松竹の『男はつらいよ』シリーズ第一弾の最初のセリフは、花見客でにぎわう江戸川沿いの様子を映し、そこに、車寅次郎の「さまざまなこと 思い出すさくらかな」というナレーションが被るのだと記憶している。
今東京立川の団地の周囲は桜紅葉が散り敷いている。
さまざまなこと 思い出す 桜紅葉かな ・・・である。(チト字余り)
◇
荷物の荷解きをしていたら、詰め物に使った新聞紙・・・10月31日付けの東京新聞第一面の記事が目に入った。見出しは「東京老舗の味 相次ぐ閉店」その横に、「コロナ直撃 政府支援息切れ」と書かれている。
30日で暖簾を下した新橋駅前の居酒屋「新橋三州屋」について、記事では、
「四月以降の売り上げは前年比九割減。最近はやや持ち直したものの七割減が続いた。持続化給付金なども受け取ったが、人件費や家賃を「とても穴埋めできなかった」と店長の見米(みこめ)さん(六十歳)は語る。政府の「Go To イート」の恩恵を充分に受けるには予約サイトへの登録が必要で、六十~八十代の従業員に対応は難しかった。」
この記事の最後に亜細亜大学の教授は、
政府の「Go To イート」についても、「ネットを使えない店や客は恩恵にあずかれない。ほんとうに困っている人を助けられているか疑問」
と指摘した、とある。
しかしこの文章はおかしくはないか?
「ほんとうに困っている人を援ける」のは国=政府の責任であって、それが何故「恩恵にあずかる」というような妙な表現と結びつくのだろう?
飲食店は、「援けてもらう」のではなく、国が彼らを「助けなければならない」のだ。
「新橋三州屋」についての 、政府の「Go To イート」の恩恵を充分に受けるには予約サイトへの登録が必要で、六十~八十代の従業員に対応は難しかった。」云々という文章の当否は一先ず措くとして、わたしは三州屋の店仕舞いを必ずしも悲しいとは思わない。
つまりわたしが言いたいのは、このような時代に、ネットに縋ってまで生き延びる意味とはなにか?ということだ。
めまぐるしい時代の変化に易々と順応して生き残ること。それは人であれ、店であれ、文化であれ、ひどく見苦しい。
◇
わたしは人工の音声と言うのが苦手で、電車にもバスにも乗ることが難しい。
府中にいた頃、昨年末の駅ビル、東武ストアの改装で、レジのほとんどが自動精算に切り替わった、それまでは「お会計」という札が下がっていたところが、Casher (キャッシャー)になっている。
以前「そうだ、京都行こう!」というJRのコピーがあった。「日本語」である。
それが今はGo to イート、Go to トラベル・・・正に植民地根性丸出しである。
券売機で切符を買うことさえ苦痛なのに、スーパーマーケットで食料を買う時でも、
「オカネヲイレテクダサイ オツリト レシートヲ オトリクダサイ」等と聞かされなければならない。
◇
行き着くところは、結局いったい何のためにわたしは未だに生き永らえているのか?という大いなる疑問である。
母は、しばらくは週に2度くらいはわざわざ電車とバスを乗り継いで、ここまで来てくれる。しかしそれが週に一度になり、10日に一度になり・・・
わたしがここでたったひとりで生きている意味とは何だ?
わたしがここに来たことは間違いではなかった。父が、劣悪な環境のケアハウスから解放される。母にとっても、わたしが常に思っていた、2マイナス1が成ったわけだ。いづれにしても、母が3人の面倒を見ることは最早不可能な状態であった。
そしてわたし自身を振り返った時、母の負担が多少でも減った今、「自動支払機」だの「キャッシュレス」などという時代の中で尚、生き永らえる意味とはなにか?
相次ぐ「これからのあたりまえ」によって、最早スーパーでの買い物すらも難しくなった。わたしをわたしたらしめていたもの・・・わたしと「世界」を接続していたモノは既にどこにもない。そんな真空地帯の中で、「わたし」という、世界のなにものとも繋がっていない完全なる「孤立」にして「無援」(且「無縁」)なる者が、尚、めしを喰いつづける意味とはなにか?
0 件のコメント:
コメントを投稿