2019年1月31日

生体の悲鳴が聞こえるか?


人気の高い哲学ブログを読んだ。

詳細を語るほどのものではないので、話を端折るが、「彼」はなにやら勘違いをしているようだ。

彼は書く

「昔はよかった、という、鉄板で作られたテンプレ。考える、ということを知らないトレース。」と。

ところが、「昔はよかった」などという紋切り型を使って現代社会を憂いている哲学者、作家を、残念ながらわたしはひとりも知らない。

例えば、種村季弘は「もう成長はいい加減たくさん」といい、西部邁は、オズワルド・シュペングラーの言葉を承けて、「文化なき文明化」と嘆息した。また山田太一は、次のように「現代社会を憂いて」いる。

「私にはこのごろのテクノロジーの変化が病的に早く思えてならない。静かにその時々の変化や成果を味わう暇もなく、どしどし神経症のように新発明新ツールが次々現れては現在を否定する。その結果の新製品、新ツールも病的に細かい変化で、なくてもやっていけるものばかりどころか、ない方がよかったのではないかと、少し長い目で見ると人間をこわしてしまうような細部の発明を目先だけのことで流通させてしまう。」
『夕暮れの時間に』より「適応不全の大人から」(2015年)


人間の情緒的・情動的な動きは、いわば人間のなかに取り込まれた自然の動きである。この事実については、人間の間脳・下垂体・性腺系のホメオステイシスというような概念を用いた生理学的な説明も可能であろうけれども、人間の情動や気分が自然天然の現象(季節、天候、一日や一月のリズム、年齢的成熟など)と密接に関係していることからも推定できることである。人間の情緒は自然に触れた時に動く。私は先に、「気分」とは個人を超えて個人を包む宇宙的な「気」を個人が分有している仕方だと言った。これは、かなり事実的・具体的な意味に解する必要がある。つまり「気」とは自然そのものの動きのことであり、「気分」とは人間一人一人に分有され、取り込まれた自然の動きに他ならない。気分でものを考える人、情緒的にものを見る人は、自然を多く分有している人、自然との距離の少ない人である。

(中略)

しかし、ある一定の文化単位に限って言うならば、都会は農漁村に比べて自然との密着度が低いということは言えるであろう。ことに、近代的な高層建築の立ち並んだ工業都市や商業都市については、この傾向が顕著である。そこに住む人間は、いわば情緒を失った理性だけの人間機械に化しつつある。」

これは現在55歳のわたしが9歳の時、即ち小学校3年生の時に精神病理学者木村敏が著した『人と人との間 ー精神病理学的日本論ー』「第六章 文化を超えた精神医学」(1972年)からの抜粋である。
わたしが文字通り、原っぱで缶けりをし、駄菓子屋で10円のお菓子を買っていた時に、
木村は、このような視線で実時間の日本社会を見つめていた。木村敏41歳であった。
彼の記述は、その後約30年後に発せられた種村季弘の「もうこれ以上の成長はたくさん」というため息に、遠くから、しかし確実に呼応してはいないだろうか。



彼らそれぞれの、現代に向けられた批判の眼差しを「昔はよかった」という、たった一言の「常套句」に都合よく意訳還元し紐で束ね、それぞれの主張の細かな検証を省き、更に「テンプレ」なる頗る便利な言葉を用いて言説を矮小化する。

そして一番厄介なのは、「彼ら」には、世を批判する(彼らの言葉を借りれば「年寄り連中」)ex 種村季弘、松山巖、辺見庸、西部邁、坪内祐三らが、単に自分の過去の郷愁に浸っているだけとしか映らず、彼らが見、そして身を以て感じた「生体=生身の人間が生きる上でとても大事な何かが確実に失われた」という危機意識が感じられないということだ。

昔の子供たち(今の年寄り連)は、川で遊び、赤とんぼを追いかけていたかもしれない。でも今の子供たちにとっては、高層ビル群とオンラインゲームが彼らの遊び場であり蝉取りなのだ。と本気で考えているとしたら、駄菓子屋とコンビニを同列に見做し得ると考えているなら、それはとんでもない了見違いだ。

細野晴臣の言葉を俟つまでもなく、そこには、目には見えないが、人間にとって本質的に不可欠なもの ──「情緒」が欠如している。

生体に大地無く、心に情緒なし。それでも彼らは「それが現実」であると、あくまでも追認したいのか?

さらに

「今の子どもたちは、産まれた時から高層ビルを見ているから、それが普通、自然。」

なにをかいわんやである。彼は「常態」と「自然」を混同している。
人間という動物に必要なのは正真正銘本物の「自然」'Nature'であって、「スマホを持つのが自然」'Usual'という読み違えは失笑を誘う。

最後にもう一度、「生体」のあるべき姿を描いた、号、変哲・小沢昭一の句を繰り返す。


アスファルトまで来て戻る蜥蜴かな

















2019年1月30日

ポール・ニューマン『評決』を観て


ー追記ー



上の投稿をしてから、先日も引用した『12人の怒れる男』のシドニー・ルメット監督の
『評決』という映画のワンシーンを思い出した。

ポール・ニューマンは落ちぶれた弁護士だ。酒浸りだ。昔の同僚で、彼の唯一の友人が持ってきてくれた「金になる仕事」も裁判直前までうっちゃったまま。
新聞の死亡記事を漁って、事故死した人の葬儀に赴き、加害者を相手に裁判を起こして、金にしようと持ち掛ける。無論そのような露骨な言い方はしない。「お困りの時はお力になります」と、名刺を渡して帰る。それでも時には遺族の怒りを買ってつまみ出されることもある。

酔って事務所で暴れる。そこを訪れた「友人」に「もうほとほと愛想が尽きた。お前とはこれっきりだ」と見放される。

そこに依頼人が訪れる。姉が市内でも有名な教会の病院で、誤診によって植物状態にされたと。その状態でもう4年になる、自分たち夫婦はもうすぐ転居しなければならない。

教会も裁判沙汰になることを嫌い、21万ドルという破格の示談金を提示してきた。
しかし、法廷での証拠のために病院に赴き、依頼人の姉の病室を訪ね、植物状態になって何本ものチューブに繋がれた若い女性の写真を撮っている内に、気持ちが変わってくる。
示談には応じない。彼女の為にも。そして自分の為にも。この世にまだ正義があることを信じたい。

ところが、相手は権力を持つ教会だ。特別の弁護士を雇い、次々に原告側の証人に圧力をかける。頼みにしていた証人はもう誰もいない。

彼は項垂れて恋人のところへ行く。

「だめだ、この裁判は負けるよ」
「まだ始まってもいないのに?」
「証人がいないんだ」
「何か方法があるはずよ」
「・・・いや、おしまいだ・・・」
「それで?あなたは何しにここへ来たの?」
「・・・・」
「わたしに慰めてほしいの?お門違いだわ」
「・・・・」
「あなたはこう言って欲しいのよ『熱があるから学校を休んでもいい』って。お断りよ」

これを聞いて彼はたまらず彼女の部屋のバスルームに駆け込む。
名を呼び、ドアを開けようとする彼女に彼は呻く「開けないでくれ・・・もう、追い詰めないでくれ・・・」

この映画を最初に見た時に、シャーロット・ランプリングが冷ややかに言う「あなたはこう言って欲しいのよ『熱があるから学校を休んでもいい』って。」というシーンが強く印象に残っていた。けれども、今回改めて観て、ポール・ニューマンの「もう追い詰めないでくれ」という弱々しい言葉が胸に響いた。

わたしは昔から弱かった、いまはもっともっと弱くなっている。昔見過ごしていた、観ていても記憶に残らなかったシーンに共鳴するほどに弱くなった。

わたしはこう言って欲しかったのだ。

「熱があるから学校を休んでいい」と・・・







2019年1月29日

文明対価



アスファルトまで来て戻る蜥蜴かな

変哲(1984年6月)


まわれ右蜥蜴の生の潔さ

武雄


〔評〕戻れる場所があるおまえはうらやましいなあ・・・











2019年1月28日

さようなら


「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない」


石原吉郎のシベリア(強制収容所ーラーゲリ)時代の畏友鹿野武一の言葉です。

この数日、わたしのブログ上で、上のことばを痛感させられるようなことが立て続けに起こりました。わたしが読んでいるブログの著者も、「インターネット恐怖症」のようです。
今わたしは彼の「怖れ」が強く実感としてわかる気がします。

コメント欄を閉鎖します。

パソコンの具合もかなり悪いようですし、わたしの心身の状態も日毎に悪化しています。

繰り返しになりますがいまわたしは「健常であることの暴力性」(辺見庸)を身体で感じます。

そしてまた「彼ら」は、わたしのこのような発言を決して看過しないでしょう。

早速自己の正当性を主張し、わたしが深刻な被害妄想に憑りつかれていると、半ば肩をすくめながら己のブログに綴るでしょう。彼らは決して怒らない。何故なら彼らは優越者としてわたしの上に立つ者であるから。

もう誰とも話したくはないのです。わたしはわたしのためだけに綴りつづけます。

最早「あなた方と同じ」「人間」である必要を感じません。









ナンシー・グリフィス (Nanci Griffith)


Nanci Griffith - Not my way home

ナンシー・グリフィス「ナット・マイ・ウェイ・ホーム」





通じ合う、つながり合うとはどういうことか?


わたしの問題は・・・もちろんひとつではないが、大きな問題の一つとして、他者との交流の不能ということがある。

人(他者)と言葉が、気持ちが、心が、通い合うということはどういうことなのか?
なぜわたしは常に誰とも、文字通り誰とも「通じ合えず」「理解し合えない」のか?


わたしはここで、「わたし」「他者」「人」「心」「通じ合う」「理解する」という言葉を便宜上使っているが、では「わたし」と「他者」とはどう違うのか?
(ランボーは嘗て「私とは一個の他者である」と言ったが、「わたし」は完全に、100%「わたし」なのか?)
「わかりあう」とか「理解する」というのは、厳密にはどういう状態を指すのか?
また、人間を人間たらしめているものはなにか?更には、人間とは何で、わたしはそもそもその「人間」というものなのか?
誰がわたしを「人間」であると証明できるのか?どのような方法で?
そしてわたしを人間であると証明した者が「人間」であるということはどのようにして知り得るのか?


わたしはこのような疑問を知りたいと思い、図書館に資料を探してもらうことにした。といっても、自分でもどのようなことが知りたいのか?いったい何が解かっていないのかすらはっきりしないので、曖昧な問い合わせになった。

以下わたしのメールより

都立中央図書館レファレンス係宛て〔2019年1月18日〕

■質問内容
参考資料を探してもらいたい。

「内容」
50代の精神・知的障害をもつ男性です。探してもらいたい資料のテーマは、「他者と話が通じない」「意思の疎通の不能」について。
もちろん互いに日本語を話す者同士ですので、買い物や日常的な挨拶程度なら可能です。けれども、ちょっと深い話をすると誰とも話が通じなくなる。それは精神科医であってもカウンセラーであっても、保健所の保健師でも同じです。
そのように、いわば人間の姿をしたエイリアンのような存在である自分に悩む人間を描いた作品・・・

「テーマ」
孤独・孤立

「ジャンル」
木村敏の『異常の構造』という本の中に、「皆が自分と同じ人間であるという実感が持てない」という分裂病患者のエピソードが載っていました。わたしは分裂病という診断を受けていませんが、まさにその患者と同じ感覚を抱えています。
強いて違いを挙げるとすれば、その患者が
「皆が自分と同じ人間であるという実感が持てない」
というのに対し、わたしは
「自分が皆と同じ人間であるという実感が持てない」
というように、主体が逆転していることでしょうか。

特にジャンルは拘りませんが、おそらく、大きく分けると、そういう精神病理に関わるものではないかと思います。

何故自分は他の人と同じ人間であるという実感が持てないのか?
また現実になぜ他の人間たちと意思の疎通が困難なのか?
「価値観の相違」というものは、ここまで人を孤立孤絶させてしまうものなのか?

