2018年11月25日

THE END.


Amazonでmp3プレーヤーというものを注文した。
とにかく屋外で音楽を聴く装置がなければ、いつまでたっても外に出ることはできない。
けれども、どのような音楽再生装置があったとしても、もう以前のように自由に出歩けるようにはならないことも知っている。
わたしが自由に東京という街を闊歩していた10年前に比べ、世の中はあまりにも、あまりにも変わり過ぎた。
当時は日本中・・・東京のどこを歩いても、スマホを眺めている人など、ただの一人もいなかった。そしてわたしには親友と呼べる人がいた。
スマホもタブレットも存在しなかった世界。今思えばそれはまるで天国ではないか。

わたしは現実に会って話せる気の合う友達が欲しいが、スマホを持っている人と友達になれる自信がない。そもそもわたしの「天敵」であり、現政権と共に最大の憎悪の対象たる「スマホ」を持つ者とわたしと、気が合うということが考えられない。ハーケンクロイツや旭日旗のバッジを堂々と胸に付けた者と、どうして意気投合できるだろう?
驚かれるかもしれないが、わたしにとって「スマホ」という記号は、誇張ではなく、それらと等価なのだ。
何度でも繰り返すが、わたしはアンチ・ファシストだ。そしてファシズム=全体主義とは例外のないこと、ひとつの文化、ひとつのイデオロギーを、ほぼ全員が支持すること。「スマホ」の「イデオロギー」とはなんだろう。「便利であれ」「手軽であれ」「皆に遅れるな」・・・とはいえ、「スマホ」自体は単なる入れ物に過ぎないのだが・・・

いまやスマホを持っているかいないかが、わたしの友だち選びの最大の基準になっている。そして今の時代、わたしに合った友達を持つことが、最早絶望的であることも知っている。

繰り言のように呟くことは・・・永く生きすぎたようだ・・・



6 件のコメント:

  1. ぼくは、今の時点でTakeoさんのことを、一方的に友達だと思っていますよ。
    ちょっと困難な友達、いいじゃないですか?

    逆に、困難じゃない人と友達に成れるのか?ぼくが。
    友達に成った後も、困難じゃない人なんて居るのか?ぼくに。

    そんな感じですよ。 


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    1. こんばんは、ふたつさん。

      先のコメントへの返信が遅れていてスミマセン。わたしとやりとりをしている(数少ない)人のブログ上でのやり取りと合わせて、まとめてみたいと思っているのですがなかなか気力がありません。

      ちょっと困難な友達=困難は「困った友達」という意味でいいのでしょうか?

      >友達に成った後も、困難じゃない人なんて居るのか?ぼくに。

      ははは!これはおもしろいですね。困った人とどうしてともだちでいられるのでしょう?

      やさしいコメントをありがとうございます^^


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  2. この、ふたつさんとのやり取りをみて思いました。

    Nicoさんにとっての友達とは、Nicoさん自身ではないかと。

    本来、友達とは他人であって、自分とは違う部分があり「ちょっと困難な友達=困った友達」なのだと思いましたが。

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    1. こんばんは、yy8さん。

      自分自身だって「他者」の部分の方が大きいですよ。
      ランボーは「自己とは一個の他者である」と言っています。
      わたしにとってわたしは「困難な存在」以外の何者でもありません。
      全て「他者」。自己でさえ。
      では「自己」とは?

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  3. Takeoさん、こんばんわ。

    「ちょっと困難な友達」は「不完璧な友達」です。
    ぼくは、完璧は求めないのかも知れませんね。

    純水であろうとする人は好きですよ。
    純水である必要はないと思ってますよ。


    では、また。

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    1. こんばんは、ふたつさん。

      純粋(ですか?)かあ・・・
      ある人のブログで「真面目」という言葉が出てきて、「まじめ」ってなんだろうと考えています。
      ただわたしは「真面目」とは対極にある人間ですね。
      絶対に罰せられることが無いのであれば、人を殺すことさえ厭わないような人間ですから。
      「善」か「悪」かと比べれば、圧倒的に「悪」に近いですね。

      「善悪の彼岸」にある「わたしという存在」これに忠実であろうとしているだけです。

      それをどう見るかはふたつさん次第です。

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