2018年11月10日

外の世界


「事実というものはない。ただ、解釈があるだけだ」

というニーチェの言葉をもじっていうなら、

「世界」というものはない。ただ、世界観があるだけだ」

わたしが見、わたしが感じている世界以外に世界は存在しない。無論わたしにとっては。

" We Don't See The World As It Is, We See It As We Are "
ー Anaïs Nin.

「わたしたちは「世の中」をありのままに見てはいない。ただ世界をわたしたちのあるがままに見ているだけ」
ー アナイス・ニン

無論これは [See]「見る」を、[Hear]「聞く」、[Smell]「嗅ぐ」、[Taste]「味わう」、[Touch]「触れる」に置き換えることもできる。つまりわたしたちは、その五感+α(第六感)で「世界」と繋がっている。世界に触れることは、即ち「自己」に触れることに他ならない。言い換えれば、わたしたちは、決して「わたし」の外側に出てゆくことはできない。

L.フォイエルバッハの『キリスト教の本質』にとても興味深いことが書かれている。
「太陽系内の星の数だけの太陽がある」と。何故なら、火星にとっての太陽、地球にとっての太陽、そして海王星にとっての太陽は、全く「物理的に」別のものであるから。
「太陽は一つではない」という「発見」は非常に大きな衝撃であった。








2 件のコメント:

  1. それを成し遂げたのが釈尊ですね。

    太陽は一つですが、人の数だけあるのです。

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    1. お釈迦さまは何を成し遂げたのですか?

      太陽だけではなく、あらゆるものが、それを認識する者の数だけあるということですね。わたしも、yy8さんも^^



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