2018年5月23日

変わらないもの


1981年に出版された中井英夫の『ラ・バテエ』は、1979年12月から1981年3月までに書かれた計60篇のエッセイが収められている。3カ月に10篇づつで6章ある。ほぼ週に一本のペースという感じだろうか。おそらく同じ雑誌か新聞に連載されていたものだろう。(本には初出掲載紙が記されていない)

内容は文学的随筆というよりも、時々のスポーツ、芸能界の話題、有名人の訃報、そして時事問題などに触れていて、当時の時代背景が解って、文芸的なエッセイとは一味違った面白みがある。

中井の日本人論が垣間見られる1980年初頭の一篇から抜粋引用する。

一月半ばに大平首相がオーストラリアを訪問したことから、日本の新聞にも日豪両国の相互理解といった記事が多少は見受けられたが、中に”高まる豪の片思い”という見出しがあって一驚させられた(朝日1月17日付)いかにもこの国は白人となると躍起になって日本をどう思うかと聞きたがる妙な習性があるので、オーストラリアが日本紹介に力を入れ、日本語の勉強も年々盛んになっていると知ると悪い気はせず、経済大国の自信からつい”片思い”などという言葉も出るのだろうが、こうした卑屈さの裏返しの思い上がりを朝日までが平然と載せるとは情けない。私が出かけた1970年はGNPとか繁栄とかがまだ本気で信じられていたから、顔を合わせる商社マンは例外なく胸を張って日本の優位性を誇っていたが、こんな見出しが今もって通用するようでは、この十年の世界情勢も日本にはあまり教訓にならなかったらしい。
(「故郷の香り」)

日本という国は何故か変わらない。建物は壊しては建てまた壊しては建てして、外見は常に目まぐるしく変化するが、肝心の国民性というものはどうしても改まらないものらしい。

朝日新聞といえば、先日購読勧誘の電話があり、一週間の無料購読サービスがあるので、今読んでいる新聞と比較し検討してもらえないかという。
母は、暗黙の裡に「契約」を前提とした無料購読は、断るのが面倒だからと辞退したが、「ウチはオリンピックや高校野球の記事がとりわけ充実しています!」 とか。
当たり前だ!日本のメディアで東京オリンピックの記事が充実していなければ誰が読んだり視たりするものか!

わたしは母に「東京オリンピックには反対ですから」と言わなかったの?」と訊いてしまった。
この売り文句が利いて購読者数が伸びるとすれば、やはり日本は、ニッポンは変わらない、変わりゃしない。






10 件のコメント:

  1. Ciao Takeoさん
    いつも思うんですけど、
    なんで日本人ってこんなに 「意味なく」偉そうなのか? 不思議で仕方ないのですよね
    私は仕事柄、社会的に地位のある人と接触することが多いのですが、いや、なんでこんなにみんな威張ってるの?と 社会的地位で言えば、彼らよりもっと上の欧米の人が、実にカジュアルに普通にしてるってのに、

    自分の国の優越感を無意味にひけらかしてたかと思うと、今度は低姿勢で ご機嫌を取り出す
    わけわかんないんですよね
    鈍臭くて、みっともなくて、見てるこっちが恥ずかしくなります

    少し前は、金があるってだけで、それだってただの自転車操業のバーチャルマネーだったくせに、下品にアメリカの映画会社やら、スペイン広場の角にある建物一軒買い占めたり、ゴッホの絵画とかをやたら欲しがり、、(そう言えば、ゴッホの絵を購入し、自分が死んだ時、棺に入れて一緒に焼けっと遺言残した阿呆なおっちゃんもいましたね、
    交渉すると言うスマートさを持たず、あっちの言い値でほいほい購入するから、、周りは大迷惑
    世界の美術品のマーケットの相場をぶち壊したのは、日本人です

    多分 この国は みんなが庶民、凡人になりきり過ぎて、文化はあるのに、文化を自分の日常に取り入れきれない、鈍臭い人が異常に多い。としか思えない
    でもそうかと言うと、自分たちは上流だと気取ってる人も多いしね
    まあ、身の程を知らない、と言うことは、文化がないって徴なのかもしれないけど
    品がないし、粋でもないから
    そう言うのにお金持たしちゃったりしたら、綺麗に使うことを知らないから、とんでもなく下品にしかならない
    イタリアには、そのチャンピオンみたいなベルルスコーニ氏がいますが、苦笑

