2020年9月22日

過去からの訪問者?未来からの訪問者?

 毎日がつまらない。人との接触がまるでない。最後にデイケアに行ったのが3月3日。その後6か月間音信・出席がなく、継続の意思を伝えなかったので、9月3日でわたしはデイケアの利用者ではなくなった。先週、2月に行ったきりだった主治医のところに約7か月ぶりに行ってきた。毎度書いているように電車で二駅だが、ひとりでは無理なので、母に付き添ってもらった。
眼科には2ヵ月に1度くらいの頻度で行っている。といっても、お互いに用があるのは「この目」であって、わたしという個人ではない。

母以外との接触が、そのような形でしか持てない。
しかし一方で、どうやって人と接触が持てるかという次元の話では最早ないのだと感じている。端的にいえば、わたしは「現代人」ではない、ということ。

スティーヴン・ホーキング博士は「もしタイムマシンというものが可能なら、未来からの訪問者は何処にいるのだ?」と言った。しかしここに過去からの訪問者がいる。わたしがそもそも「現代人」と同じ生き物であると言っていいのだろうか、という疑問がある。現代のことを何も知らない。なんとかわたしにわかるのは、わたしが生きていた20世紀のことばかり。見方を変えれば、わたしと母以外は全て「未来からの訪問者」であるといえるのかもしれない・・・


嘗て山田太一氏は、「ノスタルジーとは過去のいいとこどり」だと言った。

わたしはそうは思わない。確かにどんな時代にも、それこそ「喜びも悲しみも」等しくあって、いいことずくめの時代など、どこにもなかった。わるいことばかりの時代も、なかった。わたしたちが子供のころには、すでに「公害」や「交通戦争」「受験地獄」と呼ばれるようなマイナスがあった。

しかしそれでも、ノスタルジーは過去の美味しいとこ取りではなく、わたしたちがどのような喜びと悲しみの詰め合わせを選ぶかだと思うのだ。
極端な言い方をすれば、現代と過去とを選べるなら、わたしは戦争や公害もひっくるめて、やはり過去を選ぶ。何故ならわたしには「現代のいいとこ」というものがさっぱり見えないのだから。







0 件のコメント:

コメントを投稿