2018年12月31日

あたたかくしてお過ごしください。


Dinah Shore & Buddy Clark - Baby Its Cold Outside 1949

ダイナ・ショアとバディー・クラークの「ベイビー・イッツ・コールド・アウトサイド」
「外は寒いよ」ー いろんなヴァージョンがあるけど、この二人の掛け合いが絶妙です。
もう帰らなくっちゃという彼女と、外は寒いよ、もう少し一緒に居ようと、あの手この手で懸命に引き止めようとする彼のコミカルなやり取りが微笑を誘います。




わたしの好きな写真たち



好きな写真家のひとり、何藩 - ファン・ホー(Fan Ho) ー 中国(1931 – 2016) の写し撮った古き良き香港です。

Sunset Return「家路」1960年

Back Alley 「裏通り」1955年

Little Grandma「小さなお婆さん」1958年

Her Study 「宿題?」1963年

In Daddy's Arms, 「父に抱かれて」1966年









「親子だから」


今年4月の東京新聞の『本音のコラム』の切り抜きがある。筆者は看護師の宮子あずささん。
タイトルは「親子だから」



今日で四月が終わる。四月は両親の命日が続く。父が十五日、母が十七日。父の死から十八年。母の死からも六年が経った。月日を経ても、思い出が蘇る月である。
母がいよいよ動けなくなった時、世話をする私に母は「あっちゃんなんでそんなにやさしくしてくれるの」と聞くようになった。母が求めている答えはわかっていて、「好きだからだよ」と言ってほしいのだった。
しかし私は、どうしてもそれだけは言えず、「親子だから」と、にべもなく答えた。母はごく親しい人の名をあげ、「○○ちゃんは好きだから、って言ってくれた」。すごく不服そうだった。
すねた顔を思い出すたび、申し訳なかったなと思う。それでも答えは変わらない。なぜなら、どんなに気が合おうとも、私たちは親子。逃げ場のない関係を引き受け、ついたり離れたりしながら生きてきた。「好きだから」といってはその根本が嘘になってしまう。
私たちは皆たまたま誰かの子に生まれ、親子として生き始める。そんな偶然の関係なのに、逃れようがない。友人や配偶者など、選択を経ての関係とは、ここが決定的に違っている。
だから何回きかれても「親子だから」。今もそう答えると思う。元気な時には「親子は友達にはなれない」と言っていた母。むくれながらも、本当はわかっていたと思うことにする。



これを読んだ時、わたしは「なんて冷たい人なんだ」と感じた。
当時この宮子さんの記事について母と話した。母は宮子さんのいうことが別に冷たいとは思わない、というようなことを言っていたように思うが、記憶が曖昧で定かではない。

「たまたま出来た関係」「逃れることのできない関係」親子の情愛など微塵も感じさせない口調。

世の中には、いくつものことなったタイプの人間がいて、そのひとつに「強い人」と「弱い人」があると思う。この場合の強さとは、あくまでも精神的な強靭さのことだ。
わたしは愛情・情愛の上に成り立っていないこのようなクールでドライな親子関係には到底耐えられない。

強い人間は自分自身の足で立つことができるけれども、わたしは抱き締めてくれる「愛情」を必要とするし、寄りかかることのできる「支え」を必要とする。更にいうなら、わたしは本能的に「強い人間」が怖い。
暴れて物を壊す精神障害者は怖くはないが、「自分の足で立っている人」、「しっかりしているひと」、たとえば精神科の看護師長である宮子さんのような人はわたしは苦手だし、「怖い」と感じてしまう。自分への「攻撃」でもないのに、その人が「しっかりした人」であるというだけで「こわい」と感じてしまうのはどういう理由からなのだろう。
さしあたって、何度も引用しているが、「健常であることの避けようのない暴力性」(辺見庸)ということだろうか。それとも彼ら / 彼女らの反論しようのない「正しさ」「真っ直ぐさ」「硬質さ」「冷静さ」そして自他に対する「厳しさ」・・・などへの生理的な拒否反応なのだろうか。わたしは映画『カッコーの巣の上で』の看護師長よりも宮子さんのほうがこわい(冷たい)と感じる。

宮子さんのこのような意見に対して、わたしは返す言葉を持たない。つまりあまりにも、あまりにも考え方が違いすぎるので、最早何も言うことがないのだ・・・


=追記=

あまりにも有名な言葉なので、ここに引くのも気が引けるが、レイモンド・チャンドラーの「人は強くなければ生きて行けない。やさしくなければ生きている資格がない」という言葉をふと思い出した。







2018年12月30日

許されざる者とは…


医師、「いのちの電話の相談員」「デイケアのスタッフ」・・・仕事以外でわたしの話しを聞いてくれる、わたしの話し相手になってくれる人は母だけだと思っていた。
けれども、母は、わたしや弟の話し相手になることも親としての仕事=勤め(責任)だと言った。
産んだ者の責任だと。

もちろん仕事や義務や責任感以外でわたしの話し相手になってくれるものなど居るはずはない。

「障害者は不幸しか生まない」という植松聖(辺見庸の『月』(未読)では「さとくん」)被告の言葉はわたしに関していいえば必ずしも間違いではない。
「身を鴻毛の軽きにおく」のではない。初めから鴻毛の如き身の上なのだ。

「障害者の生きる権利」はもとよりだが、もっともっと吟味されていい。

愛情と、生きる意志を持たない者の生の根拠とは何かを・・・

わたしは「さとくん」を単純に悪鬼と切って捨てることはできない・・・

母を愛しているから、生まれてきてゴメンネといいたい・・・








Mon Dieu


矢川澄子の『受胎告知』を少しづつ読んでいる。

中でも「湧きいづるモノたち」は彼女らしい観念的な短編小説で気に入っている。

わたしは映画でも小説でも、簡潔に粗筋を説明するということが出来ない。

だから今日も、自分のための抜き書きとして、「湧きいづるモノたち」から抜粋する。





デュモンさんに片言の日本語で話しかけられたのは、ちょうどそんなときだった。
夕暮れの道で、見知らぬ巨漢がわたしに道をきいてきたとき、その返事がただの
I don't know.だけで終わらずに、いっしょにさがしてあげる、ということになり、それどころか進んでその人の傍らに行って手をとって歩き出したのだから、われながらどうかしている。こんなふうに心よりも体が先に立って動き出してくれたなんて、わたしとしてはめったにないことだったのだ。
あのときのわたしは、よっぽど大きさに飢えていたのだろう。父がなくなって、母がおかしくなって以来、わたしには依りどころがなくなってしまったということばかりではなかった。それ以上に、つい先刻まで話し込んでいた母の主治医の、人間的な卑小さが目交(まなか)いにちらついて、ほとんど反射的になにか大きなものを求めていたのだった。
人が信仰に走るというのは、おなじような心の空隙を感じたときなのだろう。わたしの場合求めていたものはただただ大きさであり、安らぎだった。デュモンさんの大きさたるや、傍らに寄り添って立つと小柄なわたしはちょうど彼のわきの下におさまってしまう寸法なのだ。「神のみつばさの下に」。どこかで習いおぼえたことばがふっと甦った。デュモンさんはそんなひとだった。少なくともわたしにとっては。


きくところによると、祖父自身は完全な人工栄養児で、母乳をほとんど吸ったことがなかったという。当時の銘柄品だったらしいが、もっぱら鷲印のコンデンスミルクのおかげでどうにか人並みに育ったとのことだった。
いまではあまり用いられなくなった和製英語にスキンシップということばがあるけれど、一頃あのことばをきくたびに、わたしは反射的に祖父のことを思い出してしまったものだ。母の胸に抱かれてその母乳を吸ったことのない子、それが祖父だった。あのひとがひどく観念的だったのは、もしかしてそんな生い立ちも関係しているのかもしれない、と、こちらは聞きかじりの心理学の知識で思ったものだ。
甘えを許さぬ環境。それが祖父の作った家だった。べたべた付きまとうのは恥ずべきこと、はしたないこととして最も忌み斥けられた。
母はしかし、そんな家風のなかで男の子並みに厳しく育てられながら、その後知り合った男である夫のいささか過剰な愛情表現が、かならずしもいやではなかったらしい。二年間の留学を終えた父の帰国を待っていざ結婚してみて、あちら仕込みの父の身ごなしにある戸惑いを覚えながらも、次第に馴れていったというのが実情ではなかろうか。
わたしの記憶にあるかぎり、母はなるほど人前では多少はにかみながらも、やはり父に肩を抱かれればうれしそうにしていた。
父が欠けたことによってわが家から失われたものは、じつにこれだったのだ。


今の母に欠けているのは父のHUGだ。わたしの素人考えでは、それさえあればすべては解決する。ただしそれは父のでなくてはならない。だれもその代わりはつとめられない。残された唯一の家族であるわたしがどう足掻いてみても、この欠落は埋められるわけがない。
(下線は原文傍点)


大聖堂の広場にて
岡の上の町ではほとんど真横から夕日が当る。
甃(いしだたみ)にデュモンさんの影が長く伸びている。
わたしはわざと、彼の影の中に立つ。
デュモンさんは大きいので、こちらはまるごとすっぽり、彼の影の中につつみこまれてしまう。
わたしはいまのところ、影のない女、なのだ。
春の日差しは弱々しく、夕暮れとともにうすら寒さがしのび寄ってきたので、わたしはコオトの襟を立てながら、思わず影を避け、少しでも日に当たれるように西日の中へ歩み出す。
影は二つになり、わたしはデュモンさんの腕にすがる。
風が立ちはじめている。





この「湧きいづるモノたち」は作者の生前には発表されなかったようだ。
『受胎告知』が出版されたのは2002年11月。その年の5月に彼女は自死している。
「湧きいづるモノたち」の主人公である女性(娘)はデュモンさんという自分をHUGしてくれる相手を見つけることで生き延びることができた。
けれども、その母は、夫である男性のHUGによってしか救われることはない。

「母の心とからだをひらく鍵は、彼女にとっておそらく唯一の異性である父にのみ委ねられていたのだろう。それが墓場に持っていかれてしまったかぎり、もう母の常態に戻る日は二度とやってこないのだろうか。

「あたしの目下思いつく唯一の解決策は、そりゃお父さんだけよ。お父さんが生きかえって、もとのようにしっかりHUGしてあげること。それしかないのよ。でもそんなこと、はじめから不可能にきまっているものね。

彼女の母にとって、代替の効かない存在であった「夫」(とそのハグ)が失われたことは、そのまま、母の、少なくとも内面の、魂の死を意味する。



何かとても大切なものが失われたのちも、尚生き永らえることができる人たちがわたしには不思議でならない。

何故、「〇〇の存在しない世界」に、尚彼らは生きているのか?
なにかが永遠に失われてしまったことで、最早自分自身も生きてゆくことができないという気持ちは、わたしにはまったく自然の感情としてよくわかる。

わたし自身、今、失われた東京の廃墟の上を歩くことができないでいる。
そして母の死はそのままわたしの命の終焉を意味する。

これはあくまでわたしの勝手な想像だが、この生前未発表作品では、矢川澄子自身が、実はデュモンさんという存在と巡り合うことによって生き延びることが出来た「娘」ではなく、かけがえのない存在を失い、自失している母に自身を投影していたのではなかったか。

矢川澄子の自死の原因をわたしは知らない。けれども、この短編は、なにかが(誰かが)喪われたことで生きることができなくなった人を描いているという点で、今のわたしの心の中に自然と流れ込んでくる。

デュモンさん、と聞くと、わたしは反射的にシャルル・デュモンというシャンソン歌手を思い出す。一番印象深いのは、ピアフと歌った、「モン・デュー」「わたしの神よ」という歌だ。

