2020年9月27日

さまざまな断想・・・

 ツイッターに関して常々批判がましいことを言っているが、そのくせ結構こだわって書いていた時期があった。特に「Kさん」という人の文章に、アンビバレントな感情を抱いていた。
2008年からわたしのブログに頻繁にコメントを寄せてくれていた瀬里香さんと同世代ではないかと思うが(40代前半)、天衣無縫にして、どこから矢が飛んでくるか予想のつかない瀬里香さんに対して、Kさん(ツイッターでは「コユカさん」と名乗っていた)の文章は緻密に計算されつくした文章であった。ご自身も、娘さんも、重篤な病を患っておられて、長くは生きられないであろうことを承知していた。

いったいに、わたしの嫉妬の対象とはどのようなものなのだろう?
ただふたりの投稿を見るためだけに取得しているフェイスブックのアカウント。
ドロローサとオーファン。共に自ら特異な絵を描くが、投稿は主に、わたしがここやタンブラーでやっているようなアートである。それがブログであれ、フェイスブックであれ、ツイッターであれ、わたしは、自分が「うわ敵わないな!」と感じてしまう文章やアートを立て続けに見せられるとうれしくなる。二階堂奥歯もその一人かもしれないが、勝手にライバル視してしまう。少しでも彼女ら、彼らに近づきたいという意欲に、闘志に繋がる。

Kさんは、一日か二日に一遍、短い文章を投稿するだけだったので、瀬里香さんとも、また二階堂奥歯とも比較はできないが、ツイッターの文学系アカウントに蝟集する自称読書家や所謂「文筆家」を名乗っている有象無象たちの中でも、その文章は際立っていた。Kさんのまとまった文章を読んでみたいと思っているうちに、ツイッターとも間遠になり、しばらくして覗いてみた時には「コユカさん」のアカウントは無くなっていた。

わたし自身はどちらかというと、瀬里香さんよりはKさんに近いかもしれない。しかし誰かがわたしの文章を褒めてくれたか?35歳で社会からリタイアするまでの期間、小規模な出版社3社をそれぞれ1年も経たずに放り出されたのではなかったか。
「きみはものを書く仕事には向いていない」と異口同音に言われたのではなかったか?

仮にわたしがマズイ文章しか書けなかったとしても、Kさんとは、ネット上だけでも、いろいろと話してみたかった。

アートに於けるドロローサやオーファン、文章での瀬里香さんやコユカさん、そして二階堂奥歯・・・明らかにわたしには敵わない人たちである。けれども、わたしは嫉妬を感じるどころか、彼女たちに出会えてよかったと思っている。

一方わたしが嫉妬を感じるのは、以前、瀬里香さんなどとともに、ここに内容の充実したコメントを残してくれたSさんである。彼はそのブログで、時々友人と会った時のことを話している。

友人がいるということを聞くだけで、燃えるような嫉妬と羨望を覚える。
文章表現に於いて、また、アートの選択眼に於いて、或いは上記の人たちに少しでも近づくことができるかもしれない。けれども、「友人」や「恋人」を持てる人とはもう最初から勝負にならない。完敗である。

下手な文章しか書けなくても、書くことはできる。

しかしわたしがどう頑張っても、友人も女友達も作ることはできない。

仮にわたしがKさんや二階堂奥歯並みの文章が書けたとしても、所詮は友のいないものは敗北者である。


「生きがい」ということを考えた時に、実際にできるできないは別にして、なにかこれならやってみたいということはないのか?と訊かれたら、なんとか答えることができるのは、「言葉に関する事」ということだろう。つまり「書くこと」「しゃべること」

鹿児島に「ラグーナ出版」という出版社があって、そこでは精神に障害のある人たちの書いた文章を雑誌にして販売したり、書籍化したりしているらしい。そんなところで、書く仕事が出来たら、それは生きがいになり得るのではないかなどと空想する。
ラグーナ出版は完全なる企業ではない。あくまでも障害を持つ人たちが、やりがいをもって仕事ができる場を提供している。今度そこから出版されている「シナプスのわらい」という雑誌(年3回発行)を一部取り寄せてみたいと思っている。

これまでどのような点に於いても、評価されたということがないわたしは、仮にラグーナ出版が投稿を募集していたとしても、送ってみようとは思わない。
「臆病な自尊心 尊大な羞恥心」とは、わたしを知るだれもが認めるところである。

また昔は山田太一氏やピーター・バラカン氏に、本職のディスクジョッキーになればいいのにと言われたこともあったが、これも、「芸人は下手も上手いもなかりけり 行く先々の水に合わねば」という点で挫折した。既に20代の時からわたしは、「孤立と、独特の認識の化け物」であった。

コピーライターの仕事を始めた時に、先輩の言っていることが理解できなかった。
なぜありのままではなく、下駄を履かせたり、無駄な化粧を施したりしなければならないのかが理解できなかった。

「だっておまえ、デートの時に、自分をよく見せたいだろう?」という彼に向かって言下に「いいえ・・・」と答えた。「わたし」は「わたし」であって、それ以上でもそれ以下でもない。「自分をよく見せる」ということの意味が、わたしには理解できなかった。


ひょっとしたら、わたしは、なにかいいものを持っていたのかもしれない。けれども、すべては、「下手も上手いも無かりけり」であり、「行く先々の水に合わねば」であった。
それは例えば二階堂奥歯というひとつの才能の「自死」によっても証しされているのではないだろうか。

そしていまとなってはすべては過ぎたこと。これからわたしのすべきことは身辺整理である。











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