2020年12月20日

わたしの現実

 
このところ、生きていることが殊の外苦痛だ。一日12時間は寝ているだろうか?しかし、残り12時間も起きているという自覚が無い。
 
やることが無い。やりたいことが無い。本を読む気になれない。映画を観る気になれない。
 
働く気はまるで無い。また、仮に月30万円、趣味や遊興費に使ってもいいからと金をもらっても、使い道が無い。
 
以前は「夢は第二の生である」というネルヴァルの言葉を引用したりしたが、最近は夢も見ない。見ているのかもしれないが覚えていない。
 
「人生はこれを生きるよりも、これを夢見たほうがいい。もっとも、生きるとは夢を見ることに他ならないのかもしれないが・・・」と、プルーストは言ったが、もはや、夢に逃避することもままならなくなっている。
 
自己の内面世界が消え去り、わたしにとって不快な「現実」「外の世界」が容赦なくわたしの内面を蹂躙する。もはやわたしには、外界に拮抗するような強固な内的世界を作り上げる気力も能力も残されていない。
 
「人間は自由の刑に処せられている」と言ったのは、サルトルだったか、フロムだったか・・・
 
しかしわたしは決して「自由」ではない。自由にバスや電車に乗ることができない。
外の世界に出ることに(公共の交通機関を使った移動に)大きな桎梏が、制約がある。
 
「聴覚過敏」というものをよく知らないが、それは「音そのもの」「音という刺激・信号」に対する生理的な拒否反応ではないのか?
 
無論わたしにも「音と言う刺激」への拒否反応はあるが、それ以上にわたしを苦しめるのは、何故、薬局で、小鳥のさえずりが、せせらぎの音が聞こえるのか?いったい何のために?という途轍もなく大きな疑問である。
 
 
わたしが気軽に立川駅界隈に行けず、自宅に戻れないものだから、母がここで暮らすために必要なものを運んでくれている。わたしは、もう母は、父と、弟の世話だけ見てくれればいいと思っている。
 
あと数回、必要な品を持ってきてくれれば、当分母がここに来ることもなくなるだろう。
 
そうすればわたしは完全に一人。
 
為すことなく、会う人無く、行く場所無く、話す者無く・・・
 
わたしがひたすら望むことは、母の負担を1グラムでも減らすことである。ただし、わたしがここで、それなりに人並みの生活をすることを望まれてもそれに応えることはできそうにない。
 
人並みの生活とは言うまでも無く、「食事」と「睡眠」と、なんとかひとりの時間をつぶすことである・・・
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

「現実」ということについて


あるブログを眺めていて、興味深い記述に出会った。コメント欄に意見を記そうと思ったが、
どうやらそのブログのアカウント(?)を持っていないとコメントができないらしい。

「御坊哲」さんという方の「禅的哲学」というブログである。タイトルの下に、

「禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。」と書かれている。

今日は12月8日に書かれた「あるがままの世界」という記事から抜粋引用する。
なおこの記事は、12月6日書かれた「無色無音の世界」と対を成してるらしい。
 
 
 
科学では、感覚抜きの物的事実を真実としていますが、西田は感覚で直接とらえたもの(純粋経験)こそ実在の事実すなわち真実であると言います。逆に、科学における感覚抜きの物的事実というのは推論による解釈に過ぎないと言っているのです。このことは仏教における「あるがまま看よ」ということに通じていると思います。


 現前するものをすべてそのまま現実として受け入れる。それが「あるがまま看よ」ということであります。それは別に科学を否定せよということではありません。生きていくためには科学的なものの見方考え方は必要であります。ただ、ものごとの解釈にとらわれ過ぎて現実の世界を見誤ってはならないということなのです。禅の書物には、坊さんがやたら「喝!」と怒鳴ったり、棒でたたいたりと結構乱暴なシーンがでてきますが、これは意表を突く大声や痛みによって、相手に今生きている世界を実感させるという意味があります。私たちは感覚の世界の中に生きていることを実感するということが、地に足を着けて生きるということなのでしょう。

    (下線・太字Takeo)

  ◇

  「ものごとをありのままに」見るということが果たして可能だろうか?例えば、一枚の画が目の前にあり、その画の「ありのまま」とはどういうことだろう?「見る」「聴く」「嗅ぐ」「触る」そして「味わう」という行為と、「解釈すること」とを分けることができるだろうか? 

 
「世界」と「私」とをつなげているのは個々人の主観に他ならない。わたしの主観、わたしの眼差しと無縁の「あるがまま」の客観的世界などどこにあるのだろう。
 
西田は感覚で直接とらえたもの(純粋経験)こそ実在の事実すなわち真実であると言います。」
 
わたしも同感である。わたしがこの目で見た街の姿、この耳で聞いた車内のアナウンス。それは、「わたしの感覚にとって苦痛である」ということが紛れもない「真実」である。
 
芸術作品と、現実=外界との類比が必ずしも的外れであるとは思わない。
この画が嫌い、この彫刻は気味が悪いという者の感性がなんら「狂っていない」のと同様に、「この街は醜悪である」という感覚もまた狂ってはいない。もし狂っているというのなら、その根拠は何か・・・
 
 
 
 
 
 




2020年12月19日

堕ちよ・・・

 最近のわたしはますます人間のことが分からなくなってきている。
 
昨日、八百屋でりんごを買うときに、前の若い男性の客が、現金を支払うことなく清算を済ませて立ち去っていった。それを見てなんともいえない気分になった。「こんな世界にまだ生きてるのか?」という自分自身に対するある種の苛立ちのような感情だろうか。
 
昨日は眼科に行ってきた。以前から通っていた眼科で、いまの場所からは当然バスに乗って立川まで行き、そこからJRで二駅である。眼圧がなかなか下がらないという。わたしは、「もうこちらでできる限りのことはしたし、試せる薬も試したのだし、もういいですよ。かといって、(4月に白内障の手術をした)井上眼科に通うことはわたしには無理ですし」

医師は、「そう簡単にあきらめないでくださいよ・・・」更に薬が追加された。


できれば今年中はもうバスにも電車にも乗らずに過ごしたい。
 
その状態が続き、スーパーで買い物をして、食べて寝るだけの生活にほとほと嫌気が差せば、
光はおのずと見えてくるのではないか。
 
来年4月以降、余程のことが無い限り、精神科への通院も止めるだろう。
生きる意味を捜し求める者にとってと同様、生きることを止めたい人間にとっても、精神科は何の役にも立たない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2020年12月18日

過去

 
過去への愛着が強ければ強いほど、「現在」への憎しみも大きくなる。
 
過去の思い出を抱きながら、現代とも歩調を合わす、そんな器用な真似はわたしにはできない。
 
 
 
 
 



たのむから静かにしてくれ!

 
前回の医師との面談で、自分がもし勝手に自分の病名をつけるとしたら、「境界性人格障害」だろうと言った。けれども、やはりわたしにはより強く統合失調症の傾向があると感じる。
何度も繰り返すが、木村敏の言うように、「自然な自明性の欠如」というものが統合失調症の顕著な特徴だとすれば、今現在のわたしは何よりもそれに強く当てはまるからだ。
 
普通の人たちは、「いま、目の前にある現実」 を自然なこと、当たり前のこととして受け止めて特に意識することも無く日々を過ごしている。
 
さて、あれやこれやが自明のことであるならば、今更ながら事々しく言うにはあたるまいと思うのだが、どうもそうではないらしい。そこがまたわたしの頭を混乱させる。
 
常識というものは、改めて言うまでも無く、みなに共有されている認識のことではないのか?
常識とは、既にある集団の文化様式として、その構成員にとって無意識裡に内面化された言動ではないのだろうか。だからこそ、「自明のこと」と言われるのではないのか?
 
だとすれば、全ての電車、全てのバスで執拗に繰り返される、「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」とか「必要な人に優先席を譲りましょう」とか「やむを得ず急停車することがありますので、手すりやつり革におつかまり下さい」と一日中電車の中で繰り返されるのは何故か?
 
それらのアナウンスをここまで執拗に繰り返すと言うことは、それらは、── 「駆け込み乗車が危険である」とか「必要な人に優先席を譲る」ということは、この国では、なんら「当たり前のこと」ー「今更言うまでもないこと」ではないのだろうかと訝る。
 
バスにしても、「走行中の座席の移動は危険ですので、座席の移動はバスが止まってから・・・」なんていうのは、わたしのようなものでさえ、「あたりまえ」という以前に、ただうるさいだけの無駄口のように聞こえるのだが、何故そんなことを飽きもせずバスの走っている間中垂れ流し続けるのだろうか?
 
いったい自明のことと、自明ではないことの境目は何処にあるのか?
 
言うべきことと言う必要の無いことの境目は何処にあるのだろうか?
 
この国には所謂読書家という者たちが殊の外多いようだが、静寂を愛さず、平気で電車やバスに乗れる神経に内奥への深い沈潜など望むべくも無いと言っておく。そして思索を好むものは本を読むことよりも、寧ろ静寂の中に座すことを好むと言うことも・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2020年12月16日

追記 


 
I was in the darkness;
I could not see my words
Nor the wishes of my heart.
Then suddenly there was a great light —

'Let me into the darkness again.