「結論」
他者と意思疎通が出来ない。また自分を人間であると思えないという状態について書かれた本。
現時点でジャンルは固定せず。

「キーワード」
オリバー・サックス、木村敏、精神疾患、等


これに対して、昨日都立中央図書館のレファレンスから回答が寄せられた。


都立中央図書館 社会・自然科学担当〔2018年1月26日〕

お寄せいただいたご質問(受理番号:XXX-XXXX)について、下記のとおり回答いたします。

<自我><他者><分裂病><精神疾患><精神障害><コミュニケーション><意思疎通><孤独><疎外>等のキーワードを組み合わせて、都立図書館の蔵書検索や下記のデータベース等で調査しました。
他者と意思疎通が出来ない、自分を人間であると思えないという状態について、類似する内容を取り上げた資料を以下にご紹介します。
資料名等の後ろの( )内は、都立図書館の請求記号と資料コードです。
資料1~2、4~10は都立中央図書館、資料3は都立多摩図書館で所蔵しています。

【調査したデータベース】
・「CiNii Articles」(国立情報学研究所)(https://ci.nii.ac.jp/)
インターネット上で公開されているデータベースです。
学協会刊行物・大学研究紀要・国立国会図書館の雑誌記事索引データベースなどの学術論文情報を検索できます。

資料1
『自我体験と独我論的体験 自明性の彼方へ』渡辺恒夫著 北大路書房 2009.5 (141.9/5085/2009 5016704240)
p.105-137「第5章 独我論的な体験とファンタジーの調査研究」
自分という存在が、すべての他者、さらには世界全体と対置され、自己の孤立性や例外性が強く意識される体験」(p.108)について、多数の事例・資料を引用しながら論じています。
下記資料2所収のSF小説や、精神分析家が公刊した資料3などが、関連するテーマを扱った資料として紹介されています。

資料2
『輪廻の蛇』ロバート・A.ハインライン著, 矢野徹[ほか]訳 早川書房 2015.1 (ハヤカワ文庫 SF 1989) (S/933.7/ハ8/604 7105260213)
p.311-346が、資料1で引用されている小説「かれら」(福島正実訳)です。

資料3
『分裂病の少女の手記 心理療法による分裂病の回復過程』改訂版 セシュエー[著], 村上仁訳, 平野恵訳 みすず書房 1980 (4937/S542/B 1126892121)
資料1では1955年の版を引用していますが、都立図書館では1980年の改訂版を所蔵しています。

資料4、5、6
『他者の現象学 哲学と精神医学からのアプローチ』増補新版 新田義弘, 宇野昌人編 北斗出版 1992.10 (1349/164A/92 1125570132)
『他者の現象学 2 哲学と精神医学のあいだ』新田義弘編 北斗出版 1992.10 (1349/164/2 1125570123)
『他者の現象学 3 哲学と精神医学の臨界』河本英夫, 谷徹, 松尾正編 北斗出版 2004.2 (1349/164/3 5008461620)
他者の存在や他者理解をめぐる問題の考察を収めた研究論集です。論考によっては分裂病にも触れています。

資料7
『日本文学における<他者>』鶴田欣也編 新曜社 1994.11 (J040/3092/94 127581690)
p.276-323「鏡の沙漠 近代日本文学における<他者(エイリアン)>の構築」(スーザン・J・ネイピア著、田村義也ほか訳)

日本文学における他者の存在について、安部公房や夏目漱石、泉鏡花などの恐怖小説・幻想文学を取り上げて論じています。
精神病理の観点によるものではありませんが、類似するテーマを扱った小説にどのようなものがあるのかわかります。


また、下記資料8~10などの記録・手記類にも、”エイリアン”としての悩みを取り上げた本人や家族の体験記があります。
当館の蔵書検索では、「アスペルガー症候群-闘病記」「発達障害-闘病記」といった件名から検索できます。

資料8
『うちの火星人 5人全員発達障がいの家族を守るための“取扱説明書”』平岡禎之著 光文社 2014.4 (916.00/7681/2014 7103862409)

資料9
『アスペルガーですが、妻で母で社長です。 私が見つけた“人とうまくいく”30のルール』アズ直子著 大和出版 2011.5 (916.00/7350/2011 5020294210)
p.79-142「3 宇宙人(アスペルガー)でも生きやすくなる 30のルール」

資料10
『僕の妻はエイリアン 「高機能自閉症」との不思議な結婚生活』泉流星著 新潮社 2005.9 (916.00/6450/2005 5011734550)

以下の資料11は、都立図書館では所蔵していませんが、インターネット上で全文が閲覧できます。

資料11
雑誌『大阪大学教育学年報』6巻 (2001年3月) 大阪大学大学院人間科学研究科教育学系
p.279-288「"Capacity to Be Alone"に関する質的研究の試み : 小説『フランケンシュタイン』より」(野本美奈子)
(https://doi.org/10.18910/12895)
小説『フランケンシュタイン』を、「ひとりになる」ことを主題として読んだ論文です。分裂病についても言及しています(p.280)。

このほか、病気を患う当事者の話は、本人やその周囲の人々によって書かれた病気の体験記である「闘病記」に収録されていることがあり、参考になる情報が得られるかもしれません。
都立中央図書館の闘病記文庫ではさまざまな病気の闘病記を所蔵しており、たとえば、アスペルガー症候群、統合失調症、うつ病などの闘病記も所蔵しています。

闘病記のリストや取り扱っている病名の一覧は、都立図書館のホームページでご覧いただけます。
https://www.library.metro.tokyo.jp/search/research_guide/health_medical/index.html

(下線・太字Takeo)


上記資料のうち、8~10は発達障害に関する著作なので除外。
資料2、ハインラインのSF『輪廻の蛇』は地元の図書館に所蔵があったので、早速リクエストした。

以前にも書いたが、わたしが忘れられないのは、高校時代、友だちの家で読んだ、仲間のうち、ひとりだけ「本当に人間ではなかった」者を描いた永井豪の短編「くずれる」(1971年)。

しかしわたしがほんとうに知りたいことはいったい何だろう?
「自分が人間であると思えない」ということにしても、別に人間でなければならないわけではない。どういう形かはわからないが、仮にわたしが「人間」であると証明されたとして、一体何が変わるというのだろう?

自分自身がいよいよ行きづまりの段階に来ているということが、新しい年を迎えての切実な感想である。同時に、僕が僕自身の絶望的な状態に対して、まがりなりにもこのようなはっきりした認識を持ったということが、辛うじて救いでもある。
何かが変わらなければならぬ(そしてそれは一切が変わることなのだが)という感じが今ほど切実なことはない。
生活態度を改めるとか、酒をやめるとか、煙草をやめるとかいう問題ではない。自分自身が存在としてまったく破れ去っているいること、その破れのまっただなかから「僕を救ってください」という声を、全身をもって叫ぶこと。そのことを除いて、僕が存在し得る契機はもはやなにひとつのこっていない。
ー石原吉郎、1961年1月11日のノートより。

しかしわたしにとって「救われる」とは、どのような状態を言うのだろう?
 それはひとと繋がり合えることかもしれない。
「出会いとは接点をもったということだ。全貌との出会いなぞありえない。」
石原は1972年11月のノートにこう記している。
「接点」とは。なんということだ。人と人とが「一点」でしか結びつかないなんて。



「皆が自分と同じ人間であるという実感が持てない」という言葉。
それが哲学の論文でも、文学書の中でもなく、ごく普通の一人の青年の口から発せられたということは、感動的でさえある。
逆に言えば、何故普通の人々は、このような疑問を持つことがないのか・・・
つまりそれは、繰り返すが、たとえ精神科医であろうと「所詮は単なる健常者に過ぎない」という木村敏の言葉を裏付けてはいないか。
「正常であるとは、とりもなおさず凡庸さの謂いである」というヤスパースの言葉を。

わたしが「ひと」であり、「彼 / 彼女」もまた同じように「ひと」である場合、「われわれ」は決して通じ合うことはできないのかもしれない。



これは「全き抱擁」ではないのか?これこそがわたしの求めている「つながり」であり「通じ合うこと」ではないのか。

結局わたしの「抱擁」を、「つながり」を阻害しているのは、「価値観」というものではないのか?

二階堂奥歯は『八本脚の蝶』の中でこのようなことを書いている。
探しているのは社会に対する違和感ではなくて、世界に存在することへの違和感を持つ者とぬいぐるみの物語。世界に対する違和感を感じる主人公はより抽象的な存在だ。それは社会の中の一個人ではなく、世界があらわれでる場としての主体という性格を強く帯びている。従って主人公が変容するとき世界は変容し、私が崩壊するとき世界は崩壊するのだ。
そのような人物にとってぬいぐるみは極論すれば自我の崩壊と世界の崩壊をくいとめる者、世界守護者とさえ言えるのではないか。

ぬいぐるみへの愛というのもわからないことではない。
ただ、猫やぬいぐるみでは全身でギュッと抱き締める感覚が掴めない。



もう一度まとめてみよう。

● わたしは自分が「人間である」という感覚を持つことができない。

● その理由は、他の存在と同じ人間であるなら、彼らと通じ合えるはずではないのか?

● 一方で、わたしが「ひと」」で「彼 / 彼女」も同じく「ひと」であるなら、まさにそれゆえ「個性」「趣味」「価値観」の相違によって、決して相容れることはないのではないか?

●「あなた」は「わたし」ではない。ではどのようにしてその「相違」を超えて通じ合えるのか?

● わたしが「ひと」で、相手が人間以外の「抱き締めることのできる大きさのある動物」或いは「ぬいぐるみ」であれば、わたしの望む「全き抱擁」が可能ではないか。

● 通じ合いたい(抱き締め合いたい)対象は「人間」(或いは命を持つもの=動物)に限られるのか?


         何がなしに
         頭のなかに崖ありて
         日毎に土のくづるるごとし (啄木)










2019年1月27日

わたしが引きこもる理由2 〔細野晴臣の見た東京〕


東京新聞の朝刊に、「私の東京物語」というコラムが掲載されている。各界の著名人が、「自分にとっての東京」について語るというものだ。
今週の執筆者はミュージシャンの細野晴臣。

その第4話。1月24日木曜日に掲載された細野の東京・・・


失われて初めて気づくことがある。東京から失われたものの本質は情緒だと気が付き、自分はその失われた情緒に憧れるのだ。前の震災は東京にも大きな影響を与え、暫く計画停電が実行されたことは忘れ得ぬ体験だった。だが危機感とは裏腹に暗い東京が心地よかった覚えがある。その当時の印象は「灯火(ともしび)」という言葉が似合う。暗がりに灯る光は人間の光でもある。明るすぎれば消えてしまう情緒をそこに感じた人は少なくなかった筈だ。
そして今、時とともに再び忘れ去られた情緒は、自分にとってはとても大事なこととして、音楽表現の核心になりつつあるのだ。その後、川島雄三の映画「洲崎パラダイス赤信号」を見て、深川の先の辰巳と言われた地域にあった遊郭街で、現・東陽町と名を改めた「洲崎(スサキ)」を探索しに出かけたのも、そういう衝動からだった。1956年にオールロケで撮影された映像には、当時の勝鬨橋から洲崎までを見ることができる。しかし探索に出かけてみたら洲崎という街は消滅していた。代わりに防災のために広がった道路と、堅固に建て替えられた建物が並ぶ「普通の街」になっていた。どうやら、安全性・利便性と猥雑・混沌は共存できないらしい。防災に限らず、再開発の力も情緒とは無縁である。
しかし嬉しいことにまだ活気のある商店街が下町や城東地区には残っている。
砂町や大山などだ。そういう町はこれからも生き続けるだろう。

率直な感想を言えば、いかにも「名の通った新聞に掲載されるコラム」という薄口感、隔靴掻痒の感が否めない。まぁ大手の新聞に載る記事なんて、記者が書こうが、外部の執筆者が書こうが「毒気」と「身も蓋もない眞實」を嫌うのは常識であり、また、あまりにも救いのない記事は読む側も求めていないという新聞社側の手前勝手な判断から、批判の中にもどこかしら要らざる、そして「虚」の「希望」を織り込みたがるもの。だから否応なく批判の舌鋒も鈍る・・・

嘗て、田村隆一は、
「10行のうち1行でも「詩」があれば、残りの9行も詩に転化する」と書いた。
それに倣って言えば、この細野の文章は、最後の2行(新聞紙面では4行)が、それまで書いてきた流れをすべて「うっちゃって」しまっている。
いったいどこをどう押せば「そういう町はこれからも生き続けるだろう」などという後生楽な断定が湧き出てくるのだろう。何を根拠に?