なだいなだ氏がパリ滞在中にピアフが死に、パリじゅうの人が嘆き、悲しむ姿を見たと書いている。そして彼女の死にショックをうけたジャン・コクトーがピアフの死の数時間後に亡くなったとも。








2018年12月29日

「日本人のこと」本日も反省の色ナシ


なだいなだの『パパのおくりもの』(1965年)の中に「日本人のこと」という一文がある。名文である。誰に紹介するのでもなく、自分のために書き記しておく。



パパは日本人としてのお前たちの半分に(※なだいなだの妻はフランス人である)、一言だけ忠告をしておきたい。それは日本人の日本人に対する責任感である。
今ドイツで、戦争が終わって18年になるというのに、アウシュヴィッツで働いたドイツ人の裁判が行われ、その記事が毎日のように新聞にのっている。ドイツ人がドイツ人を裁いているのである。だが日本ではどうであったろう。戦争の反省を示すものとしては原水爆反対運動以外に何が見当るだろうか。戦争の罪の問題や意識はどこに行ってしまったのだろう。

今パリでは、「法皇」という題の芝居をやっている。これは戦争中、ピオ十二世が、ユダヤ人のナチによる虐殺の際に、それを知りながら、何故無言のままであったか、を問題にしている。無名の神父たちが、死を賭して、それに反抗していた事実もあるのに、法皇は最後まで、ドイツのカトリック教徒に対し、警告を発しなかった。ある者は、ピオ十二世が知らなかったと主張するし、沈黙には別の大きな理由があったのだとも言う。しかしパパは思う。ある地位にあっては、知らなかったこと、知ろうとしなかったことに責任を持たねばならぬ。ある地位がロボットを意味していることも確かにある。しかし、人間が自分の人間としての威厳に責任を持つ限り、ロボットになることを拒絶しなかった人間は、その責任を感じなければなるまい。

日本では戦後十数年して、戦争犯罪人として何年か巣鴨にいた人間が首相になった。
ドイツでは、最近も一人の大臣が、過去にナチに関係していた前歴があるというだけで、それが新聞にあばかれると、大臣をやめた。日本には、戦争の責任を知ろうとさえしない人間もいる。ここで戦争の責任というのは、外国に対する責任でない、自分自身、日本人自身に対する責任のことである。そして原子爆弾の責任のみを問題にする。原子爆弾も重大な問題ではある。しかし、自分自身の責任に厳しくなかった人間が、他人の責任の奥深くまでどうして立ち入ることができようか。戦争が終わった後、占領者が日本人を裁いたことがあっても、日本人はついに自分自身を裁こうとしなかった。他人の裁きが、どうして本人の良心に達し得ようか。罰は人間の肉体をくるしめても、心には達し得ない。
かくして、日本人は、被害者意識から抜け出し得ないのである。原水爆禁止運動が、この被害者意識の上に成り立ち、ある特定の国を非難するだけのものに終わり、人類の罪の意識の上に成り立たないのならば、それが世界的なもの、全人類的なものになることはないだろう。

日本人は戦争が終ると一億総懺悔と言った。実を言うとその時はもう、日本人は一億はいなかったのだけれども。そして、ざんげのあと、罪の意識はどこかへ行ってしまったようだ。ざんげ、罪の意識、その間に日本人の精神のすべての弱点がよこたわっていると言ったら、言いすぎであろうか。パパはお前たちに希望する。お前たち、半分が日本人であり、半分がフランス人であるもの、が、その間を埋めてほしいと。そうすることができたらパパは満足である。
(下線Takeo)
『なだいなだ全集第九巻』(1983年)


そしてこの文章が書かれて50年後、辺見庸は次のように記した。

九か国条約、パリ不戦条約をやぶって満州を侵略して中国大陸侵攻を一気に拡大、国際連盟から脱退、ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、「自存自衛」「大東亜の新秩序建設」のためと称して太平洋戦争に突っぱしり、おびただしい人びとを死にいたらしめた歴史を、すこしでも反省するどころか、南京大虐殺も従軍慰安婦の強制もなかった、極東軍事裁判はまちがいと否定するこの男の言のいったいどこを、信じるのか。
東条英機内閣の商工大臣や軍需次官をつとめ、戦犯被疑者として巣鴨拘置所に入所した岸信介の外孫は、ただいま戦争の亡霊を墓場からひきずりだすのにいそがしく、憲法9条を完全に破壊して日本を軍事強国化しようとしている。
[2015年2月9日付けブログより]




2018年12月28日

「今年よかったこと…」


わたしがこの1年間フォローしてきたブログのひとつに「こうストーリーズ」という、おそらくわたしと似たり寄ったりの年齢の女性の日記がある。

彼女の最近の二つの記事と、今の自分の気持ちを重ね合わせてみる。



2018年 12月 16日

今年のいいことって言ったって。


「今年のよいこと」というのが次回のエッセイ教室のお題である。

そんなことを言ったって・・・と思う。

娘が結婚した、子供が大学に合格した、孫が生まれた、ect.の出来事を書けというのだろうか。

わたしのいいことは、すべてが淡々と過ぎていったこと。
それだけ。

道端の草花や木々や、空に浮かぶ雲や、通り過ぎた赤んぼの髪の毛とか・・・。

そんなものにほっとするのが、また、ほっとする。

どうなるのかな、さっぱりわからない。



2018年 12月 22日

たぶん今年は。


やはり、今年はなにもなかったと。
どん底気分が続くことはなく
過去のことに思いが拘泥することもなく
先のことにやたら不安がることもなく

つまり、より、今のことに気持ちが向くようになったこと。

それが一番のことではなかったか・・・。

エッセイ教室の「今年のよかったこと」は
それになるのではないかと思う。




「今年よかったこと」・・・先日デイケアの体験参加の折に、スタッフが参加者に同じことを訊いていた。わたしは答えられなかった。

「自分が幸せではないと感じている者は、今免れている不幸を思ってみればいい」
たしかシオランがこんなことを言っていた。

わたしにとっての「幸福」や「よかったこと」は、まさにこの言葉の通りで、「いま免れている不幸」の上にしかない。
だから、今年は(も)なにもなかったということが、とりもなおさず、しあわせなのだ。

過去の事、そう。わたしは過去の事ばかり考えている。
過ぎ去った歳月が「いくつもの不幸を免れている」という意味以上の積極的な幸福を持っていたと言い切れる自信はないが、それでもやはり、確かに今よりもわたしは生きていた。

先のことは全く考えない。意識的に考えないようにしているのではなく、いまのわたしには過去と現在しかないのだ。
そのせいだろうか、もう何年もカレンダーというものを買っていない。

こうさんのように、今目の前に映し出されている
「道端の草花や木々や、空に浮かぶ雲や、通り過ぎた赤んぼの髪の毛」にほっとする、ということもない。外界はただわたしを消耗させる。そしてなによりもわたしが愛でることのできるものが、まだこの世界に残っていると思うことができない。

わたしにとって世界は「きらびやかな廃墟」だ。







2018年12月27日

「口ごたえ」の必要


一昨日だったか、一緒に行くはずだった辺見庸の講演のことについて母と話していた。

わたし:「辺見庸の講演もいいけど、そういう特別な人じゃなく、ごく普通の、そこら辺にいる学生や会社員、スーパーやコンビニなんかでアルバイトをしてる人たちの「講演」「お話し」を聴いてみたいな。どんな人だってなにも考えずに生きてるってことないもんね」

母:「昨日の新聞だったかな、暉峻淑子(てるおかいつこ)さんが、「対話の必要」について書いてたよ。『みんなが自由に話せる「対話」の場が、駅の数と同じくらい必要だ』って」

講演でも、対話の場でも、政治家や物書きではなく、一般の生活者たちが、日頃何を思い何を考えて生きているのかを知りたい。

例えば歩きながらスマーホを眺めている人に対して、脚を引っかける代わりに、是非講演をお願いしたい。地域の文化センターの会議室のような比較的大きな部屋で。
テーマは「わたしとスマーホ」或いは「わたしにしって便利さとは?」更に抽象度を上げて、「便利であるとはいかなることか?」
現に便利さの恩恵に浴しているどころか、便利じゃなければ生きられないくらいになっているのだから「俺 / 私には関係ない」テーマではないはずだ。

電車の向かいの席で揃ってスマーホに見入っている人たちを、一様に、「仇敵」と見做す前に、先ず彼らにとって「スマーホ」とは如何なる存在であるのか?それがあたかも病気の人にとっての酸素ボンベやペースメーカーのように、なぜ、いつでもどこでも手放すことができないのか?その辺りの事情を是非聞きたい。

それが納得できるものであれば、わたしは最早彼らを「敵」であるとは思わなくなるだろう。「知る(理解する)ということは、許すということだ」と、パスカルの言うように。

物書きや所謂文化人と呼ばれる人たちは、大勢の人の前で話すことに慣れているだろう。
けれども、そのような経験がなくても、誰でも自分の生き方、存在の在り方についての「考え方」 - ポリシー、(ライフ)スタイル、スタンスというものを持っているはずだ。
立て板に水でなくても、ボソボソでも、ぽつりぽつりでもいいから話を聴きたい。
辺見庸の講演会は2時間半で1500円。街の人たちなら、40分で500円くらいか。
話を聴くことができるなら、そのくらいの対価は払うつもりだ。

新聞によると、暉峻さんは、「若者や各地の住民グループらが集う場に足を運び「対話」の大切さを訴え続けている」という。そして「約8年前から、住まいのある東京都練馬区で会社員や主婦らと勉強会を続け、今年の秋、記録集を出版した」とある。
(この「記録集」についての詳細は書かれていないが、是非読んでみたい)



「作家」や「ブンカジン」だけが「語る人」で、「一般人」は常に聴く人であるという考え方はおかしい。誰もが語る人であり得る。繰り返すが「無意識に生きている人」など存在しない。全て人の行動の裏地には「何故」が貼り付いている。
何故安倍政権を支持するのか?何故天皇制を支持するのか?何故電子書籍を読むのか?
「何故」を言い換えれば「理由」である。Why? と尋ねれば、Because...と答えが返ってくるのが人間であるはずだ。



1967年に出版された、なだいなだの『片目の哲学』(副題「続パパのおくりもの」)というエッセイは、それぞれまだ十に満たない三人の娘たちに、なださん流「人生哲学」を語って好評を得た『パパのおくりもの』(1965年)の続編だが、その中に、「子供の口ごたえ」という一文がある。そこから一部を抜粋する

口ごたえというものは、子供が論理的な精神を学ぶために必要なもので、神様が人間を作ったのなら、まったくうまく作ったものだと思う。口ごたえというものをおしつぶしては、神の意に反する。
お前たちの生まれる前、日本の軍隊では口ごたえを許さなかった。絶対服従であった。それが強い軍隊を作った。それは確かなことかもしれない。これがお前たちのママの国フランスの軍隊だと、隊長が、
「前進せよ」
と命令すると、兵隊は、
「なぜ前進するのか」
と、なぜという言葉を発する。納得しないと進まない。だから軍隊が強くないのかもしれぬ。しかし、軍隊が強いだけでは国は亡ぶ。日本も国民がなぜと問いかえす精神を持ち続けていたら、そう、やすやすと、無謀な戦争などおっぱじめなかったかも知れないのだ。
口ごたえをされると、とてもわずらわしい。だが、自分にはわずらわしくとも、社会全体としてはそれが必要なものであることをおぼえておいて、寛容であるべきだ。

口ごたえとは、何故「わたしは」こういうことをした(する)のか?「わたしは」何故こう考えるのか?ということを伝えることだ。或いは自分はそう思う(思わない)という自己の立場の表明だ。

