最近、つまりブログを移転したころから、死を考えない日はない。
死に方というよりも、ここから誰にも気づかれず、着の身着のままでふらりと出ていって帰らない。
そんなことを頻りに考える。
孤独を感じている。
同じようにわたしの「世話」を焼いてくれる家族への申し訳なさを・・・
「わたしさえいなければ」そんな思いが何遍となくこころのなかで繰り返される。
いや実際にはもっと激しい、「役立たずめ、死んでしまえ!」というような罵りのような気もする。
「何者かの不幸の上に成り立つ幸せは・・・」クローチェはその後どう続けたのだったか?
何者かの犠牲の上に立った幸福などあるはずがないのだ。
わたしは「楽」であっても決して快適ではない。どころか常に自責の念に苛まれている。
では「楽」を捨てよ。
「楽」を捨てよ。
「楽」を捨てんとは思えども・・・
「ラク」
ずいぶんと長い間
苦労苦労できたけれど
この年寄りになって
なんの望みも捨てた今
やっと
ラクな気分になったようだ
残った苦といえば
さあ
死ぬときの
苦くらいか…
その苦のことを思うと
今のラクも
そんなに
ラクでもない気がしてくる…。
ー 天野忠
◇
「問い」
サクラメント市の
インデアンアベニュの
A・ジャドソン氏の
地階にある物置き場の
水道の蛇口の
ま下で
一日中
とつおいつ
なめくじが考え事をしていた
どうして
わしは
生れてきたか?
ー 天野忠
Ciao Takeoさん
返信削除私も毎日考えますよ
老いとか死とか、
だってみんな誰でも老いていき、歩いたり身体を動かすのが どんどん億劫になっていく自分を受け入れていくのだし、いつどこで どうやって死がやって来るかは誰にもわからない
明日やって来るかも知れないわけで、
だから、私は考えます
どうやって やって来るのかな?と
出来るだけ 人騒がせせずに逝けたらいいな、と
昔 象は死期が迫ると群れから離れて滝の裏とかでひっそり死ぬと聴いたことがあり、そういうのっていいなあといつも憧れていました
が、随分前に この話は 象牙密猟者たちが、自分たちが殺傷した象を隠すための作り話だと知りました
神隠しに合うような逝き方
できたら、みんなさっぱり 狐につままれたように、私というものが存在した事をも忘れてくれるとさらにいいなあと思います
私は居なければいい人など、この世に存在しないと思っています
あの安倍さんやトランプさんでさえ、当然ナメクジさえ、彼らが生まれ、存在する意味はあると思っています
何故かはきちんとわからなくてもそう思っています
天野忠さんの思考回路には とても共感を覚えます 笑
この「生きる意味」という繰り返し現れるテーマは、おそらく「健常者」と言われる人たちには到底理解できないものだと思います。
削除わたしがフォローしている中年のうつ病の女性のブログは、来る日も来る日も、生きるのがつらい、死んでしまいたい、何故生きるのか、楽に死ねたら・・・そんな文句で埋め尽くされています。けれどもわたしは自分のなかに同じ感情があるので、毎日の彼女の嘆きを聞いていて、一向に飽きるということはありません。
普通の人はチラっと見ただけで嫌悪感を抱くでしょう。
障害や病気を持っているから、死や、生きる意味を考えるのは当たり前で、そうでない健常者は、そんなことを考えることはナンセンスだと思っているのでしょうか?
