2018年5月12日

或る挿話


文豪が多数眠っているパリのモンパルナス墓地で、日本人の一旅行者が、新しい墓の碑銘を目にした。
「おまえの来るのを待っている」
数年後、たちよったその墓の隣に、さらに新しい墓の碑銘を彼は読んだ。
「ただいま」

わたしはこれを素直に「いい話」として受け取れ切れないところがある。
こんなに絵にかいたような夫婦愛なんてあるんだろうかと、どうしても醒めた気持ちで見てしまう。
名作『モンパルナスの灯』のジェラール・フィリップとアヌーク・エーメ、すなわちモジリアニとジャンヌのような夫婦ならいざ知らず、(ジャンヌはモジリアニの死の2日後に自ら命を絶っている)大抵のオトコは、墓の中で、待てど暮らせど来ぬ人を永遠に待ち続ける運命にあるのではないだろうか?

それともわたしは、自分自身を含めた日本の駄目な男ばかり見過ぎていて、夫婦の間の変わらぬ愛というものが(あたりまえに)存在することを知らないだけなのだろうか?

もっとも、この墓に眠る二人が「夫婦」であるとはどこにも書かれてはいないのだが・・・







10 件のコメント:

  1. アトリ姐ちゃん2018年5月12日 4:54

    これ読んでて、イメージ的に
    ふと夏目漱石の夢十夜の第一話を思い出しました。

    パリに行った時にモンパルナスのホテルに宿泊してましたが、
    墓地には行きませんでしたね。
    ウィーンの中央墓地には錚々たる音楽家達の墓があるのですけど、
    そこにも行きませんでしたね。
    ちなみにモジリアニは大好きな画家です。映画は見たことがありませんが。

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    1. こんばんは、アトリ姐ちゃん。

      夢十夜の第一話って、「知らない間に百年が過ぎていた」というような話でしたっけ?
      詳細は忘れてしまいましたが、百年後に誰かと会う、というような話だったのかな?

      わたしは「墓地」というものが好きです。ずっと大田区の蒲田に住んでいて、蒲田から池上線で二つ目、池上に「本門寺」という大きな日蓮宗のお寺があるのです。子供のころからよく散歩に行きました。高校はその本門寺の近くでした。それこそいたるところ墓・墓・墓です。線香の匂いが好きで、人気のない墓地の中を歩くのが好きでした。
      時折鳥が啼声が聞こえ、風で木の葉がそよぐ、人の気配はほとんどありません。

      『芸術家の墓』という写真集を持っています。パリのモンマルトル、モンパルナス、ペールラシェーズの3か所と、他に外国の墓も幾つかあったかな?

      高橋健二氏は、ヘッセなどのドイツの墓が簡素なのはプロテスタントの国だからだろうと言っていました。それに比べて、パリの墓地は華やかですね。

      昔年上の女性の友人と、ジェラール・フィリップと、モジリアニ当人、どっちが二枚目かという話をしました。これは甲乙つけがたいですね。
      ジェラール・フィリップは当人よりも繊細な感じがします。

      カーク・ダグラスのゴッホ、ドナルド・サザーランドのゴーギャンのように「そっくり」という感じではありません。ちなみに友人の女性はモジ本人の方がいいと言っていました^^

      コメントをありがとうございます^^

      よい週末をお過ごしください。

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    2. アトリ姐ちゃん2018年5月12日 22:53

      そうそう、秘すれば花だと思ったので、
      夫婦の間の変わらぬ愛はありますよ、
      私んとこもそうだものと
      書くのは止めました(笑)
      あら、書いちゃったあ。

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    3. そうですよね。稀にかもしれないけど、夫婦の間にも変わらぬ愛はありますね。

      ラッキーでしたね^^

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  2. ちょっと芝居がかってるもんなぁ。
    紐帯の強さを、外部に顕示しようとする意図に、
    よこしまな僕は、内部の脆弱さを推し量ってしまうw。

    そんな解りやすいストーリーに落とし込む必要があるとしたら、
    外部に依存した、理想の夫婦、なんだ。
    そんなのは、誰かにほめてもらったり、先生と答え合わせをしたり、
    そういうときにしか役に立たない。

    夫婦の間の変わらぬ愛というものが、
    存在することが当たりまえならば、
    わざわざ当たりまえを示す発想もないよ。
    自分の感情だもん。

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    1. こんばんは、青梗菜さん。

      わたしは実際に行ったことはありませんが、写真で見る限り、パリの墓地では、有名な作家や芸術家ではなくとも、とさまざまな意匠が施されていて、日本の墓地のような「詫び・寂び」的な静けさはありませんが、見ていて飽きないですね。

      わたしはこのエピソードを読んだ時に、「ああ、いかにもパリらしいな」と感じました。第一印象としては好印象でした。でも日本しか知らないわたしには、夫が死ぬと急に奥さんが活き活きしはじめるという話を方々で読みかつ聞いているわたしとしては、俄かにはこのような絆で結ばれている夫婦というのが実感として、皮膚感覚として解らないのです。

      無論日本にも比翼連理の夫婦は存在しているだろうし、それは全く個々の夫婦の関係であって、外側から一般論として、幾分のやっかみを込めて、こんなのは理想でしかないと切り捨てることはわたしにはできません(笑)

      このエピソードを素直に受け取れないのは、単にわたしが悪ずれしているだけかもしれません。わたしには、ですから「へぇ!」としか言えないのです。

      コメントをありがとうございました^^

      よい週末を!

