木村敏の指摘するように、分裂病の大きな特徴のひとつに「自然な自明性の喪失」或いは
「自明性の欠如」というものが挙げられる。
簡単に言うと、1=1というものは疑う余地のない自明性=「当たり前のこと」とされているが、わたしには何故1=1であるのかがわからない。
分裂病患者を含めた精神障害者にとってさえ、「この世界がこの世界である」ということを疑う人間は少ないのではないだろうか。
けれどもわたしにとって、この世界はまったく「不思議な世界」なのだ。
ここでわたしの思考は止まってしまう。仮に「良くなる」ということが、「わたしという主体」と「外界」「他者」との良好な関係の構築を意味するのだとすれば、この、わたしにとって「不思議な世界」と、世界にとって「(わたしという)奇妙な存在」との間に、どのような架橋が可能であるというのだろう。
普通の障害者にとって、「治る」ということが、こぼれ落ちた皿に戻ることだとすれば、
わたしが「戻るべき場所」とは果たして何処なのだろうか?
ー追記ー
ある本の紹介に幼い子供があらゆることに疑問を持つと書かれていた。
「なんでパンツはくの?」
「なんで明日って来るの?」
わたしの「自明性の欠如」とは、ほとんどこの次元に等しい。
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