中井英夫の『LA BATTEE』(ラ・バテエ)に太宰治と三島由紀夫について書かれた一篇がある。
有名なあのエピソードから書き起こされる
三島由紀夫が太宰治に会いに行き、
「ぼくは太宰さんの文学はきらいなんです」
といった昭和二十二年一月二十六日のことは、三島自身『私の遍歴時代』に記してすでに伝説化しているが、今年(1980年)出た野原一夫氏の『回想太宰治』によれば、人間の記憶がいかにあてにならないかを思い知らさせる見本のようなものらしい。三島説では『斜陽』熱に文学青年どもが浮かされていた二十二年秋となっているが、実は一月で、『斜陽』はまだ構想の段階にすぎないし、太宰の返事も「そんなこと言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな」云々ではなく、野原説では、
「きらいなら、来なきゃいいじゃねえか」
吐き捨てるように言って、太宰さんは顔をそむけた。
という、ニベもないものであったらしい。これはやはり野原説を取りたいところだが、喋りくちとしてはいかにも三島説が妥当であり、もしかすると三島はここで、大きらいな太宰の文体模写をやって見せたのかもしれない。
『回想太宰治』は、三十余年の思い出をこめただけあって、実に重厚濃密な描写に満ち、なかんずく死の前年に太宰に向かって、
「先生、養生してください」
というくだりでは思わず泣かされた。これに較べたら私など、いかに軽佻浮薄に太宰や三島に対していたことだろう。
・・・云々とある、
この一篇の結びには、
記憶があてにならないといえば野原氏の本で一番おどろいたのは、氏がついうっかり「太宰さん」と呼んで本人から「太宰さん!?」とけわしい表情でふりむかれたとあるところで、私の記憶では当時集まっていた誰もがなれなれしく「太宰さん」というのを嫌って、私ひとり頑なに「先生」といっていたのだと信じていたからである。
と書かれ、これは次号につづき
これほど太宰に親炙した野原氏が思い違いをする筈もないが、若者からさんづけで呼ばれて腹を立てるというのが、どうしてもイメージにそぐわず、二重に首を傾げざるを得ない。
◇
野原氏がうっかり「太宰さん」とよび、それを聞いた太宰が憮然として「太宰さん!?」と顔を歪める場面を想像して思わず吹き出してしまった。
わたしは若い頃から、何故か「師」「師匠」という言葉が好きではなかった。
「わたしの師匠が」などと言っている人間をどこか胡散臭げな眼で眺めていた。
多くの一般人にとって「師」や「師匠」などと呼べる人物がいるとは思えない。これはやはり「職人」や「芸人」あるいは「アーティスト」「学者・研究者」と呼ばれるような、ごく限られた世界の住人たちの間に存在している特殊な人間関係なのだろう。
そしておそらくその関係は、単に「技術・知識」を伝授するにとどまるものではないはずだ。だとするとますます「師ー弟」の間柄とは如何なるものか想像がつかない。
仮にその人から教わるものが、「生き方」とか「人の道」などといった人生訓めいたものだとしたら、なおさらそういう関係はわたしには縁遠くなる。
いずれ人生論好きの作家の言葉だろうが、「我れ以外みな我が師」という言葉がある。
たしかにこれは真実だと思う。人生は誰か特定の「師」なる人物に教えてもらうものではなく、「世間」という、好悪愛憎とり交ぜた様々な人間関係の坩堝の中で体得してゆくものではないのか。
「わたし」と「彼・彼女」は異質の存在であり、わたしはあなたでなく、あなたはわたしではないという当たり前の前提を踏まえれば、人生いかに生きるかなど、人に教えられたり教えたり出来るはずもなく、親しくしている年下のものに「先生」と呼ばれて当然という発想は、どうしても理解できない。
わたしは「師」を求めない。不様に、不器用に、こけつまろびつしながらも、わたしとしての「失敗者の」人生を生きてゆく。
「性格とは運命である」という言葉を奉じてはいるが、別にノヴァリスやその他誰彼の本が「師」であるとも、思わない。
ドストエフスキーであろうが、ニーチェであろうが、芥川であろうが、辺見庸であろうが、わたしは彼らのことを、彼らがどういう人間であるのかを、まったく知らない。知りもしない者を尊敬したり、信奉したり、まして愛することができるはずがない。
わたしは偶然めぐり逢った本に書かれている言葉を、その時々の糧とし、慰めとし、思索の素とし、装飾とするに過ぎない。
いかにもわたしは中井英夫にいわせれば「軽佻浮薄」に作家や芸術家に接しているに違いない。涙を誘う麗しき師弟関係などはわたしの柄ではない。
わたしの不備欠陥狂気を知り抜き、その上でなおわたしを愛してくれ、わたしも又、彼らを知り、そして愛することができる、そんな人たちがいてくれたら、それで充分だ・・・
最善の師は自然ですね。
返信削除そして最も身近な忠実な師は自分の体です。
何か間違った食事や暮らし方をしてると、
即それは間違ってると教えてくれますものね。
またバランスを回復する為に何を食べればいいのか、
何を食べるべきではないのか、どういう運動をすればいいのか、
どういう暮らしをすればいいのか、ちゃんと教えてくれます。
こんばんは、アトリ姐ちゃん。
削除そうですね。自然こそ最高の「師」(という呼び方には抵抗がありますが(苦笑))ですね。人間を生み出したのは他ならぬ自然ですからね。
わたしはそこまで健全な心身を持ってはいませんが、
わたしが忠実に従うのはやはり自分の感覚・感性ですね。
もうそれに殉じるつもりです。(苦笑)
無論それはわたしの感性が「正しい」から、という意味ではありません。
いつも素敵なコメントをありがとうございます^^
自身の感覚・感性を信じる。
返信削除いいですね。私がうれしがるのも可笑しいですが、それでも嬉しいです。
迷うNicoさんは見たくありません!
