2020年12月16日

底彦さんへ、「精神性」についての断想

 
先日のわたしのコメントに対し、体調の優れない中、長文のお返事をいただいたことに感謝します。
 
>「こんなこと」というのは, 日々, 食べて寝るだけの生活を指しています.
この生活を私は無為なもののように感じてしまうのです. 

 
>「人並の生活」というのは, あまりうまく伝わるかどうかわかりませんが, 食べて寝るだけではない, 確かに自分は生きているという感触が得られるような生活のことです. 何か生きる目的があるとか, あるいは自分を向上させたいという意思があるとか, そういうことです.
それができないから, それが現在の自分にとってはとんでもなく難しい, もっとはっきりと言えば無理なことだから, そのようなものを求めてしまう思いから「抜け出したほうがいい」と書いたのです.
 
わたしも底彦さんが感じておられるような「無為徒食」の生活を日々続けています。
 
またそもそもわたしはかつて底彦さんの言われる「生きているという実感」を味わったことがあったかと訝ります。かつての底彦さんにはそのような体験があったのでしょうか。
 
そしてまた底彦さんにとって、そのような体験が過去にあったかどうかにかかわらず、今現在、どうすれば「自分はいま生きている」という実感を掴めるのでしょうか?
 
それはやはり、絵を描く、本を読む、数学をするといった、精神的・知的な領域において以外にありあえませんか。
 
個人的なことを言えば、わたしはもはや精神的・知的営みに何の興味も持てない、全てが虚しく感じられるのです。
 
底彦さんとの大きな違いは、あれもやりたいこれもしたいというものをもちながら、病気がそれを妨げている状態にある人と、そもそもなににも関心の無い者の違いでしょうか。
 
しかし「無為徒食」でそれこそなんの楽しみも「生きがい」も持たずに暮らすことは苦痛です。そのような生活者は早晩滅びます。
 
それでいいのだと思います。
 
 
 
 
 
 
 


2 件のコメント:

  1. こんにちは, Takeo さん.

    コメントを書こうと思いつつ, 酒で生活が荒れていたり, 鬱が酷くて寝込んでいたりしてできませんでした.

    鬱で動けずアルコール依存症の自助グループに参加できないことにより, 断酒の誓いを破って酒を飲んでしまう.
    飲み出すと止まらない. これこそ依存症です. 朝昼晩関係無く飲み, それ以外のことは全く何もできなくなる.

    食べて寝るだけの「無為徒食」の生活の行き着くところはこうした結末になります.
    おそらくこうやって滅んでいくのでしょう.

    私の場合, こういうときたまに素面に戻ると酷い鬱と罪悪感に襲われます.
    鬱は仕方が無いにしても, 罪悪感は必要無いという気がします. おそらく自分の中に妙な道徳観・倫理観が植えつけられてしまっているのでしょうね.

    Takeo さんは「生きているという実感」を味わったことは無いのですか?
    意外な気がします.

    私は Takeo さんのブログを読むたびに, その文学・詩・思想書からの多彩な引用に驚きます. そして数々のアートにも.

    それらは, Takeo さんの心の琴線に多少なりとも触れたからブログに引用しているのではないのでしょうか.
    そうした芸術作品や言葉が, それを受容できるだけの教養と知性を持った人間の生と共鳴しない筈が無いと思うのですが, Takeo さんの場合は異なるのでしょうか.

    短いですが, Takeo さんに伝えたかったコメントを残すことができて良かったです.

    お返事は気になさらないでくださいね.

    P.S. 追記の Stephen Crane の詩, いいですね. 心の深いところに触れられるようです.

    返信削除
    返信
    1. こんばんは、底彦さん。

      酒の記述全て拝読しました。何度も同じことを書いていますが、わたしは親しい人が、酒に、クスりに溺れようが、場合によっては人を殺そうが、「そのこと」によって嫌いになることはありません。
      一方で、底彦さんをそこまで苦しめているものの実態がわたしには想像できません。
      おそらくそれは、「鬱病」と呼ばれ、「PTSD」と呼ばれる症候群なのでしょう。

      >食べて寝るだけの「無為徒食」の生活の行き着くところはこうした結末になります.
      おそらくこうやって滅んでいくのでしょう.

      同じように見えても、わたしと底彦さんの「食べて寝る」は本質的に異なります。
      わたしのようにはじめから何もない者と、あれもしたいこれもしたいと思いながら、病気によって、症状によって、それができない状況とでは端から違います。

      最近底彦さんの2016年11月8日の記事を繰り返し読んでいます。繰り替えし。

      今わたしはここに記されているような気分の中を生きています。


      削除