Stephen Crane, I was in the darkness, 1895 
 
*

In the desert
I saw a creature, naked, bestial,
Who, squatting upon the ground,
Held his heart in his hands,
And ate of it.
I said: "Is it good, friend?"
"It is bitter - bitter," he answered;

"But I like it
Because it is bitter,
And because it is my heart."


Stephen Crane, In the desert , 1895
 
 
 
 
 
 
 

底彦さんへ、「精神性」についての断想

 
先日のわたしのコメントに対し、体調の優れない中、長文のお返事をいただいたことに感謝します。
 
>「こんなこと」というのは, 日々, 食べて寝るだけの生活を指しています.
この生活を私は無為なもののように感じてしまうのです. 

 
>「人並の生活」というのは, あまりうまく伝わるかどうかわかりませんが, 食べて寝るだけではない, 確かに自分は生きているという感触が得られるような生活のことです. 何か生きる目的があるとか, あるいは自分を向上させたいという意思があるとか, そういうことです.
それができないから, それが現在の自分にとってはとんでもなく難しい, もっとはっきりと言えば無理なことだから, そのようなものを求めてしまう思いから「抜け出したほうがいい」と書いたのです.
 
わたしも底彦さんが感じておられるような「無為徒食」の生活を日々続けています。
 
またそもそもわたしはかつて底彦さんの言われる「生きているという実感」を味わったことがあったかと訝ります。かつての底彦さんにはそのような体験があったのでしょうか。
 
そしてまた底彦さんにとって、そのような体験が過去にあったかどうかにかかわらず、今現在、どうすれば「自分はいま生きている」という実感を掴めるのでしょうか?
 
それはやはり、絵を描く、本を読む、数学をするといった、精神的・知的な領域において以外にありあえませんか。
 
個人的なことを言えば、わたしはもはや精神的・知的営みに何の興味も持てない、全てが虚しく感じられるのです。
 
底彦さんとの大きな違いは、あれもやりたいこれもしたいというものをもちながら、病気がそれを妨げている状態にある人と、そもそもなににも関心の無い者の違いでしょうか。
 
しかし「無為徒食」でそれこそなんの楽しみも「生きがい」も持たずに暮らすことは苦痛です。そのような生活者は早晩滅びます。
 
それでいいのだと思います。
 
 
 
 
 
 
 


2020年12月15日

精神医療との訣別

 
多摩総合医療センター 精神神経科で、現在わたしを診ている若い医師は、3月いっぱいで異動になる。彼はこのような変則的な医師との話し合いが後任のドクターに引き継がれるとは思わないと予めわたしに伝えている。
 
そこで考えるのは、4月以降わたしはどこかの精神科に通う必要があるのだろうか?という疑問である。そのことに関してわたしはたぶんに懐疑的である。現実にわたしが最も必要としているのは内科の薬であって、精神科で出されている薬で、これがないと困るという薬は無いように思う。
 
わたしの主訴である、「他者と良好な関係を築くことができない。また良好な関係を維持することができない」それに加えて、「現代社会と融和できない」という二つの問題が、精神医療によって改善されるとは思えない。
 
合わないものは合わないのだ。
 
スマホを持った者たちがひどく醜悪に見える・・・否、彼ら、彼女らが自分と同じ人間とは思えないという感覚をどうやって治すというのか?
 
たとえばカウンセリングで、「実はスマホを持った人たちも、あなたやわたしとまったく同じ人間なんですよ・・」などという詐欺師みたいな人間に付き合っている時間も金も無いんだよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2020年12月12日

希み

 
1月の精神科の診察の際、頻繁に外に出るようになってから、電車やバスに乗る機会が大幅に増えるようになってから、いままで以上に生きていることが苦しくなっている。可能ならばもう生きることを止めたい・・・と率直に伝えようと思う。
 
わたしが狂っているのか、世界が狂っているのか?いずれにしても、一方が狂っていたのでは共生は困難だ。
 
今回の記述式のテストで、冒頭に書かれている短文に続けて、100文字くらいの文章を作るという課題で、【自殺を】-「全面的に肯定する」
「死は」-「ある種の人たちにとっての究極の「救済」に他ならない。」
「将来」-「のことを考えたことはない。」
というようなことをつらつらと書いたので、医師も心理士も、わたしの深い厭世観・厭人観は既に承知のはずだ。
 
「引きこもり」であるわたしが、ほぼ毎日、スーパーに行く、このひと月に、銀座に行き、吉祥寺に行き、国立の古い喫茶店で友人と話した。そのような日が重なるたびに想うことは

「もう いいよ・・・」


 

 

 

 

 

断想・・・

 
先週、都立多摩総合医療センター 精神神経科の医師の指示による、心理士による「心理テスト」3種類が終わった。その分析と結果報告は、1月はじめに医師によって行われる予定だ。
 
個人的にいちばんたのしかったのは第一回目の「ロールシャッハテスト」であった。
ご存知だと思うが、左右対称の画を10枚みせられて、それぞれの画が何に見えるか?と質問される。
本当にいろいろに見えるものである。
「この画が○○以外に見えることなんてあるんだろうか?」と考えてしまうような画も含まれていた。
 
その後、「何故この画がそう見えたか?」 という質問がある。ひとつの画が、まったく関係のない別の画に見えることもある。それについても、どの部分がそう見えるのか?という問いが為される。

さらに、この中から、いちばん好きな画、いちばん嫌いな画を選ぶ。家族をあらわす画をそれぞれ選ぶ。そして自分を表す画を選ぶ。
 
「世界はわたしが見ているようにある。」 どのように見えても「間違い」というのは存在しない。
 
一方で現実の社会というのはこれとは逆に、画を見せられて、「ここに二頭の馬がいます」といわれれば、それに否ということはできない。問題は見る側が世界を=目の前の画をどう見るかではなく、その画に何が描かれている(とされている)かなのだ。そしてそこに描かれている「二頭の馬」が、揺るぎない「現実」ということにされている。
 
 
心理テストの結果に関してわたしが希望するのは、とにかく特殊であること。
「狂人」でも「驚くべき知能の低さ」でも何でもいい。少数派でさえあれば。

「わたしは誰とも似ていない」という、いわばわたしの切実な「孤独感」「孤立感」を受けて、そもそもこの心理テストが行われたわけだが、わたしが希望するその結果が、「あなたはきわめて特殊な存在です」というものだというアイロニー。ちなみに「極めて特異な存在」に優劣は存在しない。「特殊性」「一回性」」というものには「比較の対象」及び「優劣の規準・尺度」が無く、「序列」から隔てられた存在なのだから。
 
 
先日眼科に行った時、横に、携帯用の酸素ボンベを持った男性がいた。
袋に入っていたのでよくわからないが、小型(?)のもののようであった。 
それを見て思わず微笑んでしまった。
なぜなら、わたしも外に出るときには、(電車やバスに乗るときには)音楽を聴くヘッドフォンと、更に、その上に被る、遮音用のイヤーマフが欠かせないからだ。
もしこの国の電車やバスがもっと静かなら、わたしはどこへでもいけるのに、とつくづく思った。
わたしも彼と同じ「障害者」である。


ほぼ毎日自転車でスーパーに行っているが、いつも人が清算するレジに並ぶ。
先日あるお年寄りが、何度入れてもお札が出てくると困っていた。店員が来て、「曲がっていたり折れてたりするとお札が出てきちゃうんですよ・・・」
つまり、それらはまっとうな紙幣ではないとみなされるわけだ。
 
「屈折」したり「捻じ曲がったり」している者は「人に非ず」という時代も遠くはないのだろう・・・遠くはないどころか、現代(いま)がまさにそういう時代なのかもしれない。
 
それを眺めていて、「おばあちゃん、もういいよ、こんな時代・・・」とつくづく思った。「ぼくたち長生きし過ぎちゃったね・・・」
 
確か記述式の心理テストで、「私があこがれるのは」だったか「私が羨ましいと思うのは」という設問に、わたしは、「既にこの世を去った人たち」と記入した。
 
そしていま、わたしは酸素ボンベを欠かすことができない人や、自動清算機でまごまごしているお年寄りの存在にどれほど支えられていることか。
 
「出来ない人がいる」 ということがどれほどすばらしいことか。
 
 
「無」「ゼロ」を起点として、「さて、この世界は他ならぬ自分にとって生きるに価するか?価するとしたらそれは何故か?」同じように「生きるに価せずと判断したのならそれは何故か?」
これは人間存在にとって根源的且恒常的な問いであるはずだ。
 
一方で「生」を、「目前の現実」を起点として、いかにしてそれに遅れずについてゆくか?
万一遅れたら、倒れたら、いかにして追いつくか・・・それのみにこころを砕いている者と、わたしと、所詮話が、言葉が通じるわけがないのだ。 











2020年11月18日

敵対者

 
以下、ラグーナ出版の編集の方に宛てたメールより抜粋引用します。


ブログに関しては、しばらく別の形で、別の場所でやろうかと思います。
現在のブログは、主に、普通と違う自分を表現してきましたが、それを突き詰めてゆくと、
健常者はもとより、精神に障害を持った人たちとも、ある種の敵対関係が生じるようです。

