2020年11月1日

わたしの傷・・・ わたしの狂気・・・

 
数日前のメールで、ラグーナ出版の川畑さんは、

「自分の異質性に気づけば気づくほど、他者(特に思考停止状態の他者)に期待することが少なくなってきました。」と書かれていた。

わたしはここで躓く、「期待すること」が「少なくなってきた」ということは、いまだ「他者」に対し、幾許かの期待は持っているということなのだろうか。

いったい他者というものに、「どのくらいなら」期待できるのだろう?


昨夜からほとんど寝ていない。配送業者が決まらないのだ。

日本通運は老舗であるにもかかわらず料金が安いが、わたしが利用したいと思っていたプランには「時間指定」がない。以前にも書いたことだが、わたしは待つということができない。
宅配便に「12時から2時の間に伺います」と言われると、もう11時半ごろから落ち着かない。呼吸が浅くなり脂汗が流れる。これは「修理・点検」などの「訪問」でも同じだし、また電話の「折り返し」というものもすべて断っている。「またこちらからかけ直します」と。

日通のこのプランでは、午前か午後という枠しか決めることができない。これではたとえどんなに安価であってもわたしには無理だと諦めた。

結局、先日弟が立川から戻って来た時に利用した業者に再度頼むことにしたのだが、今になって、まだ迷っている。所謂「赤帽」で、引っ越し業者ではない。

昨日は、母が電話で、最後にもう一点確認をしたいことがあったのだが、「忙しい」のか、ブツリと電話を切られた。
今日(土曜日)の午前中にダンボールを持ってきてもらうはずだったのだが11時半過ぎても何の連絡もないので、こちらから確認をしたら、「ここ」ではなく、「これから引っ越す先」へ持って行っていたという。そして料金について。最初に、いくらと決めてあったのだが、最後の最後になって、「それと、消費税10%プラスです」と後出しをして来た。わたしの常識では、「じゃあ〇〇円。それと消費税で全部で〇〇円になります」と言うものだろうと思う。


わたしや弟が無能な障害者であるがゆえに、母は未だに、この薄汚い世間の矢面に立たなければならない。そこでわたしは考える「人の世話にならなければ生きてゆくことのできない障害者の生きる権利」とは何か?と。

わたしは今でも、そしていつまでも決して忘れない。三鷹にあるSS堂という古書店が、わたしの売った本・・・それぞれに買った時の価格を合わせれば10万円は下らない古本を、4千円だと見積もったことを。そしてわたしが、その金を現金書留で、手数料を払ってSS堂に送り返したことを。
この時も最初に対応したのが母であった。

わたしは日本の男たちが、老いた女性を軽く見ているように思えてならないのだ。
そして今回、この業者に頼むことが、わたしの生涯の新たな怨念の元になるように思えてならない。

金で済むことならば、今回の10万円そっくり使ってでもまともな=親切な業者に乗り換えようかとも思っている。

わたしは人を信用していない。

何故か?

わたしは書いたはずだ。

”人を遠ざけるのは簡単だ。近づかなければ十分だ。”
ーフェルナンド・ペソア

*

”人を遠ざけるのは簡単だ。近づけばいい・・・”
Takeo 

わたしが人を信用しないのは、わたし自らが「愛されざる者」であるということを知悉しているからだ。

神は或いはユダを赦せるかもしれない。けれども、神は決してわたしを愛することができない。ゆえに万能ではない。


ロビンソン・クルーソーのような人間でない限り、人は他者に依存しなければ生きてはゆけない。ではわたしが依存できる存在が、この世界で、母以外に誰がいる?

そしてその母は、この日本では、わたしという無能な障害者同様、無価値な老婆に過ぎないのだ。











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