが、感情、特に怒りの感情を助長することはあるようです。
    なんとなく、Takeoさんのブログをさかのぼって拝見していると、ここにきて急にある特定の事象(例えばスマホですね)に対する「怒りの感情」が、増幅されていると思うんですね。
    そういう事例で、結果的に「薬の副作用」が関係していたというケースを以前に妻から聞いたことがあります。

    もちろん、初めから「スマホ憎悪」がなければ、それが増幅されるようなこともないのかもしれませんが、「抑えられる範囲内」と「抑えられる範囲外」は、こういう場合えらい違いになってしまうと思います。

    ただ、これは、無知識で無教養で無遠慮で無責任な私の、きわめて第三者的で個人的な意見に基づいた話ですから、まったくもってあてにせず、徹頭徹尾疑ってかかって、よくよく主治医の方とご相談のうえで、その主治医のご意見をかなりのところまで無視して、Takeoさんのご判断を最重要視して十分考慮の末に、決めるとよろしいかと思いますが、今お使いの薬を一種類づつ、一定の期間、やめてみるという選択肢はあってもいいような気がいたします。

    また、単独ではそれほど強い薬でなくても、ほかの薬との相性で副作用が出る場合もあるようですし、精神科の薬であるという認識が薄いような薬が、精神面の副作用を持っているということもあると思います。
    さらに、初めはよく効いていた薬がいつの間にか副作用を強めてしまうというようなケースもあり、そこに一定の法則性を当てはめることも難しいような気もします。


    おそらく、今の時点で、これらのことを把握できている医師も研究者もいないんじゃないでしょうか?

    まぁ、そんなことをお考えに入れて、ちょっとだけ気にしてみてもいいんじゃないのかなと。

    では、また。

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    1. 再びこんばんは、ふたつさん。

      いえいえ、okiさんの言われていることが「救いにならない」といっているわけではありません。言われている内容の厳密性よりも、okiさんの励ましと親切が何よりうれしいのです。もうこれは理屈の次元ではありません。

      一にも二にも、「ありがとうございます」の気持ちの上で、それでも、理論的にokiさんの意見が正しいにもかかわらず、スマホを「嫌う」人を知りません。そういう人がいたらどんなにか心強いだろうと。

      「いのちの電話」で話したときにも、相談員の友達に「持たない」という信念(?)を持っている人がいると聞きました。ふたつさんのお知り合いにも。ネット上でも、スマホ不要論は必ずしも異端ではありません。「必要と思わない」「携帯で充分」・・・etc
      けれども、上記の人たちの「不要論」とわたしの「敵意」「憎悪」は同じ次元ではないと思います。
      そもそも、100人に一人、1000人に一人でも、「あれ」を憎む者がいるのかどうかさえ疑わしい。

      Yさん(yy8さん)と知り合ったQ&Aサイト「おしえてgoo」で、10年ほど前から断続的にそのサイトでやり取りしていた人が、現在、そこの「メンタルヘルス」のカテゴリーで、「向精神薬の危険性について」精力的に投稿しています。

      以下、ふたつさん、okiさんへ参考までに彼の質問と回答者との応答を紹介します。

      https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10852345.html

      https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10815194.html

      https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10796007.html

      もし関心がおありなら、お暇な折にお読みください。彼は専門家ではありませんが、
      お読みになればわかるように、非常に論理的かつ、持論の裏付けの調査を可能な限りやっています。
      また反論にもちゃんと耳を傾ける人です。


      >なんとなく、Takeoさんのブログをさかのぼって拝見していると、ここにきて急にある特定の事象(例えばスマホですね)に対する「怒りの感情」が、増幅されていると思うんですね。

      確かにそういう感じですね。けれどもわたしの主治医はわたしが望まない限りは向こうから薬を勧めることはしませんし、そもそもわたしの障害(?)がクスリで改善されるというスタンスは持っていません。

      しかし確かにじゃあわたしに関してはクスリに関係はないとは断言することはできません。ちなみに現在飲んでいるのは、抗不安薬2種類と、眠剤2種類ですが、ハルシオンは現在使っていません。

      それから内科からの薬が4種類出ています。

      仮にクスリと無関係であったとしたら、上記のふたつさんの指摘の原因はなにか?
      今年は慢性的な倦怠感・疲労感・無力感に悩まされました。ですから医者に行くことさえできませんでした。

      考えられるのは、そんな中、ふと近くの精神病院でのデイケアに参加してとてもよかった。人との触れ合いがあった。できれば継続して参加したいと思った。
      そんな上向いた気分の時に外出したら、外の世界は・・・・

      そんなことが考えられます。

      後は孤独が最早臨界点に達したということ、その格好のはけ口が「あれ」だったという可能性もあります。

      わたしはふたつさんの言われた「あれが我慢できる何か」がポイントだと思います。
      わたしの精神の上で「あれ」に拮抗できる具体的な「人」「モノ」「場所」。
      けれどもそれに関しては極めて悲観的です。

      クスリに関する意見は全く同感です。ご意見参考にします。

      ただ

      >おそらく、今の時点で、これらのことを把握できている医師も研究者もいないんじゃないでしょうか?

      というのが現状のようです。

      貴重なコメントをありがとうございました。










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