健常者はいうまでもなく、精神を病んだ人たちの言葉もわたしには届かないし、わたしの言葉もまた、健常者にも、障害者にも届きません。

昨年1年間のデイケアを通じて、また当事者たちのブログを読むにつけ、「何故!?」という想いばかりが頭の中に浮かんできます。
いちばんの大きな違いは、わたしは現代という時代、そしてこの社会を憎み、嫌っています。けれども、わたしの知る限り、殆どの(或いは「多くの」)障害者は、一刻も早く(何らかの形で)「社会復帰」をしたいと望み、それがはかばかしくない状態にある自分を責めているように見えます。
わたしはこのブログで、「治癒するということの意味」を問い続けてきましたが、多くの当事者たちにとっては、(現行の社会の姿がどうであろうと)とにかく一刻も早く良くなりたい=社会に戻りたいの一点張りに見えて仕方がありません。
そんなにまで「この社会」が好きか?と呆れる思いです。

そしていま、わたしはいわば「障害者と敵対する者」という位置に自分が立っていることに気づきます。

そのような対立は単に不毛なだけだと感じます。もう少し自分の内面から離れたところでブログを続けたいと考えています。(そもそも初めはアート・ブログから始めたわけですから)

「障害者だから障害を持った人の気持ちがわかる」「引きこもりだから、引きこもっている人たちの気持ちがわかる」ということは、わたしに限って言えば、当てはまらないようです。

最初は、ああ、ラグーナ出版が、あるいは「ラグーナ出版のような」場が近くにあれば・・・などと考えていましたが、仮に「ラグーナ出版」が東京にあったとしても、〔やはり〕わたしはみなさんの仲間にはなれそうにありません。

わたしの言葉は、心の病を持った人にも、そして誰にも届きません・・・









2020年11月17日

断想(わたしは誰とも似ていない)


 ● 明日は多摩総合医療センターで、初めての心理テストをする。カウンセリングの初回である。カウンセリングは1回30分。わたしとしては1回2時間・・・とは言わずとも、せめて80分、最低でも1時間のセッションを週に2回。それを2年間くらいは続けないと本当の「カウンセリング」にはならない気がする。


● ロールシャッハというものは、随分子供の頃に学校でやった気がする。
あれは必ず「何か」に見えなければいけないのだろうか?わたしはどのような図形(?)を示されても「インクの染み」にしか見えない気がする。


●「わたしは誰にも似ていない。」その言葉に多摩総の医師は興味を示したように感じられる。
「ワタシハダレニモニテイナイ」極言すれば、精神の障害の有無にかかわらず、「人間といういきもの」と似ていない、ということ。けれども、仮に人間誰もが「世界の孤児(みなしご)」であり、「ただひとり世界に遺棄された者」であり、「誰もが本来的に孤絶した存在」であるならば、そもそも「自分に似た者がいる」ということは矛盾してはいないか。


● わたしにはこのおぞましくもグロテスクな社会への復帰を目指す障害者の気持ちが全く理解できない。


● わたしには、「先のこと」を考える障害者の気持ちがわからない。
この時期方々のブログに「来年は・・・」などと書かれているのを見て不思議の念に囚われる。何故「明日」のことを計算に入れられるのだろう?基本的に人間の存在は「明日ありと 思ふこころのあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」ではないのか?
「来年のことを言うと鬼が笑う」というのは全く眞實である。
「明日も生きている」という前提はなにを根拠にしているのか?


●「いま苦しめられている様々な症状が完全に消滅し、なおかつ今後衣・食・住に関する一切の心配の必要がなく心身ともに完全に健康な状態で百歳まで生きる」という条件と、「向こう三日のうちに、一切の苦しみもなくこの世から消滅することができる」という条件の選択を迫られた時に、「引きこもり」を含めた多くの「精神障害者」たちが前者を選択するであろうことをわたしは頗る怪訝に思う。
治癒とは畢竟、この醜悪極まりない世界と懇ろになることに他ならない・・・







2020年11月14日

孤独と生

 
このところ、「生きる意味」というものがますますわからなくなっている。

「孤独の中で生きるということ」・・・

「生」が自己一身の中で循環し完結しているということがわたしには理解できない。

孤独の中に生き、自分のために飯を炊き、自分のために飯を食い、自分のために本を読み、自分のために展覧会に行き、映画を観に行く。それに一体何の意味があるのかがわからない。

「人生はひまつぶし」というやつだろうか?

"Mostly I just kill time" he said. "And it dies hard" 
ーRaymond Chandler  'Long Goodbye' 1953

「時間をつぶす」、英語では”Killing Time”という。”Die Hard”は「容易には死なない」

人生は時間をつぶすことであり、それがなかなか容易ではないのなら、時間ではなく、自分を殺す方が手っ取り早いのではないかと考えてしまう。

わたしには孤独の中で絵を観ることや読書することに「時間をつぶす」以外の(以上の)意味を見出すことができない。

読んだ本について、観た絵や映画について語り合える存在のいない人生は、少なくともわたしにとっては無に等しい。


或る人からのメールの返事がなかなか書けない。

仮に人間というものが本来的に「孤絶した存在」であるのなら、(しかしこれは”No man is an island”=「誰も島ではない」というジョン・ダンの説に真っ向から対立してはいないか?)そのような過酷な生を人は生きることが可能なのだろうか?

わたしの、ひとつ前からのブログに頻繁にコメントを寄せてくれていた女性が好きだと言っていた言葉・・・「人は誰しも世界の孤児(みなしご)だから、時々手を繋ぐ必要があるの」
しかし、世界の孤児同士が一体どのように「手を繋ぐこと」が可能なのか。誰とも手を繋ぐことができないからこそ「この世界の孤児」であり「世界にたったひとり遺棄された者」ではないのか?


人が本来「孤絶した存在」であり「世界のみなしご」であるのなら、わたしは「生まれてきたことが敗北なのだ」というシオランの言葉に深く頷かざるを得ない。
同時に、自分のために読み、自分のために書き、自分のために食べ、自分のために観、聴き、学ぶこと・・・自己という一個の存在の中で完結する生の在り方というものが理解できない。

或いはわたしには自己を分割するという能力が欠如しているのかもしれない。
「本を読む自分」「それを愉しむ自分」「音楽を聴かせる自分」「それを聴く自分」「食べ物をつくる自分」「食べる自分」

人が完全なる孤独な存在であるなら、最早自分自身を「与える側」と「受け取る側」に分割する以外に「孤」から「独」から抜け出す方法はないのではないか。

人は誰しも孤独だからこそ、本があり、音楽があり、芸術・芸能があり、映画があるのだという意見もあるかもしれない。けれども、人が本当に孤独な存在であるなら、一体、本が、音楽が、芸術が何の役に立つだろう。その「生という地獄」の中に在って・・・

わたしはよく「喪失後の世界」ということについて語って来た。
愛弟子、顔淵を喪った時、孔子は「天、予を喪(ほろ)ぼせり!」と慟哭した。
けれども孔子は顔淵亡き後も生き残った。

辺見庸は親友=心の友ともいえる者をふたりも獄中で亡くしながら(ひとりは執行前に病死、ひとりは死刑)も尚生き延びている。

何故か?

つまり、孔子にも、辺見にも、「顔淵」に代わる代替品がいたからだ。

言い換えれば、孔子にとっての顔淵にしても、辺見にとっての大道寺将司にしても、決して「かけがえのない存在」「それなしでは生きて行くことができない」ような存在ではなかったということだ。

我々・・・否、わたしは、なにものかの存在(他)(との関係性)によって「生かされている」そして、あたりまえのことながら、その存在とともに滅びる。何故なら「孤独な生」などというものに何の意味も見出すことができないから・・・いや、「意味を見出す」などと言う以前に、孤独では生きてゆけないから。


[関連投稿] 「誰がために鐘は鳴る

cf  ' I am a rock' Simon and Garfunkel / ' Every time we say good bye (I die a little)...' Ella Fitzgerald  


ー追記ー

人が、「喪失後の世界」にも尚生き永らえることのできる存在であるとしたら、人間とはなんと厚かましくも図太い存在なのか・・・
















2020年11月12日

生きる意味

 
わたしとおなじように孤独で、たいして美味くもないコンビニ弁当をひとりで食べている独居老人に、「あなたは何のために生きているのですか?」と訊いてみたいという興味はわたしにはまったくない。ひとはこれこれという「生きる意味」を持たなければ生きられないのか?
そうではない。彼は、彼女は存在している。いま、現に生きている。まさにそれ自体が生きる意味ではないのか。

生きる意味を問いかけることは、ある意味、問いかける対象の生の在り方に対する懐疑である。わたしはホームレスにも、生活保護で細々と生きている老人たちにも、その生き(てい)る意味を問う資格を持たない。彼らはその存在自体で既に貴いからだ。

けれどもわたしは自らに問いかけずにはいられない。

お前は何にために生きるのか?と。

何故か?

