2020年9月20日

正当な自己否定


わたしの両親は、わたしが35歳で社会から完全にリタイアした後、わたしの記憶にある限りただの一度も「仕事はしないのか?」と言ったことはない。そして両親ともに、「結婚」「恋人」などという話を口にしたことがない。必ずしも両親が無関心・放任であったわけではない。現にそれ以前にもそれ以降にも、何人もの精神科医と出会ってきたが、「働く」「仕事」という話が医師から出てきたことは一度もない。ある精神科医は、両親に負担をかけていることを気に病んでいることに対して言下に「生活保護ですね」と。

つまり現在の主治医も含めて、わたしがいかなる形に於いても「仕事ができる人間」ではないということを誰もが弁えていたのだ。
大田区に住んでいた最後の六年間を生活保護で生活していたが、ケースワーカーに言われた。「あなたに仕事が勤まるわけがないじゃないですか」 

誰もが「わたしが無能者である」という認識を共有していた、という意識はない。寧ろ誰もが「わたしに向いていないこと」を弁えていたと考えている。負け惜しみでも何でもない。
現にいま誰かが、仕事を斡旋してくれても、結婚相手を紹介してくれても、それはお断りする。
芸人は下手も上手いもなかりけり 行く先々の水に合わねば・・・

そういう意味で、「できないこと」「向いていないこと」を決してさせようとしなかった両親に感謝している。

最後の最後になって・・・いや、最後の最後までというべきか・・・最も憎むべき相手はわたし自身であった。














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