2018年11月20日

恥知らず


11月も末になった。
あと10日で師走、年末、そして年始・・・?
今年クリスマスが来て、正月が来て、またいつものような1年が始まる。
ヴァレンタイン、恵方巻、ホワトデー、ああ!もううんざりだ!
こんなことがいつまで続くのか?

更になおこの世界に生き続けることにいったいどんな意味が、必要が、またたのしみ、よろこびがあるのか?

わたしが友としたモノたちは、わたしが好きだった風景は足早に過ぎ去って往き、最早二度と再び戻ってはこない。生涯に持ったただ一人の親友も、重い病に臥せって最早自分の足で歩くこともできないと聞いたのがすでに3年ほど前だったろうか。

もう何もないのだ。
わたしの見知った、わたしの親しんだ顔はもうどこにも見つけることはできない。
みな往ってしまった。

カセット・ウォークマンも、裸電球も、タオルシーツも、ブラウン管テレビも、ソニービルも、プランタン銀座も、有楽町マリオンも、ホテル・オークラも、松坂屋も・・・そして目を背けたくなる醜悪なものだけが残った。醜悪なわたしとともに。

今、良くなろう、元気に、健康になろうということは、それ自体が自己自身への背徳ではないのか?
いなくなってしまった者(モノ)たちへの裏切りではないのか?
時代の変化と共に小賢しく、小器用に、そして見苦しく乗り換えて行けばいいのか?

友なき後も生きているわたし・・・この恥知らず。滑稽な道化よ!友を見捨てた者よ・・・



6 件のコメント:

  1. Takeoさん、こんばんわ。

    ちょとお聞きしたいと思ったんですが、Takeoさんにとって、「死ぬ理由」ってありますか?

    もしも、あるとしたら、たとえば、「生きているツラサから逃れるため」ということでしょうか?
    もし、そうであれば、それは一種の「安楽死」に近いものでしょうか?

    それとも、もっと積極的に「美しい死」を求めていらっしゃるということでしょうか?

    もちろん、答えたくないとか、答えられないという場合はお答えいただく必要はありませんが、もし、良かったらお聞かせください。


    それから、せっかくおススメいただいた「ブログ村」ですが、たぶん、私はネット上の活動にはかなり消極的なタイプのようですから、今のところ考えていません。
    読者を増やしたいという気持ちは無いというわけでもありませんが、強くはありません。
    どうやら、私は、ネット上では「ヒキコモリ」らしいです。

    たぶん、私は「リアルな人間」よりも「ネット上の人間」に対して疎外感を感じているんだと思います。

    では、また。

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    1. こんばんは、ふたつさん。

      ブログ村は売り込みというよりも、興味のあるジャンルのブログを簡単に探せるという点で便利です。別に自分のブログが参加しなくても利用はできます。

      ただ、たまに、自分のブログにひとりも読者がいないんじゃないかと思う時があり、衝動的にブログ村に登録します。するとどうも読者がいないわけではないようなのですが、たとえば「ひとりごと」のカテゴリーに登録して、ランキングで上位10位内に入っても、なんだか読者がいるという気になれないんです(苦笑)

      ふたつさんのところにコメントが付いたじゃありませんか。やはり見ている人は見ているんですね。というよりも、いいブログはどこかで誰かが見ているもんです。そして姿を現したりします。わたしのはダメなブログですから誰もみていません(笑)

      さて「死ぬ理由」とは「生きる意味の喪失」に他なりません。
      「生きている辛さから逃れる」「安楽死」とは多分ニュアンスが違うと思います。
      現在わたしが感じているのは、この世界がわたし本来の居場所ではないという感覚です。であるなら、生き辛いのは当然です。

      「美しい死」などは求めてはいません。ただ、この現世の醜さに堪え難い、ということです。
      敢えて言うなら、安楽死というよりも、「帰郷」でしょうか。
      といってもわたしは死ねば無になると思っていますが。

      コメントをありがとうございました。

      それから、「現実の人間よりも」「ネット上の人間」に疎外感を感じるというのは至極まっとうな感覚じゃないでしょうか?
      わたしはネット上の人間関係は怖いですよ・・・

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  2. Takeoさん、こんにちは。
    取るに足らない質問に丁寧にお答えいただいてありがとうございます。

    「ブログ村」はとりあえず止めておきます。
    なんか嫌な目に合いそうなので。
    本当のことを言えば、そう言うことはほとんど気にしませんし、けっこう図太くできてはいるんですけど、「嫌なこと」は少ない方がいいので。

    でも、『ネット上の人間関係は怖いですよ』と言う言葉を聞くと、ほっとしますね。

    それから、このブログ全体に「20世紀」へのノスタルジーという空気が漂っていますが、もし、TakeoさんがTakeoさんの中の「幻想の20世紀」へ回帰することが出来れば、その「幻想の中」で生きることは可能ですか?

