かつてオズワルド・シュペングラーがいっていた、「文明の冬」において流行するのは、「新技術への異常な熱狂」と「新興宗教の異常な高まり」である。今の自由民主主義は「新技術を新興宗教とする」ことによって成り立っている。それ自体が、サトゥルティ(繊細)の精神を要する活力・公正・節度・良識という平衡感覚に対するテロリズムである。
ー 西部邁 『ファシスタたらんとした者』(2017年)
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引用が多い小説やエッセイが好きな人と、そうでない人がいる。引用嫌いの言い分は、「自分の言葉で語って欲しい」ということらしいが、では「引用」は自分の言葉ではないのだろうか?
「引用」或いは「人の言葉」と「自分の言葉」については、過去に何度も書いているのでここでは繰り返さないが、わたしは、小説であれエッセイであれ評論であれ、引用が多い方が好きだ。
わたしがブログを始めた2008年前後、ひとつの素晴らしいブログがあった。「五合庵」という、良寛さんの庵の名をタイトルにしたHPで、福井県の男性(おそらく六十代くらい?)が書いていた。
タイトルが示すように、詩、和歌、俳句などが多く紹介されていて、使われている絵も、東山魁夷や小野竹喬、菱田春草などの日本画から、鴨居玲や青木繁などの洋画まで、そのセレクションも素晴らしかった。
そのブログ(当時はホームページと呼んでいたように思う)は既に「文藝」の域に達しているように思っていたが、一年経過してもアクセスはあまり伸びず、その他の、所謂ファッション雑誌のような、グルメ、ファッション、インテリア、旅行などをテーマにしたブログは五合庵の一年分のアクセス数を一日で軽く叩き出していた。
そのせいもあるのだろうか、暫くしてから五合庵は閉鎖されていた。
わたしは慌てて、Q&Aサイトに、「消されたブログの内容を見ることはできないか?」という質問をして、「キャッシュ」というのを使って、五合庵の瓦礫の中からいくつかの絵や引用を拾い集めた。
当時何故ブログの筆者にひとこと、愛読している、素晴らしいブログだと思うと伝えなかったかと悔やまれた。
それから十年、いくつかの興味深いブログに出会ったが、その格調の高さ、気韻・香気、教養の深さ、選択眼・審美眼の高さに於いて、五合庵に匹敵するようなブログにはいまだ出会ってはいない。
確かに「五合庵」は引用が主だった。筆者自身の意見感想を聞く機会はほとんどなかった。けれどもわたしはそれらをセレクトした人のセンスを高く買っていた。いくつものすばらしい和歌や思索の言葉、あまり馴染みのない日本画の美しさなどを教えてもらった。
それらの「引用」がなによりも雄弁に「その人」を語っていた。
今わたしは自分自身でどのようなブログを作ろうとしているのか、正直まるで方向性も一貫性もない。わたしのブログのピークは、書き始めた2008年だと思っている。
今ではとてもあのようには書けない。
これは謙遜でも何でもなく、わたしのブログは「五合庵」には遠く及ばないが、
あれもひとつの憧れのモデルだと思っている。
ー追記ー
「五合庵」とは全くスタイルもテイストも違うが、過去にわたしが愛読し、影響を受けた二つのブログを紹介しておこう。
microjournal イラストレーター 鈴木博美さんのブログ。
(ただし個人的には、素晴らしいのは2003~2010年くらいまで)
八本脚の蝶 国書刊行会編集者 二階堂奥歯さん(1977-2003)
のブログ。(好き嫌いの分れるブログだと思いますがわたしは好みです。)
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