2020年9月30日

友の言葉

 
持ち物を処分するため、高校時代からの友人Tくんに、彼が以前「いいものだから大事にした方がいいよ」と言っていたテクニクスのレコード・プレーヤーをもらってもらえないかと尋ねたところ、残念だけど、自分の部屋にも置き場所がないから・・・という返事だった。

高校時代、放送部で共に「番組」を作り、そして軽音楽部で一緒にバンドをやり、また、30代前半の頃だろうか、夏になると一緒に京都へ、岐阜の郡上八幡へ、琵琶湖へ、丹後へと旅行をしていても、彼を単純に「ともだち」と呼ぶことにいささかの躊躇いがあるのは、彼はわたしのように、心の問題とか人生について話をすることを避けていたからだ。しかし今にして思えば、そのような話を避けていたからこそ、これまで付き合いが続いてきたと言えるのかもしれない。

彼について印象深いのは、わたしは既に高校時代から、「なんで?」「どうして?」「何故?」の人だった。数学が苦手で、試験前だったかあるいは追試の際だったか、放送室の黒板を使って彼に教えてもらった。彼が「・・・で、こう展開するの」というと、すかさずわたしが「どうして?」と訊くのだ。彼は決して、「どうしてもなにも、そういうものなの」とは言わなかった、何故?どうして?を繰り返すわたしが納得するところまで遡って丁寧に教えてくれた。
昔からわたしは「そういうもの」と言うことがわからない人間だった。「そういうもの そういうもの」ばかりで、「それはどうして?」のない人生なんて考えられなかった。


今回わたしは単に「身辺整理」であるとしか言わなかった。「レコード、ビデオ、画集など、どうしようと思ってる。売って金にするつもりはないんだ」と。

彼は返信の最後に、

「なんにしても(わかっているでしょうが)とにかく手放すと
2度と手に入らないと思ったほうがいいと思います。

くれぐれも慎重に」

という意味深な言葉を添えていた。

これを「意味深な言葉」と感じるのはわたしの深読みだろうか?

わたしはもうこれ以上は長くは生きられないと感じている。また生きる意欲もない。

手放すと二度と手に入らない・・・くれぐれも慎重に・・・

ふと思い出す言葉

Alice: ” How long is forever? ” 

White Rabbit: ”Sometimes, just one second.”

アリス「永遠てどのくらいの長さ?」

白ウサギ「時にはほんの一瞬さ」

『不思議の国のアリス』 ルイス・キャロル


時に高いビルの屋上から飛び降りる瞬間を考える。その数秒が「永遠の後悔」となるのだろうか?
漱石の『夢十夜』の中の、船から飛び降りた男の挿話のように。

その時、友の言葉が頭の中に蘇るのだろうか?

「手放すと二度と手に入らない・・・くれぐれも慎重に・・・」









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