    ゴッホの絵だけでなく、エルメスに、シャネル にヴィトンに、、。
    ああ言うものは、品位のある女性がそれもある程度の歳を重ねてから持つもので、そうじゃないと全く様にならないと言うのに、皆さんこぞって食費などを節約して買い求める
    ただの 若いお姉さんがチャラチャラ持ってると、堅気じゃないねとしか見えないってのに、
    おまけに、全然似合ってないし、バッグに人間が持たれている。

    欧米の猿芝居をしても、それは真似にしかならないってのに
    日本にも東洋にも、欧米に勝るとも劣らない。どころか優ってる、素晴らしい文化があるってのに
    浅いんですよね
    しかし、この軽薄さはどこから来るのでしょうね
    ワインだって、樽に入れたら醸造するってのに、日本人全然醸造されない

    オリンピックに高校野球 ちょいかわいくて優秀な選手がいるとこぞってちゃん、君づけで大騒ぎ
    あれはなんなのだろうと、、
    少なくとも頭がいい。と言う風にはとても見えない
    あの図だけでも 私がオリンピックを忌み嫌うのに充分なのです。

    考える度に、気が遠くなるんですが、
    ニホンは変わりません
    少なくとも この国が尊厳と言うものを意識することは、もうないような気がしています

    iPadから送信

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    1. こんばんは、Junkoさん。

      すみませんが、ちょっとお返事が遅れます。
      理由は、今日これから書く日記を読むとわかるかもしれません。書けないかもしれませんが・・・

      取り急ぎコメントのお礼まで。

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    2. 再びこんばんは。

      先ずブロガーを管理しているグーグル、或いはブロガーの単なるエラー(バグ)という可能性もあるので、もしそういう場合にはわたしの誤解をお詫びします。

      上に頂いたコメントの最後に、これまで見たことのなかった一行が加わっていました。

      >ニホンは変わりません
      少なくとも この国が尊厳と言うものを意識することは、もうないような気がしています

      >iPadから送信

      なにかの間違いという可能性もありますが、正直大変なショックでした。
      なぜならわたしの知る限りiPadとは大型のスマートフォンに他ならないから。

      いやスマートフォンとipadは全然違うよと、詳しい人は言うかもしれませんが、残念ながらわたしにはスマホも、ipadも、また電車内でのパソコンも全く変わりません。

      先日瀬里香さんという旧ブログ時代からの友達からコメントがありました。
      彼女はわたしの極端なスマートフォン嫌いを知っていますが、ここへのコメントはひょっとしたらスマホからかもしれません。

      yy8さんとはQ&Aサイトで知り合いましたが、その時のやり取りで、彼は、「今スマホからだけど・・・」と言っていました。

      では瀬里香さんやyy8さんとJunkoさんは何がちがうか?
      瀬里香さんやyy8さんは、かつてスマホが嫌いだと一言も言ったことはありません。その部分に関してはわたしとは全く合いませんが、それはお互いに承知の上でやり取りをしています。

      わたしが何故こうまで携帯用端末を嫌うのか、はっきりとはわかりませんが、少なくともスマートフォンに関しては「例外がない」という全体主義を嫌うからです。人と同じ格好をし、人と同じモノをもつことが生理的にダメなんです。電車の中で、タブレットというんですか?大きなスマホをいじっている人を見ると心底軽蔑の気持ちがこみ上げてきます。

      もちろんこれは単なる個人の好き嫌いであって、いいわるいの問題ではありません。一般には歩きタバコとは全く異質ですが、わたしが感じる不快感は同等です。

      スティーブ・ジョブズと比べれば安倍晋三なんてまだマシです。

      そしてわざわざ××から送信などと通知してくるブログも、やはりおかしい。

      今日の日記にも書きましたが、わたしももう最晩年で、長く生きることはないということが救いのようなものです。あのCMで、「もうお前の時代ではないぞ」と嗤われている気がしました。

      今日、母が、「後ニ・三年だから」と言っていました。であればわたしもあとニ・三年です。どんなに長くともあと十年はないでしょう。母は八十ですし重い持病がありますから。

