2018年11月9日

信仰


「わたしには生きている価値はない」「わたしは無価値だ」「いや無価値どころか有害ですらある存在だ」

── どんなに名高い精神科医や臨床心理士がそれを否定しようと試みても、上に書いたことは既にわたしの「信仰」でさえある。

故に何人もこれを否定することはできない。

「不合理故に我信ず」但しわたしの自己否定は決して「不合理」ではないが・・・


ー追記ー

「わたしの自己否定は」ではなく、「わたしの存在は」何よりもわたし自身にとって有害である、という考え方は成り立つだろうか。











4 件のコメント:

  1. 人に備わる長所、短所、に注目を。

    返信削除
    返信
    1. どういうことでしょうか。

      わたしに長所はありませんが。

      削除
    2. ありのままの自分を表現する姿勢。

      これが最大の長所です。

      削除
    3. ではyy8さんに質問です。

      何故ありのままの自分をさらけだすとみな去ってゆくのでしょうか?
      ありのままに「いいありのまま」「悪いありのまま」ってあるのでしょうか?
      そしてわたしは矯正されなければいけないのでしょうか?
      反論ではなく質問です。

      でもそういわれると嫌な気はしませんね。
      本質を突いたお答えだと思います。
      現実には誰にも好かれないけど(苦笑)

      削除