昔から
「明日ありと 思う心の仇桜(あだざくら)夜半に嵐の吹かぬものかは」という親鸞の言葉に親しんできました。
とりあえず健康な人は誰でも明日があることを前提に生きているのですが、
わたしのように、人の世話で生かされている者にとっては生きていることはときに苦痛です。
象に限らず野生の動物は死期を悟ると群れから離れると言いますね。
イヌは飼い犬は別として、死期を悟るとどこかへ去るということらしいですね。
象は亡骸を埋葬するということです。人間でも、サイでも、もちろん仲間の象でも。木の枝や土で。これは動物学者の小原秀雄さんの本に書かれています。
或る時旅人が疲れ果てて、大きな樹の根元で寝ていたら、象が死体だと思って大きな樹の枝をどしどし積み上げてきて、危うく生き埋めになるところだったと。
>神隠しに合うような逝き方
できたら、みんなさっぱり 狐につままれたように、私というものが存在した事をも忘れてくれるとさらにいいなあと思います
ああ、いいですね。ただわたしはどこか、誰かに思い出してほしいという欲もありますけれど。葬式などご免ですが、わたしが今死んでもそれを伝える相手なんてもう誰もいませんからね。だからわたしは世話をしてくれる人(親)がいなくなれば自分も消えるつもりです。仮に億単位の金があって、何人ものお手伝いさんがいたとしてもね。もう充分です。
天野さんっておもしろいですね。わたしも共感するところ多いです。
コメントをどうもありがとう^^
Ciao Takeoさん
返信削除Takeo さんが思っているほど、「生きる意味」の問いかけは 私だけでなく、多分 ほかの人にも嫌悪感そんなに抱かせないと思うけど、、。
大体 生きる意味」とは、人間の根源に横たわっている最大の命題だと思うし、ナンセンスどころか なん百ものセンスを内蔵していると私は思っています
ただ、「生きる意味」に きちんとした、それも唯一の答えはあるのか? と私は考えます
私個人の感覚では、多分 答えはない、というか。見つからない
私も散々考えたのちに、答えを探すのをやめました
私は、自分を 健常者とは思っていませんし、まず健常者っていない、、でしょ?
そして 健常者と多分「銘打たれる」ような人々は 器用に自分や、自分の内からの声をあやしたり、上手くマネージして誤魔化せる事のできる人ではないかと思うのですが、そういう人たちは、答えが出ないと思ったら、問う事を多分やめるのだと思います
私は、今までに一度だけ人はこういう時に死ぬのだな と思った事がありますし、生というものには、激しく執着した事がありません
まあ、それほど死の近くまで追いやられた事もないのですが、苦笑
私は生と言うのは、学校に通うようなものだと (ちなみに、私は学校が嫌いです) 思っているので、でも、学校に通わなければいけない環境に自分を見出したのなら、私は取り敢えず、自分なりにきちんとやりたいなと思うだけで、ですから、生もそう言う感じです。
前にも言ったけど、私は生まれて来たくなかったことを覚えているので、で、なんで生まれて来たくなかったかと言うと、肉体を持って生きる事がとても大変な事だと「覚えて」いたので、ただ面倒臭いなあと思ったのです。
今でも面倒くさいなあと思いますが、私は基本 多分バカがつくくらい真面目らしいので、
与えられたものは与えられた限りはちゃんとやりましょう。なんてきっと思ってしまっているのでしょう
だから、私は生きていたくないと言う人の心境も、無理はないなあと わかるような気がします。
自分に関しては、取り敢えず 今回も生きてみようとは思っていますが、
へーー象に埋葬されかけた
私は動物を否定しているわけではないのですが、動物もこうして人間の感情に近い事をやると知ると、なんだかとても感動します
底にあるものは皆一緒だと思わされるからかも知れません
そうそう、猫は死期を知ると居なくなります
Takeoさん、梨木香歩さんという作家を知って居ますか?
私が一番好きな作家ですが、
彼女の書く日本語と彼女が描く世界がとても好きなのですが、
彼女の書く文章は、私が憧れ理想とする日本語そのものであり、
好きと言うより、愛しています。笑
その彼女の「家守綺譚」と言う作品を機会があったら読んでみていただけませんか?
