2020年9月14日

無題


8月まで2年半、約900の投稿のあるこのブログを離れてから文章が書けなくなった。

御本人の承諾もなく紹介させていただくと、以前から、継続してではないが、折に触れて覗きに行くブログがある。わたしとはさまざまな面で違う ── といって、わたしに似た人など見たことはないのだが ── 何故か読んでいてほっとする。

わたしには彼女のような文章は書けない。

「さまざまな面で違う」と書いた。最も大きな違いは、わたしのブログはある意味で反・社会的で攻撃的な一面を備えていた。味方は極めて少なかった。そして当然かもしれないが、「障害者」「引きこもり」を軽侮し差別するブログの恰好の「批判・愚弄」の対象になった。
何故か?わたしが「社会を批判する障害者だったからだ」

彼らの十年一日のごとき「愚鈍」なロジックはこうである。「自分を弱者の立場に置いておきたい」「自分が被害者であると思いたい」「自分は悪くないと・・・」

つまりこの愚昧なる論者達によると、この世界には「社会による犠牲者も」「社会的弱者」も「社会の仕組みによる被害者も」現実には「いない」ことになっている。

呆れるほど幼稚な議論で、これをアメリカ社会に当て嵌めると、「黒人たち」は「自分たちを」「犠牲者だと思いたい」人たちということになる。何故か?「社会に対し反抗的だから」「今・現にある社会に従順ではないから」である。

では「自分たちは弱者(被害者)で、あると思いたい・・・」存在ではないと、彼らにわからせるにはどうすればいいだろう?簡単である「右の頬を殴られたら大人しく左の頬を差し出」せばいいのだ。そうすればわたしたちは「自発的主体的弱者」になる。


── 同時にわたし自身もあらゆること・・・つまりこの現実世界との敵対にほとほと疲れてきたということも、このブログを退いた一因でもあった。

かならずしもいつも攻撃的な社会批判ばかり書いてきたわけではない。けれどもどうしても冒頭で紹介したブログのような「穏やかな目」で世界を観ることができない・・・













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