この口ごたえの姿勢こそ、暉峻さんの言葉を借りれば、「民主主義の足腰を強くする」「対話」だろう。
「わたし」不在=「以下同文」の民主主義などあろうはずがないのだから。

「スマーホ憎し」でキミたちを「スマーホ馬鹿」と罵るこのわたしに、誰か、緻密に、論理的に「口ごたえ」してくれないか・・・








2018年12月26日

Kさんへ


こんばんは、Kさん。

娘さん、大変でしたね。大事に至らず何よりでした。年末年始など、連休の折に体調を崩すと、ほとんどの医療機関が休みなので困ります。
自分だけではなく、家族に持病を持つ人、日頃から体調のすぐれない人などは、(わたしも含め)長期の休みはほんとうに不安です。

先日デイケア参加の最後の手続きとして、病院の医師の診察を受けました。
といっても、わたしには他のクリニックに主治医がいますので、あくまでも形式的なものでした。

待合室では、正面に大きな(?)テレビがあって、知らないタレントがべらべらと喋っていて、30分ほどの待ち時間ですが、すっかり疲れてしまいました。
精神科の待合室にテレビがあること、それも音を消していないことに今更ながら驚きます。

デイケアは、殆どが統合失調症の患者さんのようです。
病んだ人、弱い人(そしてこう言ってよければ「壊れてしまった人」・・・)の中にいると、仮に言葉をほとんど交わすことが無くとも、なんとなく安心します。
彼らのもつ包容力というものは不思議なものですね。

昨夜は教会でしたか。やはりクリスマスは教会ですね。

むかしのノートをめくっていたら、こんな言葉を見つけました。

「鳩飛び立てども羽根休めるところなくまた船に還る」

正確ではないかもしれませんが、障害を持った子供が生まれてきたが、この世に羽を休める場所を見出すことができず、また船(天)へ還るという言葉です。聖書の一節のようです。

相模原の事件を元にした小説『月』出版に合わせた辺見庸の講演会には結局行きませんでした。

Kさんもお身体ご自愛の上、平穏な年末をお迎えください。

またお会いできる日をたのしみに。

武雄

2018年12月25日

廃墟にて


今年もいろいろな扉が閉ざされていった

もう二度と開かれることのないいくつもの扉

仮に開くことができても、そこには最早昔の風景はない

わたしに開かれた扉はまだあるのだろうか

わずかにのこされたそれらが閉じられたとき

わたしも静かに自分の扉を閉じる



Softly As I Leave You There. Frank Sinatra. 

「ソフトリー・アズ・アイ・リーヴ・ユー」わたしはシナトラのヴァージョンが好きですが。エルヴィスやアンディ・ウィリアムス、マット・モンローという人たちも歌っています。

実話に基いた歌で、死の時を迎えた男が、彼のベッドサイドで眠る妻を見つめながら、
「きみが目覚める前にぼくは往くよ・・・さようなら・・・」そんな別れを惜しむ気持ちを綴ったノートを元に作られた歌です。


Softly, I will leave you softly
For my heart would break if you should wake and see me go
So I leave you softly, long before you miss me
Long before your arms can beg me stay
For one more hour or one more day
After all the years, I cant bear the tears to fall
So, softly as I leave you there

(softly, long before you kiss me)
(long before your arms can beg me stay)
(for one more hour) or one more day
After all the years, I cant bear the tears to fall
So, softly as I leave you there
As I leave I you there
As I leave I you there















Merry Christmas xo



Little Girl Looking Downstairs at Christmas Party, Norman Rockwell. (1894 - 1978)
「階段の上からクリスマス・パーティーの様子を眺める少女」ー ノーマン・ロックウェル


The Littlest Angel - Bing Crosby.




今話す言葉(Hとの対話)2


ヒトという種の主体意識は、すでにボロボロに解体され、守るべき規範など、権力者はあるかのように言うけれども、すでにまったくどこにもないことは、クソのような脳みその権力者だって承知している。ヒトはたんに現象であり、もはや本質ではない。まがりなりにもまともな脳みそというものをもった者は、とうに狂っているか、いわゆる正気よりも、狂気を肯定している。

と辺見庸は書いている。

「まがりなりにもまともな脳みそというものをもった者は、とうに狂っているか、いわゆる正気よりも、狂気を肯定している。」

ではそのような者に対して、また

いかなることともうまく折り合いをつけられない」

者に対して、いったい如何なる言葉が有効だろう?

自(おの)ずから病むことによって病んだ世界から辛うじて逃避し身を守っている者たち。それゆえ一切の世俗的な励ましや元気づけが悉く無効無意味である者たちに対して、果たしていかなる言葉、いかなる思想を届けることができるのか?
「病むこと」「狂うこと」そして「死ぬこと」・・・つまり「逃げること」以外に、われわれを「この世界から護ってくれる」言葉とは?思想とは?

嘗て彼の若き友人であった「確定死刑囚」(2017年死刑執行)に向かって彼が言い得たことは、つまるところ、「ワタシハ、イツデモ、キミノトモダチダ・・・」ということ以外にはなかったのではないだろうか?
そして透明の隔壁越しには不可能であっても、出来得るなら彼を抱きしめてあげること。

究極まで押し進めてゆけば、「いかなる言葉も無力」だという結論に至るだろう。



彼が、グズりながらも、結局は講演を行ったということにわたしは拘る。
講演をしたことで、彼が得たものとは何か?そして何を失ったのか?
最終的に彼が選び、そして捨てたものとは何だったのか?

断れば以後一切本の出版ができなくなる、というのなら、インターネットで発信すればよいではないか。少なくとも、この先生きている間、金の心配はないはずだ。

講演では「行旅死亡人」(こうりょしぼうにん)=「行き倒れ」「野垂れ死に」(広辞苑より)についても話したらしいが、講演会で、安くない謝礼をもらって、「野垂れ死に」について話すよりも、商売の具にされることを毅然として拒否し、その上で、「野垂れ死に」「行き倒れ」たほうが、本来の辺見庸ではないのか?
「野晒しを心に風のしむ身かな」芭蕉の句を思い出す。
いま必要なのは、壇上机上の賢しらな言葉たちよりも、温もりのある「抱擁」であり、心に覚悟の「野垂れ死に」といった、「身体を伴った思想」以外の何ものでもないのではないか・・・

それとも、「フーテンの寅さん」と「俳優渥美清」が別物であり、「庶民の代表」のように見られていた「寅さん」≠渥美清が、国から「国民栄誉賞」を授かった事例に倣って、
「作家辺見庸」と、生身の人間辺見庸は同一ではないと?

モノを書くことを商売にするというのは卑しいことだな。
「ナニモノカ」を演ずることとは・・・

「手紙や内的日記の類こそ、文学の領域で贋物から最も遠くにあるもの」と嘗てエミール・シオランが記したことをふと思う・・・









2018年12月24日

ザ・ナイト・ビフォー・クリスマス


'Twas the Night Before Christmas - Steve Lawrence




今話す言葉…(Hとの対話)


18日火曜日に新宿紀伊国屋ホールで行われた辺見庸の講演会には結局行かなかった。
後悔はない。今の状態では、仮に往復特急(指定席)を使っても、ここから新宿まで行く(そして講演を聞いて帰ってくる)体力はない。

少しづつだが、確かに、日頃わたしが自分を「狂人」と称しているそれとは別の、本物の、病としての(例えば「統合失調症」)狂気がこの身を蝕んでいるのを感じる。
誰とも(文字通り誰とも)通じ合えないという感覚は日増しに強くなっている。唯一の味方のように考えていた母とも通じていない。「母は実はわたしを疎んじているのではないか・・・」という思いに囚われるようになった。

今後母をも含めて、「他者」との隔たりは目に見えて広がるだろう。
ツェランではないが、
「彼らはわたしを愛さなかった。そしてわたしも彼らを愛さなかった」という状況が、のっぴきならない世界との断絶として立ち現れてくるだろう。「世界」は、そして「他者」は、わたしの目に悉く「敵」として映るだろう。



もし仮に、18日の講演会に行って、質疑応答の時間があり、発言のチャンスがあれば、
何をおいても訊きたかったのは、『月』という障害者の殺戮をテーマにした小説を書き上げる際に感じたであろう「痛み」。そして、この本に込められているであろう「悼み」と、「会場での著者によるサイン本即売会」とは、あなたの中で、どのような地平で地続きなのか?と・・・

ここのところ彼のブログを見ていなかった。日頃散々悪態をついている朝日新聞のインタヴューに笑顔で応えている記事を見てから。
「無節操」・・・それになんだかうれしそうである。
いざという時に本の売り上げに一役買ってもらうのなら、日頃悪態など吐かぬことだ。
サイン本即売会などやるのなら、「万物の商品化」だのと「資本」を敵に回すような発言はしないことだ。

『月』はまだ読んでいない。図書館でも人気があるようで、わたしは「予約」が入っているような「人気の本」は読まないことにしている。



昨夜、見切りをつけるつもりで、最早何の思い入れもなく、彼のブログを開いた。
どうせ講演会が盛況のうちに終わってホッとしたとか、遠方から、また寒い中来てくれた皆さんありがとうとか、そんなところだろうと・・・


2018年12月17日(講演の前日)

気持ち悪さ

◎明日の講演について


明日の夕、新宿紀伊國屋ホールにあつまってくれる友よ。いかなること
ともうまく折り合いをつけられない友人たちのために、ぼくは言わなくて
もよいことを、ぶつぶつと言うだろう。


たとえば、「行旅死亡人」のこと。その可能性。その消息。失われた
その風景。
その言葉のアルカイックなひびきについて。また、次第に
うすれゆく善と悪の境界について。「気持ち悪さ」について。そう、この
「気持ち悪さ」とはなにか? 


そして講演の4日前

2018年12月14日

マッド

◎『月』と狂人


昨夜、吠えた。醜く。身障老人がキレると手がつけられない。
キレたほうが加害者、どなられているほうが被害者ということ
になる。
醜怪。目もあてられない。犬に訊く。犬いわく。「あ
んたがわるい・・・だれの目にも」

マカデミアナッツ1とユンケル2もろて帰る。ユンケルくれたひ
との体臭をかすかに知っている気がする。マカデミアナッツは
知らない。どうでもいい。やつらは商売、こちらは喧嘩。常在
喧嘩だ。

吠えるときは、はったりじゃダメ。本気でやる。死ぬ気、殺す気
で。どんなブタでも、いつ反撃に転じないともかぎらない。忘れ
ないこった。200冊サインさせられた。


歩けないと不便だ。憤然として席を蹴るということができない。
老健にいくしかない。老健でニューステップするしかない。
あと、平行棒。着座体操。ストレッチ。

折り合えなくなった。まったく。講演はする気がなくなった。
すこしも。『月』は好きな小説だ。が、しかたがない。
主催者は辞表をださなければならないという。なら、だせばいい。


こちらはとっくに辞表をだしている。世界に辞表をだしている。
意地汚いやつらの商売につきあってやる必要はない。


彼の中の苦しい葛藤が窺われる。
しかしそれでも講演を行った。それは果たして彼にとって、またわたしにとってよかったのだろうかという疑問が残る。
正直な気持ちを言えば、講演は中止してほしかった。
それが「いかなるものとも折り合うことのできないわたし」にとっては大きな励ましのメッセージになり得ただろう。どうしても折り合えないものには敢然と背を向ける、という態度を示すことによって・・・


そして12月12日の記事がいかにも辺見庸らしい。


2018年12月12日

ねえ、あんた

◎着座ラジオ体操で


「ねえ、あんた、あんた・・・」。総合着座ラジオ体操の最中に
横から声をかけられる。頬のこけた老女。落ちくぼんだ目。
かわいた牡蛎。痩せた手がまねいている。わたしを。「ねえ、
あんたあ・・・」