わたしは「生自体」を、その意味と、目的とすることができないからだ。

わたしには生きるために拠って立つ瀬、足場が必要なのだが、自分にはそれが見えないからだ。

自分自身の内側に生の根拠を持つ者もいれば、わたしのように、わたしという存在を支える、「外部」が不可欠な者もいるのだ。












2020年11月11日

生き残る、ということ

 
松竹の『男はつらいよ』シリーズ第一弾の最初のセリフは、花見客でにぎわう江戸川沿いの様子を映し、そこに、車寅次郎の「さまざまなこと 思い出すさくらかな」というナレーションが被るのだと記憶している。

今東京立川の団地の周囲は桜紅葉が散り敷いている。

さまざまなこと 思い出す 桜紅葉かな ・・・である。(チト字余り)


荷物の荷解きをしていたら、詰め物に使った新聞紙・・・10月31日付けの東京新聞第一面の記事が目に入った。見出しは「東京老舗の味 相次ぐ閉店」その横に、「コロナ直撃 政府支援息切れ」と書かれている。

30日で暖簾を下した新橋駅前の居酒屋「新橋三州屋」について、記事では、

「四月以降の売り上げは前年比九割減。最近はやや持ち直したものの七割減が続いた。持続化給付金なども受け取ったが、人件費や家賃を「とても穴埋めできなかった」と店長の見米(みこめ)さん(六十歳)は語る。政府の「Go To イート」の恩恵を充分に受けるには予約サイトへの登録が必要で、六十~八十代の従業員に対応は難しかった。

この記事の最後に亜細亜大学の教授は、
政府の「Go To イート」についても、「ネットを使えない店や客は恩恵にあずかれない。ほんとうに困っている人を助けられているか疑問」
と指摘した、とある。

しかしこの文章はおかしくはないか?

「ほんとうに困っている人を援ける」のは国=政府の責任であって、それが何故「恩恵にあずかる」というような妙な表現と結びつくのだろう?
飲食店は、「援けてもらう」のではなく、国が彼らを「助けなければならない」のだ。

「新橋三州屋」についての 、政府の「Go To イート」の恩恵を充分に受けるには予約サイトへの登録が必要で、六十~八十代の従業員に対応は難しかった。」云々という文章の当否は一先ず措くとして、わたしは三州屋の店仕舞いを必ずしも悲しいとは思わない。

つまりわたしが言いたいのは、このような時代に、ネットに縋ってまで生き延びる意味とはなにか?ということだ。

めまぐるしい時代の変化に易々と順応して生き残ること。それは人であれ、店であれ、文化であれ、ひどく見苦しい。


わたしは人工の音声と言うのが苦手で、電車にもバスにも乗ることが難しい。
府中にいた頃、昨年末の駅ビル、東武ストアの改装で、レジのほとんどが自動精算に切り替わった、それまでは「お会計」という札が下がっていたところが、Casher (キャッシャー)になっている。

以前「そうだ、京都行こう!」というJRのコピーがあった。「日本語」である。
それが今はGo to イート、Go to トラベル・・・正に植民地根性丸出しである。

券売機で切符を買うことさえ苦痛なのに、スーパーマーケットで食料を買う時でも、
「オカネヲイレテクダサイ オツリト レシートヲ オトリクダサイ」等と聞かされなければならない。


行き着くところは、結局いったい何のためにわたしは未だに生き永らえているのか?という大いなる疑問である。

母は、しばらくは週に2度くらいはわざわざ電車とバスを乗り継いで、ここまで来てくれる。しかしそれが週に一度になり、10日に一度になり・・・

わたしがここでたったひとりで生きている意味とは何だ?

わたしがここに来たことは間違いではなかった。父が、劣悪な環境のケアハウスから解放される。母にとっても、わたしが常に思っていた、2マイナス1が成ったわけだ。いづれにしても、母が3人の面倒を見ることは最早不可能な状態であった。

そしてわたし自身を振り返った時、母の負担が多少でも減った今、「自動支払機」だの「キャッシュレス」などという時代の中で尚、生き永らえる意味とはなにか?

相次ぐ「これからのあたりまえ」によって、最早スーパーでの買い物すらも難しくなった。わたしをわたしたらしめていたもの・・・わたしと「世界」を接続していたモノは既にどこにもない。そんな真空地帯の中で、「わたし」という、世界のなにものとも繋がっていない完全なる「孤立」にして「無援」(且「無縁」)なる者が、尚、めしを喰いつづける意味とはなにか?















 










































2020年11月3日

 
「人間」の廃業にともない このブログを終了します。







正しさについて

 
「間違ってもいいんだ」と人は言う

しかし

「間違っていてもいいんだ」と彼らは言えるだろうか?










多様性への懐疑、或いは人間廃業宣言


弟と話していると、自分が本当に救いようのない愚か者のように思えてくる。弟もまたわたしを愚図のうすのろだと思っているのだろう。そしてその見方は正しいのだ。

人それぞれの多様性、違い、と言うけれど、やはり「正しい生き方」「誤った生き方」というものが客観的にあるように思えてならない。
そして弟は正しく、わたしは、嘗ていろいろな人に指摘されてきたように、「誤った存在」なのだ。

「わたしはわたし」などというのは所詮は言い逃れに過ぎない。「正しさ」「正しい生き方」を目指さなければならない。けれどもそれができない、それをしたくない人間がいる。

それは最早まっとうな「人間」ではない。「人間をやめた」存在だ。

これまで様々な講演会に行き、その道の専門家に対して、遠慮なく異論を申し立ててきた。
「そうではないだろう」と思ったからだ。

多くの講師はわたしの言い分にきちんと耳を傾けてくれた。ある評論家は、わたしの発言をそのまま自著に引用した。

けれども、弟には何一つ言い返すことができない。100%わたしが間違っているのだとしか思えないからだ。

弟の前にでると、正に蛇に睨まれたカエルのようになってしまう。

そして弟の傍にいると、引きこもりである自分が完全に無能なアホウのように思われ、
その想いが広がり、果ては、世の反・引きこもりの意見は決して間違ってはいないのではないか、とさえ思えてくる。

しかし、嗤われ、蔑まれ、鞭打たれるのはわたしだけでいい。

「正しさ」それはその完全なる「正当性」故に、「正しく」「強く」生きることのできない人間を傷つける。








2020年11月2日

こわい こわいこわいこわい

 
弟がこわい・・・






「現実」

 
滅多にそういう機会はないが、弟と言葉を交わす度に痛感するのは、大事なのは「いま・目の前にある現実」を知ること、そしてそれを否も応もなく宿命として受け入れることであって、数百冊の文学書や哲学書など(もしそれが現実の世界(=リアル)を知り、受け容れるために役に立たないのなら)一文の値打ちもないということだ。

レイ・ブラッドベリやオルダス・ハクスリー、ジョージ・オーウェルは教えてくれる。「本を読み、考えるような人間は、盗みを働く人間よりも罪が重い」と。
何故ならそれは「いま、そこにある社会そのものに対する不敬罪」に他ならないからだ。
もってけ泥棒!」 









わたしの狂気 弟の正気

 
数日前の投稿「言葉と社会」で紹介したブログ生き地獄の日々」。このブログの筆者は、ご自身を「人間の屑 廃人」と称されています。

わたしのブログのタイトルは、昨日、11月1日を以て『ぼく自身或いは困難な存在』から『人間 廃業 宣言』と改めました。それは「人間であるということ」に疲れ果てたこと、最早「人間」「ヒト」という生き物ではありたくないという気持ちの表れでもあります・・・
「生き地獄の日々」の筆者を、わたしは親しみを込めて、「廃人さん」と呼んでいます。

ここで過去の自分の言葉を三度(みたび)、繰り返します。
ああ、自分で自分を貶める ── 正確には「本来の自分」を直視することだが ──「言葉による自傷」は、時になんと快いのだろう。自分が最早これ以上落ちる(堕ちる)ことのない「どん底」の泥濘の如き存在であるという安堵感、最早人間ですらないという心の解放感。

このような気持ちを別の言葉で言い換えたものが「人間 廃業 宣言」なのです。

ただし、「廃人さん」はわたしとはまったく逆に、このどん底からなんとか這い上がり、社会復帰を目指しています。「自称」ではなく正真正銘の廃人であるわたしには到底真似のできないことです。

またわたしの知っている「底辺」を名乗る方もやはり、廃人さんと同じ精神の病に苦しみながらも、「日の当たる場所」へ歩を進めていこうと日々努めていらっしゃいます。

「人間廃業」を宣言したわたしと、「廃人さん」「底辺さん」とはここでお別れのようです。


引っ越しの業者をなかなか決めることができないわたしを心配してか、或いは業を煮やしてか、弟が、全部自分がやるからと言ってくれました。ところが弟は、わたしが決められない理由を改めて聞いて、真から呆れ果てているようでした。
弟の考えを一言でいうなら、「いったい人に何を求めてるんだ?」ということではないかと思います。
「電話の切り方が無礼」だとか「消費税分の金額を後から言うとか」そんな些細な事を気にしてたんじゃ永遠に業者なんて決まらないよ。というのが弟の言い分のようでした。
彼の基本的なスタンスは、わたしや母と違い、「世の中ってそんなもんだもん。しょうがないよ」。つまり「そんなもの」である世の中の在り方に不平不満を言っていたのでは、そもそも生きて行けないという、まったく反論の余地のない正論でした。