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  3. Ciao Takeoさん
    うーーむ まあ、ないとは言い切れないから、どこかの誰かにはこう言う事も起きるのでしょうが、私にはちょっと甘ったらし過ぎて勘弁
    ちなみに私の年上の友人のカップルは、高校生から付き合いはじめて、そのまま結婚したのだそうで、互いに互いとしか付き合ったことがなく、そのまま多分60年近く一緒にいるんじゃあないかな
    それもすごいなあと常々思ってますが、
    少なくとも私にはあり得ない。苦笑
    それだって 彼らの関係は日々変化してきて今に至っていると思うのよね

    まあ、元々愛って言葉が好きじゃあないっていうのもあるけれど
    変わらぬ。って形容詞つけた時点で 愛はその在るべき姿を失うてか、臭う
    愛って 大体 本当の日本語じゃあない気がするんですよね
    人の様々な感情をさ、簡単に「愛」なんて一個のカテゴリーに括っちゃっていいものか?と
    簡単過ぎない?
    慕うとか想うとか恋い焦がれるとか、のが よっぽど 真の感情を言い得てると思うんですよね
    そして
    さらに言うと、墓碑に 言葉を刻んじゃうってのが、私には その愛情関係云々よりも ちょっと嫌だなと思っちゃうし、
    まあ、よく考えてみたら、本人の気持ちじゃあないからでしょうが
    亡くなってしまった本人が墓碑の彫りを依頼できるわけがないですもんね ふふふ

    旅人たちが 黙々と歩くその街道の道端に、小さな 墓石っぽい石が 2つ 苔生して こう若干寄り添い気味に立っている
    それはただの石で何にも書いてないと言うか、文字なんてもう消えちゃってる
    それを見てさ、旅人が言うのよね
    ここに一緒に旅をしていた二人が一緒に眠っているらしいと。
    2人の関係は むしろ語らない。でいてくれた方が、香って来るものがあります
    顔があったことがほのかにわかるくらいのお地蔵さんとか、
    存在には、ぼやけたところがあってほしいと思います

    だから、人の思いなんて 言葉にしないに限る。んじゃあないかなあと ふと思いました
    所詮言葉は 人の微妙で奇く かつ奥深い思いなんてのを、如実に語り切れるほど完成されていないし、完成されてたとしても、語りつくせる人間のスキルがそこまで及ばない
    みんながみんな芭蕉にはなれない、、、 笑

    ところで 私は墓地が好きです
    ムッソリーニと一緒に処刑された愛人のお墓があるローマ市民記念墓地はもちろん、
    ミラノの市民記念墓地ってのも これまたすごくいいですし、フィレンツェの墓地も良い。
    いいって言うのは、妙に落ち着くのですね
    私は行く先々で墓地を訪ねます
    静寂さと目に見えない 湿気みたいなものが微妙に混ざり合って
    まあ、かつての現地の人と触れ合うと言うか、、肌と魂に心地よいのです
    モンパルナスの墓地も行きましたよ。
    でも、一番好きなのが柳生家の墓地です
    厳かで 威厳があるのです
    だから 墓石には やっぱ漢字かひらがなよねーとか 思っちゃうんです苦笑
    Takeoさんが下でやってたみたいな漢字20字で、って
    Takeoさんも仰ってたように、漢字って「これそのもの」って言う意味あいを表さない
    だから、思考の拡がりを妨げない

    話がずれましたが、「変わらぬ愛」って、それが特に男女の間となると、あり難いと私は思っています。
    例えば、長く連れ添った男女が別れたあと、、とか つまり 愛ってのが 燃えて無くなった その後に生まれる,愛情というよりはむしろ友情みたいな、つまり 愛じゃなく 情のようなものならば、変わらぬ、、くらい 深い思いってのもあり得ると思うんだけど、、。
    男と女の色恋がまだ入ってるうちは、変わらないわけがない。と思います
    いや、まず変わらぬものなど、この世にないでしょ

    なんだか徒然で、訳のわかんないコメントになってきましたので、この辺で。 笑



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    1. こんばんは、Junkoさん。

      わたしがタイトルに「或る挿話」としたのは、いちおうわたしの意見のようなものを暫定的ではあるけれども、下に書いてはいるけど、このひとつのエピソードを、読む人はどう感じますか?というつもりで、敢えてニュートラルなタイトルに、という思いからでした。

      「愛」という言葉、確かに日本人、日本の文化にはちょっとそぐわない言葉である気はします。Junkoさんが言う通り、「情」と言う方がしっくりきます。

      これは「男と女のジョーク集」に載っていてもおかしくない話だと思うくらいに、ユーモアのテイストも込められているようにも感じられるのです。

      繰り返しになるけど、自分も含めて、日本の男性しか知らないわたしにすれば、
      「男はそんなに愛されちゃいないよ!」という思いもあって・・・

      >人の様々な感情をさ、簡単に「愛」なんて一個のカテゴリーに括っちゃっていいものか?と
      簡単過ぎない?

