2020年9月17日

わたしに似た人・・・


 チャーリー・ブラウンの妹、サリーは、宿題で作った「ワイアーの彫刻」の採点がCであったことに納得がいかず、教室で先生に異議を申し立てる。

質問していいですか?採点されたのは彫刻そのものによってですか?もしそうなら芸術の値打ちを決めることのできるのは時のみだというのはうそですか?

それとも採点されたのは私の才能によってですか?もしそうなら私は自分ではどうにもならないことによって裁かれたことになりますね?

もし採点されたのが私の努力だったらそれは不当です。私はできる限り一生懸命やったんですもの!

この課題で何を学んだかということが採点されたんですか?もしそうなら先生、あなたもまた知識を私に伝える能力について採点されるべきではありませんか?すすんで私と”C”をともにする気持ちはおありですか?

創作の材料にした洋服掛けそのものの質によって採点されたのかもしれませんね…さてそれもまた不当ではありませんか?

ドライクリーニング産業によってわれわれの衣服を返すのに用いられる洋服掛けの質で私が採点されるべきでしょうか?それは私の両親の責任ではありませんか?彼らも私と”C”を共にすべきではありませんか?

上記のような弁論の後、サリーは最後のコマで「きしる車は油がもらえる!」と満足気な表情をして見せる。


何事も納得のいかないことに対して、異議を申し立てるのはいいことだ。わたしが教師なら、「針金の彫刻」にではなく、その評価についての彼女の弁論に対して”A”を進呈したい。

但しひとことだけ、サリーに異議を申し立てたい。

針金のハンガーで採点されたのはきみの両親の責任じゃなくて、あくまでもドライクリーニング産業の責任だと思うけど?もちろんこれはきみの両親が利用しているクリーニング屋さんの責任ではなくあくまでも…………






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