以前弟は、わたしの主治医に、わたしが本ばかり読んでいるが大丈夫なのかと尋ねたことがあります。これもまた一理もニ理もあるのです。

嘗て「ぼく自身・・」に書いたことがあります。


「何を読み、何を見、何を認識し何を考え何を感じたかがさらなる世界像を作る」ことは確かだ。しかし、そのことと、「世界を認識する枠組みは世界の中から変えていくことが出来る」ということを混同することはできない。
わたしが自己の感受性や美意識によって取捨選択し構築した世界、それはあくまでも「わたしという一個人」の「内的世界」「内宇宙」でしかない。そして自己の内側に、自己の美意識に基づいた世界を持つことは、「世界を認識する枠組みは世界の中から変えていくことが出来る」どころか、逆に現にわたしの外側に、「わたしとは全く無関係に厳として存在している客観的世界」との乖離を深めることすら意味している。

「何かを読み、何かを見、何かを認識し何かを考え何かを感じたかがさらなる世界像を作る」そのことによって、わたしはますます現実の世界から遠ざかってゆく。

繰り返す。

自分の美意識によって形作られた内面世界は、客観的世界と相容れない。
もし「今・そこにある世界」になんの不満も欠乏も感じていなければ、「内的世界の創造」の必要などないからだ。

 


弟が重視するのは、料金の安さです。自ら運送業界で働いていた彼には、料金の高さと業者の質とはまったく無関係であるということ、そしてそもそも、わたしが求めているレベルの「親切・丁寧」等を求めるのは、現実を知らなすぎるということ。所詮5万円のところも、2万円のところも大差ないのだから、それなら無駄な金を使うことは馬鹿々々しいと彼は言います。これもおそらくはその通りなのでしょう。

わたしが2度目に決めた業者の値段が、昨日キャンセルした業者よりも更に1万数千円も高いので、(弟が)キャンセルしようとしたら、先方は、「本人でないとキャンセルはできない」と言っている、と。わたしが「人が怖いので、電話には出られない」というと、再び呆れたように、「断ることができない契約だったらはじめからしないことだね」と。

弟は、徹底した現実主義者のように見えます。ある種の人たちのように、「現実を肯定」しているのではなく、「どのような現実であろうとも、それが現実である以上はそれが現実なのだ」という思想です。

わたしとしては、弟がいうように、「あまりにも現実世界を知らなすぎる」と言うことに、まったく反論の余地がないので、自分がボロ布のように感じられます。

そしてわたしがもっとも苦手とするのは、威圧的、暴力的な人と同じく、世の中で生きてゆくうえでの「正解」を知っている人たちなのです。
極めて俗な言葉で言うなら、わたしはどのような意味に於いても、「利口な人たち」が苦手なのです。「利口な人たち」は迷いません。自分を疑いません。何故なら彼らは既に、「正しい位置」に立っているのですから。

一方で、わたしのように無知な者は、今回のように、当然周囲の人間に迷惑を掛けます。

わたしは・・・わたしこそが、救いようのない「人間の屑 廃人」なのです。










2020年11月1日

人が怖い

 
引っ越し業者にキャンセルのメールを送りました。
情けないけれど、わたしは人が怖いのです。

確かに、500人以上の講演会場で、著名な講師に向かって異議を申し立てることはしてきました。
何故か?講師は決してそのような場で声を荒げないし、わたしを罵らない。まして暴力を振るうこともないと知っているからです。

確かに、インターネットの匿名の世界よりも、対面の方が、一対一の方が話しやすい。
でもそれもやはり人に拠ります。言葉であれ、態度であれ、表情であれ、威嚇的な人間はコワイのです。

以前もお話しましたが、デイケアの体験参加の際に、出席者の若い男性から、わたしの声や挙措に威圧感を感じると言われました。ひとがこわいわたしが、ひとをこわがらせていたのです・・・


今回のことで、やはり「社会に出ていない人間は」「ダメ」なのかと自問しています。

この度のキャンセル料、もらった段ボール代金は自分の貯金から払うつもりです。

断りを入れた業者の3倍かかっても、親切で丁寧な業者に頼みたい。

何故なら今は親切は金で買う時代です。

「無料の親切」などというものは撞着語法です・・・

とはいえそういう業者を探すことは、「親切な医者」を捜すのと同じくらいに困難なことでしょうけれど。金を払う客でさえ、親切にされるかどうかは、運次第。まして「患者」は客ではない。壊れた生物ですから。



ワタシハ ヒトガ コワイノデス












生きている資格

 


自分一人ですべてできない者が生きていてもいいのか?







わたしの傷・・・ わたしの狂気・・・

 
数日前のメールで、ラグーナ出版の川畑さんは、

「自分の異質性に気づけば気づくほど、他者(特に思考停止状態の他者)に期待することが少なくなってきました。」と書かれていた。

わたしはここで躓く、「期待すること」が「少なくなってきた」ということは、いまだ「他者」に対し、幾許かの期待は持っているということなのだろうか。

いったい他者というものに、「どのくらいなら」期待できるのだろう?


昨夜からほとんど寝ていない。配送業者が決まらないのだ。

日本通運は老舗であるにもかかわらず料金が安いが、わたしが利用したいと思っていたプランには「時間指定」がない。以前にも書いたことだが、わたしは待つということができない。
宅配便に「12時から2時の間に伺います」と言われると、もう11時半ごろから落ち着かない。呼吸が浅くなり脂汗が流れる。これは「修理・点検」などの「訪問」でも同じだし、また電話の「折り返し」というものもすべて断っている。「またこちらからかけ直します」と。

日通のこのプランでは、午前か午後という枠しか決めることができない。これではたとえどんなに安価であってもわたしには無理だと諦めた。

結局、先日弟が立川から戻って来た時に利用した業者に再度頼むことにしたのだが、今になって、まだ迷っている。所謂「赤帽」で、引っ越し業者ではない。

昨日は、母が電話で、最後にもう一点確認をしたいことがあったのだが、「忙しい」のか、ブツリと電話を切られた。
今日(土曜日)の午前中にダンボールを持ってきてもらうはずだったのだが11時半過ぎても何の連絡もないので、こちらから確認をしたら、「ここ」ではなく、「これから引っ越す先」へ持って行っていたという。そして料金について。最初に、いくらと決めてあったのだが、最後の最後になって、「それと、消費税10%プラスです」と後出しをして来た。わたしの常識では、「じゃあ〇〇円。それと消費税で全部で〇〇円になります」と言うものだろうと思う。


わたしや弟が無能な障害者であるがゆえに、母は未だに、この薄汚い世間の矢面に立たなければならない。そこでわたしは考える「人の世話にならなければ生きてゆくことのできない障害者の生きる権利」とは何か?と。

わたしは今でも、そしていつまでも決して忘れない。三鷹にあるSS堂という古書店が、わたしの売った本・・・それぞれに買った時の価格を合わせれば10万円は下らない古本を、4千円だと見積もったことを。そしてわたしが、その金を現金書留で、手数料を払ってSS堂に送り返したことを。
この時も最初に対応したのが母であった。

わたしは日本の男たちが、老いた女性を軽く見ているように思えてならないのだ。
そして今回、この業者に頼むことが、わたしの生涯の新たな怨念の元になるように思えてならない。

金で済むことならば、今回の10万円そっくり使ってでもまともな=親切な業者に乗り換えようかとも思っている。

わたしは人を信用していない。

何故か?

わたしは書いたはずだ。

”人を遠ざけるのは簡単だ。近づかなければ十分だ。”
ーフェルナンド・ペソア

*

”人を遠ざけるのは簡単だ。近づけばいい・・・”
Takeo 

わたしが人を信用しないのは、わたし自らが「愛されざる者」であるということを知悉しているからだ。

神は或いはユダを赦せるかもしれない。けれども、神は決してわたしを愛することができない。ゆえに万能ではない。


ロビンソン・クルーソーのような人間でない限り、人は他者に依存しなければ生きてはゆけない。ではわたしが依存できる存在が、この世界で、母以外に誰がいる?

