2020年9月23日

ワタシハ ドウスベキナノカ?-2-

 先日紹介したブログにこのような投稿がある。「たとえばこんな共同生活
けれどもこれを一読して、わたしにはちょっと無理そうだと感じた。
一見何ら問題は無いように感じる。いちばんの問題は「共同生活」という一点だけだ。

たとえば現実にまさにこの通りのルームシェアリングなどがあったとしても、わたしの感想は・・・率直に言えばある種の怯えを感じてしまう。

以前から書いているように、わたしは人は恐くはない。少なくとも暴力的な感じを与えない人であるなら・・・いや、どうだろうか。確かにわたしは500人の聴衆の前で30分間話してくださいと言われればできるだろう。また過去には様々な講演会で、所謂「著名な」講師に向かって異議をぶつけてきた、周囲はいわば講師のファンたちである。
しかしデイケアに通っていた一年間、プログラム中は誰よりも発言したけれども、それが終わると誰にも話しかけることはできなかった。つまりわたしは用意された場所や時間 ── 講演会の質疑応答の時間、デイケアで認知行動療法について話し合う時間 ── でなければ人と気軽に話すことができないのかもしれない。「自分に自信がない」というのではない。人と話を合わせることができない。雑談ができないのだ。
無趣味である。何にも関心がない。テレビを視ない、ラジオを聴かない、新聞は敢えて読まない、You Tubeを利用していた時も所謂「動画」というものは視ないで、ラジオ代わりに使っていた。それすらも最近は止めてしまった。読書家というのが苦手、アニメやゲームに全く関心がない。基本的に年下が苦手。

・・・・じゃあいったいどんな人間となら話が合う・・・話せるのか・・・どんな話題なら・・・

自分でも見当がつかない。


ひきこもり当事者のブログを、いくつか読んでいる。
本当に、事情は人それぞれ、状況の捉え方も様々だ。

その中でも、特にその苦しさが伝わって来るのは、今現在、毒になる親の元で閉塞感や絶望感と戦っている人のブログ。

わたしに閉塞感と絶望を与えるのは「現代」という時代の在り方だ。そして唯一の理解者・・・否、理解できないままに面倒を見てくれているのが母の存在である。

「毒になる人」からは逃れられる。それはかなり困難なケースも多いだろうけれど。日本の行政はDVだろうと、虐待だろうと、様々なハラスメントだろうと、ストーカーだろうと、いつもモタクサして後手後手に回っているから。見ているといつも「手遅れ」になっているようだから。しかし運が良ければそのような毒になる存在から逃れることは不可能ではない。
では「毒になる時代」からはどうやって逃れればいい?
海外への移住は余り現実的ではないだろう。

長期になるなら、困った時に相談できる管理人みたいな人も必要かも。

わたしが困って相談した時に、都の精神保健福祉センターが、保健所が、市の障害者支援課が、デイケアのスタッフが、適切なアドバイスをしてくれたか?経験とネットワークと情報量の多さを以てわたしを救ってくれたか?そもそも彼らはわたしが何に困っているのかさえ分からなかったのではなかったか?いや、それを非難することはできないだろう。そもそもわたしは他者と言葉が通じない・・・人との意思の疎通が図れないのだから。

わたしと話が合うのは1,000人に1人と主治医は言った。現実に上記のような有様だ。極端な話をすれば、「この人物さえ消えてくれれば自分の人生はがらりと変わる!」というのならまだ救いはある。しかし現代という時代がわたしを苦しめている以上、楽になれる方法は自分を消すこと以外にないのではないか。









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