サン=テクジュペリの「ある人質への手紙」のキーワードともいえる「ほほえみ」について、どのようなことが書かれていたのかという質問をもらった。
先日『暮しの手帖』のバックナンバーを読んでいたら、たまたまある人が、この作品にでてくる「微笑み」について語っていた。「微笑み」というような陽性の言葉に、何故反応したのか、よく憶えていない。しかしわたしだって、なにも日暮れや廃墟の画ばかりに心惹かれているわけではなく、「同じように」とは言えないが、大地を照らす日差しの下で、汗を流して働く農夫や、きらきら輝く陽光の中、春の草原で花摘む子供たちの姿に思わず知らず微笑みを漏らしている時もあるのだから、きっとなにか心に触れるものがあったのだろう。
雑誌は図書館に返してしまったので、手元にある「ある人質への手紙」から、引用されていた箇所と「微笑み」にかんする部分を書き写してみる。
◇
あの船頭たちや、きみや、ぼくや、あの給仕女などのほほえみの持つ或る独特の質、幾千万年もまえから刻苦して輝き続け、遂にぼくたちを通して、見事に花開いたほほえみの質にまで到りついたあの太陽の独特の奇跡、それらを救うためなら、ぼくたちは快く戦いに身を投じただろうなどと言ってみても、なんのことやらわかってもらえまい。
本質的なものは、たいていの場合、なんの重さも持たぬものだ。今の場合本質的なものは、見たところ、ひとつのほほえみにすぎない。ほほえみとは、しばしば、本質的なものなのだ。人はほほえみによってつぐなわれる。ほほえみによって報いられる。ほほえみによって生気づけられる。そしてまた、ほほえみの持つ質が、人に命を捨てさせることもできるのだ。また一方、この質は、ぼくたちを、現在の不安から充分に解き放ち、確信と希望とを与えてくれたから、ぼくたちの考えをなんとかもっとよく説明するために、ぼくは今日、もうひとつの別のほほえみの物語をも語りたいと思うのだ。
(中略)
ぼくは、彼らのほほえみに身を投じた、ちょうど、昔、サハラ砂漠で、救援隊の人びとのほほえみに身を投じたように。あのとき、仲間たちは、幾日もの探索ののちぼくたちを
発見すると、できるだけ近くに着陸し、よく見えるように腕の先に水の袋をふり動かしながら、大股でぼくたちの方へ歩いて来てくれたのだ。ぼくが遭難したときの救援隊員のほほえみ、ぼくが救援隊だったときの遭難者たちのほほえみ、ぼくはそんなものも今思い出すのだ、以前ほんとうに幸福を味わった国のことでも思い出すように。真のよろこびとは、共に生きるよろこびだ。救助は、このよろこびの機縁に他ならなかった。もし水が、なによりもまず、人びとの善意の贈り物でないならば、人を魅する力を持ちはしないのだ。
病人に注がれる心づかいも、追放者にさしのべられる歓迎の手も、また許しでさえも、この祝福を照らし出すほほえみがあってこそはじめて価値がある。ぼくたちは言語を越え、階級を越え、党派を超えて、ほほえみのなかで再び結ばれるのだ。ある人間にはその人間のならわしがあり、ぼくにはぼくのならわしがあるが、ぼくたちはそういう姿のままで、同じ教会の信者なのだ。
◇
雑誌に引用されていたのは、上記の一部分だけだが、わたしは後半の部分により興味を覚えた。
新聞記者時代、あるとき彼は、内戦中のスペインで、アナーキストたちに捕らえられてしまった。スペイン語が通じず、カタルーニャ語が話せないサン=テクジュペリは、不審者として処刑されるかもしれない運命にあった。
静かな地下壕で、彼は民兵のひとりに煙草をもらえないかといってほほえんだ。そのとき、言葉の通じない相手も同じようにほほえんだのだ。「まるで朝日が昇ったようだった」と彼は記している。そしてそのほほえみが交わされたのち、「すべては変わったのだ」と。
人は微笑みながら処刑者たりうる。ほほえみながら鞭打つ者たりえる。
けれども同時に、ほほえみなくして人と人が結びつき、愛情と友愛を交わし、信頼と敬意を表することはできない。
あたたかいスウプも、清潔な寝具も、ほほえみと共に手渡されない限り、与えられた者の尊厳を傷つけず、その心を安らげることはできない。
わたしは常に微笑む者であることはできない。わたしは自らに憎む者、恨む者であることを禁じない。けれどもまた微笑む者であるときの多からんことを願う。