      この表現が、そのまま墓地に眠るふたりの真情であるかはわからないし、ちょっとした遊び心かも知れない。この二つの墓碑銘を文字通りに真正直に受け止める必要があるのかなと、ちょっと思ったりします。これが「悪戯」あるいは「洒落」的な文句であっても悪くはない。

      「言わぬが花」「秘すれば花」・・・「言葉にしない」ことの日本的情緒、美意識というのはよくわかります。
      道端に並ぶ苔むした名もない石ころ。それに道行く人が様々な思いを馳せるというのは、わたしも好きですが、何というのかな、このエピタフのような茶目っ気というのも、それは日本的な美意識の外にあるものかもしれないけれど、異文化の在り方としておもしろいと思うのです。

      そう考えてみると「言葉」に対するスタンスも、わたしも一貫していないなあと思います。

      前にも書いたけれど、「選べば即ち普からず」─ ひとつを選んだ時点で、他の可能性が全て斥けられる。だから、マラルメは「白紙の上に絶対が宿る」と言ったわけだけど、取りこぼしてしまうもの・思いを承知の上で、人は言葉と共に生きていかなければならないのだと思います。

      わたしはパリの豪華絢爛な芸術家たちの墓も好きです。
      またアルルだったか、ヴィンセントとテオの兄弟の墓石が並んでいる光景も素朴でいいなあと思います。

      「愛」と「恋」の違いかな。

      10代前半からNHKの海外ドラマ『大草原の小さな家』が大好きで何度も何度も再放送の度に見ていたわたしは、チャールズとキャロラインのような「絵にかいたような」夫婦愛が「海外には」あるのだなと思います。

      「ただいま」にしても「あってもいいな」或いは「うらやましい(関係だな」とういう思いがあるのです^^

      あえて批評めいたことを付け足すなら、「言葉の重み」も「秘すれば花」の美意識も夙に日本人の心からは消え去ってしまっているという印象を持ちます。

      コメントをありがとう^^

      Have a nice Weekend !


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  4. Takeoさん
    多分それが日本と欧米の文化の違いでしょうね
    今の日本に文化はないから、ひと昔前の文化として、、
    日本のは、それこそ阿吽 で、語らないところ、見えないところに実や美が宿る 、わざわざ語りつくす。など粋じゃあないってやつで 欧米は、言わなきゃわからん、見せなきゃわからんの文化
    特にイタリアは もう思いどころか、意味さえきちんと宿っていない、空っぽな言葉の炉ツボですから
    彼らは思ってなくても、おはようと言う気軽さで 愛してるといいまくりますしね、
    私は、もはや こっちで暮らした年月が日本で暮らした年月を越えてしまいましたので、そう言う言葉の濫用や言葉の怒涛に疲れています 苦笑
    私は 人もそうなんだけど、群れてる。状態が苦手で、(本人はおしゃべりな癖に 苦笑 ) よって 群れてる言葉にも全く魅力を感じないので、時々ウンザリするとともに、そこに 私自身の中にある日本人を感じて微笑ましくもなります。

    「ただいま」 は とてもいい言葉ですね
    ただ、、今ふと思ったんだけど、この墓碑 の「ただいま」 ちょっと違訳じゃあないかなあ
    「ただいま」っと言う言葉は 「よろしくお願いします」同様 欧米には ないと思うんだけど、、
    この場合、やっと会えたね とか 待たせたね のが、しっくりきます
    「 ただいま」には お家で待ってるお母さんの存在、とかお料理の匂いや湯気のある台所が欠かせない。ですね
    そういう意味で ものすごく好きです、この言葉

    Takeo さんも Buon weekend!




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    1. さっきのコメント、ちょっと手を加えました(苦笑)

      もちろん「言わぬが花」的な美意識はわたしも大好きなんだけど、そういう内向性が悪い方面で発揮されると、怒りを封じ込めてしまうというような、大っぴらに発散することが憚られるような意識に掣肘されてしまう面も否めないと思います。

      ここら辺はなかなか上手くいかないものですね。

      群れている言葉というのはJunkoさんの俳句好きに通じるのでしょうか。
      余情というもの、余白というものを大事にするという気持ちなのかな?

      今は言葉数にかかわらず言葉自体が軽くなってきていますね。
      だから言葉を重んじるには時に言葉から離れてみる。自分の中で考えてみる必要があるように思います。

      LINEとかチャットというのは、既にわたしの中では「言葉による交流」の範疇には入っていませんからね。考え考え、言い淀み、迷いながら言葉を手探りしていく、そんなやりとりが好きです。

      そう。ここにはふたつの美碑銘が書かれているだけで、その関係はどこにも書かれていないんですよね。父と娘と言う可能性もある。

      「ただいま」はいいことばですね。それこそ夫婦、親子の「情愛」が溢れています。

      Buon weekend!

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