みえなかったふりをする。聞こえぬふり。老女、車椅子からまた
手まねき。ささやくように「ねえ、あんたあ・・・」。知らぬふり。
でも、みている。呼びかけてくる。「お父さん・・・」。「ねえ、
お父さん・・・」

わたし、口のなかで、むむむと言う。「お父さん・・・」。すがるよう
に。執拗に。「ねえ、お父さん・・・」。「むむむ・・・」。指導員の
声。「××さん、お父さんはいないでしょ?」

入れ歯が合わなくなっているのだろう、小さくカタカタと音が
する。「ねえ、お父さんてば・・・もう帰ろ・・・」。「うん・・・」と
小声で応じる。境界はない。もう帰ろうか、とおもう。

インストラクターがくる。いっしょにマシーンにむかう。背中が
聞く。「ねえ、お父さん・・・」


何故か目頭が熱くなる。
この文章がわたしの知っている、わたしの好きな辺見庸だ。

「喜怒哀楽」── 「哀しみ」と「怒り」を知る者のみがわたしの味方だ。
「喜び」「楽しむ」人たちは、未だ「敵」ではないにせよ、所詮わたしとは縁なき衆生だ・・・



ー追記ー

上記に書かれている「行旅死亡人」とはなんだろう?聞いたことのない言葉だ。
けれどもわたしはここで「ケンサク」はしない。いずれわかる時が来るかもしれない。

嘗て辺見はこのように書いた。


「Amazonには、どんな美辞麗句をつらねようとも、市場原理と資本の運動(カネモウケ)以外のなにものもない。そのAmazonとどうようにやっかいなのは、Wikipediaというシロモノだ。最近の新聞記者や編集者は足をつかう取材はさっぱりで、のべつGoogleとWikipediaと首っ引きというからおはなしにならない。これもコビト情報で、わたしは不快だからまだみてもいないが、Wikipediaにはわたしにかんする項目もあり、「日本の小説家、左翼運動家、ジャーナリスト、詩人」という肩書きになっているらしい。このうち「左翼運動家」というのは何者かが最近になって、おそらくなんらかの悪意をもってくわえた、新しい「身分」であり、まことに迷惑である。わたしはブログで首相Aを「ケツメド」と書いた作家であり、その事実をかくす気もない。変人といわれようが奇人とよばれようがかまいはしないが、「左翼運動家」ではない。首相Aを「ケツメド」とののしるからには「左翼運動家」にちがいないと断じたのだとしたら、「左翼運動家」の定義(definition)も知らない者の仕業か、例によって例のごとしのネット荒らしだろう。管見では、「左翼運動家」というのは、一国の首相をつかまえて「ケツメド」などと下品に侮蔑するのはマルクス・レーニン主義に反すると自己批判をせまるような、ごくつまらない心的機制のもちぬし(ゆえに、アナザー「ケツメド」)なのである。だいたい、わたしは略歴その他をWikipediaに載せてほしいと依頼したことも、載せてもよいかとWikipediaから問われたこともないのだ。出版社からの年譜の作成依頼さえことわっているわたしがネットに自己紹介をするわけもない。だいいち、Wikipedia所載のわたしの略歴その他はまちがいだらけであり、とてもではないが引用にたえるものではない。全文削除してほしい。けれど、どうすれば削除できるか、調べるのもわずらわしい。まちがいだらけの略歴を載せたのはわたしではないのに、修正、削除のために時間をさくのもばからしい。」


フランス文学者の鹿島茂も、最近の校閲はウィキペディアに頼りっきりで、事に外国文学に関する事柄は間違いが多くて仕方がないとぼやいていた。

全てがお手軽になった、そしてすべてが嘘になり、虚ろになってゆく。











2018年12月23日

「痛い」言葉たち(私的言語論)


昨日の事。とあるサイトでの質疑応答で、わたしは「その人」の自信に満ちた口調(文体)が「痛い」と言った。

すると彼は、

「言葉を聞いて、それが痛いとか心地いいとか、明晰だとかあやふやだとか言っている間はその内実は聴こえない。
その人が何を言わんとしているのかを知るべきであって、耳触りの良さを求めて言葉を使うならば、それでは言葉を使う事の本質を離れてしまう。人の言葉には意味がある。コミュニケーションはそれを知るための手段に過ぎない。

拙い言葉でもその意味する所を汲み取る人には功がある。巧みな言葉でも、巧みさに注目してその意味を汲み取らないならば、彼の耳は機能していない。

外見を愛でるだけで、使われない道具のようなものである。」

という返事を寄越した。

これを読んで、わたしには「彼」が、なぜそこまで自信に満ちているのか、
なぜそこまでの自説への強い確信と自己肯定感が持てるのか?それが不思議でならなかった。
「ひょっとして自分は間違っているのではないか?」という逡巡、自省、自己懐疑はまるで見られない。

「彼」の(また数多いる「彼ら」の)「自信」を支えているものはいったい何なのか?

辺見庸の「健常であることの避けようのない暴力性」という言葉を思う。


「文化」とは「気遣い」である。それは「思い遣り」である。そして文化とは、単に何かが語られているという場所に留まることなく、あることが「どのように」語られているかということを賞味する。
寧ろ比重は「何が」よりも「如何にして」の方に置かれるだろう。

「言葉」=「意味」のみならず、絵画であっても、写真であっても、また音楽であっても、なにがどのように描かれ、また写され、奏でられているか。その様式、または方法(技法)が芸術を「美」の形態たらしめている。

「彼」の言葉に従えば、食事は腹を満たすためのものであって、それが盛られているのが、プラスチックの皿であろうが、所々へこんだアルミの椀であろうがそんなことは問題ではない。
本質は「飯」であり「菜」であるということになる。

わたしは「巧言令色」を良しとしているのではない。同様に滞りがちの訥弁を愛する。
けれどもそれは、彼の話の「中身」がどうこうということでは全くなく、訥弁に巧言と対置し得る「様式美」を見出すからだ。更にまた、話の内容は二義的なもので、ぎこちなく訥々と話そう、伝えようという姿こそ、わたしにとって最も大事な「中身」なのだ。

意味を読み取ることにのみ専心して、表現(形式)の流麗さに酔えない者は、正に鹿を負って森の木々の美しさを見過ごす者であり、自らの心に遮眼帯を施すことに等しい。

そして「使う」ことと同じく、否、それ以上に、「愛でる」こと。それが「文化」なのだ。

わたしには「使える」〔Useful〕ことよりも「愛で得る」〔Lovable〕ことがより大事なのだ・・・







2018年12月22日

人と人との間…


「人と人とがわかり合うということ」

「人と人・・・」これは「自己」と「他者」という「別個の存在」が前提とされる。
それはつまり「わたし」は「あなた」ではないということ。
そのような前提があって初めて、ではその異なるもの同士がわかりあう、通じ合うというのはどのような状態か?という問いかけが発せられる。

いまのわたしの心理状態で「わたしではないあなた」と「あなたではないわたし」が相通じ合う状態とは、おそらく、「言語」(的コミュニケーション)の次元ではないような気がする。

逆に言えば、「互いが言葉を必要としない状態」こそ、通じ合っている状態なのではないかと。

それが矢川澄子のいう〔HUG〕なのか、ふたりでだまって向かい合っている(或いは隣り合っている)ことなのか、それはわからない。けれども今のわたしには、言葉では決して充たされることのない欠乏感、飢餓感がある。

「完全なよろこびは、よろこびの感じそのものすらも必要としない。なぜなら、対象によってすっかり満たされたたましいの中には、<わたし>とことさらにいう余地はどこにもないからである。」
ー シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』田辺保訳 
(Simone Weil - La Pesanteur et la Gr ce 1947) 

いまわたしに必要なのは、人と人との「距離(隔たり)」を、限りなく〔0〕に近づける「何か」なのだ。しかしわたしが問題としているのは、あくまでも、「人と人」との関係である。

わたしは「神」を語ってはいない。何故なら「信仰」とは「わたし」が「あなた」になること。「わたし」が「あなた」と同化することに他ならないのだから。

とは言え、

「私たちがどれほど遠く信仰から離れ去っていようとも、話相手として神しか想定できぬ瞬間というのはあるものだ。そのとき、神以外の誰かに向かって話しかけるのは、不可能とも狂気の沙汰とも思われる。
孤独は、その極限にまで達すると、ある種の会話形式を、それ自体極限的な対話の形を求めるものである。」

というシオランの言葉もまた事実なのだ・・・













2018年12月21日

人とのわかり合えなさ


人との通じ合えなさとは何に因るのか?

人と(話が、気持ちが)通じ合うというのは如何なることか?

彼との通じ合えなさ、また他の誰某との通じ合えなさ。

誰とも通じ合えないという感じ。

この感覚(或いは事実)は何に起因するのか?


わが病
その因るところ深く且つ遠きを思ふ
目を閉じて思ふ 
ー石川啄木『一握の砂』より




2018年12月20日

心の空隙を埋める者…



だれでもいい、自分よりたしかに大きなものの胸にかかえこまれること。つまり力づよくHUGされること。
死すべき人の身にとって、かりそめにも安らぎというものがありうるとすれば、こうした抱擁【ハグ】をおいて他にないのではなかろうか。相手は何であれ、ともかく頼り甲斐のある大きな存在であってくれればよい。人間が神様などという超越者をつくりあげたのも、つまりはそのためではなかったか。

ー 矢川澄子「湧きいづるモノたち」『受胎告知』より(2002年)







「何か困っていることはありますか?」


今日は弟の今年最後のクリニックの日だったようだ、だからだろうか、主治医から、「今何か困ってる事ありますか?」と訊かれたらしい。弟は「いえ・・・特に・・・」と答えたそうだが、仮にわたしが今、精神科医に限らず、誰かに同じことを訊かれたら、はたして何と答えるだろう。

解決可能かどうかは別にして、今わたしが切実に困っていることは・・・

● 人と言葉が通じないこと。
これだけでは流石になんのことかわからないだろう。
つまり、「自分と似た人がいない」ということ。
「自分と同じ価値観を持った人がいない」ということ。

これまでは、かつて主治医が言った「Takeoさんと話の通じる人は1000人にひとり」という言葉を、それほど深刻に受け留めてこなかった。けれども今はこの言葉が現実の重さを持ってわたしを押し潰そうとしている。

わたしは「言葉を発する唖者」のように誰とも言葉が通じ合うことが無い。


●「今・現在」とどうしても折り合えないこと。言い換えれば、わたしの時代はとうに終わっているのに、いまだ生き永らえているということから来る様々な不都合。
ex スマートフォンを持った者たちを、自分と同じ、血と肉と感情をもった人間生体=「生き物」と思えないこと。優介さんの言うように、「スマート」フォンを持ちながら、その背後に本来的に「みっともない」「不細工な」人間的生活があるとはどうしても思えないこと。電話の音声ガイダンスが神経を逆撫ですること等・・・)


誰とも通じ合えず、世界と折り合うことができない。(そして逃避する場所も、人も存在しないこと・・・)
これが「今困っていること」


◇      ◇

  
「自分が現にあるとおりの者であるゆえに自殺するのはよい。だが、全人類が顔に唾を吐きかけてきたからといって、自殺すべきではない。」
と、シオランは言う。ー E. M. シオラン『生誕の災厄』出口裕弘訳 (1976年)

確かに全人類が「敵」だからといって、「彼」が(邪)悪であることの証しにはならない。寧ろ「正義」は彼の側にあるのかもしれない。しかし現実に、世界に唯の一人も・・・文字通りひとりの味方もなく、人は生きてゆくことが可能だろうか・・・