ここは「東京」だ。「東京に住む者」のための街でも、また極東の島国の首都でもない。「東京」は世界の首都でなければならない。であるからこそ、歴代の都知事たちは、そこから「アジア的な猥雑さ、熱気、カオス」を、また「日本的な静けさ、つましさ、陰翳」を、そして近世からひきつづく「〔江戸ー東京〕的なるもの」を根こぎにしてきたのではなかったか?

同24日朝刊の東京新聞朝刊より

「東京都は23日、豊洲市場(江東区)の開場に伴い閉場した築地市場(中央区)の跡地について、再開発方針の素案を公表した。核となるのは、国際会議場や展示場の機能を持つ国際的な交流拠点。小池知事が掲げた「食のテーマパーク」構想の面影は消え、国に税収を奪われる危機感もあって「稼ぐ東京」を前面に打ち出した。

築地の市場跡地に「国際会議場を作る」と発言した都知事に対し「裏切られた」という声が場外市場関係者から上がっているようだが、政治家に対しての「裏切られた」という発言自体「甘い」と言わざるを得ない。
いかなる政党、いかなる党派、いかなる議員であろうと、「裏切らない政治」というものは存在しない。

上の記事からもからわかるように、「Tokyo」は、アジアであっても、日本であっても、また江戸であってもいけないのだ・・・


「嬉しいことにまだ活気のある商店街が下町や城東地区には残っている。そういう町はこれからも生き続けるだろう。」
細野の、いや、それ以上に、日本のマスコミの宿痾である底の抜けた楽天主義に、危機的状況への痴呆的な鈍感さにほとほと呆れる・・・
















2019年1月26日

わたしが引きこもる理由 〔種村季弘の見た東京〕


松山巖の書評集『本を読む。』(2018年)に、故・種村季弘の『江戸東京≪奇想≫徘徊記』(2004年)を評した文章がある。


どうもいけない。つい小さいものへ、小さいものへと目が行きがちになる。

種村季弘さんが亡くなってちょうど一年になる。とてつもない物知りで、博覧強記という言葉がぴったりの人だったが、興味の好みは明確で、不思議なもの、いかがわしいもの、弱いもの、そして「小さいもの」であった。
亡くなる半年ほど前に、 『江戸東京≪奇想≫徘徊記』を著した。気の向くまま東京のあちこちを歩きながら、江戸随筆を渉猟し、記憶も重ねて、それぞれの土地に伝わる不思議な物語を解読してゆく。池袋に生まれ、東京だけでも十回は引っ越した種村さんならではの著作だった。ところがかつて住んでいた土地を訪ねはじめると、記述に慨嘆が多くなる。なにしろ記憶にある風景は消え、高層ビル群に変わってしまった場所ばかりだからだ。
だからこそ両国界隈で、覚えていた駄菓子屋がまだ健在で、子供たちが近くで遊んでいると大いに喜ぶ。そして以来、種村さんは「小さいものへと目が行きがちになる」のだ。しかし結局小さなものはなかなか見当たらず「もう成長はいい加減たくさん」と嘆くのである。
さて、現在の状況はさらに凄い。八月の日曜日、私は都市計画を学ぶ若い友人たちと都心を三時間ほど歩き、超高層ビルと巨大ビルの乱立状態を見て回った。これらはなじみの風景を消しただけではない。巨大投資の産物だから百年二百年は醜くとも残る。未来をも喰っているのだ。種村さん、見ないでよかったよ。


『江戸東京≪奇想≫徘徊記』が著されてから、そして種村季弘没して、既に15年の歳月が過ぎた。
「種村さん、見ないでよかったよ」という嘆息は更に重みを増している。

嘗て辺見庸は、1970年代に亡くなった詩人、石原吉郎について、
「彼はスマートフォンも知らず、ひとつのパスワードも持たずに済んだ。それだけでも幸せだった」と述懐した。

「見ないでよかった」「知らずにすんで幸せだった」

残った者が、先に退場したものををうらやむ街(時代)にわたしは住んでる。

石原吉郎の本を捲っていたらこんな言葉を見つけた。

「末世、生者が死者に弔われる。それが末世というものである。」(1972年のメモ)

翻って、死者の側から見てみれば、われわれは、「弔われる」者ではないにせよ、
彼らー死者たちに憐れまれる存在であることは疑いようのないことのようだ ── いや、確かに、弔われるべきは、そして「彼ら」の「弔辞」を聞くべきなのは、「逝きし世」即ち「現代」の「穢土」に生きるわたしたちの方なのかもしれない・・・

 







2019年1月24日

ジアコモ・ブルネッリ (Giacomo Brunelli)





















King Curtis - A Whiter Shade of Pale

キング・カーティス「蒼い影」(オリジナル プロコルハルム)



◇    ◇


※ジアコモはこれらの動物の写真を父親の持っていた日本製の60年代のフィルムカメラで撮影したと言っています。そしてバスルームで現像したと。
わたしにはデジタル時代の写真はわかりませんし興味もありません。つまり、デジタルで撮られた写真が、わたしの知っている「20世紀までの写真」と同じものであるのか、
それがわからないのです。「いくらでも加工できる写真」というものが、まるで理解できないのです。
(このサイトの右側にある写真は、すべて1960年代までに撮られたものです)











いちばんやわらかいもの…



鳥は空では死ねない

空に葬ることもできない・・・








2019年1月23日

絵を描く


デイケアのプログラムのひとつとして、絵を描く時間がある。
わたしはこれまで、体験参加として2回、そして正式な利用者となってからは、前回の「恋愛について」と、過去3回プログラムに参加したが、3回ともディスカッション形式のもので、そういう場合には、中学校の教室二つ分くらいの広さのメインルームの隣にある、その半分くらいの部屋に行ってディスカッションの参加メンバーだけで行われる。

今回の「絵画」は、大部屋で、銘々好きな場所に座って絵を描いた。
絵を描く人ばかりではない。居眠りをしている人もいれば、向かいのテーブルではポーカーをやっていた。「え、でもなになにさんオケラじゃん」という声が聞こえたような気がしたが気のせいか(笑)

絵を描くといっても、絵画療法、芸術療法といった大げさなものではなく、
みんなで自由に好きな絵を描いたり、塗り絵をしたりといった時間だった。

しかしわたしは、「たのしんでいますか?」という感じではなく、今の自分の内面をどのように絵として表現できるのかと真剣に思案していた。

流石に油絵を描く画材はないので、新聞大の画用紙を更にふたつに折って、先日夢で見た光景を描いた。

夢でチラと見た光景には色がなかったので、木炭を使った。

画面の左上に、煤けて真っ黒な子供のような人が四つん這いになっている。
たった今煙突から出てきたように真っ黒で、顔貌(かおかたち)もはっきり見えない。ただ、髪の毛だけが針金のように逆立っている。右上には、やはり輪郭も曖昧な人物がいて、うずくまる子供(?)に鞭をふるっている。彼が何者で、どういう理由で、黒い人物を鞭打っているのかはわからない。
そして、画面の中央には大きな渦巻きがある。これは「混沌」を表している。

白い画面にこれだけを描くと逆三角形になって、不安定な構図になるのだが、むりになにかを描き加える必要もないと思った。絵の技法の未熟さももちろんだが、不安定さ、バランスの悪さこそ、今のわたしの内面を表しているともいえるのだから。

ではこの、髪の毛を逆立てて、鞭打たれている黒い小さな人物は誰だろう?
これはおそらくわたしなのだ。「鞭打たれる」というのは、虐待の記憶でも、いじめのトラウマでもない。わたしにとって「生きていること」即ち「鞭打たれること」なのだ。
では誰に?彼の後ろで鞭を振り上げている人物は、特定の誰某ではない。強いて言うなら「人間」だろうか。「何故人が人に鞭を揮うのか?」という問いは愚問だ。「人だから人に鞭を揮う」のだ。
わたしは「鞭打たれる者」であって、決して「抱擁される者」にはなれない。
それは何故か?他ならぬわたしであるから・・・それ以外の答えをわたしは知らない。



わたしは昨夜自分の内面にある様々な感情を列挙した。

「破壊」「暴力」「炎上」「滅亡」「敵対」「殺戮」「鬱屈」「孤独 孤立」「無援」「空虚」「不安」「怒り」「憎悪」「怨恨」そして「無」・・・と。

何ひとつ生を肯定するものが無い。

無いのだ。どこをどう探しても、「希望」とか「夢」「未来」「友情」「愛」「温もり」「愉しみ」「よろこび」「明日」「幸福」・・・そのような言葉はまるで見当たらない。

また現実にそれらを持てる自分ではないということもよく知っている。

不貞腐れているのではない。上に並べたような言葉がどこか面映ゆく、なにやら鼻白んでしまうのだ。

馬子にも衣裳などと言うけれど、とてもじゃないが似合わない。

では、一筋の光もない場所で、「鞭打たれる者」として、どうして生きていられるのか?


わからない・・・







2019年1月22日

言葉と絵画表現(書くこと、描くこと)


明日(火曜日)はデイケアで、「絵画」のプログラムがある。参加してみようと思っている。わたしは絵を観るのが好きだが、自分で描くこともなければ、描いてみようかと考えたこともない。
だから、絵を描くのは、中学校以来だろうか。

では何故観る専門のわたしが、絵を描くプログラムに参加しようと思ったのか。

フェイスブックに籍があったころ、アール・ブリュット(アウトサイダー・アート
=知的な障害や精神障害を持った人の描く絵)についてのウェブ上での記事をたまたま目にして、その内容に反撥を覚えたことがあった。その記事にどんなことが書かれていたのか、またわたしがそれに対してどのような反論をしたのか憶えていないが、いずれにしても普通の人間が見ることのできない世界を描いた絵に強く惹かれる。更に言えば、殆どの人間は、木村敏の言うように、所詮は単なる健常者でしかないのだという思いがある。
こう言う言い方が適切かどうかわからないが、知的・精神的な障害を持った人の内面は、健常者と呼ばれる人たちよりも遥かに広く、また深いのだろうという畏怖と好奇心がある。

急いで付け加えるが、そのような障害者には、健常者にはない「特別な才能が」ある、という話をするつもりは毛頭ない。絵を描ける障害者が、描けない(描かない)者よりも「優れている」ということは決してない。

わたしは絵画療法というものに全く無知だが、こころの病を持つ者が絵を描くということは、彼の内面に伏在しながらも、未だ言葉として抽象化されていない生(き)の感情を表出するということに主眼があるのではないだろうか?