      そして今日の日記の中井英夫の記述に繋がるのです。

      すみません。iPadが何かも知らず、馬鹿なブログのエラー表示かも知れないので、誤解があればお詫びします。

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  2. Ciao Takeoさん
    エラーじゃないですよ
    Takeoさんへのコメントは、ついつい長くなるのと、入れたのに届いていない事が時々あるので PCに 落としてから書きます
    すると保存もできますから、
    で、それをコピーして コメント欄に入れるので、それも一緒にコピーされてしまったのですね
    普段は I Pad から送信と言うのは 全く意味がないので、( i pad から送信しているわけではないので) 消すのですが、、、多分 朝大学に行く前に書いたので、消し忘れたのでしょう
    まあ、それでこう言うやり取りが生まれた。ということを 私は偶然だとは思いませんが、

    一年前まで使っていた日本から持って来たPCが壊れてから、 私は自宅で I Padを PC代わりに使っています
    それは、i Pad 以外 日本語変換機能のあるコンピューターがこちらでは手に入らないからです
    I Pad も決して好きではありませんでしたが、やむを得ない選択です

    こちらでは日本語表示の機種を修理してもらうのも一苦労、、と言うか、ほぼ不可能です
    一日付き添って通訳すれば、どうにかなるかもしれませんが、でもそれに付き合う技術者はいません
    そして 今まであえて 話したことがなかったけど、私がスマホを嫌いなのは、ステイーブ ジョブズ云々ではなく、ああいうものを 辺り構わず没頭している風景が醜いからであり、私は私のi Padを外に持ち出す事はありません

    正直言って
    こう言う事をいちいちこうして説明している事に、少し疑問を感じながら書いています
    私は、スマホが嫌いですが、
    ただ嫌いなものを嫌いと言ってるだけで、(ちなみに私の携帯は 当然ガラ系です)
    それを、選挙公約のように 自分の旗印として掲げているつもりはなく、
    なんと言うか、それをなんだ違うじゃあないかとそれこそ、ベジタリアンなのに肉喰ってるじゃあないか。みたいな、苦笑
    つまりそういう類の批判めいたものをTakeoさんのお返事に感じて、
    まあ、ブログでやり取りするだけで 心からの信用など生まれないのかもしれませんが
    ( 私は、しかしながら、、ネットで知り合った人の車には、ほいほい乗りませんが、でもブログ上で互いの書くものを読み合い、感じたことを話しあっている一部の人たちを心から信用しています)
    あ、信用されてなかったのね と 少し残念でした

    私は、ステイーブ ジョブズ氏は安倍さんより何倍もマシだと思っています
    少なくとも彼は自分の能力でなにかを作り出し、自分の稼いだお金で自分の王国を築き、彼の所謂 贅沢で思うがままの暮らしを享受したのであり、安倍さんのように 、公私混同甚だしく、公金や自分の地位を私的に使いまくってるわけでもなく、自分の政治家、総理として国民の暮らしを守るという責任を堂々とないがしろにしているわけでもありませんから。

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    1. こんばんは、Junkoさん。

      そういう事情でしたか。

      ここでいう「信用」という言葉。わたしとJunkoさんの間では、ちょっと意味合いが違うようです。

      簡単に言えば、わたしは「スマホ嫌いの人間」であることをある種のアイデンティティにしています。いや、「精神障害者」であること「スマホ嫌い」であるということが、わたしのアイデンティティの大部分を占めています。

      「何が好きか?」よりも、「なにが嫌いか」その嫌いなものが一致する人間と、わたしはより話が通じるのかもしれません。
      ですから立場が逆で、もしわたしが、実は時々だけどスマホを使っていたということにJunkoさんが「失望」してもそれはまったく当然の反応で、わたしは「嘘つき」といわれても仕方がありません。

      あ、これは「わたしにとってスマホ嫌いとはそのくらいの意味のある物だ」ということで、Junkoさんを「嘘つき」呼ばわりしているのではありません。
      わたしとJunkoさんではこの一事に於いて左右対称ではありません・・・

