以下、ラグーナ出版の編集の方に宛てたメールより抜粋引用します。
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ブログに関しては、しばらく別の形で、別の場所でやろうかと思います。
現在のブログは、主に、普通と違う自分を表現してきましたが、それを突き詰めてゆくと、
健常者はもとより、精神に障害を持った人たちとも、ある種の敵対関係が生じるようです。
健常者はいうまでもなく、精神を病んだ人たちの言葉もわたしには届かないし、わたしの言葉もまた、健常者にも、障害者にも届きません。
昨年1年間のデイケアを通じて、また当事者たちのブログを読むにつけ、「何故!?」という想いばかりが頭の中に浮かんできます。
いちばんの大きな違いは、わたしは現代という時代、そしてこの社会を憎み、嫌っています。けれども、わたしの知る限り、殆どの(或いは「多くの」)障害者は、一刻も早く(何らかの形で)「社会復帰」をしたいと望み、それがはかばかしくない状態にある自分を責めているように見えます。
わたしはこのブログで、「治癒するということの意味」を問い続けてきましたが、多くの当事者たちにとっては、(現行の社会の姿がどうであろうと)とにかく一刻も早く良くなりたい=社会に戻りたいの一点張りに見えて仕方がありません。
そんなにまで「この社会」が好きか?と呆れる思いです。
そしていま、わたしはいわば「障害者と敵対する者」という位置に自分が立っていることに気づきます。
そのような対立は単に不毛なだけだと感じます。もう少し自分の内面から離れたところでブログを続けたいと考えています。(そもそも初めはアート・ブログから始めたわけですから)
「障害者だから障害を持った人の気持ちがわかる」「引きこもりだから、引きこもっている人たちの気持ちがわかる」ということは、わたしに限って言えば、当てはまらないようです。
最初は、ああ、ラグーナ出版が、あるいは「ラグーナ出版のような」場が近くにあれば・・・などと考えていましたが、仮に「ラグーナ出版」が東京にあったとしても、〔やはり〕わたしはみなさんの仲間にはなれそうにありません。
わたしの言葉は、心の病を持った人にも、そして誰にも届きません・・・
届きますよ。誰かには。
返信削除はじめまして。
削除結局わたしのいう言葉が通じる通じないということも、「自分と似た者がいない」という感覚(事実)に起因するのかも知れません。逆に言えばわたし以外はみな同じように見えるということ。