言語化というものが、「混沌」に目鼻を穿つことなら、絵を描くということは、混沌を混沌のまま写し出してみるということだろうか?

わたしの内面には、「破壊」「暴力」「炎上」「滅亡」「敵対」「殺戮」さらに「鬱屈」「孤独 孤立」「無援」「空虚」「不安」「怒り」「憎悪」「怨恨」そして「無」・・・といった感情が密かに身を潜めて蠢いていて、いつ外部に飛び出すかという機会を窺っているように感じている。

日頃わたしの好むドイツ・ロマン派やラファエル前派のような、「静謐」で「美しい」絵ではなく、自分が描くなら、ナチスに頽廃芸術と排斥されたドイツの表現主義や、抽象表現主義のような歪んだ、いびつな絵を描きたい。つまり一言でいえば醜い絵を描きたい。

わたしの内面を絵画表現にした場合、一番近いと思われるのは、丸木位里・俊夫妻の描いた「阿鼻叫喚」の図だろうか。しかしそれは平和への祈念、決して繰り返してはいけない愚行・悲劇への想い、という描き手の意図とは遠く隔たり、寧ろ、全き滅びへの希求とでもいうべきものかもしれない。
わたしは平和を願っていないのか?わからない。仮に平和というものが、際限のない文明化であり「文化なき文明化」の意味であるとしたら、また機械と人間の文字通りの一体化への途であるとしたら、わたしは「平和」よりも寧ろ「滅亡」を望む ── いや・・・最近は人類が一瞬にして消滅滅亡するというよりも・・・いや、よそう。最早わたしは「人類」とは縁もゆかりもない存在に近づきつつあるのだから・・・

ところで、先日Q&Aサイトでチラと話題に出たが、わたしは「恨(ハン)」という朝鮮民族特有の(?)情念に関心がある。もう20年も前だろうか、韓国映画『風の丘を越えて』ー『西施行』という映画で知った言葉だが、わたしは基本的にインターネットでの「検索」を嫌うので、「恨(ハン)」という概念についての詳細はわからない。
ただ、「恨」というある種の負の情念が創造のエネルギーに転化することに関心を持つ。
いや、「創造」に限らず、「破壊」への巨大な力にもなり得るというところに魅せられる。
日本人はおそらくこのような持続的なエネルギーを持ちえない。


ー追記ー

(見た目の)醜さの中に、美も眞實も隠されているというのはその通りだろう。









2019年1月21日

今日の天野はん


「親」

何の因果でか
頼みもしないのに
暗闇の中からひょっこりと俺を生み出し
暑さ寒さ飢じさの苦労をさせるのは
天の造物主だ。
造物主よ。
俺をお前に還すから
何も無かった俺の時を還して呉れ
と云ったのは遠い中国の王梵志とか。
それを真似てるわけじゃなかろうが
今のガキ共が親に向かってほざく。
「生んでくれと頼んだおぼえはない」
それはそうだが と
親は思案する
「俺にしたって
 親にたのんだおぼえはない…」


現代詩文庫「天野忠詩集」(1986年)より






2019年1月19日

通じ合うとはどういうことか?


わたしは日頃から誰とも、文字通り誰とも気持ちが通じ合うことができないと感じている。
わたしが実感することのできない、気持ちが通い合う、または話が通じるとは、いったいどういう状態なのだろう?

傾聴ボランティアという人たちがいる。話し手の言葉に黙って耳を傾ける。
途中わからない部分があればみじかく質問することはあるだろう、けれども基本的には「聴く人」「耳を傾ける人」たちだ。

ひとりぼっちの子供が、ぬいぐるみや人形に向かって話し掛けている。
時々彼 / 彼女自身がぬいぐるみや人形になって「会話」をしたりする。
これもやはり、ぬいぐるみや人形は自分の意見を述べないし、反論もしない。

教会で神に向かって祈る。一心に語りかける。神は答えない。ただ彼や彼女の言葉に身を委ねている。

「聴く人」「ぬいぐるみや人形」或いは「神」に話しかけるとき、人はこれらを通して己自身と対話している。あるいは己の心の声をその耳に聴いているのだろう。話相手は他ならない自分自身だ。

聴く「わたし」は、100%語る「わたし」と同一ではない。けれども、他者よりははるかに「わたし」に近い存在であるには違いない。

では「他者」は? ── それが親であっても、兄弟姉妹であっても、恋人・伴侶であっても、「完全にわたしではない」者と、話が、気持ちが通じるとはどういうことだろう?

それはわたしの話しを聴く「彼 / 彼女」が、100%わたしに同意してくれることを意味するのだろうか?

「傾聴者」でも「ぼくのぬいぐるみ」でも、また「神たる者」でもない、一個の「全き他者」と、「気持ちが」「心が」「通い合う」ということが、そもそも可能な事なのだろうか?

しかし人は・・・わたしは、「他者」とのこころの交流を望んでいる。そしてその「他者」とは即ち「わたしではない者」・・・

何故わたしは、自己との対話だけでは充たされないのだろう?

「自分とは違う者」と、わかりあう、通じ合う。
それは「自己ならざる者」に「自己(わたし)」であることを望むことではないのか。

精神的存在としても、身体的存在としても、「わたし」から(と)分離されている「他者」との一体感・・・否、一体化を希求するという、絶対に不可能な欲求がわたしの中にあるのか・・・


【抱擁】
HUG

Polar Bear's Mother and Child, Jackie Morris



 Jackie Morris's Drawing 






「オープン・ハート」


Ora Sesta, 1995, Mimmo Paladino. Italian, born in 1948.

イタリアの現代作家ミンモ・パラディーノの彫刻です。テラコッタにペイントしたもので、タイトルは「シエスタ」 ー「昼休み」といった感じですが、わたしには、これは大人になった「彼」の内側にいる「少年」ー 'Inner Child' のように見えます。数年前に出た、ジャズのCDのカバーアートに使われていたのですが、一目見て気に入って、元の作品(上)を探しました。
この作品に対して特別な解釈はしません。ただ、能面のような(無)表情の人物の中に、「本物の人間」が、不機嫌な顔をして膝を抱えて座っている。

どのように感じるかは、観る人次第です。この作品がジャケットに使われているCDは、Céline Bonacina Trio(セリーヌ・ボナチナ・トリオ) の 'Open Heart' 。わたしには「オープン・ハート」の方が、オリジナルのそれよりもこの作品のタイトルに相応しい気がします。 

「大人になること」それは自分のなかに住んでいる温かい血の通った少年・少女を、冷たい地中に埋葬することではないはずです。
また、見様によっては、この男性は涙を流していて、それが子供の上に雨のように降り注ぎ、少年はじっとそれを我慢している。そんな風にも見えるのです。






2019年1月17日

「理解する」とはどういうことか? (狂人のノート)


●「誰もわたしではない」ということが前提とされるなら、「誰かを理解する」とはどのような意味を持つのか?


● すべての存在が、わたしとまったく同一(同一の思考と感情を持っている)であるなら、「わたし」が「あなた」を「理解する」とはどのような意味なのか?


●「わたしは日本の核武装に賛成します」「9条改憲に賛成します」同じように日本語を母語とする者同士、相手の言っている意味は「理解」出来る。つづいて「彼」は「理由」を述べる「・・・という理由でわたしは日本は核武装すべきだと思います。」
仮にその意見に「同意」出来ないとしたら、何が同意を阻んでいるのだろうか?
わたしの「理解力」の不足だろうか?


● 西部邁は、生前、自分の主催する雑誌について、「この本が仮に5000冊売れたとして、
最初から最後まで読んでくれる人は10分の1の500人。
きちんと内容を理解してくれる人は更に10分の1の50人。
そしてわたしの主張に同意してくれる人はその10分の1の5人だろう・・・」と書いた。

この漸減は何を意味しているのだろう?


● ミシェル・フーコーは、自著が出版された時に、「この本を理解できるのは(フランスでか世界中でかわからないが)せいぜい5000人だろう・・・」と。
この場合、「理解」と「不理解」は何に因って別れるのだろう?


●「理解する」とはどういうことか?
「理解すること」と「同意・賛同すること」は同じではない。
では、理解しながら同意しないということはどういうことなのだろう?


●「よく理解したからこそ同意しない」ということがあり得るとしたらそれはいったいどういうことだろう?

よく理解した〔けれども〕同意はできない。

ではなく

よく理解した〔だから〕同意できない。

このふたつの違いは何だろう?

何故「私もそう思う」といえないことを「理解した」と言えるのだろう?
「合意できない」とは「理解できない」と同義ではないのだろうか?


●「理解」と「誤解」の相違とはなにか?そこに明確な相違は存在するのだろうか?













差別者であること


この歳になって物わかりのいい温和な常識人でありたいとは思わない。
不偏不党ではあり得ない。

わたしは嫌う者であろう。
差別する者でいよう。
世の善男善女に眉を顰められ鼻をつままれる老人(=55歳現在のこと)であろう。

人が好く物(者)を嫌う理由を問われたら、わたしが他ならぬわたしだからだと答えよう。

安倍や麻生を嫌う者は居ても、彼らは「完全なる嫌われ者」ではない。ヒトラーやスターリンでも同じことだ。嫌っているのは主に常識的な優等生たちだ。

犯罪を犯すことなく、真の嫌われ者になるには・・・つまりKさんのような人たちの対極に位置するには?
考え込むには当たらない。
「わたしがわたしであること」それだけでいい。







拝啓Kさん。


時々ツイッターの文学系アカウントを覗きに行く。
見に行くのはせいぜい2~3人。

中にとても繊細な文章を書き、美しい引用をする女性がいる。

しかしその言葉がいかに繊細で詩的であっても、またその主張がどんなに正当であっても、その言葉、その思いを表現する場所が「ツイッター」であり「フェイスブック」であるという点で、その言葉は既に貶められ、穢されている。
おおくの「いいね」によって。いくつものリツイートによって。

Kさん、あなたは何故、そのように言葉を、また人の、自分の気持ちを粗略に扱うのですか?

なにがあなたを「SNS」に向かわせるのですか?
一人でも多くの、見ず知らずの他人に読んでもらいたいのですか?
SNSで人と人が繋がれると思っているのでしょうか?
それともわたしが単にあなたを買い被っているだけなのでしょうか?
あなたも所詮はこのデジタル・ワールドになんの抵抗も躊躇いもなく参入できる人のひとりでしかなかったのでしょうか?

今日もあなたの発する言葉にたくさんの「いいね」の蠅がたかっています・・・







2019年1月16日

哲学は怖い学問か…


「哲学は怖い学問ですか?」

昨年暮れ、2007~8年頃に出入りしていたQ&Aサイトの「哲学」カテゴリーの当時の投稿を眺めていたら、上のような質問が目に入った。その時には質問の内容も読まずにただ苦笑して通り過ぎていたが、何故か今頃になって、この質問は決して笑い事ではないと感じている。

「高等数学は怖い学問ですか?」「ラテン語は怖い学問ですか?」と尋ねる人はいないだろう?あるとすれば「宗教学」「神学」だろうか?