ー追記ー
わたし自身、こころから人の誠意、善意というものを無条件で信じることができない。
だから「ほほえみ」について考えるとき、与えるものの欺瞞や、内と外の二面性ー外面如菩薩内心如夜叉などというイメージの切れ切れが付きまとい、手放しで「ほほえみ」を称賛することができないのだ。
先日『暮しの手帖』のバックナンバーを読んでいたら、たまたまある人が、この作品にでてくる「微笑み」について語っていた。「微笑み」というような陽性の言葉に、何故反応したのか、よく憶えていない。しかしわたしだって、なにも日暮れや廃墟の画ばかりに心惹かれているわけではなく、「同じように」とは言えないが、大地を照らす日差しの下で、汗を流して働く農夫や、きらきら輝く陽光の中、春の草原で花摘む子供たちの姿に思わず知らず微笑みを漏らしている時もあるのだから、きっとなにか心に触れるものがあったのだろう。
雑誌は図書館に返してしまったので、手元にある「ある人質への手紙」から、引用されていた箇所と「微笑み」にかんする部分を書き写してみる。
◇
あの船頭たちや、きみや、ぼくや、あの給仕女などのほほえみの持つ或る独特の質、幾千万年もまえから刻苦して輝き続け、遂にぼくたちを通して、見事に花開いたほほえみの質にまで到りついたあの太陽の独特の奇跡、それらを救うためなら、ぼくたちは快く戦いに身を投じただろうなどと言ってみても、なんのことやらわかってもらえまい。
本質的なものは、たいていの場合、なんの重さも持たぬものだ。今の場合本質的なものは、見たところ、ひとつのほほえみにすぎない。ほほえみとは、しばしば、本質的なものなのだ。人はほほえみによってつぐなわれる。ほほえみによって報いられる。ほほえみによって生気づけられる。そしてまた、ほほえみの持つ質が、人に命を捨てさせることもできるのだ。また一方、この質は、ぼくたちを、現在の不安から充分に解き放ち、確信と希望とを与えてくれたから、ぼくたちの考えをなんとかもっとよく説明するために、ぼくは今日、もうひとつの別のほほえみの物語をも語りたいと思うのだ。
(中略)
ぼくは、彼らのほほえみに身を投じた、ちょうど、昔、サハラ砂漠で、救援隊の人びとのほほえみに身を投じたように。あのとき、仲間たちは、幾日もの探索ののちぼくたちを
発見すると、できるだけ近くに着陸し、よく見えるように腕の先に水の袋をふり動かしながら、大股でぼくたちの方へ歩いて来てくれたのだ。ぼくが遭難したときの救援隊員のほほえみ、ぼくが救援隊だったときの遭難者たちのほほえみ、ぼくはそんなものも今思い出すのだ、以前ほんとうに幸福を味わった国のことでも思い出すように。真のよろこびとは、共に生きるよろこびだ。救助は、このよろこびの機縁に他ならなかった。もし水が、なによりもまず、人びとの善意の贈り物でないならば、人を魅する力を持ちはしないのだ。
病人に注がれる心づかいも、追放者にさしのべられる歓迎の手も、また許しでさえも、この祝福を照らし出すほほえみがあってこそはじめて価値がある。ぼくたちは言語を越え、階級を越え、党派を超えて、ほほえみのなかで再び結ばれるのだ。ある人間にはその人間のならわしがあり、ぼくにはぼくのならわしがあるが、ぼくたちはそういう姿のままで、同じ教会の信者なのだ。
◇
雑誌に引用されていたのは、上記の一部分だけだが、わたしは後半の部分により興味を覚えた。
新聞記者時代、あるとき彼は、内戦中のスペインで、アナーキストたちに捕らえられてしまった。スペイン語が通じず、カタルーニャ語が話せないサン=テクジュペリは、不審者として処刑されるかもしれない運命にあった。
静かな地下壕で、彼は民兵のひとりに煙草をもらえないかといってほほえんだ。そのとき、言葉の通じない相手も同じようにほほえんだのだ。「まるで朝日が昇ったようだった」と彼は記している。そしてそのほほえみが交わされたのち、「すべては変わったのだ」と。
人は微笑みながら処刑者たりうる。ほほえみながら鞭打つ者たりえる。
けれども同時に、ほほえみなくして人と人が結びつき、愛情と友愛を交わし、信頼と敬意を表することはできない。
