2018年11月19日

現代社会に生きる意味


高校時代の友人に、最近のAV機器について訊きたいと思い、随分前に彼とMSNメッセンジャーを使って何時間も話したことを思いだした。
今はもうメッセンジャーはないらしく、彼がチャットルームを探してくれた。

最近はパソコンにカメラがついていることを知らなかった。
先日そのことを初めて知って、わたしは先端の尖ったもので、パソコンのカメラを破壊した。無用であるばかりでなく、不快だからだ。

1対1で、面と向かってなら、どんな美女とでも平気で話すことはできる。
けれどもテレビ電話のようなものでは、相手が家族であろうと、同性の友人であろうと絶対ダメだ。おそらくそれは、同じ空間を共有せずに、何かを話しているカオだけが、それぞれ別々の空間に写っているという不自然さに因るものだろう。



最近やっと少しづつだが、外に出られるようになった。しかしその度に、今の世の中で引きこもりから脱却するとか、生活を立て直すということがどういうことか、わからなくなる。
外に出るたびに、「外界」との違和感、軋轢を強烈に感じる。
人は怖くはない。ただ、人が嫌いだ、人が不快だ・・・いや、厳密には、わたしの考えている(20世紀まで存在していた)「人間」というものと、(21世紀以降の)「現代人」とは、そもそも全く異質の存在と言った方がいいのだろう。

古い型の人間であるわたしには、嘗て遭遇したことのない社会・世界に生きる意味というものが、外界=「いま・現在」と接触を持つほどにわからなくなってくる。
引きこもっていても何もない。けれども、自由に外に出られるようになったからといって、いま、外の世界に何があるというのか?

ヴァージニア・リー・バートンの『ちいさなお家』を読みながら、深い絶望の溜息をついている古い人間が、今、世界にどれほどいるのだろうとふと思う。






2 件のコメント:

  1. こんにちは。
    前私のブログhttps://suicidaltendencies.muragon.com/でコメントをいただいた者です。ありがとうございます。
    前教えていただいたメールアドレスにメールをさせていただこうと思っていたんですが、リンクが切れていました。
    そこでもしよければ、新しいメールアドレスを教えていただけませんか。
    私のメールアドレスは、捨てアドで申し訳ないのですが、2embmpk@svk.jpです。
    メールをくださったら、普段利用しているメールアドレスをお伝えできます。
    どうぞよろしくお願いします。

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  2. こんばんは。

    よく憶えています。強烈なブログでしたから。

    >前教えていただいたメールアドレスにメールをさせていただこうと思っていたんですが、リンクが切れていました。

    いや、それはなにか勘違いをされているのではないでしょうか?
    わたしのメールアドレスは1つ、そしてそれを知っているのは2人の友人だけです。
    わたしが知っているのもその二人のアドレスだけ。ネット上だけの知り合いで、メールアドレスを交換したのは、昔のSNSの友達だった海外の友達だけで、その人たちとも、今は音信不通です。

    ここでのやり取りではいけませんか?
    ここはほとんど読者がいないので、実質メールのようなものですよ(苦笑)

    それにあなたのブログを読む限り、あなたがわたしのブログに共鳴する要素は皆無のように思えますけれど。

    これは「拒絶」ではありません。
    何故通常のコメントではいけないのか、それを教えていただけますか?

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