そしてその母は、この日本では、わたしという無能な障害者同様、無価値な老婆に過ぎないのだ。











2020年10月30日

言葉と社会

 
以前から読んでいるブログの最新の投稿が気になったので、以下その記事を全文引用する。

引用元のブログは「ひとりしずか




ポトンと音がした。

見るとボタンが落ちている。

直径2cmくらいの大きめのボタン。

失くしたことに気づいた時には補填が難しい品。


教えようかなどうしようかなと、一瞬迷った私。

でもやめておこうと思った私。


ところが、

「落ちたよ」と大きな声をかけた人がいる。

おじさんだった。


ボタンを落とした若い女性は黙って拾った。

そして、

そのまま電車を降りて行った。

「ありがとうございます」も言わずに・・・


それが想定できたから私は教えてあげるのをためらったのかもしれない。

おじさん、あなたは偉いよ、実に偉い。

何の反応も返ってこなくても呟かなかったもの。

おじさんって言いがちだよね「礼も言わないのか!」って。

あなたは言わなかった。


今朝の電車での一コマ。


些細な社会的言語さえ発語しない人が増えている。

オ・マ・エは機械か。

次第に血の通わぬ機械になりつつある人間。

不気味だ。


仮にわたしがこのブログの筆者である露草さんの立場であったら、おそらくはわたしも彼女同様、落とし物を拾うことも「落としたよ」と声を掛けることもしなかっただろう。
落とし物を拾ってくれた人にお礼を言うこと。これを「些細な社会的言語」とは言い得て妙だと感じた。

以前愛読していたブログに書かれていた言葉が印象に残っている。

「俺は年上を敬えと言う時代に会社に入り、年上を敬わなくてもいい時代に、年下の上司のパワハラに遭っている」と。

わたしは上記の露草さんの文章に何も言うことができない。

露草さんは、「どうせ声を掛けてもお礼を言ってもらえないから」声を掛けなかったのではないだろう。わたしより少し年上で、今も電車通勤をしている露草さんは、「わたしたち」の「あたりまえ」が「今のあたりまえではない」ということを知っていたから、関わらなかったのだ。ボタンを落としたのが年配の方であれば、わたしも露草さんも、当たり前のように、「あ、ボタン、落ちましたよ」と拾ってあげるだろう。
そこには、「わたし」の「あたりまえが」相手にも共有されている(筈)という、曖昧で不確か乍らもある種の前提を持つことができる。

ボタンを拾ってあげた男性には、いつでも変わらない「あたりまえがある」という気持ちがあったのかもしれない。「お礼を言う」というあたりまえではなく、「人が物を落としたら教えてあげる」という「あたりまえ」である。

わたしや、おそらくは露草さんも、人に声を掛けることで、却って現代人との距離を痛感させられるのが厭なのだ。

声を掛けた男性の気持ちも、敢えて声を掛けなかった露草さんの気持ちもどちらも真っ当だと思うし、共感できるのだ。同時にわたしのスタンスとしては、基本的に「若い者」とは関わり合いたくないという側に傾斜している。


「社会的言語」という表現を露草さんはされた。

では果たして「社会的言語」とは如何なるものなのだろう?

今日、立川駅から約20分ほどバスに乗った、『うるさい日本の私』で中島義道も言っているように、最悪なのがバスである。

バスに乗っていられるギリギリの時間が20分である。それ以上は絶体に御免だ。駅からバスで40分などという場所には決して行けない。

バスの中で、エンドレスで流されるアナウンスは、果たして「社会的言語」なのだろうか?
もしそれを「社会的言語」と言い得るのなら、この国は社会的言語の洪水である。
そしてその洪水の中であえぎ、溺れているのは、現実にはごくごく少数の者たちだけである。


最近、偶然、メンタルヘルスのブログの中に興味深い記事を見つけた。
今年、2020年の、イグ・ノーベル賞、医学賞に「ミソフォニア」(=音嫌悪症)
の研究が受賞したという。


ざっとこのブログを読んでみて、わたしは「ミソフォニア」ではないと感じている。
それにしても、バスの車内の騒音で七転八倒している身には、「音嫌悪」「音恐怖」の苦痛は凄まじいもの=地獄であろうということは容易に想像がつく。

イグノーベル賞はノーベル賞のパロディーといわれますが、それでも知名度は抜群ですよね。
その医学賞がミソフォニアの研究なのですから、全世界のミソフォニアはこの受賞を知ったら大喜びですよね。
多くの人に、音嫌悪症というものがあるのだということを知ってもらい、咀嚼音や鼻すすりや様々な音が嫌悪の対象になっているんだということを理解してもらいたいですね。

みんなが一度でもそのことについて考えたならば、きっと世界はもう少し住みやすくなる、はず。

この言葉に深く頷くとともに、イグ・ノーベル賞医学賞に心からの拍手を送りたい。

わたしは外界の様々な音、臭い、光、色、などの刺激=信号に堪えられずに外出が困難なのだが、一方で、所謂聴覚過敏であるとか、ましてミソフォニアというものとは違う理由から音への憎悪がある。

おそらく「聴覚過敏」や「ミソフォニア」の方たちは、「刺激そのもの」「音自体」が苦手なのだろうと推測する。

けれども、わたしは、またおそらくは中島義道も、「何故このような音(アナウンス)が必要なのか?」というところで社会の中の(ノイズ=言語)との軋轢を生じている。

何故バスの中で、「横断歩道を渡るときは・・・」などという説明を繰り返し聴かされなければならないのかが理解できない。

以前にも書いたことだが、美術館でのど飴は禁止。何故ならば、咳やくしゃみで飴が飛び出して、作品を損ねるから・・・その話を窮極まで突き詰めてゆけば、何故そもそも「生き物」を美術館に入れるのかという話にはならないか?
めまい、立ちくらみで、思わず、壁や展示ケースに寄りかかってしまう可能性はほんとうにないと言えるのか?
美術品を毀損する意図を持った人間が入場していることは絶対にありえないという保証はどこにある?

バスで執拗に、「危険物の持ち込みはお断りします・・・」では、仮にほんものの危険物(爆弾など)を持ち、何処かを爆破しようとしている者がそれを聞いて「え?だめなのか・・・」と乗るのを止めるのか?

ほんとうに危険だと思うのなら、何故乗客全員のボディーチェック、所持品チェックをしないのか?


露草さんは書いている
オ・マ・エは機械か。

次第に血の通わぬ機械になりつつある人間。

機械ならぬ「生き物」である人間を電車やバスに乗せて運び、美術館で展示品を公開するということは、人間が未だ完全に機械になりきっていない以上、考え得るあらゆる危険をいちいち読み上げて、おやめください、ご注意くださいと言っていたのでは単に音の洪水が生まれるだけではないのか?そしてそれ以上に、人間が言葉(忠告・警告)で完全に制御可能という発想はどこから生まれてくるのか?換言すれば、およそ犯罪を犯すものは、自分の行為が「犯罪(=違法行為)であるということを知らなかった者たちばかり」なのか?

バスの降り際に、「どのバスもこんなにうるさいんですか?」と尋ねるわたしに運転手は、あたりまえのように「決まりごとがいろいろあるんだからしょうがないでしょう」とわたしの顔を不思議そうに眺めていた。

どこまでも愚鈍な国民・・・

「近代都市」というのは、誰もが、幼児をのぞくだれしもが、文字通り行く先々で手取り足取り乗り方降り方を教えてもらわずとも、公共の交通機関を「まったくあたりまえに」「自然に」利用できることであり、わからないで困っている人には、誰もが「あたりまえに」声を掛けてあげられる都市の、国民の在り方を指すのではないのか。仮にそれを「理想論」であるというのなら、この国に「先進国」を僭称する資格はない。また人間の成熟というのは、自分で状況を判断し、そして良きにつけ悪しきにつけ、自分の行動に責任を持つことだ。
毎日街の至る所で、「ああしましょう」「こうしましょう」と躾られている人間だらけの国が、所詮未熟な「子供の国」であることは言を俟たない。

ひとりしずか

ミソフォニアの日常

加えて

KITAISM


以上のブログの筆者に深く感謝いたします。








 


2020年10月29日

疑問

 
「差別主義者に人権はあるか?」

他者の人権を認めない者の人権の根拠は、果たして何に依拠しているのか?







2020年10月28日

駄々・・・

 
冷静で善良、そして「言論の力」を何よりも重んじる日本人諸賢にとって、時折海の向こうから聴こえてくる「数百万人規模のデモ」(一部暴徒化)だとか「数日間にわたるゼネスト」(医療、消防ほか生命の維持に関する諸機関を除き、都市機能ほぼ完全麻痺)などというニュースは、結局いい大人たちが、まるで小さな子供か、さもなければ反抗期の学生の様に「クニ」のやることに対して「駄々」をこねている、としか映らないのかもしれない。

それを「駄々」と呼ぶのならそれでもいい。けれども、「言論こそが正義」と信じて已まない日本の優等生たちが「駄々」と呼び冷笑する行為が、実は「民主主義の要」なのだということを知るべきだ。

古代中国に曰く

「上に政策あれば 下に対策あり」

決して

「上に政策あれば 下に弁論アリ」ではないのだ。









2020年10月27日

ペソア

 

”人を遠ざけるのは簡単だ。近づかなければ十分だ。”
ーフェルナンド・ペソア

*

”人を遠ざけるのは簡単だ。近づけばいい・・・”
ーTakeo 








全体主義の恐ろしさ

 
全体主義に於いては「正義」がはびこる。どのような形で?「正義に反する」という名の下での「処罰」が蔓延るのだ。
ところが正義の源をたどってみれば、「多数派」=「正常」=「正義」という虚構に過ぎない。









無思考と狂気

 ここ数日、東京は半袖の人も見かけるほどの気温が続いている。十月も末近いからなどと、季節で厚着をしていくと、ハンカチで汗を拭うことになる。

鹿児島の川畑さんも気温の変化で体調を崩されていたらしい。組織の代表だけに、今日は多少無理をして出勤されたのだろうか?川畑さんからのメールが届いていたが、返信は書かないでおく。返事を書かなければ、という負担(?)を多少でも減らしたい。