あたたかいスウプも、清潔な寝具も、ほほえみと共に手渡されない限り、与えられた者の尊厳を傷つけず、その心を安らげることはできない。
わたしは常に微笑む者であることはできない。わたしは自らに憎む者、恨む者であることを禁じない。けれどもまた微笑む者であるときの多からんことを願う。
” 彼には彼のならわしがあり、わたしにはわたしのならわしがある。けれどもそのままの姿で、わたしたちは同じ教会の屋根の下に憩う ”
ー追記ー
わたし自身、こころから人の誠意、善意というものを無条件で信じることができない。
だから「ほほえみ」について考えるとき、与えるものの欺瞞や、内と外の二面性ー外面如菩薩内心如夜叉などというイメージの切れ切れが付きまとい、手放しで「ほほえみ」を称賛することができないのだ。
東京入国管理局前での抗議 [ Via ] |
ノルウェーの花畑の画へと繋がるキーワードの微笑みかと思っていたら、
返信削除「ある人質への手紙」のキーワードでもあったのですね。
>わたしだって、なにも日暮れや廃墟の画ばかりに心惹かれているわけではなく
過去記事にCaspar David Friedrichの絵がお好きだと書いてましたよね。
ドイツに渡って間もない頃、書店で初めて彼の絵が描かれた絵葉書を見た時に惹かれましたよ。
本文とは関係ないのですが、原語や他の欧州の言語に訳されてるのを読んだら、
すんなりと入ってくる表現なんでしょうけど、日本語に訳すると、なんか大げさで
ギクシャクと不自然に聞こえる文章で、違和感を感じますね(苦笑)
でも内容的にはインスピレーションを受けますよ。
「本質的なものは、たいていの場合、なんの重さも持たぬものだ。
今の場合本質的なものは、見たところ、ひとつのほほえみにすぎない」
というところがいい。
手放しで「ほほえみ」を称賛することができない。。。というのは分かりますよ。
社会的な偽善的な作り笑いが多い社会ですものね。
でもね、子供の微笑みとか、大人でも自然に花開いたような微笑みに出会うこともあって、
そんな瞬間はまさにサン=テクジュペリが書いてるように、重さを持ってない微笑みだけれど、
大きなトランスフォメーションを引き起こす力を持ってますよね。
陽性の力を信じましょう(笑)
こんばんは、アトリ姐ちゃん。
削除絵では、やはりドイツや北欧の雄大な自然を描いた絵が好きですね。印象派も嫌いじゃありませんが、やはり陽の光というのが苦手で、(ドラキュラですね(苦笑))
わたしも翻訳ものをいろいろ読みたいと思うんですが、特に哲学・思想関係では日本語としてわかりにくいものが多くて。訳者によって随分感じが違いますもんね。ハイネの訳は片山敏彦さんのものでなければあれほど好きにならなかったと思います。
アトリ姐ちゃんは『暮しの手帖』に書かれていたのはどんなことですか、とお尋ねでしたのに、なんだかわたしの勝手な解釈になってしまいました。
記事は若松英輔(えいすけ)さんという評論家が書かれた「人生の本質」というエッセイでしたが、さてどんなことが書かれていたのか、本を返してしまったとたん、すっかり忘れてしまいました(汗)
どうももうしわけありませんでした。
ほほえみ一般についてかくと、どうしても懐疑的になってしまいますが、確かに個々には本質的な微笑みと、その力というものはあると思います。
陽の力を信じますか。ドラキュラだけど(笑)
やっぱり「アトリ姐ちゃん」には“さん”をつけて呼びかけないとおかしいですね。
返信削除これ(さん付け)が嫌なら、アトリ姐さんと呼び掛けてしまった方が、いいと思います。
また、陽の光は直射日光は避けたほうがいいでしょう。日陰にこだわることはないと思いますが。(半分本気、半分ユーモア)
ハハハ、そうですか。
削除むかしからチャンやクン、サンをつけた名前に更に敬称をつけるのはおかしいと思っていました。
これは両者の合意があるのでこのままでいきます(笑)
>陽の光は直射日光は避けたほうがいいでしょう。日陰にこだわることはないと思いますが。
昔は日射病なんていっていましたが、いつのまにかそんな言い方も無くなってしまいましたね。まだ日射病というのは存在するのでしょうか?