私がとてもとても憧れている世界がそこにあります ふふふ
Takeoさんが居なくなったら、私は同じ感覚を屈託無く語り合える仲間を失って、とても寂しいだろう思います
そして、いつまでも思い出すと思います
こんばんは、Junkoさん。
削除「嫌悪感」というよりは、「そんなこと考えてなんになるの?」という、しらけた感情を持つ人が多いだろうと思います。考えて答えが出るもんじゃないし。
多くの人は言うでしょう「生まれたから生きる」ただそれだけだ、と。
或いは「そんなことを考えるのはよっぽどの閑人だな」と。
もちろん答えなどありません。ただ、そのようなことを自らに問わずにはいられないのです。考えようとして考えるのではありません。存在の内奥から自づと湧き上がってくる根源的な疑問です。
おそらくこのように自問する人はみな「答え」を求めているのではないはずです。また答えがあるとも思ってはいないでしょう。
ただその答えのない問いを生きている限り問い続ける、それがある種の人間の性(さが)或いはyy8さんの言葉ではないが「宿命」みたいなものではないかと。
>健常者と多分「銘打たれる」ような人々は 器用に自分や、自分の内からの声をあやしたり、上手くマネージして誤魔化せる事のできる人ではないかと思うのです
そう思います。自分で自分の心身をある程度までコントロールできる人、それが健常とわたしのような壊れた人との違いでしょう。
>肉体を持って生きる事がとても大変な事だと「覚えて」いたので、ただ面倒臭いなあと思ったのです。
それが自分の制御を大幅に超えている者たちにとっては(身体障害に限らず)とても大変なことだと思います。
ただ、身体の障害は心(あたま)の障害とは違い、人、人間存在として壊れてはいないといつも思います。
葬式はいらんけど、象に埋葬してもらうのはいいですね。
梨木香歩、最近の人ですか?わたしは今どきの人はジャンルを問わず全然知らないのです。
作家でも誰が人気だとかあの人の作品がいいとか、そういう情報が入ってきませんから。
そうですか、覚えておきます。
いつもコメントをたのしみにしています。
どうもありがとう^^
Takeoさん
返信削除ちょっと 補足
「肉体を持って生きる事が大変だ」というのは、この場合身体のなんらかしらの不都合という意味ではなく、つまり肉体の問題ではなく、純粋に頭、および心 突き詰めてしまうと魂の問題です
私は チベットとかの鳥葬に憧れます
埋められる と言うのは、たとえ埋めてくれるのが象であってどうもかなわんのです
極端な閉所恐怖症なので、、 笑
梨木香歩さんは、最近、、でもないけど、昭和30年代の生まれで
彼女の書くテーマはもちろんのこと
彼女の日本語の美しさに うっとりするのです
私は絶対に訳し来れないであろう文章が好きです
彼女の文章は、純粋に 日本語であり、その背景や日本の良き時代の文化、習慣をきちんと説明しないでは、とてもじゃあないけれど一言では訳せない
そういう類の文章だと思っています
Takeoさんの感想が聴きたいです
再びこんばんは。
削除うん、わかります。いや、どうかな。普通人が自分の肉体の存在を意識するのは病気や怪我をして、意識と身体が同一で無くなった時ではないかと思います。
健康な時は息をしていることを意識していないように肉体の存在自体と同一化されているので、敢えて意識することはないのではないかと。
埋められるのはいいですが火葬はいやですね。一休や親鸞じゃないけど、犬や魚の餌にしろと言いたいですね。
三十年代ということはほぼ同世代かな。
絶対に訳しきれないというとわたしは明治の文豪、鴎外とか、樋口一葉とか、幸田露伴、泉鏡花を思い浮かべてしまいます。そもそも現代人にはわからない言葉遣いが非常に多いし。一葉の文章は美しいですよ。鴎外が彼女の文字を下手な作家に飲ませたいと言ったくらいですから。
梨木さんの作品は何でも好きなんですか?
Takeoさん
返信削除「普通」の人は、、、そうですね 苦笑
私は 怪我とか病気にならなくても、いつも身体というものをいいも悪いも意識しています、
うーーん、うまく説明できないんだけど
人間は魂と言う、いわばエーテル素材のものだけで生きてた方が、(身体が無くても私は生きてると表現しますが) 全然楽なんですよ
なんたって、食べなくていい、 事を始めとして 物質との関わりが無くて済む
私は身体というものの重さを物理的な重さだけでなくいつも感じています
例えば、エーテル状態だったら、電車に乗らなくてもすぐに行きたいところに行けるしね 笑
時間との関わり方も違ってくると思っているので、大好きだった時代にも戻れるんじゃあないかと思っているのです。
梨木さんの作品は ほとんど読んでいますが、その中でのお気に入りの数冊はあっても、ほぼすべて好きです
彼女の文章を読んでるだけで、こうね、干からびた鉢植えに慈雨の雨が降り注ぐみたいに、ほっとして、そして気持ちいいんです
彼女の世界観というものも、私のそれととても似通っていますから、そういう私がこれだけ巧みに文章にできないものを文章にしてもらって、読む事が出来る。という事が嬉しいのです。
そうですね、、
「 家守綺譚」は 特に、
あとね「りかさん」も好きです
こっちは今夕立が降っています。
元々雨って好きなんですが、
今日は全くの夏日そのものだったので、こういう日の夕方の大雨は とても好きです。
木たちも植物たちも 大地もみんなほっとしているようで、、。
エーテルか、昔そういう言葉を聞いたような、主にロマン主義の哲学とかプラトンなどと関連していたんだっけな?
