2018年5月20日

無題

「夜」 / Nat, 1892, Christian Skredsvig. Norwegian (1854 - 1924)




今この瞬間
わたしはこの世界中の誰とも、何ともつながってはいない
生きる意味ではなく、「生きている」という状態とはどういうものかを先ず問わなければ。


今夜も暴れてしまった・・・

生きられない・・・







4 件のコメント:

  1. 読み手を困らせるんぢゃないっ。

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    1. 青梗菜さんを困らせたのは申し訳ないけど、これは第一義的には自分のための日記(ウェブ日記)ですから、悩みも悲しみも孤独も、死にたいと言いう気持ちも全て心の内側にあるがままに書いています。

      ブログと呼ぼうとウェブ日記と呼ぼうと、仮初にも「日記」と認識している以上、自分の気持ちを最優先しないで、第一に読者(=他人)の気持ちを考えるものは読むに価しないと考えています。

      本も同様です。エンターテインメントを求めているのではないから。



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  2. Pobohさん、こんにちは。
    はい、そうなんですけど、
    僕もそうなんですけど、
    なんというか、僕は僕で、
    僕に対してもPobohさんに対しても、
    正直でいたいのです。

    書き手は、読み手を困らせてもいいし、
    そして、読み手は書き手に、こまらせるんぢゃない、
    って言ってもいい。
    いいね、を贈ること自体が目的の相互贈与、
    見当違いのなぐさめや、
    話を合わせて、ほめ合うコメントなんて、
    ごめんこうむる、ってやつでしょ。

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    1. こんばんは、青梗菜さん。

      もちろんそうです。多くの「普通の人」は、たくさんの「ブログ仲間」を持っていて、半ばSNS化したように、「お友達」が更新するととりあえず当たり障りのないコメントを投稿し、受け取った方も穏やかに返答します。
      わたしは天邪鬼のひねくれ者ですから、そういうのを見ると時間の無駄だなぁと思います。
      まるで「ブログ仲間」では異論は禁止といった暗黙の認識が共有されているようです。

      とはいえ、見当違いで独り善がりな反論乃至助言は無害なお世辞以上に有害です。
      そういうコメントで閉鎖された、主に心の病を持った人のブログをいくつか見てきました。
      おそらくコメントした方に悪意はありません。「よかれと思って」アドバイスしているつもりなのでしょう。

      原則としては青梗菜さんと同じ考えですし、上記のコメントに問題はありませんが、自分がコメントを書くとき、またコメントに返事をする時に、相手を傷つけなければいいなという気持ちはいつも持っています。
      あとはもうそれぞれのセンス、想像力に任せるしかありません。

      わたしはひとつ基準があります。「仲間」が大勢いる(居そう)な人にはズケズケ言います。(笑)


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