わたしは「正しい者」であろうとは思わない。そのために命を賭けてもいいという「主義」も持ってはいない。けれども「自分が現にあるとおりの者であるゆえに世界が唾を吐きかけてくる」時、わたしは自分に殉じる他はない。









2018年12月19日

ザ・クリスマス・ソング


Meissen in Winter, 1854, Ernst Ferdinand Oehme. Germany (1797 - 1855)


The Christmas Song - Mel Torme and Judy Garland

ナット・キング・コールで有名な「ザ・クリスマス・ソング」の作者メル・トーメとジュディ・ガーランドのデュエットです。



昔話した言葉…(Hさんとの対話)2


こんばんはHさん。

「読書」ということですが、私ほど本を読まない人間はちょっと稀なんじゃないでしょうか。

そうですね、20代の頃までは「人並み」に(あくまで人並み以上ではありません)
読んでいたようですが、もう10年以上本を読んでいません。
読んでもせいぜい2年に1冊とか・・・

「読書」ということに限らず、活字が苦手なんですね。
ですから新聞も読みませんし、雑誌、週刊誌の類も手に取ることはありません。

常々、わたしの弱さ、弱点は「本を読まないこと」に発するのだろうと薄々感じていはいるのです。
良書を読むということは人間にとって絶対に必要なことですからね。

しかしまた一方で、これほど読書人口が多いにも関わらず、あまりそれが世間の人間の質に反映されているという感じを持てません。

無論読書を「修身」「徳育」の道具とみなしているわけではありません。
わたしの考える読書とは、寧ろ常識や通俗モラルや、ありきたりで深い検証を経ない価値観を揺さぶり、覆すほどの・・・ある種の危険物・・・という意識があります。

目先の現実や既成の価値観、既成事実を追認、補強するものであれば、読書の意味などないと言いたい気持ちです。

読書の醍醐味は、武術の達人に、ものの見事に畳に身を叩きつけられ、脳天に真一文字に打ち込まれる・・・そんな快感を味わえるものだという思いもあります。

また読書人口の割に、
人間(ヒト)の「機微」に疎い世の中であるナァという感じも強く受けます。

ヒトの心の機微を知るに読書に勝るものはないのですが・・・

私自身いつになったら本読むヒトになれるのかという感じです。

「読書というものをもっと気楽に考えれば・・・」というご指摘も予想されますが、

これは読書というものに、敷居が鴨居という感覚を抱いていない人には、やはり理解しづらいものなのでしょう・・・

みなさん、今年もよい読書をなさってください・・・

え?映画好き?「芝居は無筆の早学問」

お粗末・・・

Posted by BLUE_MOON at 2008年01月04日 17:26



BLUE_MOON さん、こんばんは。

お若い時にはそれなりに読書されていたわけで、本嫌いということではなさそうですね。
私も年代によってジャンルの変化はあるかなあという気はしますが、小学生が趣味は読書と言う以上に親しんでいるわけではありません。
Mさんなどは、私が後ずさりするような大著にも果敢にチャレンジしていくタイプらしく、件の哲学カテでの回答をご覧になればBLUE_MOON さんもそれは納得されることでしょう。

私も一時期殆んど読まない時期がありました。(今にしても日に数ページほどですが)
私が読書に求めるものはただひとつ、面白さです。
何を面白いと思うかはその時々で違いますが、今は専らミステリー系ですね。
業界主導の評価を信用して落胆する時期は卒業しましたが、その中で本当に面白いものと出会える喜びはあるようです。
「敷居が鴨居」というのは非常に面白い表現ですね。
う~む。実に気に入った!感動した!(古い?)
というぐらいの、人間心理を巧みに捉えた表現ではありませんか。
機会があれば絶対使ってみるぞ、と固く決心したところです。
いずれにせよ、BLUE_MOON さんの芸術全般に関する造詣の深さには感心します。
また、色々教えてくださいね。

蛇足ですが、読書人口が多いと言ったって、芸能人の世迷言が(しかも相当の高確率で)ベストセラーになるご時勢ですよ。
何らかの因果関係が存するとして、論ずるほどの意味がそれにあるはずもないでしょう。

芝居がお好きなんですか。
私はテレビで見た杉村春子の桜の園ぐらいしか知りませんけど、面白いと思うことも案外ありますよ。
あれは、チェーホフの戯曲が好きなのでたまたま見ただけなんですけどね。
かもめも見たような気はしますが忘れました。
BLUE_MOON さんの好きなこと、これからも教えていただけると嬉しいです。
それでは、良い年でありますように!
 
Posted by hakobulu at 2008年01月04日 20:13



Hさんがミステリーをお好みとは。
これまた意外というか・・・

いや、拓郎の時もそうでしたが、なんとなく、
学究の徒という勝手なイメージを抱いているものですから・・・

私はJ・Jこと植草甚一氏や殿山泰司さんなんかに憧れるんです(笑)

JAZZと映画とミステリー・・・
ジャズと映画はマァマァこなしていますが、
読書がネックです・・・

私のアートへの感性は、今つきあっている友人の影響が大きいです。

お芝居は、彼女はほんとにいろいろ観ていますが、私は20代の頃、マイナーな劇団の幾つかを観たくらいで・・・門外漢です。

私はもっぱら映画派です。

チェーホフがお好きなんですね。
Hさんらしいという気がします・・・
(根拠はありませんが)

ドストエフスキーやトルストイとなるとさすがに聳え立つ山という感じで身構えてしまうところですが、チェーホフやツルゲーネフなどは、ちょっとした散策の小路といった風情です・・・
短くて味のあるものが好きですね。

Hさんのお薦めのミステリーなどもお聞きしたいところですが、聞いても無駄です(笑)
私はたとえ誰であっても人から薦められて観たり聴いたり読んだりは出来ないんです。

だからいつも遠回りですけど・・・
自分の中でそこに辿り着く道のりを経ないとダメみたいです・・・

・・・おっしゃる通り、本を読むのは楽しいから以外にありませんね。

それで人間が豊かになり心が潤えば一石二鳥ですね。

Posted by BLUE_MOON at 2008年01月05日 02:51



BLUE_MOON さん、こんにちは。
今年の北海道は雪が少なくて助かります。
そのうちまとめてドカッと来るのでしょうが・・。

>お薦めのミステリーなどもお聞きしたいところですが、聞いても無駄です(笑)
:ヨカッタ~、ビンゴ。(^^;)
実は2、3お勧めしようと思ったのですが、虫の知らせか、「ま、やめとくほうがいいだろうな、多分」という心理状態になりまして・・。

>私はもっぱら映画派です。
:映画館で見ることはまずありませんが、私も映画は好きです。
本と似ていますが、見てみなければ良し悪しが不明という点が困ります。
しかし、世の中どうしてつまらない本や映画のほうが多いんでしょうね。^^;
仕方ないっちゃー仕方ないんですが、時間を無駄にしたような気がしますよね。
BLUE_MOON さんあたりはそのへんの勘のようなものが働くんだろうなあ、という気はしますけども。
お勧めの映画ありましたらぜひ教えてください。
(私はゲオかツタヤ専門です)

>私はたとえ誰であっても人から薦められて観たり聴いたり読んだりは出来ないんです。
:これもわかるような気がしますよ。
私の場合は、ベストセラーとか、巷で大人気となると、もうそれだけで見る気がしなくなります。
お互いひねくれ者でしょうかね。^^;

訪れていただきありがとうございます。
またぜひお越しください。

Posted by hakobulu at 2008年01月05日 14:27



Hさん、こんばんは。

>しかし、世の中どうしてつまらない本や映画のほうが多いんでしょうね。^^;
仕方ないっちゃー仕方ないんですが、時間を無駄にしたような気がしますよね。

・・・漱石の随筆の中にこういう個所があります・・・

「病中の日記を検べてみると、『午前、ジェームスを読み終える。よい本を読んだと思う』と認めてある。名前や標題に欺されて下らない本を読んだ時ほど残念なことはない。この日記は正にこの裏を言ったものである」

いわんや我々凡夫に於いてをや・・・です。

>BLUE_MOON さんあたりはそのへんの勘のようなものが働くんだろうなあ、という気はしますけども。

そうですね。
昔、本を読んでいた時など、不思議と疑問に感じている事に関する答えやヒントになるような言葉や一節に出会うということが度々ありました。
こういうのは映画でも同じようで、親しんでいる世界では不思議とそういう予定調和のようなものがあるようです。

芥川がその辺を(心理的?)に言っています
「我々が歯医者の看板を見つけるのは目ではなく、我々の歯痛である」と。

>お勧めの映画ありましたらぜひ教えてください。

なんだか自分の趣味の押し売りみたいになってしまうかもしれませんので控えめに(苦笑)
何しろこういう話題をさせれば歯止めが利きませんからね(笑)

非常に無難なところですが、
今私がはまってるのは『刑事コロンボ』シリーズです。昨年から図書館でとっかえひっかえです。シリーズ全22巻(DVD1枚に2話)

勿論私も昔NHKで放送された時にリアルタイムで観ていましたが、見直すとまたいいもんです。何と言ってもこれは小池朝雄さんの吹替えでないといけません。
先ずお薦め(笑)

あとは、良質の人間ドラマなら、
英国のマイク・リー監督の『人生は、時々晴れ』をお薦めします。
クラシックで必見なのは、もうご覧になられたことがあるかとも思いますがフランク・キャプラ監督の作品・・・『オペラ・ハット』『スミス都へ行』『或る夜の出来事』もお薦めですがやはり『素晴らしき哉、人生』でしょう。(多分もうご存知かと思います)

好きな映画と言われれば洋邦それぞれ50本はその場で挙げられます( ̄^ ̄)ふふ!

>私の場合は、ベストセラーとか、巷で大人気となると、もうそれだけで見る気がしなくなります。

ご同様(笑)
本でも映画でも音楽でも、一生かかっても食い潰すことの出来ない遺産が既にあるのにという感じでいます。

そういう意味では私は頗るConservativeでしょうかね(苦笑)


今日はちょっとペダンチックに(苦笑)

Posted by BLUE_MOON at 2008年01月08日 03:09



BLUE_MOON さん、こんばんは。

漱石はいいですね。ありきたりですが、あの朴訥としていながら妙に勘所を掴んだ表現が、本来の和食という感じでどうしても捨てきれません。
コロンボですか。そういえばあの独特の声、思い出しますねえ。小池朝雄さんと言う方でしたか。
一時はテレビで物足りなくて、文庫でも全巻そろえたことがあります。
読み終わってすぐ古本屋行きになりましたが。(^^;
あれはドラマに限ります。

『人生は、時々晴れ』
『オペラ・ハット』
『スミス都へ行く』
『或る夜の出来事』
『素晴らしき哉、人生』
ですね。
タイトルを知らない映画は多いので見たことがあるのも含まれているかもしれませんが、今のところ内容の思い浮かぶものはありません。
いずれにせよBLUE_MOON さんのお勧めとあっては何度見ても損はしないでしょう。
そのうちぜひ見ます。
これで楽しみがひとつ増えました。

「ペダンチック」というのは今調べてみたら「学識をひけらかす」といったような意味でお使いでしたか?
軽い揶揄のおつもりでしょうが、そんな雰囲気は微塵も感じられませんよ。
生き生きとしていて大変清々しい印象を受けました。
まためぼしいものがあったら教えてください。

Posted by hakobulu at 2008年01月08日 23:32



今日もまた2008年初頭のHさんとのやり取りから。

人はともかく、わたしはどのようなことにせよ変わることは無いと思っていたが、
上の
読書の醍醐味は、武術の達人に、ものの見事に畳に身を叩きつけられ、脳天に真一文字に打ち込まれる・・・そんな快感を味わえるものだという思いもあります。
というような考えは今は持っていないし、Hさんに紹介した映画がフランク・キャプラだなんて・・・懐かしい。もちろんこれらのキャプラ作品は「古典」と呼ばれるにふさわしい
名作ばかりだが、結局最後には、それまで孤立無援だった「正義」と「愛」の主人公が、その信念に相応しい勝利と愛を手にするという、いかにもアメリカ的な筋書きが、捻くれ者のわたしには最早合わなくなっている。

ところで、『素晴らしき哉、人生』は、アメリカではクリスマスに『34丁目の奇蹟』と共に家族そろって観た映画だと言うが、今でもそうなのだろうか?
『34丁目の奇蹟』は幼いナタリー・ウッドが出演しているお伽噺で、「サンタクロースはいる!」という子供たちと、「そんなものは作り話さ」という大人たちの論争が国を挙げて行われるという、これもまた古典の名作だ。








2018年12月18日

昔話した言葉…(Hさんとの対話)


こんばんは Hさん。

Hさんは人間の「蓄積」ってなんだと思いますか?