ははは。どうもありがとうございます。
削除まあもうそれしかないんです。人の真似はできないし、教えられるのは苦手だし。
とはいえ、いつも迷ってばかりですけれど(苦笑)
yy8さんもよい週末をお過ごしください。
Ciao Takeoさん
返信削除私も「師」と言う言葉も括りも苦手なので
自然を師とは呼びたくないな。と思います
私にとって自然は「師」などという そういう人間臭くありふれたものではないし
自然は私に何か教えよう。なんて思ってないし
そして
自然を師と呼んだ途端、私と自然の間に 少しよそよそしい距離が生まれるようで、
そうじゃないな、と。
なぜなら、私は自然の一部であり、自然に触れながら 交わらせてもらいながら、
自然から 生きることを許されて生きているものであり
そしていつか 自然に融合していく存在だと思っているからです
言い尽くされた言い方ですが、「師」と言うよりは、「偉大なる母」
こういう時に発音する神という言葉は好きではないけど、神、
多分 それにとって代われるもの
生を生み、育て、そして生を終わらせ,その生の死を受け入れる存在
自然の大慈大悲を愛します
つまり自然は手加減などしない
自然は大いなる川のように ただ脈々と流れ
氾濫して、周りの土壌に豊潤さを与える事はあっても、人が溺れているからと、流れを緩めたり、流れを変えたりはしない
その普遍さ、絶対性に惹かれます
コメントの焦点が 記事からずれてしまいましたが、苦笑
自然と聴くと つい黙っていられなくなります。 ははは
万が一 師弟と呼ばれる関係があったとして、師は弟子を愛し、弟子は師を心から敬っていたとして、それを師弟愛と呼ぶのだとしたら。、それはただの愛であって、彼らが師でなくても弟子でなくても、同じように生まれていた感情だと思うのです。
今日は、
芝刈り機の音はしませんが、うちの近所には、結婚披露宴を行うヴィッラがあるようで、
そこからの音楽が流れてきています
、、という事は、今晩一時過ぎに花火が打ち上げられるでしょう
自分の結婚式に花火をあげる、スマホ ピープルならではです
明日はTakeoさん地方も穏やかな日曜でありますように 笑
こんばんは、Junkoさん。
削除もちろん自然は人間になにかを教えようとは思ってはいないでしょう。
けれども、人間の側は、自然から様々なことを学ばなければならない。
知的理解ではなく、生きていく中で、存在そのものを通じて。
ごく身近な例では、昔の子供たちは、夏になれば川で泳ぎ、虫を取り、それを殺したりまた大事に育てたり、木登りしたり、焚き火をしたり、森で肝試しをしたりしていました。
子供たちは、人間の子供ですが、同時に自然の子供たちでもありました。
人間は野生動物ではないから、自然と同化して、大自然の中で生きることはできませんが、自然と共存しなければ生きていけません。いや、生きてはいけるのかもしれないけれども、現代人のような、人間に似た不思議なものになるでしょう。
つい一昔前までは、人間と自然との間にはこんなに隔たりはなかったように思います。
21世紀・・・ここ十年くらいの間に、船が陸から離れるようにみるみる遠ざかって行ってしまった感じです。まるで人間は土も樹もなくても平気で生きられるかのように。
師弟はやはり主従関係というか、上下関係のような気がして馴染めません。
年下から学ぶことだってあるはずです。
花火はいいです。ただその模様をみんながスマホで撮影している風景がたまらなく厭です。
今日はTakeoさん地方は荒れ模様というか沈滞ムード。グレイト・ディプレッションです(苦笑)
Junkoさんもよい日曜日を^^