いずれにしても、「正解のない学問」「答えを得ることよりも思惟することが主である学問」という点で、「哲学」は他と一線を画している。

哲学を単純に「考えること」とすると、確かに「考えずに生きる」方が楽に決まっている。
「これはAです」と差し出されたものを疑うことなく「A」として受け取ればいいだけのこと。ところが「これはほんとうにAだろうか?」とか「Aであるとしたらその根拠は何だろう?」などと考え出すと、途端にこれまでスムースにできていた歩行が困難になる。

けれども、考えることは、社会の中で生活をする人間にとって、ある種の義務でもある。


松山巖の書評集『本を読む。』(2018年)に黒井千次の『自画像との対話』(1993年)についての論評がある。

最終章の『ドラマとしての自画像』で、スターリンの粛清で追われ、収容所に入れられた人々の絵のエピソードを語っている。鉛筆による人物像が大半だが、自画像はない。鏡が排除されたためである。ここから著者は自画像のいま一つの意味を見出す。
「自画像とは危険な絵画なのである。……自己を外界に向けて曝そうとするためである。と同時に、描く本人をもまた、危険な人間とせずにはおくまい。おそらく自己を深く掘る人は、他人をも掘り、外界をも掘削する。」
この種の人間は権力にとり危険である。

「権力にとり危険である」しかしそれ以前に、自己を深く深く掘り下げる者は、遂には自らの足を乗せている地面さえ掘り崩してしまうだろう。

ゴッホは何故あれだけ多くの自画像を残したのか?
ニーチェの著作のほとんどは自己の鏡像ではなかったか?
ふとそんなことを思う・・・

「哲学は怖い学問ですか?」
笑い事ではない。




2019年1月15日

消えたのか?見えないだけなのか?


20世紀を代表するアメリカの画家、エドワード・ホッパーのあまりにもよく知られた作品、「ナイト・ホークス」
ホッパーの絵は、仮に明るい陽光が降り注いでいても、いつも孤独と背中合わせの静寂を感じさせる。
同じく20世紀アメリカの代表的なペインター、アンドリュー・ワイエスの絵も、やはり静謐さを漂わせているが、ホッパーの作品の舞台が主に都会、街中であるのに対して、ワイエスの描くのは、都市ではない。


Nighthawks, 1942, Edward Hopper.





この絵を観て、なにかが欠けているとは感じないだろうか?
隣り合って坐っている男女はおそらく知り合い・・・恋人同士かも知れない。

これが二人のディテイルだ。

Nighthawks (ditail) 1942,  Edward Hopper.

女がぼんやり見つめているのは、たった今、男のタバコに火を点けたマッチだろうか。
この絵になにか安心する静寂を感じるのは、まさに静かな淋しさが「そこに」あるからではないだろうか。

今の時代なら、おそらく3人の客が皆手にしているであろう携帯端末がない。

これも同じくホッパーの1927年の「オートマット」。
カフェでひとりでコーヒーカップを見つめている若い女性。

Automat, 1927, Edward Hopper.

おしなべてホッパーの絵からは音が聴こえてこない。しずかなさびしさに充たされている。人々は孤独やさびしさを生きる上での当たり前の現象として受け止めていた。
深い孤独や寂寥はまた、それを抱く者の魂を、思索を、深めもした。

ひとりぼっちでカフェに居ても、携帯端末を取り出せば、すぐにでも「友達」と会話が始まる。そこには最早純度の高い孤独も、寂寥も、また自己との対話も存在しない。

携帯端末を持つ者が孤独ではない、とは言わない。けれども、カフェで、公園のベンチで、また帰宅途中の電車の中でドアにもたれている人のうちの誰の内面に孤独が宿っているのか、外側からは見えない。街の風景から孤独な人と淋しい人の姿が消えて久しい。

見えないのは、少なくとも見ている者にとっては存在しないも同じだ。

人の淋しさの見えない時代に生きるさびしさを、あなたは知っているか・・・



=追記=

おしなべて ものを思わぬ人にさへ 心をつくる秋の夕暮れ

誰の作だか忘れたが、そんな古歌があった。きょうび美しい秋の夕暮れは、もの思いの対象ではなく、SNSに投稿する恰好の被写体になった。


おしなべて物を思わぬ人ばかり・・・







2019年1月13日

【抱擁】


だれでもいい、自分よりたしかに大きなものの胸にかかえこまれること。つまり力づよくHUGされること。
死すべき人の身にとって、かりそめにも安らぎというものがありうるとすれば、こうした抱擁【ハグ】をおいて他にないのではなかろうか。相手は何であれ、ともかく頼り甲斐のある大きな存在であってくれればよい。人間が神様などという超越者をつくりあげたのも、つまりはそのためではなかったか。

ー 矢川澄子「湧きいづるモノたち」『受胎告知』より(2002年)


結局わたしの求めているものはこれに尽きるのではないだろうか。
「愛」とも「恋」とも呼べないような「全き抱擁」

わたしは全存在を安んじて委ねることのできる「父性」を求めているような気がする。
それは如何なる女性でも、また母親でも代わることのできない「父性」。
同じ安心感でも、愛する女性の隣にいるときに感じるそれと、男性の傍に佇んでいる時にふと感じる安心感とは、異質のものだ。

男はHUGする側で、女性はいつもされる側と決まっているわけではない。
女性が男性を力強く抱きしめることもあるだろう。けれども、それは本質的に男性の抱擁とは違うのだ。

わたしは「男」とされている「神」の抱擁を求めない。神の抱擁はわたしの渇えを癒し得ない。わたしの渇望を充たしうるのは、わたしと同じく、滅びゆく肉体と精神をもった「生身の」男性だ。
不死の神、全能の存在によって、どうして朽ちゆくこの身が癒されよう。

わたしは未だかつて、安心感を得ることができるだろうと思える男性を見たことがない。
おそらくそれは限りなく「神」から遠い存在だろう。
神が「天」であるならば「地べた」とでもいうような者。
またそれは「悪魔」のような知恵者ではない。
人間というよりも、むしろ一本(ひともと)の大木というに近いような存在・・・


昔、女性雑誌などで、「抱かれたい男性ベストテン」というような特集があったけれど、
あの場合の「抱かれたい」はもちろんセックスを意味するのだが、
仮にわたしが力強くHUGされたい男性はと訊かれても、誰も思いつかない。
「ホモでもなけりゃ抱擁(ハグ)されたい男性なんて思いつかないよ!」
そうだろうか・・・

強く抱きしめられること、それは一言も言葉を発せずに、全存在を、丸ごと全肯定されることだ・・・

天使が翼を持つのは、天翔けるためだけではなく、相手の全身をすっぽりと包み込むためだという説を聞いたことがある。

しかしわたしが求める抱擁は天使のそれではない。枝のように細く骨ばった腕であっても、太く力強い腕であっても、いづれは我とともに朽ち、滅びる腕に、強く、ギュッと抱き締められたいのだ・・・


ー追記ー


「抱擁」による安息感は、或いはこのような生理的な感覚に似ているのかもしれない・・・

畑の中に横たわって、土の匂いを嗅ぎ、土こそが私たちの現世での右往左往の終点でもあり希望でもあると考える。
憩いを得て、分解され、溶けこんでゆくべきものとして、土(大地)以上のものを探すのは無駄な事なのだ。
ーエミール・シオラン『生誕の災厄』より













2019年1月12日

恋について「愛はスマホを超えるか?」


一昨日のデイケア、正式なメンバーになっての初参加。Night Owlのわたしが午前10時から。というのもディスカッションのテーマが「恋愛」だったからだ。
プログラムには男女約12~3人が参加した。年齢層は30代から60代くらい。
内容はわたしが予想していたものとはだいぶ違っていた。
精神を、こころを病んだ人たちの集まる場所で、恋愛について語るというので、わたしは、「恋愛はしたいけどなかなか出会いがない」「どうやって恋愛をしたらいいのかわからない」といった問題を共有するのだろうと早合点していたが、いざ蓋を開けてみると、
「気になる人が現れた場合、どのようにアプローチする?」とか「デートするならどんなデートがいい?」といった、極めて現実的かつ実践的な話になった。
40代くらいの男性は、大学入学当初にモテまくった話しをし、60代(?)くらいの女性は、付き合い始めたきっかけのエピソードを披露。

日頃は我先に意見をいうわたしも、今回はただ黙って皆の話に耳を傾けるだけだった。
進行役のスタッフに「Takeoさんはどうですか?なにか・・・」
「あ、いえ、なんか、みなさんの話を聞いていると、わたしとは次元が違うというか・・・自分が異性に好かれる、異性と付き合うということがどうしても想像できないので・・・」

「恋愛」「恋」って、わからない。
誰かが誰かを、「恋愛の対象としてみる」ということはどういうことなんだろう。
何故「彼 / 彼女」は誰かの恋のターゲット(笑)に成れたのだろう?
人の「魅力」ってなんだろう?
わたしは恋をしてみたいのか、そうでもないのか、そんなことさえよくわからない。

なだいなだ氏は、恋というのは、「何々だから」ではなく、「何々にもかかわらず」してしまう運命的なものだ、なんてロマンティックなことを言ってるが、ことわたしに関していえば、「タケオであるにもかかわらず!」なんてことがあるだろうか?いや、無い!(苦笑)


僕らは恋をしたことがあるだろうか
短い生涯のうちで
一度でも恋というやつをしたことがあるだろうか
十代の恋 二十代の恋 三十代の恋
四十代 五十代の恋
老いらくの恋というやつを。

いや恋などというものを一度も味わったことがないような気もする

肉体の凡ゆる部分からすっかり塩気をとられた
皮膚のたるんだ黄色い人間同士が
乳くりあっているのはみられたものではないかもしれぬ
〔・・・・〕
思いのままにものをいうことさえ許されない世界であるなら
友よ
すっかり方向を変えて恋をしようではないか

夜だけにもしも自由というやつが許されるなら
互いに黙ってもぐらのように
女の柔らかい肌の部分と
乳くりあうのも愉しいものだ

女という獣の柔軟な肌の部分にまつわりつき
この薄い皮膚でふれあい
冷えきった血潮を少しは湧き立たせるのも悪くはない

ー安藤真澄「恋のうた」(1951年)


十代の恋も 二十代の恋も 三十代の恋も 四十代 五十代の恋もなかったわたしは、
多分恋というものを経験せずに終わるだろう。

老いらくの恋もいいかもしれない。老いての恋こそ本物の恋かもしれない。
いや、そもそも恋に本物も偽物もないのかもしれない。わからない・・・

まだ観ていないが『春にして君を想う』、西部邁の本にあったミヒャエル・ハネケの『愛・アムール』も観てみたい。

柔肌のあつき血潮に憧れない訳ではない。
女性の魅力は?という質問に、「容姿」と答えた、デイケアスタッフも、率直で好感が持てる。

とはいえ、いかなる僥倖が舞い降りても、スマホとLINEの時代に、自分が「恋」ができるとは思えない。
どんなに魅力的な女性でも、彼女がスマホを手にした瞬間、百年の恋もいっぺんに蒸発してしまう。ベッドのタバコは平気でも、スマホは・・・「にもかかわらず」の限界をこえている。
「惚れてしまえばあばたも靨」か、いやいやそれともやはり惚れても腫れても「スマホ」は「スマホ」か・・・


This Bitter Earth - Dinah Washington 1959

This bitter earth
Well, what a fruit it bears
What good is love
Mmh, that no one shares?
And if my life is like the dust
Ooh, that hides the glow of a rose
What good am I?
Heaven only knows

Oh, this bitter earth
Yes, can it be so cold?
Today you're young
Too soon you're old
But while a voice
Within me cries
I'm sure someone
May answer my call
And this bitter earth, ooh
May not, oh be so bitter after all