以前もお話したことがあるかもしれませんが、
区の社会教育主事さんと話したときに、
「人手も足りないし雑務に追われて自分のための時間がナイ。今はほんとうにこれまでの貯金を食い潰しているような感じだ・・・」

それを聞いたときに「食い潰す」だけの蓄積があるなんてすごいなあと感じました。

・・・私はいつも自分の中に空虚を抱えて生きています。頭も心もまったくのがらんどうだという感覚が常にあります。

「宵越しの銭は持たない!」と江戸っ子は言いましたが、まさに私には歳月によって蓄積された何物もありません。

蓄積とは・・・経験であり、知識であり、知恵でありするのでしょう・・・

人は誰も多少に関わらず、何がしかの蓄積を備えているものなのでしょうか?
それとも「人による」のか・・・

私個人に関して言えば、何を観、何を聴き、何に触れてもそれが私の血となり肉となっているという実感はまるでありません。

無論蓄積というようなものがなくても、
目覚めたときにこれまでの経験がまったく真っ更になっていたって、人は生きていけます。

けれどもやはり蓄積と呼べるほどのものがある人は羨ましい。

年だけ食って蓄積のない人を
「徒に馬齢を重ねた・・・」と言うのでしょう・・・

今日も「仕事センター」のカウンセラーに
「口が巧い」と言われました。

しかし昔から言いますよね。

「江戸っ子は、五月の鯉の吹き流し。
 口先だけではらわたは無し」

・・・これは本来江戸っ子は口調はゾンザイだが悪意はないという意味で使われていますが、

この言葉は、私の実感を巧く表現しているのです。

自分に重心がない、
碇なく漂流している感じです・・・

Posted by BLUE_MOON at 2007年10月24日 01:53



BLUE_MOON さん、こんばんは。

本質的には蓄積よりは先に変革かなという気もしますが、難しいですね。
何らかの変革がなければ、蓄積さえ意味が果たしてあるのか疑問に感じます。

その上で蓄積されるものがあるとすれば後から気づくものなのでしょう。
長く漂っているうちに船底にいつの間にか藻や貝が付着するように。
つまり軌跡の集積でしょうから蓄積の無い人はいないと思います。


「江戸っ子は、五月の鯉の吹き流し。
 口先だけではらわたは無し」
がBLUE_MOONさんの実感を巧く表現しているとすれば、「はらわた」は自我意識の象徴ということになるのでしょうか。
仮に自我の弱さがあるのだとすれば、それは以前にも触れたことがあったかもしれませんが、それは超自我としての錘が大きすぎるからのような気がします。

「>自分に重心がない、
碇なく漂流している感じです・・・」
とおっしゃっていますが、超自我という錘が海底深く降ろされているために、自我としての船は同心円上をグルグル廻らざるを得ない、といったような印象も受けるわけです。
漂流しているように見えて、実は捉われているのではないか、ということです。

渡辺淳一の鈍感力が売れているそうですね。
すでに鈍感な私には不要そうなので読んだことはありませんが、評判は良さそうです。
自我力とでも言いますか、あるいは本能力といったようなものを、この愚かしい文明社会と対峙するためにもっと復活させるべき、とでもいったような内容かな、などと推測しています。

目の前のひとつひとつをつぶしていくしかないと思われますし、それが振り返ってみれば蓄積という形にいつか知らぬ間になっているのでしょう。
泥水を飲まざるを得ない場合もあるかもしれませんが。

話は違いますが、少し前にNHKスペシャルで兵士の証言を中心に編集された戦争記録をやっていました。
あれほどリアルな表現が一貫性を持って語られた番組は初めてで非常に興味深く見ていました。
良いにしろ悪いにしろ人間というのは何でもできるものだな、ということを最認識させられました。
南方戦線での退却路で力尽きた仲間を何人も見たという元兵士は、その中には両頬の肉を削がれていた人も多かったと証言していました。
人肉を食って飢えを凌いだという話は知っていましたが、「頬肉だけ」が削がれていたという点が気持ちがわかる気がして何ともリアルでしたね。

それでは、また。

Posted by hakobulu at 2007年10月24日 23:37



Hさんこんばんは。


昨日今日とNスペの再放送を観ました。
昨日は特攻隊の生還者の実話、
今日は100年前にフランスの天才数学者ポアンカレが遺した「ポアンカレ予想」が、
その後100年かかってやっと証明されるまでの数学者たちの苦闘を描いたものでした。

私は自分自身の繰り返しの検証で、否定すべき自己という結論に辿り着いたわけですが、
残念なことは、このような結論も、数学や物理学と違って、
誰も客観的な証明を示すことが出来ない事です。

私がいったい何者なのかは、私自身も、また他者も、誰も証明することはできない。

人はなぜこの「未知なる自己」なるものとして、日々生きていけるのでしょうか・・

・・・昨日「仕事センター」で「蓄積」に関する話が出たときに、カウンセラーは、
人間一人の中には約800年間、20~30世代分のDNAが組み込まれているらしい、あなたは生まれたときにもう既に「0」ではない・・・

しかし現実にはそのようなDNAの蓄積、生命の連鎖、本能によって私は翻弄されています。

私一個の頭や心で「諦めるべき」と結論付けた事柄について、本能は抵抗します。

 いまさらに 死なば死なめと 思へども 心に添はぬ 命なりけり
 この世になにか 思ひ残さむ・・・)

・・・本能とは煩悩であって、私にとっては要らざる蓄積なのです。

Posted by BLUE_MOON at 2007年10月25日 02:52



BLUE_MOON さん、こんにちは。

>本能とは煩悩であって、私にとっては要らざる蓄積なのです。
:永遠の青年といったところなんでしょうね。
それはそれで素晴らしいことでしょう。
自信を持って突き進むしかないのかもしれません。

しかし、「本能とは煩悩であって」というのは事実ですが、どうも肝心のことをお忘れではないかという気がします。
つまり、「煩悩といえども本能」ということです。
本能とは生命力そのもののことです。

>私一個の頭や心で「諦めるべき」と結論付けた事柄について、本能は抵抗します。
:これはわかりますね。
人間というのは誰しもそんなものではないでしょうか。
いずれ何らかの選択をせざるを得ないわけですが、形がどうあれ、それは個人の納得したこととして捉えられることでしょうし、それが真理だろうと思います。

本能が抵抗するのは、むしろ健全な証拠のような気もします。
仮に(執拗に)抵抗するのであれば、それは理不尽に抑圧されている可能性もあるでしょう。
「~すべき」と「~したい」は超自我と本能の葛藤として人類普遍のものですが、そこはやはり自我の自己責任による選択(決定)が求められるわけで、いわゆる自前の自己(自己アイデンティティ)の確立を期することによって視点の転換が可能になる場合も往々にしてあるように思われます。

>そのようなDNAの蓄積、生命の連鎖、本能によって私は翻弄されています。
:無論、連鎖は存在しますが、意思も意識も存在することもまた事実でしょう。
翻弄されるかされないか、というのはあくまで相対的な捉え方にすぎません。
自己以外のものによって制御されているという面は誰しもある程度は持っているはずですが、それだけではつまらない、と私などは感じてしまいます。

変革が求められるというのは特に大げさなものではなく、そういった意味だったのですが、バランスをとりつつ、もう少し我儘であることが誠実さ(自他共に対して)の証になるような印象を何となく私は受けます。
 
Posted by hakobulu at 2007年10月25日 13:04



カラバッジオの「ナルキッソス」です。
水に映った自分の姿に見とれているというよりも、

私には「お前は何者だ?」と、問い掛けているように見えるのです・・・

Posted by BLUE_EYES at 2007年10月27日 04:19



もしかしてギリシアの美少年ナルチスのことでしょうか。
「ナルキッソス」というのは何となく本格的な響きですね。
ギリシア読み?になるのでしょうか。

確かに自らに見とれているというよりも、お前は何者だという風情ですね。
腕に力が入りすぎていますから。

ナルチスは精神分析的には自己保存本能の象徴として、人類共通の要素とされていることはご存知かもしれません。
さらには、物質でさえも形状を維持(保存)しているのはナルチスムの現われとする人もいます。
それでいくと、地球は生きているとみるべきか、単なる物質とみるべきか難しいところです。

それにしてもBLUE_EYES さんは良い絵をたくさんご存知ですね。
羨ましいです。
また教えてください。
いつもありがとうございます。

Posted by hakobulu at 2007年10月27日 04:43









2018年12月17日

エミール&エミリー


● 最初の思想家は、最初のなぜの偏執狂だったにちがいない。これは世の常ならぬ偏執であって、まったく伝染の心配はない。事実この病に苦しみ、質疑の魔に身を嚙まれ、生まれながらに自失状態にある故に、いかなる既知項をも受け入れることの出来ない人間はきわめて少数なのである。


● 忘れるという能力がなくては、私たちの過去はたいへんな重みで現在にのしかかり、その結果私たちは、一秒といえども新しい時間を迎えることができず、ましてやその時間の中に入ってゆくことはできないだろう。生はただ皮相な人々にのみ、思い出すことをしない人々によってのみ、耐えやすいのではあるまいか。


● 魔羅(マーラ)、すなわち<誘惑者>が、仏陀の地位を奪い取ろうとしたとき、仏陀が吐いた言葉に次のようなものがある。
「いかなる権利があって、おまえは人間を支配し、宇宙に君臨しようと企むのだ?いったいおまえは、認識のために苦しんだことがあるのか?
任意の人物について、とりわけひとりの思想家についてその真価を尋ねようとするのなら、この問いこそが肝要な、おそらくは唯一の問いであるはずだ。認識のただの一歩にさえ応分の代償を払った者と、手ごろな、どうでもいいような、苦難ぬきの知識を分配された者たち、数の上では圧倒的に多い連中とを、峻別しなければならない。
(下線は本書では傍点)


● ある種の人間たちには、すべてが、掛け値なしにすべてが、生理学に由来する。彼らの肉体は思想であり、思想は肉体なのだ。


●言葉を交わせる相手がついにひとりもいなくなったとき、人間は、固有の名前を持った存在へと失墜する以前の状態に戻る。


● 堕落した動物、「動物の屑」というものを想像することは不可能だ。


● あらゆる思想は損なわれた感情から生まれる。


● ヘーゲルの説くところでは、人間が完全な自由を得るのは「ことごとくわが手で創り上げた世界に取り囲まれたとき」だけだという。
しかし、まさにそれが人間のやったことであり、しかもなお人間が現在ほど鎖につながれ、奴隷と化したことは一度たりともなかったのだ。

エミール・シオラン『生誕の災厄』出口裕弘訳より(1976年)



シオランのいうことはいちいちもっともだと思うが、わたしは彼を一人の人間として好きになれない。
実際、著者の人間性云々を言い出したら、世界中のほとんどの本は読むことができなくなる。
しかしその人間性を愛せない者の著作を読むということ、それを養分とすること、それこそが、自己という一個の人間存在に対する「冒瀆」ではないのか?

