2020年9月26日

無意味な生

 
わたしはグループ・ホームに入って「生活を立て直す」なんてことはまったく考えていない。
第一「生活を立て直す」ってなんだ?
昼夜逆転が再びひっくり返ったところでやることなど無いのだ。
主治医はハッキリといった「あなたは作業所のようなところには向いていない」
大田区にいたころのケース・ワーカーは「あなたに単純作業のような「根気の要る仕事」が勤まるわけがないでしょう」

できることもなければやりたいこともない。
また敢えて言えば生きていたいとも思っていない。
「仕事をするか餓死するか」と問われれば、餓死することを選ぶだろう。
「いつ」「どこで」「どのように」・・・死ぬことは真剣に考えるに価するが、生きること等どうでもいい。

わたしはこれまで文字通り、毎日毎日上げ膳据え膳で暮らしてきた。けれども安息、安楽を感じたことは片時もなかった。あたりまえだ、人の犠牲の上に生きているのだから。
じゃあ何故、こけつまろびつしながらでも自分でつましくとも生きてゆこうとしないのか?
簡単だ、生きるということがどういうことかわからないからだ。










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