2019年1月11日

教養嫌い


「教養とは、人間がすべてを忘れ去った時にまだそこに残っているものである」

というエドワール・エリヨの言葉がある。難解な定義で、正直言って意味がよくわからない。

こう言うことはできるだろうか、

「すべてを忘れ去り、すべてを喪った時に、まだそこに残っているもの、それが人間の尊厳である」と。


ムッシュー・エリヨの言葉をまだ幼い娘たちにおしえたなだいなだ氏は続けて曰く、

「身につけるものは、教養ではなく、虚栄だ」

そしてまた曰く、

「愛というものは、そもそも、何々であるから、という理由があって生れるものではない。
何々であるにもかかわらず、という、運命的な生れ方をするのだ。
相手が、すでに結婚した奥さんであるにもかかわらず愛する。愛は、それ故、打算を越えたものになるのだし、ただ、惜しみなく奪って行く。」

「パパは女性に、たったひとつのことしかのぞまない。それは人間味というものだ。不完全さ、それが、人間味をつくる。パパもそうであるように、男というものは馬鹿で、女性に人間味さえあれば、簡単に愛してしまう。そうであるから、今まで、人類は滅びないですんできた。」
『なだいなだ全集第九巻』「片目の哲学」第四章「女性についてー美徳のかたまり」
(1967年)より


「すべてを忘れ去った時に、まだそこに残っているもの、それが教養である」

「キョウヨウ」なんて尤もらしい言葉を使わずに、また、「尊厳」なんていかめしい言葉を使わずに、

「すべてを忘れ去った時、そしてすべてを喪った時に、まだそこに残っているもの、それが人間味である」といいたい。

言うまでもなく馬鹿なわたしは、男性・女性を問わず「教養」よりも「おろかしい」そして「(ちょっと)おかしい」人間味を愛する。









2019年1月10日

ポーランドの冬物語


Baśń zimowa / Winter Tale, 1904, Ferdynand Ruszczyc. Polish (1870 - 1936)


Pat Metheny & Anna Maria Jopek - Piosenka Dla Stasia (A Song For Stas)

パット・メセニー(ギター)とポーランドの女性シンガー、アンナ・マリア・ヨペックのコラボレーションです。

2008年のアルバム Upojenie / Intoxication=酩酊(でしょうか?)のカバー・アート、いいですね。




10年ほど前にやっていたSNSに、ポーランドで宝石店だったか、アンティークショップだったかを開いていた女性がいました。わたしが彼女の国を「東欧東欧」というので、「ポーランドは東欧じゃなくて中央ヨーロッパ(中欧)!」と叱られてしまいました。
(お店をやっているせいか、彼女は英語も上手でした)

ポーランドやチェコ(スロバキア)そしてハンガリー等の東欧・・・じゃなかった、中欧のアートは、ロシアとも、また北欧とも違った、非常に独特な幻想的な世界を持っていて好きですね。
上の絵もポーランドの画家の「冬物語」という作品です。残念ながら画家の名前(Ferdynand Ruszczycは読めません。







2019年1月9日

内側と外側の不一致…


自分の「性自認」=「心の性」と「身体の性」が、異なっていることによって苦しんでいる人たちがいる。
トランス・セクシュアルー「性同一性障害」と呼ばれる人たちだ。
ある人は、「自分は女性である」という「性自認」を持ちながら、男として振る舞うことを要請される。何故なら男性の身体を持っているから。
また「彼女」と呼ばれる人は、男性の心を持ちながら、女性の身体を持つが故に「おんな」であることを求められる。
社会から、周囲から。

わたしは日本という国に、「日本人」として生まれた。けれども、自分の内面の性向と、所謂「日本的」なメンタリティーとの間に大きな齟齬と乖離を感じている。苦痛を感じている。

「性同一性障害」が'Sexual Identity Crisis'とよばれる、自己同一性の危機であるなら、わたしのアイデンティティ・クライシス、または「生き辛さ」は、日本人として生まれてきた自己と、日本的なるものを嫌う精神性との相克に因るものと言えるかもしれない。

民族性=精神性、そして性別・・・自己の内面のそれと、偶々与えられた人種、偶々与えられた肉体・・・その不一致。

「彼」「彼女」「わたし」の中に「自己を形成する相反する二つの構成要素」があって、それによって自己が引き裂かれている。

cfセクシュアリティ関連用語集


2019年1月8日

今日の天野はん再び


「夕日」

古い大きなお寺の境内で
素人相手の
古本のせり市が開かれた。

「世界の旅」端本九冊
「現代の名局」欠本あり
「まんが どらえもん」美本全揃
「東洋思想叢書」五冊だけ
「信仰の友」全揃、少々汚れあり
「吉井勇歌集」その他十冊一くくり……

そのあとから
エロ雑誌ばかりの薄汚れた一束が出てきた。
──こいつはお買い得、安いぞ、エーッと
  三百円からいこう、エ、三百円、三百円、
  これだけドーンとあって三百円……
うしろの方から小さく
三百五十円と一声あったきりで
あとが出ない。
ザワザワと笑い声ばかり。
──これだけ読んでごらん
  若いもんでも鼻血出して堪能するよ、全く、エ、もう一声、
  もう一声ないかッ
よしッという声がして
小柄な老人が前列に居て叫んだ。
──四百円だッ
ほんのり上気して生徒のように手を挙げている。
──四百円でおじいちゃんに落ちました。
  老後のおたのしみで結構やねえ……
若いせり係が呟くと
皆ドッと笑った。
陽が翳った。

眼鏡の小柄な老人は
エロ雑誌の一束を重たそうに抱えて
ソロソロと帰って行った。
お寺の本堂の前で
ちょっと頭を垂れてから……。


『詩集 古い動物』(1983年)  

ちょっとの幸せ・・・
いい一日・・・









2019年1月7日

正気の必要



「あ~あ、いっそのこと完全に狂ってしまえば苦痛も悩みも無くなるのに・・・」
というと、母が「でもいざという時に正気じゃないと困るよ」
「何いざという時って?」
「正気じゃないとちゃんと自殺できないよ。」







復元不能…


一般に「引きこもり」は「状態」であって「病気」ではないとされているようだ。
しかしわたし個人は「引きこもり」は充分に「病気」と見做され得ると思っている。

ところで、健康とはその人の「常態」であり、「治療」とは、「常態」から逸脱したものを元の状態ー常態へ「復元」させることだと木村敏は述べている。
血液検査で、「正常値」を上回ったり下回ったりしたものを、「元の状態に」復元させることは、薬物療法によってある程度可能だろう。けれども、その高い数値や様々な心身の不調が、「引きこもり」による運動不足等に起因するものであった場合はどうだろう。

健康とは、またその人の「常態」とは、あくまでも、彼と外界との融和・調和であると思っている。つまり「彼個人」の「真空状態での健康」というものはあり得ない。即ち、外界が変化し、最早復元不能の状態になった時、つまり「個体と外界との均衡」が成立し得なくなった時、彼の「常態」も復元されることはない。



以前は、10年前=40代の頃にはできていたことができなくなったと言っていたが、
最近は2年くらい前にはできていたことが・・・去年出来たことが、できなくなったと呟くことが多くなった。
そして次第に、出来ていたことができなくなったと考えるよりも、何故あんなことができていたのだろうと訝るようになった。
ちょうど『山月記』の李徴が、虎になった当初は、何故虎になどなったのだろうと考えていたが、時が経つにつれて、何故おれは以前人間だったのだろうと思うようになったのと似ている・・・






2019年1月6日

人間の証明


木村敏の分裂病患者が、
「皆も自分と同じ人間なんだということが実感としてわからない。」
と言っているが、今のわたしの感覚を正確に言えば、
「自分が皆と同じ人間なんだということが実感としてわからない。」

わたしにとっては、「わたしは人間である」というテーゼさえ、最早「自明の事」ではない。

いったい誰が「あなた=わたしは人間である」と立証できるだろう。
何故木村氏は、彼を「人間である」として疑うことがなかったのだろう。

誰かを「人間たらしめているもの」それは、単に、生理学的・解剖学的なものだけではないはずだ。
それとも、わたしは既に分裂病であるということなのだろうか・・・

わたしが高校時代友人の家で読んだ永井豪のマンガで、仲間のうち、一人だけ人間ではなかったという短篇があった。「彼」が人間ではなかったことは、周りも、そして彼自身すら最後までわからなかった。あの作品のタイトルを知りたい。あれをもう一度読みたい。
なぜわたしは、あの短編集の中で、「人間でなかった男」の話だけを憶えているのだろう?






2019年1月5日

タクシー・ドライバー


Scene from the movie 'Taxi Driver' dir by Martin Scorsese (1976) 
「タクシー・ドライバー」

もう10年ほど前、NHKの英語番組に、アメリカのテレビドラマ『プリズン・ブレイク』の悪役の俳優が出演してインタビューに答えていた。
その時の彼の答えが印象に残っている。

ロバート・デ・ニーロが、「悪役をやる時に気をつけていることは?」と訊かれたときに答えたという言葉を引用していた。

「俺は「悪人」を演じてるんじゃない。「人とは違う選択をする人間」を演じているんだ」

『タクシー・ドライバー』(1976年)は時々思い出したように観たくなる映画だ。なによりも「映像」が美しい。ちょうどヴィスコンティの『ベニスに死す』(1971年)やヴィクトール・エリセの『エル・スール』(1983年)のような、映像の美しさに息をのみ胸をつかれる映画。

ニューヨークの美しさを描き出した映画は幾つもあるが、例えばウディー・アレンのモノクロ作品『マンハッタン』(1979年)よりも、このカラー・フィルムの方が数倍美しい。

この時代、このキャスト、この監督、このカメラマンだからこその映画で、仮に今、この作品をリメイクしようとしても無惨な結果に終わるだろう。
ちょうど山田洋次が小津の『東京物語』(1953年)を60年後にリメイクして大失敗したように。


Gloomy Sunday - Mel Torme (1958)

「暗い日曜日」- メル・トーメ







「異常」とは「過度の正常」さに他ならない


●「健康」という概念の中には、ある人が故障なしにふつうに生活をしていけるような、ふつうの時期の状態という意味が含まれている。つまり簡単にいうと、「健康」という言葉には「常態」という意味がある。したがってこの場合には、「異常」すなわち「正常値」の上限・下限いずれの逸脱も、その人の常態からの逸脱、つまり「不健康」あるいは「病的」の意味を持ってくる。
 (略)
「治療」とは異常値を正常値にまで復帰させるという意味を帯びており、それはとりもなおさず、ある個人について常態をはずれた状態を常態にまで復元するということなのである。


われわれは奇型は醜いものという動かしがたい偏見を持っている。これは整然たるもの、規則的なものに対する、不整のもの、不規則なものという考え方から来ていることであるけれども、手の指が五本あるのが規則的で、四本や六本ならば不規則という理屈はどこにもない。
われわれの日常的・常識的な美醜の判断がいかに習慣的な先入観によって左右されているかは、驚くべきことである。いずれにせよ、ここでは、「異常」がひそかに「劣等」の意味を帯びていることは否定しがたい。


常識は一種の「考え」の基礎になるものではあっても、理詰めの、理論的、推論的な判断とは別種の、むしろこれに対置されるものである。つまり常識には、理論的分別知以前の、一種の勘のようなはたらきが属しているのではないだろうか。