    つまり、その「幻想の領域」を少しづつ増やしていって、「現実の醜さ」を少しづつ遠ざけることは出来るでしょうか?

    おそらく、Takeoさんがネット上で行っている活動はそういう作業なんじゃないかと思うんですが、でも、今は徐々に押し込まれてきていて、「幻想の領域」が「現実の醜さ」の方に押されて、むしろ小さく成って来てしまっているという解釈で、当たっていますでしょうか?

    もし、そう言うことでしたら、その方向で「幻想の領域」を広げていって、さらにそれを意識の中で「現実の領域」に貼り付けてしまえるような方法が見つかればいいのかも知れませんね。

    たとえば、スマート・フォンを持っている人が、チャップリンのステッキや山高帽のようなモノを持っていると、かなり強引に自分の中で設定してしまうわけですね。
    そうすると、もはや滑稽なモノにしか見えなくなって、怒りもわいてこなくなるというような感じでしょうか。
    (これは、いいたとえじゃないので、もっと、うまいやり方を考えてくださいね)

    まっ、そんなお気楽な話でもないでしょうが、取り敢えず一回だけでも使えたらモウケモンということで、ドナイナモンでしょうか?

    では、また。

    追伸:フェイクの駄菓子屋さんが出て来るショートショート、面白かったです。

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    1. こんばんは。

      このブログも、2008年に始めた当初に比べればずいぶんと様変わりしたものです。

      現在わたしがブログで書いていることは、単に怒りの発散に過ぎません。
      このブログが現実の世界と拮抗する場所=わたしの隠れ家という意識はありません。
      わたしはただ、過ぎ去っていった者(モノ)たちを懐かしがっているだけです。

      世界は、わたしにとって醜いけれども、それは厳として「いま・ここ」に存在しています。わたしの空想によってどうにかなるというものではありません。
      スマホを持った人たちは、あくまでも、どこまでいってもスマホを眺めている人たち以外には見えません。それを、そうでないように自らに感じさせることは、なにやら自己欺瞞に感じられます。

      わたしは自分にとって醜く、居心地の悪い世界に居る。そこに留まるか、出ていくか、それ以外にはないと思っています。
      或いは世界が滅びるのを待つか・・・

      コメント、いつでもどうぞ^^

      ショートショート、お気に召せば何よりです。





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    2. Takeoさん、こんばんわ。

      私には、スマホをいじっている人たちが滑稽に見えるんですよねぇ。
      だから、あまり怒りを感じることはありません。
      (まぁ、時々『チッ!』って思うくらいですね)

      要するに、空虚なモノに見えるわけですね。
      「スマホ」=「空虚」ではないですが、「みんな持てるからスマホ」=「空虚」ってことですね。
      そして、そういう「空虚」に対して「怒り」を感じると、そこに「意味」を与えてしまうような気もするわけです。
      やはり「空虚」に対しては、もう少し希薄な感情で十分なような気がしてしまうわけです。

      だから、私の場合は、「空虚」を「滑稽」として扱っていくという意味で、そこに自己欺瞞は発生しないと思っていますよ。
      つまり、ごく自然に「笑える」と思っているわけですね。

      でも、たとえば、「図と地の反転」って言うのがあるでしょ?
      ある画像をパッと見たときに、はじめは風景にしか見えなかったのに、しばらく見ているとそこに人の顔が浮かんで来て、その後は人の顔にしか見えなくなってしまうというやつですね。

      Takeoさんがスマホ族の方々に「怒り」を感じているとしても、そういう反転が起きる可能性はあると思ったんですよね。
      それは、必ずしもTakeoさんにとっても、自己欺瞞には成らないかなと。

      でも、もちろん強くそう言うことをおススメするということではありませんよ。
      まぁ、いってみれば、「アソビ」ですか?
      「スマホ族」はそういうくらいのもんだと思っていますよ。

      では、また。


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  3. 追伸

    それから、私にとって「幻想の世界」と「現実の世界」は、ほとんど拮抗しているモノで、どちらかが「実体」でどちらかが「隠れ家」ということではなく、両立しているモノだと思ているんです。

    まぁ、言い換えれば「精神的な世界」と「物質的な世界」と言ってもいいと思いますよ。
    だから、当然、両方ないと成り立ちません。

    まぁ、敢えて、どちらかを選択するかと聞かれれば「精神的な世界」の方を選択するかもしれませんね。
    しかし、これは私にとっては、「肉体の死」を意味しません。
    なぜなら、「肉体」がないと「精神」も存在できないわけですから、「精神性」を尊重すれば当然「肉体」を存続させなければならなくなるわけで、それはTakeoさんが言うところの「自己の尊重」とほぼ同じように思っていますよ。

    それでは、また。

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