2020年9月24日

ワタシハ ドウスベキナノカ?-3-

 
昨日(水曜日)、母が市役所に行って、グループ・ホーム体験入居(?)(短期滞在?)の申請書をもらってきてくれた。役所の職員によると、市だけではなく、東京都や国もこの事業に関係しているらしく、「審査」に約2ヵ月はかかるということ。

涼しくなって、多少気力が戻って来たのか、これまではまるで考えられなかった「死」のことをまた少しづつ考えられるようになった。


なぜわたしはグループ・ホームに行こうとしているのか?

● この夏、わたしも母も、満足に動くことができなかった。それでも母は、最低限ふたりの50代の障害者の面倒を見てくれたが、わたしはほとんど何もできなくなっていた。現状が維持されるとしても、最早80代の母一人で、ふたりの50代の障害者の面倒を、文字通り、「何から何まで」見ることは不可能だと考えたから。

● 弟がここに帰ってきたがっているから。

● わたしが出れば、現在、決して快適とは言えないケアハウスにいる父もここに帰ってくることができるかもしれないから。

● わたしが母に暴力を振るう可能性が全くないとは言えない状態だから。
(何故か?)わたしはストレスを解消する方法を持たないから。恒常的なイライラ・・・一触即発の状態の中で生きているから。


問題点

● グループ・ホームに何を求めているのか?そもそもわたしに共同生活(のようなこと)ができるのか?

● グループ・ホームに入ったら、何かいいことがあるのか?
ここであろうと、グループ・ホームであろうと、たのしみのない人生に何の意味があるのか?

ここに居られないことは確かだ、けれども、何処へ行ったら、生きる意味を見いだせるのか?人生とは「生きる意味を見出すための終わりのない旅」なのか?

● 障害者向けグループ・ホームが「老人ホーム」と異なり、「(なんらかの形での)就労」乃至「ひとりで生活すること」へのプロセスの場であるとしたら、わたしはそもそもどちらも望んではいない。いかなる形の就労も、ひとりで生きてゆくことも・・・


最後に厳然たる現実

● 母と自身の衰えで、ここで二人で生活してゆくことは不可能。

● 弟がここに帰りたがっている。そしてわたしは弟とは暮らせない。

● わたしが「いなくなれば」弟と父がここで暮らせる。二人ともいわばわたしが暴力を振るう可能性を避けて出ていくことになった。本人に暴力は振るわずとも、家の中のものを壊したり、窓を素手で叩き割ったりくらいはするだろうという自覚がある。

● ここに居れば母にさえ暴力を振るうかもしれない。

●ストレスの原因と思われるのは?「文明社会」

●「死ねないこと」













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