● 常識とは、人びとの相互了解場における実践的感覚が、ある種の規範化をこうむったものと解することができる。
 (略)
常識といわれるものが存在すること、それが一種の規範性を帯びたものであり、公理的なものであることは、時代や文化の相違を超えて人類の共同体一般について言えるようである。
「公理」という言葉は、今日では「自明の事として証明なしに真理として受け取られるような前提」という、きわめて論理的な意味で用いられている。しかしそれの源になっているギリシャ語のアキシオーマは、「人々が共通に真または美と判断するもの」という、より世間的で実践的な意味を持っていた。いま、「あるものはそれ自体にひとしい」という公理についてみると、これは一見、それ自体において当然な、絶対的な自明性をもっているように見えるけれども、これが真理とみなされるのは、人びとが共通にそれを真だと判断しているからなのである。判断といっても、私たちはこの公理を理論的・推論的に証明することはできない。これはまさに、センスス・コムーニス(コモン・センス)とよばれる感覚によって直観的に感じとられる以外には近づきようのない「真理」である。そしてこの「真理」は、人びとが共通に「それ以外には考えようのないこと」として感じとっている限りにおいて、強い規範性を帯びてくることになる。
常識が帯びているこの強い規範性は、常識を外れたものの見方や行為に対する強力な規制の根拠となっている。精神異常者が日常性の社会から徹底的に排除されるのは、常識によるこの規制措置の結果である。


● このような思考様式は「異常」とみなされるものである。しかし、この「異常」は決して「劣等」を意味しないはずである。患者は私たち「正常人」の常識的合理性の論理構造を持ちえないのではない。すくなくとも私たちと共通の言語を用いて自己の体験を言い表しているかぎりにおいて、患者は合理的論理性の能力を失っているわけではない。むしろ逆に、私たち「正常人」が患者の側の「論理」を理解しえないのであり、分裂病的(反)論理性の能力を所有していないのである。患者がその能力において私たちより劣っているのではなくて、私たちがむしろ劣っているのかもしれない。ヤスパースが分裂病体験を「了解不能」と述べたのは、実は「不可能」の意味にではなく、私たちの側の「無能力」意味に解さねばならないのである。
私たち「正常人」は、1=1の公式に基づいた論理を理解する能力しか持ち合わせていない。これはむしろ、私たちの思考能力のいちじるしい狭さと、偏りとを示すものに他ならない。
「正常人」とは、たった一つの窮屈な公式(A=A / A≠B)に拘束された、おそろしく融通の利かぬ不自由な思考習慣を負わされた、奇型的頭脳の持ち主だとすらいえるかもしれない。それにもかかわらず、世間一般の「正常人」は、本来自分たちよりもはるかに自由闊達な論理構造を駆使する分裂病者たちを「異常者」として差別し自分たちの社会から排除してはばからない。それはなにゆえであろうか。そのような差別や排除にはそもそもなんらかの正当な根拠があるのだろうか。もしあるとするならば、その正当な根拠とはいったい何なのだろうか。


● 現代の世論は一般に、精神異常者に対する差別を撤廃し、彼らを社会の共同生活の中へ迎え入れようとする方向で動いている。しかし、この運動が単なる感傷的ヒューマニズムの立場からなされるものであるならば、それは事態の真相を全く理解しないばかりか、偽善的自己満足以外のなにものでもないところの無意味な運動に終わらざるを得ない。
「異常者」を真の意味で私たちの仲間として受け入れようとするためには、私たちはみずからが日常なんの疑問もなく自明の事として受け入れている自己の存在という現実を、あるいはそもそも「生きている」ということの意味を、もう一度あらためて問いなおしてみるだけの勇気を持たなくてはならない。生の事実を盲目的に、無反省に肯定する立場からは、「異常」の差別に対する反省は不可能なのである。

ー 木村敏『異常の構造』講談社現代新書(1973年)より抜粋 (下線・太字・括弧Takeo)



本書は「講談社現代新書」の分類では、「人間心理と人間関係」の中に収められている。
けれども、これは心理学や精神医学というよりも、明らかに「哲学」に傾斜している。
この本からいくつもの引用をしてきたが、それでもまだまだ書き写したい箇所はいくらでもある。そうすると、この本のほとんどの部分を書き写さなければならなくなる。


最後に本書の冒頭に木村敏が引用しているキルケゴールの言葉を。

精神病院の医者が、自分は永遠に賢明だと思い込み、彼のちっぽけな分別がどのような人生の痛手をも受けないように保証されているなどと信じるほどまでに愚かであるならば、彼はある意味では狂人たちよりも賢明であるかもしれないけれども、同時に彼ら以上に愚かなのであって、多くの狂人を癒すこともないに違いない。












2019年1月4日

この不思議な世界2


「あれこれと言葉を模索しながら彼女が訴えようとしていた彼女の「障害」あるいは「欠点」は、一言でいえば、彼女には世間一般の人々にとってはまったく自明の理である常識がわからないということだろう。「だれでも、どうふるまうかを知っているはずです。そこにはすべて決まりがあります。私にはそのきまりがまだはっきりわからないのです。基本が欠けているのです。」「私に欠けているのはほんのちょっとしたこと、大切なこと、それがなければ生きていけないようなこと・・・」「なにかが抜けているんです。でもそれが何かということを言えないんです。どんな子供にでもわかることなんです。ふつうならあたりまえのこととして身につけていること、それを私はいうことができません。ただ感じるんです・・・

これと本質的に同一の「障害」を、わたしの患者は、たとえば次のように表現している。

「どこがおかしいかわからないが、どこかおかしくなる。自分の立場がない感じ。自分で自分を支配していない感じ。なにかにつけて判断しにくい。周囲の人たちがふつうに自然にやっていることの意味がわからない。皆も自分と同じ人間なんだということが実感としてわからない。なにもかも、すこし違っているみたいな感じ」
 (略)
私は先に、常識とは知識ではなく感覚の一種であり、それもいわば実践的な勘のようなものだと述べた。実践的な勘は、私たちの意識生活においてはつねに背景的にしかはたらかぬものであり、「ちょっとした勘をはたらかせれば」といういいまわしからも判るように、意識面での比重からみればごく些細なことである。ところがこの些細なことがひとたび見失われると、私たちのあらゆる行動が、それだけでなく私たちのあらゆる感覚が、支えを失いけじめを失って実践的現実に適応しなくなる。私の患者が「すこし違っている」といい、アンネが「ちょっとしたこと、それがなければ生きていけないこと」といったのは、まさにこのような意味での常識に他ならない。」(下線Takeo)
ー 木村敏『異常の構造』第5章「ブランケンブルグの症例アンネ」



上で木村敏が紹介しているのは、ドイツの精神病理学者ブランケンブルグの著書『自然な自明性の喪失』(1971年)の中心に置かれている一女性患者アンネの症例である。
アンネ自身の言葉である「自然な自明性の喪失」という感覚はわたしにもよくわかる。


「彼女はいつも自分の疑問に対する答えを欲しがっていた。それは、大人になるとはどういうことか、自分のどこが悪いのか、日常生活のちょっとしたなんでもないことや、ごくありふれた言葉の意味などが、どうしたらわかるのかといった疑問だった」(同上)



わたしには、自分がこの世界に置かれているという感覚はあるが、この世界の一員であるという実感がない。であるから、「彼ら / 彼女ら」にとって、まったく「自明」のことの多くがよくわからない。
木村敏の患者の言う
周囲の人たちがふつうに自然にやっていることの意味がわからない。皆も自分と同じ人間なんだということが実感としてわからない。」という言葉は、正にわたしの言葉でもある。

また『自然な自明性の喪失』というが、「自然な自明性」とはいったい何だろう。
そもそもわたしにとって自然な=当たり前に「自明な事」などというものが存在しているのだろうか?

仮に木村敏の患者やブランケンブルグの患者であるアンネ、そしてわたしが「皆と同じ人間ではない」としたら、「人間にとって自明の事」はわたしたちにとってはまったく「自明の事」ではあり得ない。



所謂「引きこもり」や心を病んだ人たちの書いたブログを読んでいると、そこには、自分も皆と同じような普通の生活を持ちたかったという声があちこちから聞こえてくる。
「普通に学校を卒業して、普通に就職して、普通に結婚し、子供をもって、両親に孫を抱かせて・・・云々」と。けれどもそれぞれの事情によって、その「普通のこと」を達成することができなかったと嘆いている。

つまり彼らは、何が「普通」=「常態」であるのかということをきちんと弁えている。少なくとも、自分が「この社会」の中で、何をすべきか?何がしたいのか?何をしなければならない(とされているのか)を知っている・・・

しかしわたしには彼らと共通した感覚が欠けている。何ひとつ当たり前でふつうのこと=生きてゆくうえでの自明の事がないのだから。





自然は、あるいはこの宇宙は、存在する必要もなしに存在しているに過ぎない。太陽の運行は確かに規則的である。しかし太陽が存在するということ、それが運行しているということ、さらには人間を支えているこの地球が存在し、太陽との規則的関係において運行していること、地球上にそもそも生命なるものが存在するということ、これらはすべていっさいの規則性を超越した大いなる偶然でる。そしてそれが偶然であるかぎりにおいて、合理性とは真正面から対立するものである。
この大いなる偶然性・非合理性こそは自然の真相であり、その本性である。それが人間の目に見せている規則性や合理性は単なる表面的な仮構にすぎない。
真の自然とはどこまでも奥深いものである。自然の真の秘密は私たちの頭脳でははかり知ることはできない。そのような自然を人間は科学の手によって支配しようと企てたのである。そして自然の上に合理性の網をはりめぐらせて、一応の安心感を抱いて、その上に文明という虚構を築き上げたのである。

現代の科学信仰をささえている「自然の合法則性」がこのような虚構にすぎないとしたら、その上に基礎を置くいっさいの合理性はみごとな砂上の楼閣だということになってしまう。そのような合理的な世界観は、それがいかにみずからの堅牢さを妄信しようとも、意識の底においてはつねに、みずからの圧殺した自然本来の非合理性の痛恨の声を聴いているに違いない。それだからこそ、この合理的世界観は、いっそう必死になって自らの正当性を主張するのである。」(下線Takeo)
同書第1章「現代と異常」


ー追記ー

木村敏が「わたしたち」を「常識」に対する「非常識」と呼ばずに「反常識」と呼んでいることが興味深い。
何が嫌いと言って、「わたし個人がどう思おうとそれが現実というものなんだから・・・」という態度ほど嫌悪を催させるものはない。

















2019年1月3日

無題


私は何もしていない。そのことは認めよう。だが私は、時間が過ぎてゆくのを眺めている。── 時間を埋めようとするよりは高級なはずだ。
ーエミール・シオラン (下線、本書では傍点)






この不思議な世界


「常識的日常性の世界とは、私たちのだれもがふつう特別な反省なしにその中に住みつき、その中で生活を送り、その中でものを見たり考えたりしている世界である。この世界は私たちにとってあまりにも身近な世界、あまりにも自明な世界であり、いわば私たち自身の存在、私たち自身が「ある」ということがそれと一つのこととして同化しきってしまっている世界であって、私たちはこれを対象化して認識したり、いわんやそれの構造を問題にしたりすることには慣れていない。
したがって、私たちが常識的日常性の自明さに安住し、その論理構造を唯一の絶対的妥当性をもつものとして容認しているかぎり、常識の構造を問うという私たちの課題はおそらく永久に達成できないだろう。この課題を達成しうるためには、私たちはどうしても常識的日常性を相対化し、それの絶対的妥当性から自由になって、それをいくつかのありうべき可能性のうちの一つの特殊例に過ぎないものとして把えなおさなければならない。
ー木村敏『異常の構造』第7章「常識的日常世界の『世界公式』」(下線Takeo)



わたしをとりまくこの世界=外界は、わたしにとって、「わたしの居場所」「わたしの魂の棲み処」として、全く「自明のもの」ではない。
わたしが属しているとされる「この世界」は、
あまりにも身近な世界、あまりにも自明な世界」ではない。
であるからわたしは常に
これを対象化して認識したり」「それの構造を問題にしたり」するのだ。

自分の身体が、物理的にそこにあるというだけで、わたしの内面、わたしの精神は、この世界内に属してはいない。そのような感覚はこの10年来わたしが折に触れて感じていることだ。

逆に言えば、多くの人たちにとって、「この世界」が、彼ら / 彼女らにとって「自明の」世界であるとするなら、いったいその違いは何に由来するのだろう?