削除つまり霊として存在するということかな。
意地悪な質問かも知れないけど、それは身体を持たない「便利さ」というものではないの?
時々ツイッターの文学系界隈、リベラル系ポリティクス界隈の投稿を覗くんだけど、文学系の中では何人かが「家守綺譚」を好きな作品として挙げていました。
なにしろわたしが読むのは存命中といっても七十代八十代の人たちばかりだから(苦笑)
ツイッターのハッシュタグで
#名刺代わりの映画10本
#名刺代わりの本10選というのがありました。
映画なら100本くらいは挙げられるけど本は10冊も難しいね。
ぼくもJunkoさん同様頭悪いから(笑)
余談になるけどリベラル系政治ツイート界隈の発言とはなんとも嚙み合わないね。
彼らは自他ともに認めるリベラルだから「過激派」を自任するわたしとはやはり合わない。
干天の慈雨か、ところでわたしの文章はどうですか?(爆)
こちらは今日は比較的過ごしやすかったですがそろそろ蚊が出てきました。
Junkoさんも蚊には気を付けて。
どうもありがとう^^
勉強頑張ってネ。
書評好きだから、読みたくなれば手に入れる。読む時間もないのに手に入れるから、積ん読本になるのは明らかなのだが。今回、手に入れたのは「家守奇譚」。そう、このNicoさんのブログの読者であるjunkoさんと云う人の書評を見て読みたくなったのだ。まだ二、三ページしか読んでないがコメントしたくなった。著者は女性らしいけど、文章は男のもの。断定的で、ということは迷いを感じさせない歯切れのいい文章で、junkoさんが“訳しきれない”と云っている意味が良く分かる。余分とか不足とかがなく手の入れようがない。この文章を私は一句一句噛みしめながらゆっくりと読んでいる。内容はまだわからないが、でも読み進めるのが楽しみだ。
返信削除こんばんは、yy8さん。
削除なんだかいつもと感じが違いますが、相変わらずフットワークがいいですね。どうみても社交的に見えますが。
全部読んだら、わたしにも是非yy8さんなりの感想を聞かせてください。
「サルスベリ」読み終えました。たったの八ページでした。内容は奇譚、ですね。サルスベリに好かれた男の話です。感想は・・・難しい。いま自分の心に問うているところです。好感、ではあります。
返信削除わたしは何故か学校の宿題というものをやった記憶がなくて、読書感想文というものを書いた記憶もありません。
削除ですから、本を読んで感想を書けと言われて書けるのかどうか、全くわかりません。
ですから是非聞かせろなどとはいえませんが、機会があれば聞かせてください。
今回のコメントは、梨木香歩という作家の文体をまねてみたのです。junkoさんには、そんなんじゃないよ!と云われそうですが。
返信削除図書館に於いてあるかも知れませんね。
「サルスベリ」はたったの八ページですから、丸写ししてもいいですがjunkoさんの許可が必要ですね。
文体はNicoさんが気に入るとは思えませんが、精神性は共有できるかも知れない、なんて推測しています。
ああ、そうでしたか。(笑)
削除ナシキ カホ わたしより四歳年上ですね。
図書館にはこの本が九冊も入っています。
「庭・池・電灯付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々出没数多…。それはつい百年前。新米知識人の「私」と天地自然の「気」たちの交歓録。」
なるほど、なるほど、Junkoさんが好きそうな感じではありますね。
わたしはどうも、どんなに親しい人でも「薦められて」読んだり視たり聴いたりというのが苦手なんです。母でも、親友でも。だから読書感想文も書かなかったのかも。
その点yy8さんは柔軟ですよね。わたしも昔から不思議に思っていたんですよ。なんで薦められるとダメなんだろうと。
でも図書館にあるようですし、近いうちに読んでみますね。
作品の丸写しはまずいですよ(笑)
図書館にはかなりの所蔵があります、普通一作品に一冊ですが、彼女は一作品につき市に五~六冊の所蔵があります。ということは、語弊があるかもしれませんが、わたしが読んでいる古い人などに比べて「人気作家」だということですね。
>文体はNicoさんが気に入るとは思えませんが
う~ん、そういわれると気になるなぁ!