      おそらくわたしとJunkoさんの間では携帯用端末に対する「嫌悪感」の度合いがかなり違うのでしょう。当たり前と言えば当たり前です。

      わたしは人を心から信頼するということはできません。これまでただふたりの例外を除いて。そんなことは最初のブログに飽きるほど書いていますが、そもそも自分自身を信頼していないのですから。
      というよりも、自分がナニモノか、自分が何を考え、どういう価値観を基準に発言し行動しているのかさえ、定かではないのですから。

      それにこういう言い方は月並みで気恥ずかしいのですが、信頼して裏切られてきたことが忘れられません。まぁそれは勝手に信頼したわたしが悪いのです。先方は「おれを信じろ」などとは一言も言っていないのですから。

      ジョブズに対する評価で、所謂ITに対する価値観の違いが明らかになります。
      わたしはジョブズは人間の文化の破壊者であると思っています。
      もっとも彼が発明しなくてもいずれ同じようなものはできていたでしょうけれど。

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    2. ー追伸ー

      人を信頼しない(できない)のは前にも書きましたが、わたし自身「愛されざる者」であるという自覚を持っているからです。「許されざる者」と言ってもいいでしょう。
      わたしは信頼されるに足る何物をも持っていないのです。
      つまりやることなすこと人を失望させることばかり。

      他者との良好な信頼関係が築けないこと。それを維持できないこと。これがわたしが二十五年間、精神科に通い続けた主訴でした。

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  3. Ciao Takeoさん
    私にとってのスマホ とは、そして私が嫌悪するスマホとは、ただ「アップルのそれ」ではなく、携帯に取って代わったあの持ち歩きのできる、歩きながらでも使えるあの軽々しくおぞましいハンデイなものであって、それがSony でもSamsungであっても、そして はたまたAppleであっても、それは私の嫌悪にあまり関わりないのです(どこの企業でもこれだけ大きくなったらやってる事は一緒です)
    私が嫌いなのは、あの「機械」です
    ですから 私にはスマホを使っているという自覚はありません
    Apple のものは避けたかったのですが、それしかネットを使う手段がないと言うのなら、仕方のない事です
    原発反対をやっている私に昔、ある人が私のブログで原発反対と言いながら、飛行機使って日本に来る癖に と言ったことがあります。

    私たちは残念ながら、全てのものを完全に拒否して生きていくことはできません
    いや、出来るのでしょうが、私はそこまでタフではありません
    原発反対といくら言っても電気を使う事を拒否はできません
    うちの電気代は大家がびっくりするくらい安かったとしてもです
    暖房はもう2年ほど使っていません
    私はなるたけ近代化から遠いところに居たいと思っていますが、それでも使わなければいけないものは存在します
    ネット然り、、。

    私が、便利なものを嫌い、スマホ、およびスマホに類似する機械を忌み嫌い、一人でいる事を好み、ものを浪費せず大事に使い、木を愛し、動物たちの権利を尊重するのは、私のアイデンティティと言うよりも、私の生活のスタイルです。

    当然私とTakeoさんは一部の共通する考えを持っているだけで、多分極端に違うところもたくさんある
    それは 前からわかっています
    孤独 という事の括りにしても、、。
    私の孤独は、私の自由の証であり、私はその自由を呼吸して生きています
    でも私は人生で自分とまるで同じ性格、同じ考え、同じ嗜好を持つ人を求めていません
    元々そんな人はいるわけがないのですし、すごく似ているから付き合える という訳でもないのです
    人とのご縁は、実に不思議です

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    1. こんばんは、Junkoさん。

      もちろんスマホはスマホ、どこ製であるとうことは問題ではありません。

      携帯の時代はわたしはまだ外に出られていました。それに形態をいじっている人にこれほどまでの憎悪を感じることもありませんでした。
      それが何故・・・とは思いますが、携帯電話はこれほどまでに「外で」「必要な通話以外に」使っている人はいなかったような気がします。
      それとも単にわたしが以前よりも過敏になっただけなのか?