わたしが「この世界」への違和感の象徴として「スマホ」を度々持ち出すのも、何故彼らは、「それ」を持つことが、あたかも「この世界」で生きる上で「自明の事」のように考えているのかがわからないからだ。
何故彼らにとって自明の事柄の数々が、わたしにとってはまったく不可解なこと=自明性を欠いたことなのだろうか。

いったい多くの人たちは、年齢や性別、知能や性質の如何を問わず、「今ここにあるこの世界」を自分の存在にとって自明であるという「公理」を、いつ、どこで身に着けたのだろう?そしてその「自明性」の因って立つ「根拠」とは・・・

わたしにとって「この世界」は
いくつかのありうべき可能性のうちの一つの特殊例に過ぎないもの」であって、「スマホ」を持つという「選択」もまた、いくつかの選択肢の一つに過ぎない。それを持つことはわたしにとってなんら「選択の余地のない」「自明の事」ではないのだ。
そして、この世界に生まれてきたことが、この世界で生き(続け)なければならないという「争う余地のない」「自明性」には決してならないことは言うまでもない。

多くの人たちにとって、「この世界」に生を享けたことは、ひょっとしたら、絶対的な必然性を持つものかもしれない。けれども、わたしにとっては、「いくつものありうべき可能性の中」から、偶々「この世界」に落ちてきただけのことなのだ・・・


ー追記ー

何かが「自明である」ということは、それについての「検証」も「論証」も省かれているということに他ならない。何故そのような無批判・無反省の事柄を肯んじようか。











2019年1月2日

『異常の構造』木村敏 ー 永遠のアポリア…


自分が読んで感銘を受けたとか、いろいろと考えさせられた本を、人にも読んでもらいたいと思う気持ちはわたしにもある。
本を薦めるということは、言い換えれば「自分はこういう本を読んで感銘を受け、刺激を受ける人間である」ということを相手に伝えたいということなのだろう。
単純に「いい本だから」とか、「おもしろいから」ということではなく、やはり、他ならぬ、「この本を読んだわたし」を知ってもらいたいのだ。

とは言え、わたし自身は何事によらず、人から薦められるということが苦手な人間だ。
であるから「己の欲せざることを人に施すことなかれ」という黄金律に従って、本でもCDでもビデオでも、人に薦めることはしない。



「異常」と「正常」または「狂気」と「正気」ということをほとんど常に考えている。
木村敏の『異常の構造』講談社現代新書(1973年)は、精神病理学者である筆者が、主に「統合失調症」(本書では「分裂病」)というものを通じて、人間に於ける「正常」と「異常」とは如何なるものかを、医学的・科学的というよりも、例によって、哲学的なアプローチで考察した充実した内容の一冊である。

以下、本書から、「統合失調症」を媒介とした木村敏の人間観が記されていると思われる部分を引用する。





彼らが場違いに繊細な感受能力を持って生まれてきたという運命が、すでにその時点において彼を分裂病者として規定していたのかもしれないのである。私はふつうにいわれている意味での「分裂病性の遺伝」や「分裂病性の素質」は信じたくない。そこにはつねに、なんらかのネガティヴな評価が、つまり「先天的劣等性」のような見方が含まれているからである。私はむしろ、分裂病者はもともと人一倍すぐれた共感能力の所有者であり、そのために知的で合理的な操作による偽自己の確立に失敗して分裂病に陥ることになったのだと考えている。そのようなポジティヴな意味での「素質」ならば十分に考えられることだろう。」


「病気」の概念は「健康」の対概念として、「常態からの逸脱」を意味している。ところが分裂病者の場合、彼の「常態」とはいったいなにをさしていわれることなのだろうか。
 (略)
分裂病者はまさに分裂病者であること以外に彼の「常態」をもたないのではあるまいか。
 (略)
つまり分裂病を「病気」とみなす見方のうちには、暗黙の裡に、さきに述べた「多数者」と「常態」との読みかえがおこなわれ、「異常」から「病気」への意味変更が行われているのである。」


「・・・この「不幸」とか「気の毒」とかいう発想自体が、結局は私たちの常識的日常性の立場から、つまり正常者であることを好ましいとし、異常であることを好ましくないとする立場から出てくる発想であることに変わりはない。
しかしだからといって私たちはどうやって常識的日常性の立場を捨てることができるのか。それはおそらく、私たち自身が分裂病者となることによる以外、不可能なことだろう。私たちは自分が「正常人」であるかぎり、つまり1=1を自明の公理とみなさざるをえないでいるかぎり、真に分裂病者を理解し、分裂病者の立場に立ってものを考えることができないのではないか。そして私たちが分裂病者を心の底から理解しえたときには、もはやその「治療」などということは問題にならないのではないだろうか。

アメリカの革新的な精神分析家のトマス・サスは、ふつうの病気がテレビ受像機の故障に譬えられるならば、精神病は好ましからざるテレビ番組に譬えられ、ふつうの治療が受像機の修理に相当するとすれば、精神病の精神療法は番組の検閲と修正に相当するといっている。しかし分裂病を「好ましくない」と判断し、これに「検閲と修正」を加える権威を単にその都度の体制的な社会規範やその都度の社会の常識的日常性にのみ求めるのでは、この譬えはまったく陳腐なつまらないものになってしまう。規範が変わり、常識が変わっても、そこにはつねに変わらず、規範や常識側に立つ大多数の「正常者」と、これから外れた少数の「異常者」との間の緊張は残るだろう。この緊張の真の原因は、いかなる種類のものであれ、そのような社会規範と常識が必然的に生み出される源であるところの、個人と社会との生命的次元における矛盾的統一の裡にある。私たちが分裂病者を「気の毒」と感じてこれを「治療」しようとするのも、逆に私たちが「正常性」の虚構を見抜いて「治療」を偽善とみなすのも、すべてこの生命的次元における矛盾的統一に由来するものなのである。

分裂病を「病気」とみなし、これを「治療」しようという発想は、私たちが常識的日常性一般の立場に立つことによってのみ可能となるような発想である。そして私たちは、自らの個体としての生存を肯定し、これを保持しようとする意志を有している限り、しょせんは常識的日常性の立場を捨てることができない。私たちにできるのはたかだかのところ、この常識的日常性の立場が、生への執着という「原罪」から由来する虚構であって、分裂病という精神の異常を「治療」しようとする私たちの努力は、私たち「正常者」の側の自分勝手な論理にもとづいているということを、冷静に見極めておくくらいのことに過ぎないだろう。」


「私たちが西欧諸国から受け継いできた従来の精神医学がその根底において間違っているということ、このことだけは最初から確かなことのように思われた。しかし、これに対する闘争として出現した反精神医学の主張も、最初受けた印象ほどには単純に納得しにくいものであることも、次第に明らかとなってきた。つまり、反精神医学がその特徴としている常識解体をどこまでも首尾一貫して押し進めれば、それは必然的に社会的存在としての人間の解体というところまで到達せざるをえず、したがってまた、個人的生存の意志という、生物体に固有の欲求の否定に到達せざるを得ないはずだからである。反精神医学は、自己自身を徹底的に追求すれば、究極的には反生命の立場に落ち着くよりほかはない。
 (略)
かつてクルト・コレは、精神分裂病を「デルフォイの神託」に譬えた。私にとっても、分裂病は人間の智慧をもってしては永久に解くことのできぬ謎であるような気がする。分裂病とはなにかを問うことは、私たちがなぜ生きているのかを問うことに帰着するのだと思う。私たちが生を生として肯定する立場を捨てることが出来ない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきことだとみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか。
私は本書を、私が精神科医となって十七年余の間に私と親しくつきあってくれた多数の精神病患者たちへの、私の友情のしるしとして書いた。そこには、私がしょせん「正常人」でしかありえなかったことに対する罪ほろぼしの意味も含まれている。
(下線・太字Takeo)





本書が書かれてから、既に45年を閲して、分裂病は統合失調症と呼称を換え、薬物による症状の改善も目覚ましく進歩した。しかしこの木村敏の著作は、日進月歩の医学の世界で、統合失調症をまだ分裂病と呼んでいた頃の古臭い精神医学の本ではなく、
そもそも心を病むとはどういうことか、「健常」「正常」であるとは、また「異常」であるとはどういうことかという、根源的な問題の考察の領域に達している。

今なお古びない良質な「哲学書」として、また木村敏の標榜する「人間学」のテキストとして、「正常」と「異常」、そして「社会」と「個人」の相互関係に興味のある方に一読をお薦めしたい。


ー追記ー

わたしは木村氏の主張に全面的に賛同しているわけではない。
例えば、

「私たちが生を生として肯定する立場を捨てることが出来ない以上、私たちは分裂病という事態を「異常」で悲しむべきことだとみなす「正常人」の立場をも捨てられないのではないだろうか。」

或いは

「反精神医学がその特徴としている常識解体をどこまでも首尾一貫して押し進めれば、それは必然的に社会的存在としての人間の解体というところまで到達せざるをえず、したがってまた、個人的生存の意志という、生物体に固有の欲求の否定に到達せざるを得ないはずだからである。」

このような意見は、「人が個として生きること」と「その者の社会性」との関係について、それがどのようなものであるのかはよくわからないが、「社会」があって初めて人は生きてゆくことができるという見方のように思われて、社会、常識から離れた一個人として、「彼ら」を見ることが何故難しいのかという疑問に突き当たる。

嘗て母は、わたしが主治医に宛てた手紙を読んで、「これは「手紙」というよりも「問答」だね。」と言った。そして本書の解説には木村氏は自分の思想に西田哲学と道元の禅を採り入れていると書かれている。
「~ではなかろうか?」「~なのではないか?」「~だろう」
そのような語り口が、わたしがこの書を好む大きな要素であるのかもしれない。















2019年1月1日

New year's Art and Music...



Out Popped the Moon, Kay Nielsen. (1886 - 1957)

デンマークのアーティスト、カイ・ニールセンです。
「色のついたビアズリー」と言ったのは誰だったでしょうか?(わたし?)

彼は、画家というよりも、ビアズリーやエドモンド・デュラック、アーサー・ラッカムなどと同様、絵本のイラストを描(えが)く人として広く知られています。

20世紀アメリカの、ノーマン・ロックウェルやマックスフィールド・パリッシュなども、画家とイラストレーターの中間に位置する人のようです。

わたしも紀伊国屋で求めた洋書のカイ・ニールセンの薄い画集を持っていますが、全然開けていません。(苦笑)


My Love Is Like a Red Red Rose," performed by Clarke & Walker,

クラーク・アンド・ウォーカーの「ラブ・イズ・ア・レッドローズ」
英国の詩人ロバート・バーンズの詩が元になっています。
2013年リリースのアルバム'Fire and Fortune'から。


ロバート・バーンズと言えば、「蛍の光」の作者ですね。
今でも卒業式では歌われているのでしょうか。
昔「蛍雪時代」という受験雑誌(?)があったのをご存知でしょうか?

いま、何がむかしのまま残っていて、何がなくなってしまったのか・・・

「大事なものは目に見えない」星の王子さまのセリフですが。
この国では、目に見える大切なものが失われ、目に見えない古臭い「因習」だけが残っているように感じてしまいます。