わたしはそもそも出版をするような人間を好きになることができない。そして彼のように、生誕を、世を、存在を呪いつづけながらも、生涯、ニーチェのように狂うこともなく、プリーモ・レーヴィのように自死することもなく、ワイルドのように獄に繋がれることもなく天寿を全うしたような人間を、どうしても愛することができないのだ。



シオランはエミリー・ディキンソンが好きらしいが、彼にディキンソンの詩を贈る。


出版は 人間のこころの競売
貧乏こそ正しい態度だ
そんな卑しい事柄には

私たちの雪を投資するより
むしろ屋根裏部屋から
白いまま白い造り主のもとへ
ゆくほうがいい

思考はそれを恵まれた神のもの
だからその肉体を与えられた神にこそ
気高い調べを売るべきだ
ひとまとめに

天の恵みの商人になっても
決して人間の魂を
貨幣の恥辱に貶めてはいけない…




Publication – is the Auction (788)
BY EMILY DICKINSON
Publication – is the Auction

Of the Mind of Man –

Poverty – be justifying

For so foul a thing


Possibly – but We – would rather

From Our Garret go

White – unto the White Creator –

Than invest – Our Snow –


Thought belong to Him who gave it –

Then – to Him Who bear

It's Corporeal illustration – sell

The Royal Air –


In the Parcel – Be the Merchant

Of the Heavenly Grace –

But reduce no Human Spirit

To Disgrace of Price –


Here



わたしはディキンソンのこの詩(言葉)が特に好きだ
I’m Nobody! Who are you?” (260 / J288) 

「わたしは何者でもない!あなたは誰?」


わたしは誰でもないひと! あなた 誰?
あなたも――わたしと同じ――誰でもないひと?
だったら わたしたち ふたりでひと組ね?
口には出さないで! みんなに知られてしまう――いいわね!

退屈なものね――[ひとかどの]誰かである――っていうのは!
よくご存じの――カエルみたいに――
六月のあいだはずっと――うっとりする沼地にむかって――
自分の名前を告げている!

『対訳 ディキンソン詩集』亀井俊介編(岩波文庫)



I’m Nobody! Who are you?
Are you – Nobody – too? 
Then there’s a pair of us! 
Don’t tell! they’d advertise – you know!

How dreary – to be – Somebody! 
How public – like a Frog – 
To tell one’s name – the livelong June – 
To an admiring Bog!























2018年12月16日

議論好きが嫌われる国で・・・


きのうわたしは、

「世界がわたしに与えることの出来るものは、予めわたしの持っていたもの以外にはない。」

読書とは、また他者との出会いとは、すべからく自己との出会いに他ならない。」

と書いた。

今日、母が借りている木村敏の『人と人との間』ー精神病理学的日本論ー(1972年)
をめくっていたら、こんな箇所にぶつかった。

「個人が個人として、つまり自己が自己として自らを自覚し得るのは、自己が自己ならざるものに出会ったその時でなくてはならない。自己がこの世で、自己以外のものに出会わなければ、「自己」ということがどうしていえようか。自己はあくまで自己でないものに対しての自己である」(第一章「われわれ日本人」)(下線は本書では傍点)

わたしは(おそらく)モノローグ(独白)よりもダイアローグ(対話)が好きなのだ。
わたしは反論を厭わない。何かしら「答え」らしきものを見つけることは二義的なことで、「対話」それ自体に「愉しみ」があると思っている。

わたしは所謂「権威」と呼ばれる人であろうと、疑問は疑問としてぶつける。違うのではないかと思えば、そのように伝える。けれどもそのような機会は、一般には、講演会の質疑応答の時間くらいしかない。

上記の「自己」と「非・自己」の問題についても、木村敏氏に直接疑問をぶつけることはできない。だから、日常的にこのような議論が出来る環境が望ましいのだ。

この本の第一章「われわれ日本人」は、このように書き出される・・・

「数年前、ドイツに住んでいたころ、友人のドイツ人がこんな話をしてくれた。彼がごく親しくしていた日本人の哲学者といっしょにレストランで食事をしていたとき、この日本人は料理が気に入らず、「これはわれわれ日本人の口には合わない」と言った。そこでドイツ人の御多分に洩れず議論好きの彼は、変なことを言うなよ、味覚ってのはまったく個人的な好みのものなんだぜ、「われわれ日本人の口には」なんて言い草があるかい、といってこの日本人哲学者に喰ってかかったというのである。」
(下線Takeo)

フランス人は議論好きとよく聞くが、ドイツ人はなんとなく寡黙で実直、どちらかというと、不言実行という日本人的なタイプかと思っていたが、なるほど、言われてみればドイツ=哲学の国である。(日本は「アンチ・哲学」の国)議論好きと言われればそうかとも思う。



最近とみに思うのは、なぜ「彼ら日本人」は、議論を好まないのか、なぜ議論好きを「理屈っぽい」「グダグダと屁理屈ばかり」「ああ言えばこう言う」・・・etcと、ある意味敵視さえするのか?
わたしはどちらかというと「ああ言えばこう言う」のが好きでたまらないタイプである。

日本人は議論が嫌いであり、だからこそ、当然議論が下手である。
昨日紹介したHさんのように、和やかにどこまでも対話ができる人はほとんどいない。
自分を棚に上げて言うのだが、先ずすぐに感情的になる。これはおそらく、太宰治の言う「確信の強さ。自己肯定のすさまじさ」に由来するのだろう。彼らは反論されることの快さを知らないのではないか。確かに「理屈っぽくてイヤだな」と感じることはわたしにもしばしばある。その主張の背後に、自信、確信のようなものが匂ってくると厭になる。
何度も言っていることだが、わたしは自信のある人が嫌いである。迷いのない人、自己を疑うことのない人が苦手である。

加えて、「われわれ日本人」はどうしたって悪い意味での田舎者である。わたし自身を含め、ユーモアのセンスというものに決定的に欠けている。
ユーモアの欠けたところに上質の議論・討論(対話)は生まれない。

「ユーモア」というのとは違うかもしれないが、Hさんは飄々としている。自説に固執しない。相手の意見(反論)をおもしろがれる余裕がある。相手を言い負かそうという気負いがない。毒々しさも刺々しさもなく、あくまでも柔和で柔軟であった。現実にわたしを含め彼を慕う人は多かった。

Hさんは夙にブログから離れてしまったが、ひょっとしたら、彼のブログはある意味わたしにとって理想的なブログであったかもしれない。ああでもないこうでもないというやりとりのないブログのある種の不毛さを感じさせられる。



議論好きが嫌われる傾向にある文化・・・とはいえ、わたしが人から好かれないのは、単に「口の減らないやつ」という理由ばかりではないだろうということは感じている。

何故わたしは嫌われるのか?

実はそんなことを2007~8年当時、Hさんのブログでそれこそ延々と語り合った。
そして今でも相も変わらず、そのことを考え続けている。

わたしのことは措いて、「議論が嫌い」な「彼ら日本人」は、人生の大きな愉しみのひとつを摑みそこなっていると思えてならない。

以下、Hさんの2007年のブログから、当時のわたしとHさんのやり取りを抜粋して紹介する。

◇    ◇


T:Hさんは北海道にお住まいだったんですね。
直に紅葉の時期でしょうか・・・

うらやましいな・・・

どのようなところにお住いか存じませんが、
自然の豊かな場所だったら、
夕刻、沈み行く太陽と雄大な自然を肴に一献傾けて、諸々のお話をしてみたいです・・・
人生や、芸術や、文学について。

BGMは私の好きなJAZZでもいいし、
オペラのアリアでもいいかもしれません。

バックグランドミュージックなどなくてもいいかもしれない・・・
風のささやき、木々のさざめき、虫の音だけで。

・・・そういう同性の友を持ったことのない私には憧れです。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


「自分らしさ」とよく口にします。
「自分らしく生きる」

でもその「らしさ」のモデルっていったい何でしょう?
とても曖昧な言葉だと思います。

先日あるドラマを観ていて、
老いた今、ある男性と知り合ってときめきを感じている。そして過去の自分を振り返って、
「・・・自分じゃないみたい・・・」というセリフが何故か印象に残っています。

私は私であったのか・・・
私は私であり過ぎていたのではないか・・・

嘗て「まるで自分じゃないみたい!」なんて体験をしたことがあるだろうか・・・

私の求めている「自分らしく」「私らしく」
というのは、
これまでこれが自分だと思い込んで、そのように作り上げられてしまった「自己」からの解放なのかもしれない。

「自分じゃないみたい」な感覚を味わった時に初めて本当に自分を実感することが出来るんじゃないか。

・・・そんなことをぼんやり感じています。

Hさんと一杯やってるつもりで、
無駄口を叩きました(苦笑)


P.S

king Of Blue もいいですね。

Posted by Kind of Blue (LB) at 2007年09月28日 04:00



H:KBさん、どうもこんにちは。
なかなかいける口みたいですね。
私もかなり好きなほうですが、若い頃と比べると格段に酒量は落ちています。
北海道というと自然というイメージを喚起される方が多いのですが、どこにでも熊が出るわけではありません。^^;

>私の求めている「自分らしく」「私らしく」
というのは、
これまでこれが自分だと思い込んで、そのように作り上げられてしまった「自己」からの解放なのかもしれない。
:まさにおっしゃるとおりでしょうね。
結局は納得できるか否かということだと思います。
自然のままに伸びる生命には不満はあっても納得できないことは無いと思われますし、納得できないには必ずそれなりの環境が作用しているわけでしょう。
「自分らしさ」は色々な解釈ができるのでしょうが、
本来的な自己とは、過剰でもなく過少でもなく、「ただ在る」というだけのものだったはずで、しかもそれで十分ではなかったのかという気もしますね。
次第に日本酒のうまい季節になってきます。
Kind of Blue さんはウィスキー党のような印象も受けます。
パソコンの向こうで一杯酌み交わしながら語り合える。
便利な時代になったものです。
くれぐれも飲みすぎにはご用心を。
お越しいただきありがとうございました。

Posted by hakobulu at 2007年09月28日 13:58


ー追記ー

Hさんのブログに出入りしていた頃の自分の言葉を読み返してみると、
おそらく今でも変わっていないであろう、ある「かたくなさ」を強く感じる。


最後にもう一度、木村敏の文章を引用する

ハイデガーも言うように、われわれは自分自身がこの世の中に存在するという事実の根拠を、決して自分自身の手に引き受けることができない。われわれがこの世の中にあるという事実は、われわれ自身にとっては、実は一つの負い目に他ならない。われわれは、自分自身の存在を負わされている。

「かりそめのこの存在の時をおくるには / 他の全ての樹々よりもやや緑濃く / 葉の縁(へり)ごとに(風のほほゑみのやうな)さざなみをたててゐる / 月桂樹であることもできようのに / なぜ、人間の存在を負ひつづけなければならぬのか ──」とリルケは歌う(『ドゥイノの悲歌』第九 手塚富雄 訳)そしてまた、「地上に存在したといふこと、これは取り消しやうのないことであるらしい」(同)と言い、「それゆえわれわれはひたむきにこの存在を成就しようとする ── 地上の存在になりきらうとする」(同)と言う。