      電気を使うイコール原発に依存しているということにはならないと思います。
      現に原発ができる前から電気は使われていたのだし、大震災以降、日本中の原発が停止されていたのですから。

      >私のアイデンティティと言うよりも、私の生活のスタイルです。

      それはおそらく同じだと思います。ただわたしには観念的な生活だけがあって、現実の中での「生活」というものがありません。だから当然「ライフスタイル」というものは存在しないのです。
      西部邁が、「ライフ」(生命)と「リヴィング」(生活)と分けていましたが、わたしには後者が欠けています。
      ですから後者がもしあれば、それはおそらくJunkoさんのものと近いはずです。

      わたし自身が極端な人間ですからね。
      Junkoさんに限らず、誰であっても大きく異なると思います。

      似ていても話ができない人もいれば、考え方に相当の隔たりがあっても何か繋がれるひとっているもんですね。わたしが「リベラル」と称されるひとたちよりも、右翼の西部邁の言葉が耳に入りやすいということもそういうことかもしれません。彼の「政策」には全く同意できませんが、それ以前の部分でなにか、惹かれるものがあるような気がするのです。ま、それも例によってわたしの独り善がりの勘違いかも知れませんが(苦笑)

      ほんとうに人との縁は摩訶不思議ですね。



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  4. Takeoさん
    私は当時福島に頻繁に行っていましたから、
    私が、音頭を取っていろいろ行っていることが、上に立っていい気になっているかのように、感じられたのでしょう
    ただ私を傷つけたいだけの中傷で、傷つくに至りませんでしたが、、 苦笑

    誰かが考えついて 何か便利なものが出来上がった
    それはそれでステキなことだと思いますが問題はそれを使う人間が限度を知らないという事、だと私は考えています。
    電気でもガスでも 水でも同じことです
    濫用と言うのを私は嫌いますし、濫用する人間然り

    本当にそうですね
    私も。皆が良い人だ。と言う人に何の興味も持てなくて、皆が不審げに遠巻きに見るような(時々私のブログの文中に登場するカラス君はその類で) 人に興味を惹かれ、というか、あっちからも近づいて来るので、非常に親しくなったりする
    もしかして 前にもTakeoさんと話したことがあるけれど、そこに哀があるかないか?じゃあないかと今、ふと思いました
    子供の頃から私は、何かしらの理由で一人でポツンといる子に惹かれ、彼らと親しく接しました
    今でも時々どうしてるかなあと思い出すのは 決まって彼らです。
    子供でも、そこに切ない哀があったからではないかと思います
    夏日がうざくないのは、その裏に来るべき夕暮れがあるからで、一年中朝から晩まで スコーンと明るく賑やか「そう」なだけの人には、なんの興味も持てません
    私に紡がれるご縁の糸の先っぽには、その哀がくっついていて、私の哀と引き合うのかもしれません

    私も西部さんの考えに全て同意するものではありませんし、彼のようにドラスティックな人をただ賞賛するのでもないのですが、彼には妙に惹かれます
    三島由紀夫然り
    頑固に自分の信じる事を貫くために、勇気を振り絞っているのが、わかるような気がするのです

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    1. 同感です。スマホだって、あれ自体に憎しみを感じているというわけではない。ただ猫も杓子も、屋外で、車内で、店内で、人前でとなると、最早常軌を逸しています。
      必要に応じて使えばいい。ただ、「必要」というのはいくらでも広がっていきますからね。
      前にも書いたように「しないでいることができる」かどうかで、知性とセンスが計られる気がします。

      現実の人間だけでなく、皆がもてはやすモノ、現象というのに興味が持てません。
      人でも場所でも、また文化でも、よりマイナーな方を選びます。

      「哀」による共感というよりも、わたしが単に天邪鬼なだけかもしれません。

      大勢に囲まれている人を見ると、別に自分がその中の一人になることもあるまいと思い。孤立している人を見ると、じゃあわたしが仲間になろうと思ってしまいます。

      西部邁の何に惹かれているのか?やはり一途さかなと思います。後はやはりどこか一匹狼的なところかな。

      >頑固に自分の信じる事を貫くために、勇気を振り絞っているのが、わかるような気がするのです

      そうですね。三島についてはそんな感じには見えないのですが、渋澤龍彦夫人でやはり夫の死後自死した矢川澄子によると、三島は内面の孤独と、この世(時代)への絶望を必死になって隠そうとしていたように見えると言っています。

      この世にピッタリフィットしてる人は、わたしとは縁なき人たちです(苦笑)

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