2020年9月30日

友の言葉2或いは虚無の中より

 

T君を、やはり「友だち」と呼ぶことに躊躇いがあるのは、今のような状況で、わたしの心境を彼に聴いてもらうことができないということ。「生きる」とか「死ぬ」といった話は彼とはできないところにある。「友人」とは、つまるところ深いところでの精神的な繋がりであると一元的に規定しているわたしにとっては、T君の存在はかけがえのないものではあっても、Soul Mate とは呼べない。

来年の夏にはもうここで母とともに暮らすことはできないので、「身辺整理」をしているというわたしに、「差し当たり必要でないものは実家(ここ)に残しておいて、新しい場所で落ち着いたらそれらを持って来れば・・・」と彼は言った。

Tくんには、「もうこれ以上は生きていけないと思っている」というような話はできない。
高校時代ー16・7の頃は、「生きるの死ぬの」なんて話は晩稲なわたしには縁がなかったが、その後30年以上付き合っているのだから、どういう話はできない(避けた方がいい)ということくらいは承知している。何しろわたしの人生で、母の次に、ともに話した時間が長い人物なのだから。

わたしが確実にわかっているのは、来年の夏(それまで両方とも生きていたら)「ここで」「母と」暮らすことはもうできないということだけ。じゃあ来年の夏は何処でどうするんだ?と訊かれても、わたしも、母も何も答えることはできない。

今現在、いちばんわたしの身近にある答えは、この世界から出てゆくこと。
そしてそこが「新しい居場所」なら、レコード・プレーヤーや画集を持ってゆくことも取りに来ることもできない。


「この世」は結局「生きるための場」であるのだなあと、つくづく思う。
家族会の当事者ミーティングに参加しようかと思っている。けれども、わたしが訊きたいのは、究極のところ、「元気になって、働いてまで、生きたいですか?」ということに集約される。「なんのために?」「なにがたのしくて?」・・・
精神障害者たちの集まりで「何故生きる?」等と発言すれば、こいつはキチガイかと、出入り差し止めを喰らうのがオチだ。これまでもそうだったように。そこが家族会であろうと、デイケアであろうと、「生きるための世界」に於いて、「何故生きる?」という発言は、言うまでもなく禁忌なのだ。
わたしが自分を「精神障害者」ではなく「狂人」であると自認し自称しているのも、そのような理由からだ。


おそらく誰もが自明だと思っている「何故生きる?」ということの意味が、最後までわたしにはわからなかった。
わたしは「断酒会」で「何故酒を飲んじゃいけないのか?」と発言しかねない人間だ。

T君は数学については「どうして?」「なんで?」を繰り返すわたしに、根気よく大本のところまで遡って教えてくれた。けれども「何故生きるのか?」なんてことは、そんなTくんにとってさえ「自明の事」なのだろう。


プレーヤーにしても、嵩高い本にしても、わたしがいづれかへ去った後、できるだけ母のしなければならないことを減らしておきたい。

別に何が何でも死んでしまわなければならないわけではない。更に言えば、「死にたい」わけでもない。けれども「どうしても生きられない」ということは、必然的にその反対を意味するのではないか?


今思えばまるで信じられないが、20世紀末までは、わたしは健康な人が呼吸をするように、当たり前のように毎日外に出、電車に乗って都内を歩き回っていた。いつもひとりで。
何度もいうように街が友だちだった。

何故このようになってしまったのか?それを突き止めても仕方がないし、また仮に元のように外に出られるようになったとしても、外の世界は「元のよう」ではない。

「生きづらさ」という言葉は、今や流行語の観を呈しているが「生きられない」ということを理解するものはいない。

「生きたくない」と「死にたい」が全く同じ意味ではないという「機微」を理解する者も、いない・・・











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