今日は用事で立川に行ってきた。月曜の午後。立川駅周辺はいつもと変わらぬ混雑ぶり。朝夕のラッシュも「いつもと」変わらないのだろうと想像する。
昨年の今頃と変わらないのは、皆がマスクをしているということだけ。

駅前の携帯ショップの近くで、目的の店は何処かときょろきょろしていたら、店から制服姿の若い女性店員が現れて、客が去った後、いつまでも、いつまでも、最敬礼をしていた。最敬礼とは身体を直角に曲げる姿勢で、最大限の敬意を表す姿勢だ。

それを見て感じたのは、さすが日本。さすがに若者。さすがにソフトバンクだな、ということ。その姿形の延長線上には当然ながら「全体主義」-ファシズムの影が見え隠れする。
改めて断るまでもなく、これは全く個人的な印象だが、いつまでも客の後ろ姿に最敬礼をしていた女性にわたしは微塵も客への敬意を見ることはできなかった。おそらく1時間前には別の男性が全く同じ姿勢で客を見送っていたのだろう。


わたしと川畑さんが「狂気」と「他者性」について話を始めたときに、真っ先に挙げられた「狂気」が、「無思考状態での服従」であった。
プリーモ・レーヴィがもっとも恐れた「モンスター」=「疑うことをしない多数」である。

また仮に、ちょっと考えにくいことだが、その店員が、自分の意思で、上司や会社(本部)の支持とはまったく無関係に、40秒近く最敬礼をしていたのだとすれば、「彼女」はわたしの理解を超えた「完全なる他者」である。

たとえば電話というものは基本的に、掛けた方が切ってから受けた方が切る。要件が終わってすぐ切られるのは不愉快だ。
一方いったい誰が、いつまでも自分の背後で最敬礼をされて平気で、平静な気持ちでいられるだろう?

「他者性」とは単なる相違をいうのではない。それは自分がどんなに想像力を働かせても、ついていけない他者性のことである。例えばわたしにとって『家畜人ヤプー』のようなスカトロマニアの気持ちは最大限の想像力を働かせても生理的な拒否反応以外なにものも見出すことはできない。無論スカトロジーという嗜好自体にいいも悪いもない。
いいわるいを言うのならば、「糞便を食したい」という嗜好よりも、「家畜になりたい」という思考/志向である。

わたしには折からの逆光の中、いつまでも最敬礼をする影が人間には見えなかった。
・・・家畜・・・


プリーモ・レーヴィを恐れさせた「家畜」は決して、決して「無害」ではないということを強調しておく。


ー追記ー

「群れ」ることによって思考が一元化される。それが「全体主義」である。一方、スカトロジーであれネクロフィリアであれ、それはあくまでも本来的にマイノリティーである。
そして「全体主義」が最も嫌うものが、「異質性」であり「例外的存在」である。つまり法則的に、また避けようもなくスカトロジーはファシズムの敵になる。故にわたしは好悪を超えて、常に少数派=異端の側に立っていたいと思う。何故なら「全体主義」を最大最悪の「狂気」であると見做す視点から見れば、必然的にその対極に位置する「極個別的嗜癖」は「非・狂気」ということになるからだ。










2020年10月24日

関係性の障害と治癒

 
「治療者は患者にとって、さしあたってはまず、自己を侵害し、自己の自由を制約する他者の代表者とみなされる。
このいわば倒錯した治療構造を助長しているのが、精神病は ── 自殺を重大な例外として ── 原則としては放置しても死に至らない、したがって患者という個別的な有機体だけを視野に入れる場合には、治療の必然性が成立しないという事実である。個体の死への方向性を示さない「疾患」について、医学はどのようにしてみずからの基本構造を維持できるだろうか。
 (略)
精神科治療を必要とする理由が患者自身の内部にないという構造の中では、治療の対象となるべき病苦の座を患者個人の有機体器官の病変に置く自然科学的医学のパラダイムは、たちまちその有効性を失う。それにかわって、患者が家族の一員であり、学校や職場の一員であり、結局は社会の一員であるという仕方で、逃れ難く自他関係の網の目に取り込まれている構造そのものが、精神科治療の、そしてそこから派生する臨床精神医学の研究の本来的な関心事となる。
 

人間を含むあらゆる生物は、種の保存と個体の生存のために、絶えず環境との間に必要な関係を維持し続けている。その場合、生物の側の内部事情も環境の側の外部事情も、それぞれ刻々に変化し続けているのだから、両者の関係もけっして安定した恒常的なものではありえない。関係は常に致命的な断絶の危機にさらされている。生物はそのつどこの危機を乗り越えて新たな関係を再建するという仕方でこの関係を維持しなければ、生を保全することができない。生物が種全体としても個体ごとにも生きつづけているということは、要するに環境との関係が保たれているということ、関係が存続しているということである。生物の存在の意味が生存ということに集約される以上、生物の行動の支配する究極の意志は、環境との境界面に於ける関係の維持に向けられている。

ー木村敏『分裂病の詩と真実』第2章「関係としての自己」3「自己と他者」及び  4「自他関係の生命論的構造」(初出1995年)より


エリクソンが「精神疾患とは関係性の障害である」というように、そしてここで、木村敏が指摘しているように、わたしに関して言うならば「精神科治療を必要とする理由が患者自身の内部にない」ということがあてはまる。
木村敏の言葉を借りれば、「環境」は「わたし」という個体とも、また、種としての「ヒト」とも全く無関係に、自己目的的に勝手に変容を続けている。
しかし、わたしの視界に入ってくる「種としての人類」は個体としてのわたしの環境との軋轢・葛藤をよそに、やすやすと、環境の変化に即応しているように見える。
だとすれば、環境の変化に容易に適応できる者たち(=種)と「わたし」という個体との共通項とはいったいどこにあるのだろうか。
人間(乃至生物)は常に自己を取り巻く環境とともに生きる存在である。では、ひとたび損なわれ、喪われた(不可逆的な外部環境との)関係性の修復とはどのような形で可能なのだろう。


ー追記ー

ここで木村敏が言っている「環境」とは、例えば「地球の温暖化・寒冷化」そして今回のような「世界規模の感染症の流行」のような、主に、生物の「生体」に危機を及ぼす「環境の変化」である。
けれども、わたしは「街の景観」「社会構造の変化」といった「心理面に影響を及ぼす環境」をも含めて、広義の「環境」と言っている。人間が身体と精神を持つ存在である以上、「環境」との関係性に於いて、その「心理的側面」を無視することはできない・・・











2020年10月23日

負が背負う唯一性

 川畑さんとのやり取りをブログに用いることについて、川畑さんは、自分にとって貴重な体験をインターネットという「匿名の海」に投ずる事はできないと仰った。
その気持ちは非常によくわかる。

そのような極個的な関係に踏み込まなくとも、他者性を語る方法はあるはずです。

というわたしの返答に対して、

極個的な関係の「極個」という言葉にハッとさせられました。
そして、私がなぜ固有名にこだわるのか、他者性の文脈で分かりました。
それは、固有名は取り替えがきかない、ということです。
すなわち、私の「メール仲間」(という言葉)は取り替えがきくけれど、
「武雄」は取り替えがきかないということです。
他者性を前提にしたとき、この取り替えのきかなさ(極個性)が倫理の土台に必要、と考えました。

一般に健常者と対比して、障害者は欠損、不良品、無価値、無用という評価を与えられる傾向にある。けれども、欠損を抱える者、壊れてしまった者にこそ、その欠損ゆえに、「唯一性」ー「極個」性が備わっているという逆説が成り立つ。

すなわち
「健康でノーマルな人間はつまるところ、「群れ」に過ぎない」
ーアントン・チェホフ






 

断想

 
川畑さんとの対話の中で、「痴呆老人」や「重度の知的・精神障害などを持った人たち」のいのちの尊厳とは、という話が出た。

パスカルは人間の尊厳は「考えること」にあると断言した。しかしわたしはそうは思わない。

最早パスカルのいう「人間の尊厳」すら喪っている痴呆老人にも、いのちの尊厳はある。

その根拠となるのは、他ならぬ、わたしたちが、感情移入できるか?ということ。
誰かがその人間に対し感情移入することによって、命の尊厳は保たれるのだと思う。

この考えは以前からわたしには親しく、例えば二階堂奥歯の「ピエロちゃん」の話、
そして、マルセル・デュシャンのいう「アートというものは予めあるものではなく、私の眼差しが創り出すものだ」という考え方はとても親しみやすい。
眼差しが、「眼差す者」と「眼差される者」との関係性が、対象を「生成」すると考えるのだ。

このことについて川畑さんの言われたことが印象に残っている。

以前、教えてくれた言葉、
「不幸な人にしてあげられるただ一つのことは、彼(ら)に関心を向けることだ」(シモーヌ・ヴェイユ)は心に残っています。
ただ、「関心を向けること」は、「してあげること」ではなく、他者性とむき合うときの倫理(姿勢)のような気もします。
内側から湧いてくるものでなくては、嘘くさく(「福祉的に」「傲慢に」?)なってしまう気がします。
「嘘くさく」「傲慢に」という表現と「福祉的に」という形容句が同一線上に並んでいることに川畑さんの姿勢を垣間見た気がした。