われわれは常に、取り消しのつかない事実としてこの世に生きており、しかもこの存在の「成就」には後れをとっている。つまり自己を完全に自己のものとして引き受け、本来の自己自身の存在になりきろうとして、果たせないでいる。われわれが人間として存在するということ自体が、すでにまったく未済的性格を帯びている。
『人と人との間』(第二章「日本人とメランコリー」)





2018年12月15日

求めるもの


Hさんとの過去のやり取りを眺めていると、論理的に、ジェントルに、且ユーモアを持って「反論」されることはある種の喜びであることがわかる。

わたしがこのブログで、A=Bであると主張することは、誰かにそれを穏やかに反論してもらいたいという気持ちの表れであるのかもしれない。
自分は正しいなんて思うほど傲慢でも愚かでもないつもりだから・・・


世界がわたしに与えられるのは、予めわたしの持っていたもの以外にはない


来週火曜日、18日に新宿紀伊国屋ホールで行われる、作家辺見庸の講演会に行けそうにない。今回の講演は、相模原の障害者殺害事件に想を得た長編小説『月』の出版に合わせての講演で、主なテーマは「障害とは」「健常とは」/ 「生きていていい生」と「生きていてはいけない生」があるのか? / 死刑制度とは国家による「生きていてはいけない生」の選別ではないか / オウム事件と死刑=国家による殺戮について・・・など、興味深い内容ばかりだが、体調はおもわしくなく、年の瀬の寒さは、文字通り「秋霜烈日」という厳しさで、肌身に堪える・・・

わたしは中央線の立川から数駅のところに住んでいるが、快速で約1時間。特快で約40分。現在の心身のコンディションで、この区間を往復することを思うと尻込みしてしまう。

Q&Aサイトで、「中央・青梅ライナー」などを含む「特急」を利用してはどうか、新宿の次が立川で、料金はどれも510円だと教えてくれた。
講演の内容を想えば、乗車券と合わせて、片道約1000円。往復2000円は惜しいとは思わないが、それでも尚、出られそうにない。



本を読めなくなって、もう数カ月が経つ、その間に『月』も出版された。地元の図書館にも6冊入った。早速借りたが、既に予約が入っていた。とても2週間では読めないので、ページを開くことなく返却した。
普段は誰も辺見庸の本など借りていないのに・・・

辺見庸の本は、小説、詩集を除いて殆ど読んだ。本は借りて読むことにしているが、気に入ったものだけ、5冊ほど購入した。ほとんどアマゾンで1円で売っていたものだ。(送料250円)

本を読んで世の中を見る深度が深まる、茫漠とした物の輪郭が鮮明になるということはあっても、それによって世界の見方(見え方)が変わるという体験をしたことが無い。
辺見庸がわたしに与えた影響は少なくないが、それは彼の著作を通じて、もともとわたしの内側に潜んでいたものに形を与えられたという点にある。

読書とは、わたしにとって、己の内面深く沈んでいたモノの発見であって、決して、外側から手渡されるものではない。
世界がわたしに与えることの出来るものは、予めわたしの持っていたもの以外にはない。
本は、わたしの中にあるが、自分では手の届かない泉から掬い取った水をわたしに与えてくれる。
本が与えてくれるのは「鍵」であって、宝の箱は与えてはくれない。

・・・言い換えれば、読書とは、また他者との出会いとは、すべからく自己との出会いに他ならない。



昨日の投稿を読み返すと、昔やり取りのあった人のブログに書きこんだコメントの引用部分以外の記述がどうしても生煮え・・・熟考されていないように感じられる。
これはやはり本が読めなくなっている状態と思考力の低下が連動しているのかもしれない。
今のような状態の時こそ、研ぎ澄まされた白刃のような思考力が必要とされているのだが・・・

このような時に思考の手掛かりとなり得るであろう講演に参加できないことがいかにも残念だが、これ以上体調を崩しては元も子もない。



=追記=

このようなやりとりがない独り言というものは虚しいものだな・・・
こういうのを読んでると、また「それは違うよ」と言ってくれる誰かが欲しくなる。








2018年12月14日

明るい未来(その他断想)


考えが漠然としてまとまらない。このところ、人のブログを読んでこころを乱されることが多い。
これは偶然だろうか?
それとも、"Everybody Is Normal Until You know them Well..."
「深く知り合うまでは誰でもマトモだ」の言葉に従えば、今ちょうど、彼らの真の姿が見え始め、わたしの感性にとって、どうしても氷炭相容れざる「異質の他者」の姿が現れてきたのだろうか。

「余りに早くわたしを理解するな」とは、アンドレ・ジッドの言葉だが、片言隻句によって、その人の本質が透けて見える場合が少なくない。直観的に、「合わないな」と感じた人は、後に見方が変わるということはほとんどない。



弟はよく母に、わたしももっとTVを視れば今の世の中がわかるのにと言っているらしい。確かにわたしは「今の世の中」のことをほとんど知らない。テレビはもともと持っていないし、これから購入する予定もない。新聞も既に半年ほど前から手に取らなくなっているし、インターネットでニュースを見る習慣もない。意識的に「外界の情報」を遮断している。

全くの無智な者が、たまさか外に出て感じることは、世の中は決して暗くはないということだ。
再来年の東京オリンピック(嘗て加藤周一が「4年に一度の世界的見世物」と称し、松山巌は「健康の祭典」と・・・)そして2025年(?)には大阪での万博が決まったらしい。「一億総活躍社会」「人生100年時代」「女性が輝く社会」・・・世の中右を向いても左を見ても明るい話題ばかりで、日本の行く末には一抹の影すら差してはいないようだ。

そんななかで、わたしをふくめたごくごく僅かな者が、病み、躓き、転倒して、明るい未来を約束された社会から零れ落ちた。しかしそれは象が蚊に刺されたほどの微小な、在るか無きかの、取るに足らない出来事でしかない。

現実に外の世界を歩いていても「暗い世相」などという言葉は全く似合わないほど、人々の顔に翳りはない。スマートフォンのガイドに従っていれば、決して道を踏み外すことはないという確信があるようだ。無論Google Mapが誤るはずがない。だから人々は道を過たないように齧りつくようにスマートなガイドに見入り、聴き入っているのだろう。



「引きこもり」と呼ばれる人の多くは、「このような状態」になってしまったことを自ら恥じ、社会に向かって詫びている。それはとりもなおさず、障害への、病への、ひいては「人間という生体」への蔑視に他ならない。「自分が間違っていたから病んでしまった。外に出て働くことができなくなってしまった」と。しかしそれは裏を返せば、人間は病まず、過たず、転ばず、途を失うことのない万能者であるというある種の信仰を前提とする。
だからこそ、万能者で無くなり、愚かにも病んでしまった自分をそこまで貶めることが出来るのだ。
からだが、こころが病んでいても、せめて意識は強者と共に在りたい。
弱い者、それが自分自身であっても、それを蔑みたいのだ。強者と同じ位置で。



「人のことはともかく・・・」とは言えまい。他者あっての自己なのだから。

最近はとみに社会との、つまり他者との不協和音が際立って来ているように感じられる。
最早誰とも「わたし」を共有できないという、絶対的な孤絶感・・・

そう言えば、人のブログに心乱され・・・と書いたが、偶然にも、その3者のブログに、それぞれ違った文脈ではあるが、同じ言葉が記されていた。それは「甘え」。
自分自身をも含め、誰かに向けて「甘え」という言葉を用いる以上、その者は「甘え」の対極に位置していることになる。甘えの対義語といえば「厳しさ」だろうか。「私は自分に厳しい(甘くない)のだ」と、だから他者にも厳しくできる(する)のだという意識があるのだろうか?
自分が「甘え」と対極に立つ存在であると任ずる者とはいったい如何なるものなのだろう?
また「甘え」が「弱さ」の同義語乃至類語であるなら、それを指弾することは「それにひきかえ自分は(強い)」と言外に公言していることに他ならないのではないか。
われは強者也と思えるものの心性とは如何なるものか・・・



最近久しぶりに某Q&Aサイトで言葉を交わした人の過去のブログに、いくつかコメントを残していたのを見つけた。2007年のことである。
当時は「親友」と呼べる人がいて、自由に外を闊歩していたが、わたしの孤立は当時も今も、そしてそれ以前も変わってはいなかった。

その人(仮にHさん)のブログから11年前のわたしの発言をいくつか書き写す。


●Hさんの全ての回答の中で一番印象に残っている言葉は、わたしの「無能」という言葉を「卑下」と仰ったことです。そのような卑下は不要だし、不毛であると。

何故わたしの「無能」を否定するのか、
最後まで謎でした・・・
無能なものと言葉を交わすことは不快ですか?


●Hさん。お返事ありがとうございました。
・・・掲示板からの退会に続いて、
7月から付けていた無料のレンタルブログに「あそこで」お馴染み(?)のMINTWALLさんが訪れてくれて、何回か書き込んでくれたのですが、彼女とも意見の相違で決裂。

ブログ閉鎖。

明星大学心理相談室も2回目でカウンセラーに「続けていく自信がない」と言われてお仕舞い(苦笑)

・・・所詮融和することのない人間関係を求めてウロチョロすることに本当に疲れてきました。

・・・19歳のときに堰を切ったように溢れ出た悲しみ・・・
Hさんは「論理的な飛躍」と仰いますが、これはもっと「神秘的な体験」といえるようなものかもしれません。

掲示板を出たり入ったりしても、
カウンセラーを探して東奔西走しても、

私の疑問は打ち寄せる波とともに届けられ、尽きることがありません・・・

いずれにしても私は19歳の不思議な体験は、遥か25年後の今振り返って、やはり嘘ではなかったと思えるのです。

あれが私の「原点」でした。


● 夢で見たイメージ・・・

自分の手にしっかり握られた鎖。
その先を辿っていくと、
首輪に繋がれた自分の首・・・

(Hさんの返信)
>私の疑問は打ち寄せる波とともに届けられ、尽きることがありません。
:そうですか。むずかしいですね。
浜辺に寄せた波の尻尾を掴みきれないうちに沖に戻ってしまい、また別の波がやってくるというようなことになるのでしょうか。

思考の船を大洋に乗り出し、果てしなく連鎖する波を営々と追い求める手法もあるようですが、どちらにしても簡単に答えは出ないかもしれませんね。
船とは何らかの自信なのでしょうが、気づかないだけで誰しもが自分の船は持っているような気がします。


● >思考の船を大洋に乗り出し、果てしなく連鎖する波を営々と追い求める手法もあるようですが、どちらにしても簡単に答えは出ないかもしれませんね。

>船とは何らかの自信なのでしょうが、気づかないだけで誰しもが自分の船は持っているような気がします。

私の船は「謎」に飲み込まれてしまうでしょう。

最早、私自身が謎と同化してしまうでしょう・・・

この絵のように・・・


●・・・昔からあるおはなし。

病院の待合室にて数人のお年寄りが

「おや?今日はLBさんの姿、見えないね」
「ああ、なんだか最近具合がよくないらしいよ・・・」

相談をする、手を差し伸べる。
口を開き声を発する・・・
それも元気のいることなんだと思います。

心が足元まで沈んでしまった時、
人は自己の躯をも重力に任せるのだと思います。

或いは線路に、或いは地面に、或いは湖底に・・・

(※LBとは当時わたしが彼(ら)とやり取りをしていたQ&Aサイトの「哲学」カテゴリーで用いていたハンドルネーム、Loser Blue から来ている。ルーザー・ブルー(=敗残者の憂鬱)


● いまさらに 死なば死なめと 思へども 心に添はぬ 命なりけり


・・・この世になにか 思ひ残さむ