同時代に生きたカミュや神谷美恵子が指摘したように、シモーヌ・ヴェイユの弱者への共感は一種常軌を逸していた。=「狂気を帯びていた」
川畑さんの言葉を借りるならば、シモーヌ・ヴェイユの虐げられし者達への姿勢は、「してあげる」とは対極ともいえる。彼女は常に、(存在の在り方として)「共にあろうとしてきた」それは単に「寄り添う」ということではなく、現実に「共に飢える」ことであった。ここにもひとつの、「狂的な」「魂」があった。

昨夜のメールの結びに「わたしは根っからの勉強嫌いですが、こういう対話そして議論は人一倍好きです。」

と書いたことに対して、川畑さんは再びヴィトゲンシュタインの言葉で応えてくれた。

「新しい言葉は、新鮮な種子に似ている。それは、議論という土地にまかれる。」




 


 


2020年10月22日

「他者性」について、思いつくままに

 
最近は、先日何回かブログで紹介した、鹿児島のラグーナ出版の川畑さんとメールでやり取りをしている。今「他者性」と「狂気」というテーマで話しているが、川畑さんはご自身の体験から導き出された言葉を語り、わたしはアカデミックな知識も、もちろん医療・福祉の仕事に携わったこともないので、いつものように、自分の直感で言葉を発している。

アメリカのフォト・ジャーナリスト、W・ユージン・スミスの「水俣」の写真を何枚か見たことがある。全身が硬直したような息子とともに湯船に浸かる母親の姿を見ると、自分の持ち合わせの言葉が ── 晩春の風に花が散るように ── 言葉という言葉が自分の身体から剥離してゆく感覚を覚える。そして気付くのだ。「自分はことばをもたない」と。
同じようなことは、ジェイコブ・リース Jacob Riis (1849 - 1914) やルイス・W・ハイン Lewis Wickes Hine (1874 - 1940) の写真を前にした時にも言える。

それらの写真について、「言葉で」表現することが、そこに写されている人間の在り方を「冒瀆」するように思えてならない。


「他者性」乃至「他者」という言葉は余りにも多様で、重層的で、且相反する命題を包含しているので、とても一筋縄ではいかない。

「他者」と言う時「異質性」「異物」「理解不能」「隔たり」といった言葉たちがシノニムとして挙げられるだろう。けれども同時に、「わたし」という個人にとって、「母」「親」「恋人」「親友」と言った存在もまた、紛れもなく「他者」なのだ。

では「他者」のアントニム(対義語)とは何だろう?他者の対義語は他ならぬ「我」だろうか?


川畑さんとの対話の中で「他者性の極北」という言葉が出てきた時、以前ここに書いた言葉を思い出した。

「わたしにとって熊が人間より優れている点は、ことばが通じないこと。
人間が熊よりも面倒なのは、ことばが通じないこと・・・」

嘗て「暴風雨の夜に思うこと」で書いたように、わたしは、「言葉が通じない」ことを以て他者性の極北とは思わない(無論川畑さんも同じだ)

わたしはクマやシカなどの動物=非・人間(ヒトでない生き物)を「他者」という範疇には入れることができない。

川畑さんが引かれた(惹かれた)ヴィトゲンシュタインの言葉を借用する。

「中国人がしゃべるのをきくと、わたしたちはそれを、ガラガラゴロゴという、分節化されていないうがいの音かと思ってしまう。
中国語のわかる人がきけば、それは言語であることがわかるだろう。
おなじように、わたしはしばしば、人間のなかに人間の姿をみつけることはできない
(ヴィドゲンシュタイン『反哲学的断章』丘沢静也訳、青土社、1988)

それに対しわたしは、

この話を聴いてすぐに思い出したのが、ディオゲネスの逸話です。もちろんご存知と思いますが、白昼アテネの街をランタンをぶら下げたディオゲネスが歩き回っています、みなが面白がって、何をしてるんだと訊くと、「人間を捜している」と。

ことばを共有し得ない存在。確かにこれも「他者性の極北」と言えると思います。

一方で、ディオゲネスやヴィトゲンシュタインは、まったく普通の人中に混じりながら、自己と周囲の間に隔たりを、異質性を感じていた。

何故、彼らは、現実に言葉が通じ、場に応じた衣服を着ることができる者たちに「他者性」を感じたのでしょう?
ディオゲネスやヴィトゲンシュタインの「狂気」が、彼らに「ごく普通の人たち」に「他者」を想起させたのでしょうか?

わたしはそれを離人症だとか、分裂病の前駆症状と簡単に片づけてしまいたくはないのです。

ディオゲネスやヴィトゲンシュタイン、さらに「わたし」が「彼ら」と「共有できていないもの」とは何でしょうか?

これは今では死語になっている感のある「群衆の中の孤独」というものとはちょっと違うと思うのです。そのような詩的でロマンティックなものではなく、「彼ら」は「わたし」にとって「他者」でしかあり得ず、同時に「わたし」は「彼ら」にとって、同様に、「異質の他者」でしかありえないという強い疎外感です。

先程の言葉をもう一度繰り返す。

「わたしにとって熊が人間より優れている点は、ことばが通じないこと。
人間が熊よりも面倒なのは、ことばが通じないこと・・・」

一方で「ヒト」以外の「動・植物」そして「重度の知的乃至精神障害者」のような「ことばが通じない存在」を、「こちら側」の存在であると見做し、(逆から見れば、わたし自身が、「彼ら彼女らの側」(狂気の側)に属し)、一方で極めて知的な人間、殊に人並み以上に言葉を巧みに操る人間に、「他者性の極北」(乃至「究極の嫌悪」)を見る。

これはいったいどのような心性なのだろうか・・・

「他者という存在」については、マルティン・ブーバーのいう「ME - YOU - IT」という関係性が何かしらヒントを与えてくれるのではと思っている。

存在を、Youでもなく Sheでも Heでもない’IT’と見做す瞬間に、「他者性」が発現するのではないだろうか。

ここで繰り返し繰り返し述べている「言葉の不通性」についても考えてみたい。





 








2020年10月21日

このブログについて

 
このところ文章を書くことが難しい。言葉を紡いでゆくことが出来なくなっている。
わたしにとっての「ブログ」というものは、「その時々に感じたこと、考えていること等を記してゆく」ものであった。プロフィールにも書いてあるように、「内面の記録」であった。
けれども、その時々に何を感じ、何を考えているのかが見えにくくなった。ときどきの「気分」はあるが、言葉にできるようなまとまった「気持ち」というものが見当たらない。
それは或いは、意識的・無意識的に「見ないように」しているのかもしれない。

ここ数日、或る人とメールのやり取りをしている。その人の本職は様々だが、ベテランのPSW(精神保健福祉士)でもある。あるきっかけから今は「他者性」と「狂気」について話している。長いやり取りではないが、対話を通じて考えさせられるところが大きい。

以前も書いたと思う。(主に海外のアート・ブログについてだが)「とても敵わないなあ」と感じさせられるブログに出逢えた幸運、と。メールのやり取りをしている人はブログを書いているわけではないが、学ぶところ多いという点で、出逢えてよかったと思わせる人であった。

ポール・ヴァレリーが、「友だち(他人)がわたしから引き出してくれるものが無かったら、我々は何と貧しいことだろう」と書いている。

このブログも一時、秀抜なコメントが多く寄せられていた時期があったが、今はもう見る影もない。そしてわたしは自分の中に何があるのかを自分で見つけることができない。

ふと、「その人」とのやり取りをこのブログに転載してみてはどうだろうかという考えが浮かんだ、そのことを先方に伝え、まだお返事は頂いていないが、その間にも「月にむら雲 花に風」の如く、コロコロと気持ちが変化する。

わたしにとって・・・現在のわたしにとって、ブログとはなにか?

「わたし」という特異な個人の考えをわざわざ公にする意味とは?

読者の多寡の意味するものは?SNSで多くの「いいね」や「スキ」をつけてもらうこと、少なからぬリツィートがあるということと、「わたし=書き手」との間にどのような関係があるのか?

「わたし」と、実際に会ったことはないが、声も顔も知っている人との個人的なやり取り、それが如何にわたしにとって実り多いものであったとしても、それが、このブログの読者にとってどのような意味を持つのだろう?

またその人とのやり取りに限らず、「わたしの内面」を「見知らぬ人たち」(Totally Strangers) に対して公にする意味が、わからなくなっている・・・


仮にその方の許可が得られて、ここに二人のやり取りを転載したとして、その他にわたしが個人的に書くことがあるのだろうか?

個人的な生活ではわたしの日々は風雲急を告げている、しかし、それと、「他者」である読者との間に何のかかわりがあるのだろう?

わたしに必要なのは「対話」であって、ここでの孤独なモノローグではないような気がしている。


ー追記ー

半年以上の猶予の後ではあるが、9月から「ブロガー」全利用者のダッシュボードの完全なリニューアルが終了した。そのことにより、ひょっとして頂いたコメントが表示されないどころか、コメントがあったことさえこちらには分からない場合もあると思います。

コメントが確実に届いているか不安に思われる方は、お手数ですが、コメント全文をコピーしていただき、右側のメールアドレスにメールを頂ければ幸いです。
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